2007年07月

ナショナリズムの由来

ナショナリズムは、現代の謎である。それは自由主義や共産主義のように一定の政治的な主張をもつ「主義」ではなく、ひとつのネーション(民族・国民)に所属しているという感情にすぎない。ところがアメリカのように「国民国家」ともいえない国が極端なナショナリズムを掲げて戦争に突入したり、民族とは関係のない「慰安婦」問題が日韓のナショナリズムを刺激したりする現状は、なかなか合理的には理解しにくい。

ただナショナリズムについては、教科書ともいうべき何冊かの本がある。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』やエルネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』あたりがナショナリズムをフィクションとする主流の立場で、それをある程度自然な民族感情とする立場としては、アンソニー・スミス『ネイションとエスニシティ』といったところだろうか。

アンダーソン流の理解は、印刷資本主義によって各地の言語や文化が統合された「国語」を母体として「国民」という想像上の共同体が形成され、それを主権国家が「公定ナショナリズム」として利用して国民を戦争に動員した、というものだ。こうした古典的な理解では、国民国家は資本主義の上部構造なので、グローバル資本主義や地域紛争で主権国家の求心力が弱まると、ナショナリズムは衰退するはずだった。

ところが今おこっているのは、最初にのべたように変形したナショナリズムの高揚である。かつて宗教が占めていた座を20世紀にはイデオロギーが占め、それが崩壊した21世紀にはナショナリズムが占めることになるのだろうか。イスラム原理主義も、ある意味ではアラブ民族主義という意味でのウルトラ・ナショナリズムなのかもしれない。

・・・という程度のことは、ナショナリズムについて少し考えた人なら、だれでも思いつくだろうが、この877ページもある大冊に書かれているのは、この程度の既存の学説のおさらいにすぎない。ナショナリズムの入門書としても冗漫で繰り返しが多く、読みにくい。世界各地で大きく異なる問題を無理やり「ナショナリズム」一般の問題として観念的に論じているので、アンダーソンやゲルナーなどの引用が何度も出てくるばかりで、論旨が展開しない。しいていえば文献サーベイとしては意味があるかもしれないが、索引がないので事典としても使えない。

浜岡原発は大丈夫なのか

中越沖地震で衝撃的だったのは、柏崎原発で50件もの故障・破損が起きたことだ。しかも設計で想定されていたM6.5を超えるM6.8がほぼ直下で起きたとされている。テレビでは変圧器の火災が注目されていたが、危ないのは配管類だ。さらに恐いのは、制御系に問題が起きて原子炉が制御不能になることである。

今回は、さいわい地震と同時に運転が停止されたが、関係者がもっとも心配するのは浜岡原発だろう。なにしろ、こっちはM8以上の大地震が30年以内に80%以上の確率で起こるとされる東海地震の震源の真上に建っているのだから。現地のブログによれば、柏崎で観測された680ガルという加速度は、浜岡の設計値も上回るという。

本当かどうか知らないが、2年前には浜岡2号機の設計を担当した東芝の子会社の技術者から、東海地震が起きると「浜岡原発は制御不能になる」というという内部告発が行なわれた。彼によれば、
  1. 浜岡2号炉の耐震計算結果は地震に耐えられなかった
  2. 直下型地震が起こると核燃料の制御ができなくなる可能性がある
とのことだ。当初の耐震計算では、2号機は想定される地震に耐えられないので、彼は設計の変更を提案したが、地理的な制約などで不可能だという理由で当初の設計どおり建設することが決まり、彼は退社したという。

これに対して、中部電力は「安全性に問題はない」と反論したが、告発者が匿名であるため、これ以上くわしい議論は行なわれなかったようだ。炉心溶融が起こって首都圏のほうに風が吹いた場合は、数万人の死者が出るとも予想されている浜岡原発が「姉歯状態」だとすれば大変なことだが・・・

国際競争力という危険な妄想

先週、ある企業の幹部から「こういう会議に当社もおつきあいすることになったんですけど・・・」といって「ICT国際競争力会議」と題した冊子を見せられた。そこに並んでいるメンバーは、松下電器、KDDI、シャープ、富士通、ソフトバンク、ソニー、東芝、NHK、テレビ朝日、日立製作所、NEC、NTTなどの社長や会長で、議長は総務相だ。「こんな財界のコンセンサスで何かできると、役所はまだ思ってるんですかねぇ」と彼は溜息をついた。

こういうターゲティング政策は、特定の産業の業績が悪くなるとよく出てくるものだ。1990年代前半、米クリントン政権でも、商務省が半導体や自動車などの「国際競争力強化」のための産業政策を打ち出した。これに対して、ポール・クルーグマンは「競争力という危険な妄想」(Foreign Affairs, 1994)という有名な論文を書いて、こうした政策を批判した。そもそも国家に「競争力」などというものはない。競争しているのは個々の企業であって、政府が介入するのは有害無益である。特に彼のあげた問題点は、次の3つだ:
  1. 補助金の無駄づかいだ
  2. 無用な貿易摩擦を引き起こす
  3. 産業をミスリードする
中でも最悪なのは3の効果で、政府や大企業の老人が集まって、急速に変化しているグローバル経済の方向を正しく予見できるはずがない。事実、アメリカ経済の回復は、商務省の報告書が言及もしていなかったシリコンバレーから起こった。日本でも、内閣府が2000年に「IT戦略会議」を設立し、「高度情報通信ネットワーク社会」にふさわしい産業の育成をめざしたが、そのe-Japan戦略をみても、「検索エンジン」という言葉は一度も出てこない。このころ政府が熱心だったのは「IPv6」や「ICタグ」や「ITS」だった。

これに比べれば、同じ総務省でもモバイルビジネス研究会の出した報告書のほうが、具体的で説得力がある。国家に競争力というものはないが、企業活動のインフラにゆがみがある場合、それを是正する制度改革によって生産性を高めることはできるからだ。携帯の場合には、私が以前から指摘しているように、政府が「日の丸規格」を押しつけ、さらにキャリアが販売奨励金やSIMロックなどの垂直統合モデルで端末メーカーを下請け化してしまったことが、端末メーカーの競争力低下の原因だ。

こうした「パラダイス鎖国」が起こっているのは、携帯端末だけではない。いま話題になっている社保庁のシステムも、COBOLで書かれているため、修正できる要員がいないという。NTTが交換機を捨てる決め手になったのも「もうNTT規格の部品をつくるのは勘弁してください」とベンダーが泣きを入れたためだという。役所や銀行やキャリアが独自仕様で発注し、ベンダーはそれをコテコテにカスタマイズして囲い込む下請け構造を続けてきたため、サービス業と製造業の水平分業が成立していないのだ。だからサービス業の生産性もOECD諸国で最低水準であり、製造業からの転換が遅れている。

これを打開するために重要なのは、「国際競争力会議」の掲げているようなターゲティング政策ではなく、システムのオープン化や国際分業によってこの下請け構造を破壊し、新しい企業を参入させる新陳代謝である。そのためには野口悠紀雄氏もいうように資本市場を「開国」し、行政の介入ではなく資本の論理でだめな企業や経営者を追放する必要がある。海外の投資ファンドを根拠もなく「グリーンメーラー」呼ばわりする経産省の事務次官も、追放したほうがいいだろう。

ミス・ユニバース売ります?

新品はタダでもらえるが、それを中古品市場で数百億円で売れるものをご存じだろうか。電波の免許である。周波数は、最初に割り当てるときは美人投票とよばれる書類審査によって、政府が事実上タダで割り当てるが、その割当を受けた会社は、企業買収という形で免許を高く売れるのだ。きょう報道されたNextWave(*)によるアイピーモバイルの買収は、そういう話だ。

実は、こういう闇市場(上品に表現すればsecondary market)は、電波の世界には昔から存在する。かつて全国にたくさんあったポケットベルの会社がどうなったか、ご存じだろうか。ほとんどは携帯電話会社に買収され、その周波数はドコモやKDDIに使われているのだ。ソフトバンクのボーダフォン買収も、形式的には企業買収だが、実質的には免許の買収だ。

闇市場は、相撲の親方株や個人タクシーの免許など、他の業界にも昔からあるが、こんな方法が通るのなら、美人投票は意味がない。アイピーモバイルが免許を取ったときは、他の事業者との比較審査で選ばれたわけだが、新たに経営者になるといわれるNextWaveは審査を受けていないからだ。これは森理世さんが受けたミス・ユニバースの称号を他の人が買収するようなものだ。

こういう奇妙な現象が起こるのは、日本の電波政策がいまだに行政の裁量で電波利権を配給する電波社会主義を続けているからだ。官僚がいくら入念に審査しても、情報の非対称性があるかぎり、アイピーモバイルのようなモラル・ハザードは防げない。(公式の)第一市場がないのに第二市場があるというのは、ロシアやイタリアなどのマフィア経済の特徴だ。これ以上、電波資源の配分をゆがめないためにも、周波数オークションを含めた電波政策の抜本改正が必要である。

(*)このNextWaveも、周波数オークションで免許は取ったものの資金繰りが行き詰まって、いったん破産した企業だ。くわしい解説は、そのうち海部美知さんから出るだろう。

Good Capitalism, Bad Capitalism

イノベーションと起業家精神が成長率を決めるという視点から資本主義を

 1. 起業家型(アメリカ)
 2. 大企業型(欧州・日本)
 3. 政府主導型(中国・韓国・東南アジア)
 4. 寡頭型(ロシア・中南米)

の4類型にまとめたもの。容易に想像されるように、この順に望ましいという話なのだが、1だけでは大量生産型の産業には対応できないので、1と2の組み合わせがベストである――という結論だ。しかし日本が2に分類されているのは疑問だ(日本の平均的な企業規模はアメリカより小さい)し、3と4の違いもはっきりしない。

一般向けの本なので、理論的な先行研究にはほとんどふれていない。内生的成長理論に3ページほど言及しただけで、契約理論も制度分析も法起源論も出てこない。特に、なぜ起業家精神が成長率を引き上げるのか、という肝心の問題に答えないで、統計データや政策提言を並べるだけなので、はぐらかされたような印象を受ける。

ただ、いろいろな見方や多くのデータをバランスをとって紹介しているので、「イノベーション」を看板とする安倍政権の教科書としては便利だろう。特に「知財立国」で成長率が高まると信じ込んでいる官僚や法律家には読んでほしいものだ。本書のデータでは、知的財産権の強さは生産性とも成長率とも相関はなく、アメリカの異常に広範囲で曖昧な特許制度がむしろイノベーションを阻害している、と指摘されている。

JR東労組と革マル

マングローブ―テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実JR東日本が、松崎明をリーダーとする革マル(JR東労組)に乗っ取られている実態を明らかにした『週刊現代』の連載をまとめた本。関係者には周知の事実だが、それがようやく講談社という大手出版社から出たことが画期的だ。

私の学生時代にも、私が部長だったサークル(社会科学研究会)で、革マルのメンバーが内ゲバで4人も殺された。念のためいっておくと、社研は(東大教授の)吉川洋氏も部長をつとめたアカデミックなサークルで、私自身も党派と無関係だったが、当時は革マルが駒場を拠点にしていたため、中核と革労協にねらわれたのだ。

この事実からもわかるように、革マルは内ゲバの被害者になることが多く、武闘集団としては大して強くない。その組織実態も数百人であり、資金的にも朝鮮総連といい勝負だろう。それなのにJR東日本のような大企業が彼らのリンチを放置し、松崎が会社や組合の金を横領してハワイに別荘を建てるのを黙認し、それを批判する週刊誌を駅の売店から引き上げるといった常軌を逸した対応を行なうのは、革マルが命をねらうテロリストだからだろう。

警察も、こうしたテロを本気で捜査してこなかった。極左集団どうしが殺しあうのは(堅気の人が誤爆されないかぎり)手間が省けていいし、彼らを社会から孤立させるからだ。これは一時期までの暴力団への対応と同じだが、こうした日本的な「テロとの共存」は、もう許されなくなった。世界的なテロとの闘いの一翼をになう安倍政権の意を受けて、警察も強制捜査を始めたが、本丸の松崎にはまだ捜査の手は及んでいない。

救いがたいのは、命がけでこういう報道を行なうのが週刊誌だけという現状だ。かつて暴力団の撲滅キャンペーンを張った新聞は、何をしているのか。



「社会保障番号」は必要か

安倍首相は、年金・医療保険に関する情報を総合的に把握するための「社会保障番号」を導入する方針を表明した。かつて住基ネットのときはあれほど「国民総背番号」に騒いだメディアが、今度は当然のようにこれを報じている。もう忘れた人も多いようなので、当時どれほどヒステリックな騒ぎが起こったかを思い出してみよう。
  • オンライン化にともない「国民総背番号」「納税者番号」などの問題に結びつけることは、社会保険庁としては考えていない。――社会保険庁と自治労国費協議会の確認事項(1979)
  • グリーンカードは"国民総背番号制"で、これを実施すれば国民のプライバシーが侵害され、管理を嫌う巨大な資金が海外に流出する。――金丸信・自民党元副総裁(1983)
  • 国民に対する権力の監視の目を厳しくする法案として民主党が盗聴法とともに問題としているものに、住民基本台帳法、いわゆる国民総背番号法があります。――枝野幸男・民主党元政調会長(1999)
  • [国民総背番号がなくて]現状の非効率な行政システムがいつまでも続いても、多くの人は一向にかまわないのです。――山形浩生(2001)
  • 牙をむく国民総背番号制で裸にされるあなたの私生活――臺宏士・毎日新聞記者(2001)
  • 個人の統一的管理システムの構築を認めない。――日弁連「 自己情報コントロール権を情報主権として確立するための宣言」(2002)
  • 私は番号になりたくない。――櫻井よしこ(2002)
おわかりだろう。最初に背番号に反対したのは「プライバシー」に配慮する人々ではなく、なるべく仕事をしたくない社保庁の労組であり、いったん成立したグリーンカード(少額貯蓄の名寄せ制度)を廃止に追い込んだのは、裏金を把握されたくない政治家だったのである。それに国民の不安を煽る野党が迎合し、無知なメディアや評論家ばかりか、法律家まで合流して「監視社会」に反対する大合唱が起こり、背番号制度は抹殺されてしまった。

これが官僚のトラウマとなって、国民ひとりに一つの番号をつける「ナショナルID」はタブーとなり、各省庁でばらばらに番号化が始まった。基礎年金番号は自治労のサボタージュで5000万件もの未処理が残り、住基ネットの機能は旧自治省の事務合理化に限定されたため無用の長物となり、納税者番号はたびたび政府税調で答申されながら先送りされ、結果として膨大な脱税と年金の支給不足が生じた。

また今度も、住基データとは別に社会保障番号が導入される方向で、それとは別に納税者番号が検討されているが(*)、このように官庁の縦割りでバラバラに国民の個人情報を管理することは、セキュリティの点でもコストの点でも問題がある。厳重に(年間200億円もかけて!)管理・警備されている住基データを抜本的に改正し、各官庁の共有データとして社会保障にも納税にも利用するほうが効率的だ。

(*)実は税務署の内部では、すべての納税者に番号が振られている。KSKという税務署のシステムはそれで動いているのだが、この納税者番号は利子や配当などの総合課税には使えないので、捕捉率の向上には役立たない。

成長する音楽産業

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違法ダウンロードのおかげでレコード産業は衰退していると主張しているが、ワーナー・ミュージックのブロンフマン会長によれば、「音楽産業は成長している」という。北米のコンサートの売り上げは2000年の17億ドルから昨年は31億ドルと倍増し、ミュージシャンの収入源の2/3はコンサートになった。

これは明らかに、オンライン配信によって音楽にふれる機会が増えたためだろう。今週プリンスは、次のアルバム"Planet Earth"をMail on Sunday紙で無料配布すると発表した。世界でもっとも稼ぐミュージシャンである彼にとっても、コンサートが最大の収入源であり、CDはもはやプロモーションの手段なのだ。

音楽は、もともと生で聴衆のために音楽家が演奏する「経験」を提供するサービスだった。CDというパッケージは、その代用品にすぎない。これからは、人々がステージやオンラインで演奏を聞く自然な形に戻るのかもしれない。

最後のケインジアン

立花隆氏が、故・宮沢元首相にインタビューしたときの印象について興味深い記事を書いている。
[立花氏が]「ひと昔前なら経済財政政策は、ケインズ理論にのっとってやっていれば、まちがいなかった。だけど、いまはもうそういう時代じゃないでしょう。いまはどういうプリンシプルにもとづいて経済を運営しているんですか」
と聞いた。すると、この質問を聞くまでは、丁寧にいろんな質問に答えていた宮沢が、突然表情を変えて、キッとなった。
「いえ、ケインズ政策の時代が終わったなんてことはありません。いまでもぼくはケインズ理論が基本的にいちばん正しいと思っています。ケインズに代わる理論はありません」
これは1980年、前年にサッチャー英首相が就任し、翌年にはレーガン米大統領が誕生し、反ケインズ政策が流行していたときの話だ。経済学の世界でも、フリードマンの「自然失業率」理論がケインズ的な財政政策の無効性を証明し、ルーカスの「合理的期待」理論によって「ケインズ派vsシカゴ派」の論争はほぼ終わっていた。

ところが日本では、宇沢弘文氏や浜田宏一氏などのケインズ派が主流で、シカゴ派は皆無だった。宇沢氏は「合理的期待をやっている奴は水際で止める」と公言し、浜田氏(私のゼミの先生)は「上野の駅前には失業者がたくさんいる。フリードマンにはそういう人々への同情がない」と嘆いていた。そういうパターナリズムが「良心的知識人」の証しだったのだ。

彼らの論敵はシカゴ派ではなく、大蔵省の均衡財政主義だった。日本の戦後の財政は、好況のときは財政を緩和し、不況になると緊縮財政をとるpro-cyclical政策だった。それに対してケインズ派が「内国債は将来世代の負担にならない」と説得していた。つまりアメリカでは1930年代に終わった論争を、日本ではその50年後にやっていたわけだ。

そうこうしているうちに「円高不況」がやってきた。これに対して大蔵省は、またも緊縮財政でのぞみ、ケインズ派は金融緩和を主張した。その結果が資産バブルだった。そしてバブル崩壊後の1991年に首相に就任したのが、日本国民にとって不運なことに、ケインズ派の宮沢氏だったのである。

彼の持論は「資産倍増論」で、日本は社会資本が不足しているので、インフラ投資で景気も回復させようというものだった。先進国でケインズ政策が否定された中で、日本だけがジャブジャブの財政出動を行なったのだ。この政策は、彼が小渕内閣で蔵相に起用されたときまで続き、先進国で最悪の財政赤字をつくっただけで、不況脱出には何の役にも立たなかった。

立花氏によれば、宮沢氏は最後まで、自分がどこで間違ったのかわからなかったようだ。彼は、賢明なエリートが国民を導かなければならないというHarvey Roadの前提を信じていた。たしかに宮沢氏は聡明だったのだろう。しかし市場経済は、彼よりもはるかに賢明に問題を自律的に解決できるようになったのだ。彼は聡明であるがゆえに、最後までそれに気づかなかった。

国会は「原爆投下非難決議」を出せ

久間防衛相の「原爆はしょうがない」発言が大きな波紋を呼んでいるが、その内容は目新しいものではない。原爆投下の理由が、ソ連の参戦前に日本全土を米軍が占領しようとしたためだというのは、ほぼ通説とされている。これによって日本がソ連の参戦直後に降伏したため、北海道がソ連領にされずにすんだというのもよくいわれる話だ。

しかし最近では、こうした説は疑問とされている。たとえばトルーマンは回顧録に、ソ連が8月8日、駐ソ米大使に対日参戦を通告したとき、「米国が日本に原爆を投下したために、ソ連は極東における自己の位置を考え直した」と書いている。ソ連参戦は、ヤルタ会談(1945年2月)で決まっていた方針であり、原爆投下はむしろそれを早めた可能性が高い。

また原爆開発にあたっていたグローブス少将の陸軍長官あて書簡(1945年4月)には「目標は一貫して日本だ」と明記され、もともと広島(ウラン)型と長崎(プルトニウム)型の2発を「実験」する計画だったとされる。したがって「原爆のおかげで戦争が早く終わってよかった」という久間氏の話は、防衛相としてはお粗末というほかない。

いずれにせよ、東京大空襲も含めて第2次大戦末期に米軍の行なった無差別爆撃は、戦況が決したあと50万人以上の非戦闘員を殺した、史上最大規模の戦争犯罪である。ところが歴代の日本政府も国会も、原爆投下について米政府に対して正式に抗議したことがない。

広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれているが、この「過ち」の主語は日本人でも人類一般でもなく、米政府に他ならない。日本政府はそれを曖昧にしたまま抗議もせず、「人類の課題」としての核廃絶を語ってきた。つまり、われわれは暗黙のうちに「原爆を落とされたのはしょうがない」と認めてきたのだ。久間氏は、それをうっかり口に出してしまっただけである。

原爆の犯罪性は、慰安婦などとは比較にならない。久間氏の発言が本当に許せないのなら、彼の辞任でお茶を濁すのではなく、日本の国会は米下院の慰安婦決議に対抗して原爆投下非難決議を可決し、ブッシュ大統領に正式の謝罪を求めるべきである。いうべきことはいうのが、安倍首相のいう「対等な同盟関係」というものではないか。

追記:原爆資料館を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は5月30日、中国新聞のインタビューに次のようにのべたという。「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」。アメリカ人が自国の責任に口をぬぐって日本の植民地支配を追及しようとするあつかましさは相当なものだが、これが慰安婦問題を騒ぎ立てる人々の発想なのだろう。

追記2:米政府のジョゼフ核不拡散担当特使は3日の記者会見で、「原爆投下によって戦争が早期に終結し、数百万人の生命が救われた」という米政府の公式見解を繰り返した:
I think that most historians would agree that the use of an atomic bomb brought to a close a war that would have cost millions of more lives, not just hundreds of thousands of allied lives but literally millions of Japanese lives.
実際には、1945年6月には日本政府は本土決戦の方針を放棄し、ソ連の仲介で和平工作を進めようとしていた。したがって原爆よりも、ソ連参戦が決定的な降伏のきっかけになったのである。こんな嘘をいまだに公言している米政府に、安倍政権は何もいわないのだろうか。それこそ彼のいう「戦後レジーム」の呪縛の最たるものではないか。



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