渕一博氏が死去した。彼は、1980年代の国策プロジェクト「第5世代コンピュータ」を進める新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)の研究所長だった。私もICOTは何回か取材したが、発足(1982)のころは全世界の注目を浴び、始まる前から日米で本が出て、欧米でも似たような人工知能(AI)を開発する国策プロジェクトが発足した。ところが、中間発表(1984)のころは「期待はずれ」という印象が強く、最終発表(1992)のころはニュースにもならなかった。
1970年代に、通産省(当時)主導で行われた「超LSI技術研究組合」が成功を収め、日本の半導体産業は世界のトップに躍り出た。その次のテーマになったのが、コンピュータだった。当時はIBMのメインフレームの全盛期で、その次世代のコンピュータは、AIやスーパーコンピュータだと考えられていた。通産省の委員会では、国産のAI開発をめざす方針が決まり、第5世代コンピュータと名づけられた。これは、次世代の主流と考えられていた「第4世代言語」(結局そうならなかったが)の先の未来のコンピュータをめざすという意味だった。
ICOTには、当初10年で1000億円の国家予算がつき、国産メーカー各社からエースが出向した。その当初の目標は、自然言語処理だった。プログラミング言語ではなく日本語で命じると動くコンピュータを目的にし、推論エンジンと知識ベースの構築が行われた。システムは、Prologという論理型言語を使ってゼロから構築され、OSまでPrologで書かれた。これは、Prologの基礎になっている述語論理が、生成文法などの構文規則を実装する上で有利だと考えられたからである。
エンジニアたちは、当初は既存の言語理論をソフトウェアに実装すればよいと楽観的に考えていたが、実際には実用に耐える自然言語モデルがなかったので、言語学の勉強からやり直さなければならなかった。彼らは、文法はチョムスキー理論のような機械的なアルゴリズムに帰着するので、それと語彙についての知識ベースを組み合わせればよいと考えていたが、やってみると文法解析(パーザ)だけでも例外処理が膨大になり、行き詰まってしまった。
結局、自然言語処理は途中で放棄され、「並列推論マシン」(PIM)というハードウェアを開発することが後期の目標になった。しかし肝心の推論エンジンができておらず、その目的である自然言語処理が放棄された状態で、並列化して処理速度だけを上げるマシンに実用的な用途はなく、三菱電機が商品化したが、まったく売れなかった。予算も使い切れず、最終的には570億円に減額された。その成果は、アーカイブとして残されている。
ICOTは、1980年代初頭というコンピュータ産業の分岐点で、メインフレームを高度化する方向に国内メーカーをミスリードし、IBM-PCに始まるダウンサイジングへの対応を10年以上遅らせた点で、大きな弊害をもたらした。また産業政策としても、史上最大の浪費プロジェクトだったといえよう。これほど高価な授業料を払ったにもかかわらず、最近の「日の丸検索エンジン」の動きをみていると、その失敗の教訓は生かされていない。
しかし学問的には、ICOTの失敗によって、人間の知能に対する機械的なアプローチが袋小路であるということが実証された点には大きな意義があった。自然言語の本質はプログラミング言語のような演繹的な情報処理ではなく、脳はノイマン型コンピュータではないことが(否定的に)明らかになったからである。ではそれが何なのかは、いまだに明らかではないが・・・
追記:ICOTの当初の方針も、「非ノイマン型」の並列処理を行うことだったが、実際にできたPIMは、複数のCPUを並列につないだ「拡張ノイマン型」だった。その後、AIの主流はニューロコンピュータのような超並列型に移ったが、汎用的な成果は出なかった。
追記2:訃報の記事としてはあんまりだというコメントもあったので、個人的な思い出をひとつ:渕さんは哲学者的な感じの人で、第5世代の産業的な成功は信じていなかったように思う。ICOTの「孤立主義」を批判し、世界のAIの主流だったLispを採用すべきだという意見もあったが、彼は「成功しても失敗しても、仮説は単純なほうがいい」として、折衷的なアプローチを拒否した。
1970年代に、通産省(当時)主導で行われた「超LSI技術研究組合」が成功を収め、日本の半導体産業は世界のトップに躍り出た。その次のテーマになったのが、コンピュータだった。当時はIBMのメインフレームの全盛期で、その次世代のコンピュータは、AIやスーパーコンピュータだと考えられていた。通産省の委員会では、国産のAI開発をめざす方針が決まり、第5世代コンピュータと名づけられた。これは、次世代の主流と考えられていた「第4世代言語」(結局そうならなかったが)の先の未来のコンピュータをめざすという意味だった。
ICOTには、当初10年で1000億円の国家予算がつき、国産メーカー各社からエースが出向した。その当初の目標は、自然言語処理だった。プログラミング言語ではなく日本語で命じると動くコンピュータを目的にし、推論エンジンと知識ベースの構築が行われた。システムは、Prologという論理型言語を使ってゼロから構築され、OSまでPrologで書かれた。これは、Prologの基礎になっている述語論理が、生成文法などの構文規則を実装する上で有利だと考えられたからである。
エンジニアたちは、当初は既存の言語理論をソフトウェアに実装すればよいと楽観的に考えていたが、実際には実用に耐える自然言語モデルがなかったので、言語学の勉強からやり直さなければならなかった。彼らは、文法はチョムスキー理論のような機械的なアルゴリズムに帰着するので、それと語彙についての知識ベースを組み合わせればよいと考えていたが、やってみると文法解析(パーザ)だけでも例外処理が膨大になり、行き詰まってしまった。
結局、自然言語処理は途中で放棄され、「並列推論マシン」(PIM)というハードウェアを開発することが後期の目標になった。しかし肝心の推論エンジンができておらず、その目的である自然言語処理が放棄された状態で、並列化して処理速度だけを上げるマシンに実用的な用途はなく、三菱電機が商品化したが、まったく売れなかった。予算も使い切れず、最終的には570億円に減額された。その成果は、アーカイブとして残されている。
ICOTは、1980年代初頭というコンピュータ産業の分岐点で、メインフレームを高度化する方向に国内メーカーをミスリードし、IBM-PCに始まるダウンサイジングへの対応を10年以上遅らせた点で、大きな弊害をもたらした。また産業政策としても、史上最大の浪費プロジェクトだったといえよう。これほど高価な授業料を払ったにもかかわらず、最近の「日の丸検索エンジン」の動きをみていると、その失敗の教訓は生かされていない。
しかし学問的には、ICOTの失敗によって、人間の知能に対する機械的なアプローチが袋小路であるということが実証された点には大きな意義があった。自然言語の本質はプログラミング言語のような演繹的な情報処理ではなく、脳はノイマン型コンピュータではないことが(否定的に)明らかになったからである。ではそれが何なのかは、いまだに明らかではないが・・・
追記:ICOTの当初の方針も、「非ノイマン型」の並列処理を行うことだったが、実際にできたPIMは、複数のCPUを並列につないだ「拡張ノイマン型」だった。その後、AIの主流はニューロコンピュータのような超並列型に移ったが、汎用的な成果は出なかった。
追記2:訃報の記事としてはあんまりだというコメントもあったので、個人的な思い出をひとつ:渕さんは哲学者的な感じの人で、第5世代の産業的な成功は信じていなかったように思う。ICOTの「孤立主義」を批判し、世界のAIの主流だったLispを採用すべきだという意見もあったが、彼は「成功しても失敗しても、仮説は単純なほうがいい」として、折衷的なアプローチを拒否した。