命より大事なものがある


「命より大事なものはない」というのは橋下徹氏の信念らしく、何度もツイートしている。誰でも死ぬのはいやだから、逃げるのは個人としては合理的な行動だが、集団としてはそうではない。

もし橋下氏が首相になったら、戦争のときはまず国民に「逃げろ」と指示し、自衛隊にはただちに投降を命じるだろう。それによって犠牲は最小化されるようにみえるが、日本が降伏するとわかっていたら、中国は戦争を仕掛けてくるだろう。

集団の中では利己的に行動することが合理的だが、そういう利己的な個体ばかりの集団は生存競争に勝てないというパラドックスは、社会生物学で集団淘汰の法則として知られている。

利己的な個体は利他的な個体に勝つが、利他的な集団は利己的な集団に勝つ。

この法則はすべての生物に当てはまるが、人類にとっては特に重要である。人間は集団の中でしか生存できないので、戦争で命を賭けて集団を守ることは個人にとっては合理的ではないが、集団にとっては合理的なのだ。このパラドックスを解決するためにできた制度が国家である。

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石原莞爾の「人生最大の失敗」は満州事変ではなかった

石原莞爾の世界戦略構想(祥伝社新書460)
今のウクライナの状況は、1930年代の中国に似ている。ロシア軍はドンバス地方を占領し、これをみて陰謀論者は「プーチンの勝利」を祝っているが、これは満州事変で日本が勝利したようなもので、戦争が泥沼化する悪い予兆である。

陸軍の暴走の元凶のようにいわれる石原莞爾は、日本軍が中国を支配できないことを知っていた。朝鮮半島を領有した日本が満州を支配するのは、当時の世界では常識の範囲だった。満州事変は国際法違反だったが、リットン調査団は既成事実を認めた。これはクリミアのようなものだった。

石原にとって満州は対ソ戦の前進基地であり、華北に戦線を拡大するつもりはなかった。彼は第一次大戦はヨーロッパの局地戦であり、次の戦争でも日本はそれに参加する必要はないと考えていた。その目標は20世紀後半に来る日米の「世界最終戦争」であり、そのためには「五族協和」でアジアが結束すべきだと考えていた。

これに対して永田鉄山は、来るべき戦争はアジアを含む世界大戦になると考え、中国全土を占領してその補給基地とするつもりだった。参謀本部の大勢は永田の強硬論に傾き、1936年に永田が暗殺された後もその影響は強く残った。永田の戦略に共鳴した武藤章は、永田が起案した華北分離工作を実行し、日本軍を南下させた。

石原はこれに反対したが、その運命の分岐点になったのが、1937年1月に宇垣内閣が流産した事件だった。宇垣の組閣を阻止したのは石原だったが、その代わりに首相になった林銑十郎は陸軍の暴走を抑えられず、石原は参謀本部から追放された。この工作を石原は「人生最大の失敗だった」と後悔した。

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なぜ通信自由化は成功し、電力自由化は失敗したのか

通信自由化は「新自由主義」の輝かしいサクセスストーリーである。1984年にAT&Tが分割されたのは司法省との訴訟の和解の結果で、成功すると予想した人は少なかった。規制から解放された長距離電話部門(AT&T)は、コンピュータを開発してIBMと並ぶ巨大企業になるが、各州内の電話網しかない地域電話会社(ベビーベル)は没落すると思われた

ところが現実は逆だった。長距離通信にはワールドコムなど多くの新しい通信業者が参入し、競争が激化してAT&Tは没落したが、ベビーベルは独占利潤を上げ、逆にAT&Tを合併した。特に1990年代にインターネットが発展したとき、新しい通信業者がたくさん出てきて、急速な技術革新が実現した。

多数のパケットを中央でコントロールするシステムはなく、いずれインターネットは渋滞して崩壊すると予言した専門家もいたが、そうならなかった。それは通信が回線交換からパケット交換(蓄積交換)に変わり、混雑してもパケットをルータに蓄積して送り直せる冗長性ができたからだ。

それに対して電力自由化は、各国でも大停電が起こったりして成功とはいいがたい。特に日本では、2010年代に再エネFITと一緒にやったため、今の大混乱が起こっている。その違いは何だろうか。

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原子力規制委員会はなぜ「バカの壁」になったのか

電力危機の中で、原子力規制委員会が特重(特定重大事故等対処施設)の審査で原発の運転を止めていることに対する批判が高まっている。細野豪志氏のいうように「特重のバックフィット適用を延期すべきだ」という意見が妥当なところだが、実は法的には5年の期限が来ても委員会には止める権限がない。

アゴラでも書いたように、原子炉等規制法で規制基準を適用するのは「原子炉施設の起動前」であり、「起動後」は運転しながら審査するのが原則である。今でも毎年4回の保安検査は運転しながら行われ、倉庫の建設などの審査で運転を止めることもない。「新規制基準に違反するから止める」という規定はないのだ。

これは電力会社側もわかっているが、今の運用は菅直人首相が「お願い」で止め、田中前委員長が「定期検査に入ったら新規制基準を即時適用する」と非公式に決めたまま、動かせないで今に至っている。

この運用がおかしいことはエネ庁も知っているが、規制委員会は三条委員会(国家行政組織法第3条に定める各省と同格の委員会)なので手が出せない。これを私は8年前に民主党が政権に残した「バカの壁」と書いたが、なぜこんな壁ができたのか。続きを読む

洋上風力の入札が始まってからルールを変えた再エネ議連

経産省と国交省が進めていた洋上風力発電をめぐって、いったん決まった公募入札のルールが、1回目の入札結果が発表されてから変更される異例の事態になった。

これは2020年から始まった合計4500万kWの大プロジェクトで、2021年12月に最初の3件の入札結果が発表されたが、その結果に業界は驚いた。



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原発は今すぐ再稼動し、「特重」は運転しながら審査せよ

電力注意報が毎日出て、原発再稼動への関心が高まっている。きょう岸田首相は記者会見で再稼動に言及し、「(原子力規制委員会の)審査の迅速化を着実に実施していく」とのべたが、審査を迅速化する必要はない。安全審査と原子炉の運転は無関係だから、今すぐ動かせるのだ。

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再エネ賦課金は大臣告示でゼロにできる

アゴラで書いた再エネ賦課金の話で業界の人も驚いたのは、2020年度に発電開始したメガソーラーの58%が2014年以前に設備認可された32円/kWh以上の設備だったことだ。

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これは運転開始期限が決まっていなかった法の盲点をついた「再エネ利権ころがし」の結果だが、これを阻止するには今年度以降は今年度決まった調達価格で買い取るというルールに変えればいい。

今年のメガソーラーの調達価格は10円だから、すべて10円で買い取る。これには法改正の必要はない。再エネ特措法の第2条の3の3では

交付期間は、交付対象区分等に該当する再生可能エネルギー発電設備による再生可能エネルギー電気の供給の開始の時から、その供給の開始後最初に行われる再生可能エネルギー発電設備の重要な部分の更新の時までの標準的な期間を勘案して定めるものとする。

としており、「20年固定」とは書いていない。経産省告示で調達期間は「二十年間」と書かれているが、特措法2条の3の10では

経済産業大臣は、物価その他の経済事情に著しい変動が生じ、又は生ずるおそれがある場合において、特に必要があると認めるときは、基準価格等を改定することができる

と定めているので、告示だけで変更できる。「基準価格」はFITの場合には賦課金を計算する基準になる価格だが、これはテクニカルには賦課金の廃止ではなく、今年スタートした太陽光事業者と同じ条件にすれば、賦課金は実質的にほぼゼロにできる。

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再エネ賦課金って何?

国民民主党が参議院選挙の追加公約として「再エネ賦課金の徴収停止」を提案しましたが、よい子のみなさんには何のことかわからないと思うので、解説しましょう。

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「再エネ賦課金の全面停止」に賛成する

国民民主党の玉木代表が「再エネ賦課金の徴収停止」という緊急提案を発表した。

これは私のきのうの記事の提案と実質的に同じだが、さすがに私も賦課金の打ち切りまでは考えなかった。玉木氏の提案はそれより大胆なものだ。これで標準家庭で年間1万円以上、電気代の負担が軽減される。

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戦後民主主義の原点は「小農」だった

幻視のなかの社会民主主義―『戦後日本政治と社会民主主義』増補改題
今回の参議院選挙も、ほとんど争点らしい争点がない。それは自民党がすぐれた党だからではなく、野党がその対立軸にならないからだ。その原因は、もともと日本社会には階級対立がなかったからである。

戦前の保守政党は地主の党だったが、GHQが農地改革で地主の土地を小作人に分配したため、戦後の農村には多数の小農が生まれた。自民党は地主の既得権を守る小農の党になったが、社会党は戦前から続く農民組合(小作人)の党で、その支持基盤はほとんど同じだった。

社会党は片山内閣のように政権を取ったこともあり、自民党に先んじて左右社会党が統一したので、政権を取れる見通しもあった。しかし左右対立に悩まされ、左派の中心はマルクス・レーニン主義やプロレタリア独裁を掲げる社会主義協会だった。

60年代以降、日本でも労働組合が「昔陸軍・今総評」といわれるほど大きな力をもつようになった。これにともなって社会党は「5万人の党員で1000万票を集める」といわれる労組依存の党になったが、それは遅れてきた階級政党だった。階級闘争のない日本で、それが自民党に代わる勢力になることは、もともと無理だったのだ。

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