日本金融システム進化論

日本金融システム進化論
著者の書いた1991年の論文は、日本のメインバンク・システムの役割を実証した先駆的な業績として有名だ。銀行と融資先の長期的関係によって情報が共有され、収益性を高めているという結論は、「日本的経営」の優位性を示すものとして注目された。しかしその後、日本経済が沈没すると、「行政や銀行が高度成長に寄与したという証拠はない。彼らは生産性の高い製造業にただ乗りしただけではないか」という批判が出てきた。本書は、こうした批判に反論し、通説的な見解を擁護するものである。

戦前の日本の金融システムは、株式や社債を中心とする市場型だったが、戦時体制における指定金融機関制度によって銀行中心へのシステム転換が行われた。このような規制に支えられた銀行中心のシステムは戦後も続き、高度成長の原動力となった。証券市場を抑止する規制のおかげで銀行が資金チャネルを独占し、長期的関係によって情報の非対称性の問題(逆淘汰・モラルハザード)を防いだのである。

著者は高度成長期の銀行の役割を肯定的に見る立場だが、それでも70年代には銀行の役割は終わっていたと見る。ファイナンスのグローバル化によって、大企業は市場から資金調達するようになり、銀行の融資によるガバナンスもきかなくなった。欧米では80年代に規制改革が終わったのに、日本の銀行・証券業界は改革に抵抗したため、システム転換が10年以上遅れた。これが金融技術革新への立ち遅れをもたらし、バブルを引き起こし、そして不良債権によって日本経済をめちゃめちゃにしたのだ。

しかしファイナンス業界は、業界が壊滅するという劇的な形でシステム転換を遂げた。関係依存型から市場型への転換は、もう本質的には終わっているのだ。この経済システムのコアにおける変化は、ガバナンスの変化を通じて日本の企業システム全体に及ぶだろう。

局所効率化と全体最適化

4日の「効率の高すぎる政府」という記事には、当ブログで最大のリンクが集まった。これはわかる人にわかるようにしか書かなかったので、当ブログの読者のレベルが高いことには驚いた。友人の話によると、霞ヶ関にも読者が多いようだ。ただ、ゲーム理論などの説明が省略されてわかりにくいというコメントもあったので、ちょっと長文になるが、付録として問題を簡単に整理して参考文献やリンクをあげておく。

日本の官民のガバナンスが長期的関係に依存したものだという指摘は、そう新しいものではない。よく日本の銀行は効率が悪いといわれるが、銀行員の数は、邦銀(4大グループ)が2~3万人なのに比べて、欧米の商業銀行は10万人を超え、邦銀の行員1人あたり資産は外銀の数倍である。それが可能なのは、邦銀が個別プロジェクトのリスクを管理しないで、メインバンクと融資先との長期的関係によってモラル・ハザードを防いできたからだ。「卸し売りのモニタリング」というのは、邦銀についてのゴールドマン・サックスのDavid Atkinsonの表現である。

Rajan-Zingalesは、こういうしくみをリレーションシップ資本主義と呼んでいるが、これは彼らもいうように中世以来の伝統的なガバナンス様式である。Greifも示すように、中世のマグレブ商人の相互監視メカニズムは、裏切り者を村八分にすることによって規律づけるものだった。日本でも、企業システムでこの種のメカニズム成立しているが、それについての系統的な説明はあまり見当たらない。我田引水だが、拙著(絶版)の第5・6章にそういう話がまとめてある。

長期的関係によってモラル・ハザードが予防できることは、前にも書いたようにフォーク定理で簡単に説明できる。これは「囚人のジレンマ」が同じメンバーで繰り返される場合、「集団内で得られる長期的なレントの割引現在価値が十分大きければ、裏切って集団から排除されるよりも協力するほうが得になる」という命題である。これはAxelrodの進化ゲームと混同されることが多いが、TIT FOR TATが最強の戦略だという結論は、学問的にはもう葬られた話だ。フォーク定理でサブゲーム完全均衡になるのは引き金戦略(GRIM)である。この種の理論の解説としては、松井がくわしい。

この関係依存型システムには、前にも書いたように競争を阻害するという欠陥があるが、自発的に市場型システムに移行することはむずかしい。関係依存型システムが成立するには、メンバーが固定され、ゲームが長期にわたって続くという期待(割引因子)が高く、集団内で得られるレントが大きい必要がある。こうした条件は互いに補完的なので、関係依存型システムの一部だけを変えると、かえって効率が落ちてしまう。

こうした異なるシステムの関係は、一つのゲームに複数のナッシュ均衡が存在する複数均衡になっていると考えられる。これは縦軸に利得をとると、図のように複数の山(局所解)がある状態で、市場のような逐次最適化メカニズムでは必ずしも全体最適に到達できない。初期状態がXよりも右側にあるとき、逐次最適化によって斜面を上ると、B(関係依存型)に到達する。これが大域的にA(市場型)に劣る場合でも、Bも局所的には頂上(ナッシュ均衡)なので、そこから自分だけ離れることはできないという「コーディネーションの失敗」が起こってしまうのである。



この種の非凸の最適化問題には、いろいろな解き方がある。アプリオリに関数がわかっていれば、問題はトリヴィアルで、聡明な官僚が全体最適解を決めて民間を指導すればよい。しかし実際の問題では、関数が与えられることはないので、どこに全体最適があるのかをさがす試行錯誤が必要になる。こういうときのアルゴリズムとしてコンピュータ業界の人々におなじみなのは、遺伝的アルゴリズムだろう。これは一定の確率で突然変異を起こして一方の山から他方の山にジャンプさせるものだ。同様のアルゴリズムとして、ニューラルネットで使われるsimulated annealingがある。これはシステム全体のエネルギーを上げて撹乱し、ゆるやかにエネルギーを下げて全体最適(ポテンシャル最小の点)をさがす方法だ。

経済システムにこういうアルゴリズムを適用すると、一つの均衡から他へのシステム間移行は、市場メカニズムで行うことはできず、政権交代や「金融ビッグバン」のような不連続な変化によって一挙に起こるということになる。ところが同質的なメンバーで構成される関係依存型の「総動員体制」では、突然変異や撹乱が抑制されるので、システム間の移行は困難になる。しかも危機に直面すると、「日の丸検索エンジン」のように、逆に総動員で既存のシステムを守ろうとする傾向が強い。

だから前の記事にも書いたように、行政の中だけの局所的な効率化を考えていてはだめで、全体的な最適化を考える必要がある。それは市場だけではできないので、重要なのは意図的にシステムを撹乱し、さまざまな実験を行って最適解をさがすことだ。そのために役所にできる最善の政策は、規制を撤廃して行政の代わりに資本市場のガバナンスにゆだね、紛争を事後的に低コストで処理する司法的なインフラ(ADRなど)を整備することだろう。

日本の経済システム改革

鶴 光太郎

日本経済新聞社

このアイテムの詳細を見る

著者は、経済産業研究所で私の隣の研究室にいた元同僚である。考え方も読んでいる文献もよく似ており、本書の内容も私にとってはあまり新鮮味はない。しかし一般の読者にとっては、日本経済の改革についての論点や「制度の経済学」の文献を幅広く網羅したサーベイとして便利だろう。

1990年代からの「失われた15年」についての著者の見方は、戦後の日本経済を支えてきた「関係依存型システム」が破綻し、「非干渉・市場型システム」に移行する過程だということである。これは長期的関係にもとづく繰り返しゲームから短期的な戦略的ゲームへの変化といってもよいが、両者はまったく異なるシステムなので、過渡期には変化を避けようとする「問題先送り」が発生する。それが異常に長期化したのが、失われた15年だった。

制度改革の原則として、著者は「成長へのボトルネックを特定し、除去する改革」をあげる。90年代にボトルネックになったのは、古い関係依存型取引が残って新しい取引を妨げていたことであり、これを清算したという意味で、著者は小泉政権の「金融再生プラン」を、条件つきながらも評価する。今後の改革の方向としては、これまでのインフォーマルな人間関係や「評判」にもとづくガバナンスに代わって、フォーマルな司法手続きの役割が大きくなろう。また政府が「将来ビジョン」を示して民間を指導するのではなく、多様な実験を通じて「進化的」に改革を進める必要がある。

効率の高すぎる政府

橘木氏の本でも論じられているが、日本の国民負担率は37%と、OECD諸国の中でアメリカに次いで低い。今の財政赤字をすべて増税でファイナンスしても50%に満たず、先進国では最下位グループだ(経済財政白書)。だから小泉政権でも「小さな政府」というスローガンはやめて「簡素で効率的な政府」などというようになり、安倍政権では「筋肉質の政府」という変な表現も出てきた。しかし行政の効率を公務員(独立行政法人などを含む)の人口比率で比べても、日本は1000人あたり35人と、OECDで最低だ。つまり数値的な国際比較で見るかぎり、日本はすでに効率的な政府なのである。

本質的な問題は財政負担ではなく、むしろなぜこのように効率が高いのかということだ。たとえば、かつての金融行政は、ほとんど銀行・証券業界の業界団体による「自主規制」で運用されていた。大蔵省はそれを監督するだけだったため、SECの数十分の一の要員で規制できたのである。日本の規制の大部分は、こうした非公式の行政指導で行われているが、それを破る者はいない。そんなことをしたら、許認可の権限をもつ役所にどんな仕返しをされるかわからないからだ。要するに、官庁が業界団体や系列の長期的関係を通じて卸し売りでモニタリングできるため、効率が高かったわけだ。

法的な規制の数(製品市場規制指標)で比較しても、日本はOECDの平均より少ない。官僚自身にも、強大な権限を行使しているという自覚はなく、よく「私たちは調整しているだけですから・・・」という。しかし民間から見ると、その「調整」が暗黙の強制力をもつのである。たとえば、NTTの放送事業への出資を3%以下に規制しているのは、法律でも通達でもなく、1999年の電波監理審議会の議事録である。これはもちろん法的な拘束力はないが、今でもNTTグループ各社は3%以上の出資をしていない。

こういう効率が維持できるのは、その集団のメンバーが長期的に同じ取引を繰り返すときに限られる(ゲーム理論でよく知られるフォーク定理)。だからモニタリングの効率を高めるには、参入を禁止してメンバーを固定し、集団内でレント(既得権)を保証することによって「村八分」になった場合の機会損失を高めるしくみが必要だ。「護送船団行政」は、この教科書どおりの制度だが、このような参入規制が競争を制限し、日本のファイナンス業界や通信・放送業界をだめにした。裁量的な事前規制は、行政の効率は高いが、経済の効率を低下させるのである。

重要なのは、行政の効率ではなく経済の効率を高めることだ。そのためには、参入規制を撤廃しなければならないが、これによって行政の直接経費が下がるとは限らない。参入が自由になると、長期的関係による暗黙のモニタリングは困難になるので、ルールを明文化し、違反を取り締まる公務員を増やして、事後的に小売りでモニタリングしなければならないから、SECのように監督機関の規模は大きくなる。

しかし橘木氏のいうように、もっと「大きな政府」にすべきだということにはならない。政府支出には一定のオーバーヘッドがあるので、北欧などの小国で財政のGDP比が高くなり、日米のような大国で低くなるのは、ある程度は当然だ。日本の政府支出の絶対的な規模はアメリカに次いで大きいので、財政的にも今以上に大きな政府にすべきではない。もっと重要なのは、統治機構の中で行政に権限が集中していることだ。

日本では立法・司法機能が弱いため、官僚が法律をつくり、それを解釈し、行政処分で処罰する権限までもっている。Shleiferなどの実証研究が示すように、行政中心(大陸法)の国の成長率は司法中心(英米法)の国に劣る。事前の規制で紛争を押さえ込む制度は、摩擦は少ないが、自由度が低いからだ。日本でも、官僚の役割を司法で代替し、個人間の紛争処理で解決する制度改革が必要である。奇妙な表現だが、日本の政府は効率が高すぎるので、行政の権限を縮小する必要があるのだ。

追記:TBで、公益法人などを含めると「公務員」は1000人あたり50人近くになるという指摘があるが、政府の経営していない公益法人を「政府企業」に含めるのはおかしい。また国際比較でもわかるように、たとえ50人になるとしても、主要国で最低である。

格差社会―何が問題なのか

橘木俊詔

岩波新書

このアイテムの詳細を見る

最近の「格差社会」ブーム(?)の火つけ役になった著者の、これまでの批判への反論を含むまとめ。日本の経済格差は、かつて著者が指摘したよりもさらに拡大し、今では先進国でトップクラスになった。特に若者に「非正規雇用」が拡大していることは、人的資源の質を劣化させ、日本の将来にとって深刻な問題である。

格差拡大の大部分は、高齢化と単身世帯の増加によるものだ。その原因として著者は「構造改革」の弊害を強調するが、それを裏づけるデータはない。実際には、格差の最大の原因は、バブル崩壊後の長期不況による雇用削減である。不況期に、日本の企業が中高年の既得権を温存して、新卒の採用を抑制したり、派遣社員に切り替えたりした結果、高給を取って社内失業している中高年の正社員と、不安定な雇用しかない若者の「二重構造」が生まれたのである。

著者も指摘するように、日本は財政規模でみても公務員の数でみても、先進国の中では「小さな政府」である。それでも高度成長期に貧富の格差があまり大きくならなかったのは、企業が長期的雇用によって福祉コストを負担する「日本的福祉システム」のおかげだった。しかし90年代の不況でこのシステムは壊れ、正社員とそれ以外の格差が拡大した。つまり日本の格差は、「日本的経営」の崩壊の副産物なのだ

だから「福祉国家」と「市場原理主義」を対立させ、小さな政府を批判する著者の図式は不毛である。日本の福祉水準が低いことは事実だが、格差の原因となっている企業システムのゆがみを是正せずに所得移転だけ増やしても、根本的な解決にはならないだろう。特に若者の問題は、バラマキ福祉ではどうにもならない。

これまで行政も、税制などで日本的経営を優遇して、福祉コストを企業に負担させてきた。しかし退職一時金や(ポータブルでない)企業年金などは、中高年が会社にしがみつく原因となり、雇用の流動性を低下させ、結果的に若者の雇用機会をせばめている。長期的な解決策は、このような日本的経営を補強している制度を廃止し、労働市場をオープンにすることではないか。

岸信介の影

安倍首相には、いつも祖父、岸信介の影がつきまとう。安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」も、占領軍に押しつけられた憲法を改正しようという岸の路線への回帰だと思われるが、ここにはパラドックスがある。戦後レジームをつくったのは、他ならぬ岸だからである。

岸のキャリアを決定的に決めたのは、満州国である。彼は1936年に、国務院実業部総務司長として満州国に赴任し、東条英機や松岡洋右などとともに、国家統制のもとに重化学工業を中心とするコンツェルンをつくって工業化を進めた。このときの計画経済的な手法の成功体験が、のちの国家総動員法にも生かされる。

岸が思想的にもっとも強い影響を受けたのは、北一輝の国家社会主義であり、「私有財産制には疑問を持っていた」とみずから語っている。彼の建設した満州国の「五族協和」の思想も、大川周明の大アジア主義の影響であり、これが大東亜共栄圏の思想的骨格となった。要するに、岸の本来の思想は、自由経済や親米路線という自民党の党是とは対極にあったのだ。

岸は東条内閣の閣僚として国家総動員体制を指導し、これによって戦後、A級戦犯容疑者となったが、不思議なことに起訴されなかった。この原因には諸説あるが、GHQの諜報部門(G2)がマッカーサー元帥に「岸釈放勧告」を提出したことが確認されており、釈放と引き換えに岸から情報提供を受けるという取引があったとも推定される。だとすれば、日本はアメリカへの「情報提供者」を首相にしたことになる。少なくとも岸がアメリカに屈服したことによって、日本は「自主憲法」を放棄して対米追従に転換したのである。

岸を頂点とする満鉄人脈は、戦後の経済安定本部の中核となった。戦後復興でとられた「傾斜生産方式」は、戦前と同じ総動員体制によって工業化を行う統制経済の手法であり、これが戦後の経済体制の骨格となった。このとき経団連の会長として民間企業をまとめる役割を果たした植村甲午郎も、商工省で岸の腹心だった。戦後復興が終わった後も、この手法は通産省の産業政策に受け継がれ、「日の丸検索エンジン」にみられるように、今も再生産されている。

このように岸のつくった戦後レジームは、戦前の満州国から連続しており、それは日本の官僚機構の基本構造でもある。安倍氏が戦後レジームを否定するとき、念頭にあるのは、サッチャーやレーガンが英米の「福祉国家」を否定して「小さな政府」に舵を切った歴史だと思われるが、日本の戦後を支配してきたのは、ケインズ的な福祉国家ではなく、岸に代表されるマイルドな国家社会主義なのである。それが現在の日本で通用しないことは確かだが、これを脱却する課題は単純ではない。

「押しつけ憲法」を改正しようというのは、本質的な問題ではない。軍事・外交的な自主権をアメリカに奪われている状況は、占領時代と大して変わらないからだ。独自の「自衛軍」を持つという主張も、自衛隊が米軍に組み込まれようとしている現在では、あまり実質的な意味があるとも思われない。いま行き詰まりに逢着しているのは、戦後できた制度ではなく、岸に代表されるように戦前から続く官僚統制の思想なのだ。

だから問題の淵源は、戦後ではなく明治にあり、重要なのは、「憲法は花、行政法は根」という岩倉使節団の結論にもあるように、憲法よりも行政法だろう。この「明治レジーム」の遺伝子は、敗戦によっても断絶せず、「昭和の妖怪」とよばれた岸に象徴されるように、日本の政治経済システムを呪縛し続けてきた。それを変える立場におかれているのが、文字どおり岸の遺伝子を受け継いでいる安倍氏だというのは皮肉である。彼が戦後レジームに代わる新しいレジームを描けず、所信表明ではそれを引っ込めてしまったのも、そのせいではないか。

P2Pと「インフラただ乗り」

Winnyの作者、金子勇氏が、きのうICPFセミナーで講演した。主な内容は、Winnyを初めとするP2Pネットワークの紹介と、彼がいま開発しているSkeedcastの説明だった。ちょうどTVバンクがP2Pでマルチキャストを始めたというニュースも出た。日本でもようやくP2Pの冬の時代が終わり、ビジネスとして認知されるようになったのだろう。

映像をネット配信する場合、加入者線の帯域だけみると、DSLで数十Mbpsあれば、DVD画質の映像(1.5Mbps程度)は十分送れるように思える。しかし実際には、回線費用やサーバの負担を考えると、そうは行かない。TVバンクの中川氏によれば、「通常のユニキャスト方式では100kビット/秒で100万ユーザー,1.5Mビット/秒だと1000ユーザーに同時に配信するのもコスト的に厳しい」。P2Pによって、トラフィックは78%削減できたという。

しかしP2Pのトラフィックが増えると、「インフラただ乗り」論で指弾されるように、P2Pが日本のインターネット全体の半分以上を占めるといった状態が生じる。これを解決する方法は、従量料金(パケット課金)しかないが、そうするとP2Pを使うことはむずかしくなる。ユーザーが使っていなくても、他人が自分のマシンからP2Pでダウンロードしたら、知らないうちに莫大な料金がかかる可能性があるからだ。金子氏は「従量制にしたら、P2Pは死ぬだろう」といっていた。

P2Pをただ乗りと呼ぶのは正しくない。インターネット全体をみると、ほとんどの資源は遊んでいるので、それをP2Pで活用することは効率的だ。つまり、ただ乗りは全体最適という観点からは望ましいのである。パケットに課金すると、使っていない資源の囲い込みが生じて、効率は低下する。この問題を解決するには、従量料金に一定のプライス・キャップを設けるとか、ISP間のピアリングで行われているように、トラフィックを精算して下りから上りを差し引いた分に課金するなどの工夫が必要だろう。

ただ、従量課金そのものがインターネットの発展を阻害するという意見も強い。今後のインターネットの進化の方向として、世界中のコンピュータを並列に結んで、すべてのユーザーが膨大な計算能力とデータベースをもつグリッド・コンピューティングが想定されているが、従量制になると、そういう進化は不可能になるだろう。従量課金はユーザーが資源の消費者だという前提にもとづいているが、実はインターネット・ユーザーはCPUやメモリなどの資源や消費者生成コンテンツの供給者でもあるのだ。

この種の問題のもっとも簡単な解決法は――可能であれば――消費される量を絶対的に上回る資源を用意して、自由に使うことだ。現実にLANではこういう資源管理が行われ、グリッドもローカルには実現しているし、テキストベースのウェブでは、資源に余裕がある。しかしストリーム情報になると、消費される帯域が桁違いに増えるため、このような解決法は困難だろう。あと10年もムーアの法則が続けば、こういう「桃源郷」によって問題が解決するかもしれないが・・・

追記:金子氏の講演資料をICPFのサイトで公開した。

進化するネットワーキング

林紘一郎 湯川抗 田川義博

NTT出版

このアイテムの詳細を見る

林氏の『ネットワーキングの経済学』(1989)の第3版。第1部が旧著の改訂版、第2部がWeb2.0など最近の現象を扱っている。第1部の主要なテーマが「ネットワークの外部性」による「ひとり勝ち」であるのに対して、第2部は「ロングテール」などのニッチな世界をテーマにしているが、両者は実はベキ分布という同じものの表と裏である。そのへんのネットワーク理論のおさらいも、まとめられている。

動きの激しいこの世界で、初版から17年もたって第3版が出るというのは、きわめてまれなことだ。それだけ、著者の着眼に先見性があったということだろう。通信規制の水平分離の考え方も、日本では林氏が初めて提唱したものだ。しかし、日本ではなぜか放送業界が、IT戦略本部の使ったこの言葉に激しく抵抗し、民放連の会長が首相官邸にどなり込むという騒ぎまで演じた。おかげで総務省は、通信設備を利用した放送を規制する法律を「電気通信役務利用放送法」と名づけ、水平分離の代わりに「水平的市場統合」という間違った言葉を使っている。

悲しい嘘

「嘘つき」というのは、社会人としては失格だが、嘘をつくことが許されている職業がある。それは小説家だ。その嘘が許されるのは、事実よりも効果的に人の心を動かすからだ。しかし自分の利益のために他人をだますのは、小説家を自称していても単なる嘘つきである。

日本文芸家協会などのつくる「著作権問題を考える創作者団体協議会」は22日、著作権の保護期間を著作者の死後50年から70年間に延長するよう求める要望書を文化庁に出した。その理由を議長の三田誠広氏はこう語る:
70年が国際的なレベルであり、日本だけ50年なのは、創作者の権利のはく奪だ。延長により作家の創作意欲が高まる。生前作品が売れなくても没後に評価され配偶者や子どもに財産権を残すことが励みになる
三田氏は、本当に自分の死後の保護期間が20年延長されることが「励みになる」のか。彼は1948年生まれだから、日本人男性の平均寿命まで生きるとして、死ぬのは2026年。その50年後は2076年である。彼の風俗小説がその時点で出版されている可能性は低いが、かりに出版されているとして、その著作権が2096年まで延長されても、彼の曾孫(存在するとして)の小遣いが増えるぐらいだろう。それによって三田氏は、本当に「創作意欲が高まる」のだろうか。

この種の主張は、レッシグの闘った「ミッキーマウス訴訟」で、ArrowからFriedmanに至る17人の経済学者の意見書によって完全に論破されたものだ。保護期間を20年延長することによる著作権料の現在価値の増加は1.5%にすぎない。死後の保護期間を延長することで利益を得るのは著作者ではなく、出版社だけだ。著作者は、業者の独占維持の口実に利用されているのである。自分がだまされていることにも気づかず、読者をだまそうとするような嘘つきが、業界団体の代表をつとめる日本の小説業界の精神的な貧しさは悲しい。

迷走するソニー

先週、SCEの久多良木社長は、PS3を発売前に2割値下げすると発表した。これは、もちろん消費者にとってはよいニュースだが、ソニーの株主である私にとっては、また一つ不吉なニュースを聞かされた感じだ。最大の戦略商品の価格決定というのは、こんないい加減なものだったのか。これで初年度1000億円の予定だったPS3の赤字幅がさらにふくらむというが、この「博打」に失敗したら、ソニーの屋台骨が大きく傾くのではないか。株価は5000円を大きく割り込み、年初来安値に近づいている。

そうでなくとも、このところソニーをめぐるニュースは、ろくなものがない。リチウムイオン電池のリコールは600万個を超え、コンポーネント部門の年間の営業利益300億円を吹っ飛ばすと予想されている。PS3も、青色レーザーの不良で、欧州の出荷を来年に延ばすことが決まったばかりだ。このときの「ソニーのものづくりの力が落ちているのではないかと問われれば、今日の時点ではその通りというしかない」という久多良木氏の発言は、NYタイムズの1面を飾った。

関係者の話を聞くと、出井氏が社長になってからの経営戦略の迷走が、士気の低下をまねいているようだ。出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」なるキャッチフレーズを掲げたが、社内の本流はアナログで、彼は社内で浮いていた。出井氏はネットバブルに乗り、情報家電でマイクロソフトと提携すると発表して世界を驚かせたが、社内の反対でこの提携はつぶれてしまった。特にバブル崩壊後は、すっかり社内の信用を失った。

ここで駄目になってしまえば、出直しのチャンスもあったのだが、そこにPS2という「救世主」が出現したため、連結ではなんとか利益が計上でき、抜本的なリストラのチャンスを逃がした。おかげで、ソニーグループの連結子会社は942社。非効率な多角化の代名詞とされる日立グループと並んで日本最多だ。

iPodやiTunesのような事業は、本来ソニーが先に始めてもおかしくなかった。ところがソニーは「ネットワーク・ウォークマン」でも当初、音楽部門の既得権を守るために、MP3をサポートしなかったばかりか、「価格決定権」に固執して、いまだにiTunesに音楽を配信していない。かつて「シナジー」を求めて買収した映画・音楽部門が、かえって足枷になっているのだ。

かつてPS2の発表のとき、久多良木氏は「インターネットには興味がない。オマケで勝負する気はない」と公言した。その思い切りのよさが、PS2の成功の原因だったが、PS3は汎用半導体「セル」を頭脳とし、ブルーレイ・ディスク(BD)などのオマケが満載されている。しかも開発に5000億円を投じたセルには、いまだにPS3以外の用途が見えないし、BDはコストと納期の足を引っ張っている。

要するにソニーも、過去の遺産に呪縛される「イノベーションのジレンマ」に陥っているのである。PS2の成功体験に全面的に依存したPS3は、クリステンセンのいう持続的技術(sustaining technology)の典型だ。久多良木氏は「ゲーム機ではなくスーパーコンピュータだ」というが、家庭でスーパーコンピュータを何に使うのか。

今のソニーで、久多良木氏に反対できる経営者はいないという。たしかに彼は天才かもしれないが、ゲームの専門家にすぎない。かつて久多良木氏がPSで成功したのは、出井氏も含めてほとんどの経営陣が反対する中で、大賀会長(当時)がOKを出し、SCEで好きなようにやらせたからだが、今のソニーにはそういうリスクをとって新しい市場を立ち上げる「暴れ者」がいない。

これから通信と放送の融合が進む中で、コアになるのは家庭の端末だから、ソニーがiPodを超える大ヒットを放てる可能性は十分ある。出井氏のネットバブル路線が失敗したからといって、インターネットを軽視するのは大きな間違いだ。いま必要なのは、水ぶくれした組織を思い切って整理し、インターネットを踏まえた新しい戦略を立案することだが、それができるのは、久多良木氏の世代ではないだろう。
note1


スクリーンショット 2021-06-09 172303
記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ