2006年03月

廣松渉

哲学者の廣松渉が死んで、もう12年たつが、依然として彼についての本が刊行されている。最近では、『哲学者廣松渉の告白的回想録』(河出書房新社)という彼の生前のインタビューを集めた本まで出ている。彼の本の晦渋な悪文とは違って、彼の話はとても魅力的だったから、こういう座談集がもっと出てもよいと思うが、この本は彼のもっともだめな「革命論」が大部分を占めているので、お勧めできない。

私の人生で、だれにいちばん大きな影響を受けたかといえば、圧倒的に廣松である。私が大学に入った年は、彼がちょうど非常勤講師として駒場に来たときだった。科学哲学の大学院のゼミに潜り込んで、彼の講義を聞いたが、その内容はもっぱら新カント派などの伝統的な哲学だった。私の初歩的な質問にも、実にていねいに答える柔和な印象は、彼の文体からは想像もできない。

私のマルクスやヘーゲルなどの理解は、ほとんど廣松経由である。もとのテキストを読んでもさっぱりわからなかったのが、廣松のフィルターを通すと、実に明快にわかってくる。ただ、そのわかり方は、たぶんにドイツ観念論の図式的な理解で、いま思うと、やはり廣松は本質的にはヘーゲル主義者だったのだと思う。

それと印象的だったのは、すごいヘビースモーカーで、ゼミの間中もずっとタバコ(ピース)を吸い続けていたことだ。歯は真っ黒だった。当然のことながら、彼は60歳で退官した直後に肺癌で死んだが、あのタバコの吸い方は、ほとんど緩慢に自殺しているようなものだった。

彼の代表作は、晩年の『存在と意味』(岩波書店)ではなく、若いころの『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房)だと思う。私が最初に読んだ彼の本は『唯物史観の原像』(三一新書)だったが、これも名著だ。彼が名大をやめて浪人していた時期に書かれた『マルクス主義の成立過程』(至誠堂)や『マルクス主義の地平』(勁草書房)も傑作である。しかし彼が東大に就職してからは、同じ図式の繰り返しになり、私は興味を失った。

デリダは、社会主義の崩壊した1990年代に『マルクスの亡霊』を書いた。ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』は明らかに『資本論』を意識しており、ドゥルーズは最後の本として『マルクスの偉大さ』を構想していたといわれる。こうしたポストモダンの解釈に比べると、廣松のマルクス解釈は観念論的で古臭いが、日本の生み出した数少ない独創的な哲学であることは間違いない。

マスメディア集中排除原則

竹中総務相が「マスメディア集中排除原則」の見直しを示唆した。この規制は、今まで何度も「見直し」ては、結局なにも変えないままに終わっている。最大の障害は、地方民放を私物化している政治家が、再編成を拒んでいることだ。他局に買収されたら、「お国入り」をローカルニュースで放送させるなど、宣伝塔として使うことができなくなるからだ。

この原則が1950年にできたときは、米国のようにローカル局が自主編成を行って多様な番組を放送することを想定していた。ところが現実には、地方民放とキー局の資本関係は(集中排除原則のおかげで)20%以下なのに、地方局の番組の90%近くはキー局の垂れ流し、という奇妙な系列関係ができてしまった。この規制は地方民放を過小資本にしただけで、言論の多様性には何も貢献していない。おかげで、民放連の圧倒的多数を占める地方民放がキー局よりも大きな発言力をもち、放送業界の近代化をさまたげてきた。これは、貧しくても頭数の多い途上国が国連を支配しているのと同じ構図である。

この「途上国」は、資本力が弱く経営基盤は不安定だが、危なくなったらキー局からもらう「ネット料」を増額させるので、つぶれる心配はない。地上デジタルは、ある面ではこの「放送業界の癌」を設備投資負担でつぶすための計画だったが、地方民放は政治家を使って「アナアナ変換」に国費を投入させ、ピンチを逃れた。しかし今後のデジタル化投資は、自己資金でやらざるをえない。キー局も、集中排除原則があるかぎり、設備投資を補助することはできない。

放送のデジタル化を効率的に進めるには、集中排除原則を撤廃して、地方民放をキー局の子会社にし、県域ごとの無駄な投資を省く必要がある。局舎は、たとえば九州なら福岡に1局あればよく、他の県には中継局と取材拠点があればよい。せまい日本で、県域ごとに免許を出す制度も改めるべきだ。またインフラは県ごとに統合して「受託放送事業者」とし、NHKも含めた共同中継局を建てるのが合理的である。

ただ、先日のICPFセミナーで深瀬槇雄氏も指摘したように、竹中氏の構想を小泉政権で実現するのはむずかしい。竹中氏は、6月までに通信・放送懇の結論を出して「骨太の方針」に入れるつもりらしいが、今はおとなしいNTTやNHKも、その既得権を脅かすような結論が出たら、激しいロビイングを展開するだろう。「死に体」になりつつある小泉政権に、その抵抗を押し切って改革を実行する力があるかどうかは疑わしい。本格的な改革は、次の政権がどうなるか次第だろう。

特殊指定

公正取引委員会が、新聞の値引きなどを禁じる「特殊指定」の廃止を検討しているのに対して、新聞協会が特殊指定の堅持を求める特別決議を出した。それによれば、
新聞販売店による定価割引の禁止を定めた特殊指定は再販制度と一体であり、その見直しは再販制度を骨抜きにする。販売店の価格競争は配達区域を混乱させ、戸別配達網を崩壊に向かわせる
のだそうである。「価格競争」が業界秩序を「崩壊に向かわせる」というのは、改革に反対する業界の決まり文句だが、それを批判する新聞が、自分のことになると典型的な「抵抗勢力」になるわけだ。これは、私が5年前に指摘したときとまったく変わっていない。

価格競争によって販売区域が変化し、販売店の淘汰が進むことは間違いないが、それが「戸別配達網を崩壊に向かわせる」とは限らない。同じ地域を多くの新聞販売店が重複して回るのは無駄だから、たとえば各社がまとめてヤマト運輸に配達を委託すれば、戸別配達網のコストはむしろ下がるだろう。

実際には、この決議が「全会一致」で採択されたほどには、業界は一枚岩ではない。価格競争が始まると、生き残るのは販売力の強い読売と、逆に直営店をもたない日経だろう、というのが業界の見方だ。他方、いまや聖教新聞の印刷・販売業となった毎日新聞と、フジテレビに赤字を補填してもらって生き延びている産経新聞は、販売網の維持が経営の重荷になり、むしろ整理・統合したいのが本音だという。

しかし、ここで再販をやめると、毎日や産経の経営が破綻し、それを買収して外部の資本が入ってくるかもしれない。海外でも、マードックやタイム=ワーナーなど、新聞はメディア・コングロマリットの一部に組み込まれるのが普通だ。日本の新聞社は資本力が弱いので、「勝ち組」の読売といえども安泰ではない。だから負け組の新聞社を「生かさぬよう殺さぬよう」残しているのが再販制度なのである。

追記:特殊指定について、民主党も「議員懇談会」を発足させ、安倍官房長官まで「維持が望ましい」とコメントした(24日)。公取委が出した方針を官房長官が否定するというのは異例だ。電波利権と並ぶ最後のタブー、新聞の再販もまだ健在らしい。

コア・コモンズ

通信・放送懇談会の第5回会合では、NTTの再々編がまた話題になったようだが、意見の集約はできなかったらしい。先月のICPFシンポジウムでは、松原座長が「NTT各社を今のまま完全に資本分離するつもりはない」と断定したのだが、今回は完全分離せよという意見も出たようだ。

構造分離というのは、競争政策としては「伝家の宝刀」であり、成功例も少ない。米国で構造分離をやったのは、スタンダード石油とAT&Tぐらいだが、後者は20年後の今、元の形に戻りつつある。日本ではNTTの「準構造分離」が唯一のケースだが、これも失敗例だ。その原因は、第2臨調で議論を始めてから実際に分離が完了するまでに15年もかかり、その間に技術革新が進んでしまったためである。とくにNTTの場合は、インターネットが急速に普及する時期に電話時代の区分で分割するという最悪のタイミングだった。

今からやるなら、NTT法や放送法をいじるのではなく、懇談会でも出ているように、通信と放送を区別しない「融合法」にすべきだ。この場合の原則は、「水平分離」と「規制の最小化」である。前者はしばしば議論になるので、よく知られていると思うが、後者は構造分離のような「外科手術」ではなく、規制を物理層に限定することによって、企業が自発的に分離することをうながすものである。

たとえばNTTの場合には、山田肇氏と私の共同論文でも主張したように、規制の対象をローカルループ(銅線)と線路敷設権に限定し、それ以外の光ファイバーや通信サービスの規制を撤廃すれば、NTTがインフラを「0種会社」として分離するインセンティヴが生じる。この場合の分離は、子会社であっても法人格が別であればよい。

NHKも同じである。規制を電波(物理層)だけに限定すれば、NHKはインフラを(BBCのように)民間に売却してリースバックし、制作部門だけをもつ「委託放送事業者」になることができる。これによってNHKは免許も不要になり、コンテンツをインターネットやCSなど自由に多メディア展開でき、首相の求める「海外発信」も可能になるかもしれない。今でもBSは事実上の委託/受託になっているので、これは見かけほど大きな変化ではない。

このようにボトルネックとなっている共有資源を、Benklerにならって「コア・コモンズ」とよぶとすれば、通信・放送ともに規制をコア・コモンズに最小化して開放することによって、自由なサービスや新規参入が可能になる。問題は、NTTもNHKも実は自由を求めていないことだが、これは新しいプレイヤーとの競争に期待するしかないだろう。

追記:NHKの橋本会長が、衆議院総務委員会に参考人として出席し、国際放送について発言した。首相が個別の問題に思いつきで口を出すと、こういうふうに枝葉の問題ばかり話題になる。よく知らない分野については「丸投げ」したほうがよい。




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