
著者によれば、これを書いたのはなんと当時(今年3月)の行政改革推進本部事務局に総務省から出向していた次長だったという。公務員制度改革の責任者が、渡辺大臣の方針を全面的に否定する怪文書を流していたのだから恐れ入る。彼は今年の異動で本省に戻ったが、この怪文書の筆者であることは霞ヶ関に知れ渡っていたので、増田総務相の怒りを買って左遷されたそうだ。
民間の常識では考えられないが、霞ヶ関や永田町にはこういう怪文書が実に多い。昔、佐高信氏に「NHKは、怪文書が多いのとタクシー券の使い方がでたらめなのはナンバーワンだ」といわれたことがあるが、そのNHKにいた私でも驚くほど、日常的にこういう「紙爆弾」が飛び交う。特に権限縮小になるような改革に対しては組織を挙げてサボタージュを行い、「大臣のお考えとは違いますが・・・」といって官僚が政治家に勝手な根回しをするのは日常茶飯事である。皮肉なことに、この怪文書が「なぜ集中管理が必要?」という質問の答なのだ。
そもそも正式の公文書が、怪文書のようなものだ。省内で回ってくる書類には「・・・課」までしか書かれておらず、ペタペタ決裁印が押されて責任者は誰かわからなくなっている。政策の責任は組織が負うので、あとになって問題が起きたときも最初の起案者は追及されない。事件が表面化したときの責任者が公式には責任を負うが、彼は実際には経緯を知らないので、処罰されることはない。この徹底した匿名性は、2ちゃんねるよりはるかに悪質で影響が大きい。
90年代に住専処理を誤って6850億円の税金を浪費した寺村信行銀行局長も、東京の2信組のbailoutで不良債権処理を致命的に混乱させた西村吉正銀行局長も損害賠償責任は問われず、大学教授として優雅な老後を送っている。日債銀で「奉加帳」を回して銀行に2100億円の損失を与えた銀行局の中井省審議官は、検察がいったんは詐欺罪で立件を検討したが、見送った。奉加帳は「組織としての決定」で、個人に責任を負わせることはできないという判断だった。
これは著者もいうように、情報の非対称性を利用したモラル・ハザードである。官僚(エージェント)が匿名で、大臣(プリンシパル)が情報劣位にあるかぎり、エージェントが利己的な行動をとることは避けられない。これを改革する方法は情報の非対称性をなくすことだが、エージェント(代理人)は定義によってプリンシパル(依頼人)より多くの情報をもっている(そうでなければ依頼人が自分でやればよい)ので、非対称性を完全になくすことはできない。
日本でまともな政策論争が成り立たない原因も、霞ヶ関の2ちゃんねる体質にある。著者のように霞ヶ関を批判する側は実名なので、いろいろな誹謗中傷を浴びるが、それをつぶそうとする官僚は匿名だ。「素朴な疑問」は品のいいほうで、最悪なのはブラック・ジャーナリズムに情報を流して金や女の話を書かせる手法である。この匿名性は、日本のウェブがガラパゴス化する原因でもある。少なくとも公文書についてはすべて責任者の署名を義務づけ、霞ヶ関から「2ちゃんねらー」を追放すべきだ。