2007年07月

35年目の松任谷由実

松任谷由実が「デビュー35周年」だそうだ。私は、そのデビュー・コンサートを見に行ったことがある。京都の小さなホールで開かれたコンサートは、ピアノ1台の弾き語りで、客は数十人。歌はひどく下手だったが、曲はそれまでの「四畳半フォーク」とはまったく違い、日本にも新しいポピュラー・ミュージックが生まれたのだと感じた。

「荒井由実」の時代はフォローしていたが、結婚してからは音楽的につまらなくなって、ほとんど聞かなくなった。その後、80年代に「呉田軽穂」としてヒット曲を連発したころ、NHKの「ニュースワイド」でインタビューしたことがある(仕事にかこつけて誰にでも会えるのがテレビの仕事の最大のメリットだ)。業界では、彼女は「高飛車だ」とか「メディア操作にうるさい」など評判はよくないが、これは事務所の態度が悪いだけで、本人は気さくな楽しいおねえさんだった。

当時はテレビに出ないことで知られていたが、きのうは先週から始まった「シャングリラⅢ」ツアーをテレビで紹介し、舞台裏まで撮らせていた。40億円かけてシンクロナイズド・スイミングまで入れた大仕掛けなステージだが、舞台装置がすごいほど歌唱力の貧弱さが目立ってしまう。35年前のピアノ・コンサートのほうが感動的だった。

自由の過剰な世界

finalvent氏から、拙著への書評をいただいた。彼は私と同世代なので、マルクスを軸にして私の議論を理解したのだと思うが、これは当たっている。実は私も、ドゥルーズではないが、死ぬまでにマルクスについての本を書こうと思っている(出してやろうという版元があればよろしく)。サイバースペースに見えてきた世界が、彼のいう「自由の国」に似ているからだ。

マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた(『ゴータ綱領批判』)。これは彼のユートピア的な側面を示すものとしてよく嘲笑されるが、サイバースペースでは、人々がOSSを開発するのもブログを書くのも生活手段ではないだろう。労働が目的になれば、マルクスも予言したように貨幣(賃金)は必要なくなる。またデジタル情報に稀少性はないから、「協同的な富が過剰に湧き出る」ので、財産権には意味がなくなる。

もちろん主権国家の力は今なお大きく、特に知的財産権と称して情報の自由を制限しようとする国際カルテルは強まっている。日本でも、総務省は「情報通信法」でインターネット上の「公然通信」を規制しようとしている。しかし長期的には、こうした試みは失敗に終わるだろう。今や国家は情報のボトルネックを握っていないからだ。

近代社会で自由というとき、もっとも重要なのは言論出版の自由(freedom of the press)だが、これは本来は「印刷機(press)の自由」である。中世に教会が写本によって独占してきた知識が活版印刷によって広く普及することが、彼らの権威を危うくするものと思われた。これを弾圧するには、そのボトルネックとなっている印刷機を押収することがもっとも効果的な手段だった。

ここで教会=マスメディア、印刷術=インターネットと置き換えれば、今われわれの直面している闘いの構図がわかるだろう。かつては稀少な印刷機を押えれば自由を奪うことができたが、今日ではだれもがパソコンという「印刷機」をもっている。カーヴァー・ミードも言ったように「トランジスタを浪費せよ」というのが情報社会のマントラだから、過剰な資源をいくら規制しても言論をコントロールすることはできない。

では情報の過剰な時代のボトルネックは何だろうか。その一つは、ハーバート・サイモンの指摘したように、人々の時間(あるいは関心)だろう。私のRSSリーダーに登録されているサイトだけでも45もある。半日も見てないと新しい項目が100を超え、見出しだけ見てもどれが大事な情報かわからない。検索エンジンもノイズが多すぎ、きょう何が起こったかをざっと見るには紙の新聞のほうが役に立つ。ブログもソーシャル・ブックマークもイナゴだらけで、情報としての価値はない。

要するに今、われわれは自由の過剰な世界で、何を選んでいいかわからないのである。だから稀少な時間(情報の優先順位)を効率的に配分するメカニズムが、次のブレイクスルーになるのではないか。それは狭義の「検索」というよりも、むしろかつて挫折した(自然言語処理のような)人工知能の復活かもしれない。

追記:小飼弾氏からは「もとのブログのほうがおもしろい」という書評をいただいた。実は編集者にも「生産性論争」とかコメントなどを入れてブログっぽい感じを出したほうがいいといわれたのでやってみたが、プロレスを半年たって録画で見るような気の抜けた感じになるのでやめた。逆にfinalvent氏のいうように、本の形にまとまって初めて、私の一貫した考え方がみえてくるという面もあると思う。

これからウェブと紙媒体の役割分担が進むとすれば、ウェブのほうは"dynamic document"としてインタラクティブに動いている点ですぐれており、紙は系統的に整理する点で便利だ。新聞や雑誌はウェブの打ち出しで代替されるかもしれないが、伝統的な単行本は、意外に最後まで残るのではないか。



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