大鶴特捜部長の国策捜査

ライブドアから村上ファンドまでの一連の捜査は、検察があらかじめ書いたストーリーに沿って捜査が行われている。佐藤優氏のいう「国策捜査」である。今度の一連の捜査の掲げる国策は、明白である。小泉政権で進められた金融分野の規制改革によって出現したマネーゲームに歯止めをかけ、市場を国家のコントロールのもとに置くことだ。東京地検特捜部の大鶴部長は、法務省のウェブサイトでこう書いている:
額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち,法令を遵守して経済活動を行っている企業などが,出し抜かれ,不公正がまかり通る社会にしてはならないのです。
こういう「プロジェクトX」的な精神主義で、日本はよくなるのだろうか。ライブドアや村上ファンドの行ったことは、合法か非合法かは別として、資本市場で他人を出し抜いてもうける「鞘取り」である。これは大鶴氏には、汗をかかないでもうけるアブク銭にみえるかもしれないが、資本主義の本質は鞘取りなのだ。

フィッシャー・ブラックは、オプションなどの派生証券を「賭博」だとして、社会的価値を認めなかったという。これは、ブラック=ショールズ公式の成立するような「完備市場」では正しい。すべての情報を織り込んだ市場では、投資は純粋なギャンブル(期待値ゼロ)になるので、村上ファンドのようなビジネスが成立するはずがないからである。

しかし村上氏は「2000億の原資を4000億円にした」と公言していた。このような高い収益率を上げることができるのは、市場が完備ではないからだ。特に日本では、保有する現預金の残高よりも時価総額が低いといった公然たる鞘のある企業が、数多く存在する。村上氏のようなファンドが、その鞘を取ることによって市場の歪みが是正され、企業の資本効率が高まる。だから投資は、単なる賭博ではないのだ。

ただ日本では「持ち合い」などに阻まれ、こうした公開情報だけで鞘を取ることはむずかしいため、村上氏は次第に非公開の情報を利用するようになったのだろう。これも、すべて悪とはいえない。だれでも知っている情報で収益を上げることはできないのだから、投機が成功するには、多かれ少なかれインサイダー的な要素は必要だ。しかし今回の事件は、一線を越えてしまったという印象が強い。

日本も世界最大の純債権国となったのだから、額に汗するだけでは、この資産は活用できない。子孫に財政赤字だけでなく資産を残すためにも、資本市場で資産を有効に運用する必要がある。だから検察の国策捜査が投資を萎縮させると、長期的な日本の国策には逆行する。今回の事件を教訓として、もっと透明な市場と合理的なルールをつくらなければならない。この意味で村上氏は、自分でもいっていたように「市場が効率化したらいなくなる徒花」なのかもしれない。

追記:村上氏が一連の買収工作を仕組んだとしても、ライブドアがニッポン放送株を5%以上買収するという決定をしたあと、村上ファンドがニッポン放送株を買っていなければ、インサイダー取引にはならない。しかし読売新聞によれば、2004年10月20日にライブドア側から村上ファンド側に「購入資金として200億円(ニッポン放送株の12%相当)を用意する準備ができた」という電子メールが送られ、その日のうちに村上ファンドはニッポン放送株を25万株購入したという。これが事実だとすれば、インサイダー情報を得たのは10月20日ということになり、11月8日に「聞いちゃった」かどうかは法廷では争点にならないだろう。

訂正:SMZMさんからのTBで指摘されたが、ここで問題なのは市場の「完備性」ではなく「効率性」だった。後半は「効率的市場」の話として読んでください。ただし「効率的な市場では、市場に対して勝ち続けることはできない」という論旨は間違っていないと思う。

村上ファンドの二つの顔

きのうの村上氏の会見で驚いたのは、ライブドアの話を「聞いちゃった」ことが、結果的には証取法違反になる、という法解釈をみずからしたことだ。村上ファンドのウェブサイトにある公式発表でも同様の解釈論が書かれているが、わざわざ自分に不利な法解釈をする容疑者というのは、見たことがない。

証取法167条でいう「公開買い付けに準ずる行為」とは、同法施行令31条で「当該株式に係る議決権の数の合計が当該株券等の発行者である会社の総株主の議決権の数の100分の5以上である場合における当該株券等を買い集める行為」と定義されている。2004年11月8日に、ライブドアの宮内氏が「ニッポン放送株ほしいですね。経営権取得できたらいいですね」といったことが「100分の5以上買い集める行為」にあたるかどうかは、常識的にはグレーゾーンだろう。磯崎さんも指摘するように、そういう話を聞いただけで、その株の取引をやめなければならないとしたら、投資家は危なくて茶飲み話もできない。

たぶん本当の争点は、そこではないのだ。ライブドアとの会話が「公開買い付けに準ずる行為」の告知だったかどうかを法廷で争うと、彼らの会話や交渉の経緯が、電子メールなどで洗いざらい出てくるだろう。そうすると、この話の主役が村上氏であることが明らかになって、情状酌量の余地はなくなる。これまでの取調べでも、ライブドア側は「村上さんが『一緒にニッポン放送の経営権をとろう』と持ちかけてきたのに、05年2月8日の時間外取引のあと株が値上がりしたら、市場で売り逃げてしまった」と村上氏の「裏切り」を批判しているらしい。

ここに村上氏の二面性がよくあらわれている。これまでも「ものいう株主」の顔は株価を上げるテクニックで、最後は「投機筋」の顔になって売り逃げる、というパターンだった。こういう「グリーンメール」自体は違法ではないが、今度の事件は、グリーンメーラー仲間を利用してインサイダー取引をやるという悪質な手口だ。村上氏は「聞いちゃった」というストーリーの調書に署名して、うまく逃げたつもりかもしれないが、朝日新聞でも検察幹部が「その気にさせて、その気になったのを知ったインサイダー。聞いちゃったという話ではない」と語っているように、検察が村上氏の筋書きに乗るとは思えない。

追記:『ヒルズ黙示録』の著者、大鹿靖明氏がGyaOに出演して、「村上氏を有罪にするのは非常にむずかしい」とコメントしている。ライブドアの熊谷元取締役も、テレビ朝日のニュースで「ニッポン放送の経営権を取得するという連絡を村上氏にしたのは1月28日だ」と述べ、その連絡を受けた村上氏は、28日にニッポン放送株を買うのをやめた。11月8日の段階ではライブドアの一取締役の「願望」にすぎなかった、という主張は十分可能だ。それを会見で「11月8日に5%以上買うという意味の話を聞いた」とまで言い換えたのは不可解だ。他によほど知られたくないことがあるとしか考えられない。

資本市場の通過儀礼

村上世彰氏の記者会見が、GyaOで全部、放送されている。この記事を書いている段階では、もう逮捕されたようだ。

「結果的には、違法行為があったことは事実」「起訴されてもしょうがない」という話の内容とは裏腹に、口調は一貫して強気だった。証取法違反は、犯情が軽ければ執行猶予がつくので、それをねらっているのかもしれない。故意を否定し、「ミステイク」だったことを繰り返し強調する一方、検察の批判めいたことは、誘導尋問されてもいわなかった。何か取引があったのだろうか。

質問する記者に対して、「大鹿さん」とよびかけるところは、彼の書いた『ヒルズ黙示録』が、今回の捜査の傍証になったことをうかがわせる。この本によれば、ニッポン放送株の買収を持ちかけたのは村上氏のほうなのだが、きょうの会見では、ライブドアのほうからやってきて、宮内元取締役が「やりましょう!」といったことになっている。検事に「(村上さんにニッポン放送株で)もうける気がなくても、それを聞いたら違反になる」といわれて「そういえば聞いちゃった」という筋書きで、早期決着をはかろうということか。

「金もうけして何が悪いのか」と開き直る一方で、「日本にはチャレンジャーを排除する風土がある」と嘆いていたが、企業買収が悪者扱いされるのは日本だけではない。1989年にマイケル・ミルケンなどが逮捕された事件でも、かなり強引に立件したジュリアーニ検事はヒーローになってニューヨーク市長になり、この事件を扱った本のタイトルは"Predator's Ball"とか"Den of Thieves"とかいうものばかりだった。当時ミルケンを擁護したのは、ジョージ・ギルダーとマイケル・ジェンセンぐらいのものだ。

しかし20年たってみると、経済学的な評価は逆だ。80年代には「斜陽の老大国」とみられていた米国経済が立ち直った大きな原因は、企業買収・売却によって「コングロマリット」が解体され、資本効率が上がったことだとされる。日本でも、村上氏の派手な活動によって、企業が資本効率を意識するようになったのは大きな功績である。このように一度は大きな刑事事件が起こることによって、合法・非合法のボーダーラインがはっきりし、普通の取引として企業買収が行われるようになるのだろう。その意味では、村上氏には気の毒だが、今回の事件は日本の資本市場が成熟するための「通過儀礼」なのかもしれない。

追記:村上氏があっさり「降伏」して「すべて自分の責任だ」と強調したのは、「隠れた主役」を守るためだという推測もある。

村上ファンド問題の隠れた主役

「村上ファンドに捜査」というニュースが、けさの各紙に大きく出た。しかし捜査が行われていることは、Economist誌でさえすでに報じた周知の事実だから、ニュースではない(*)。ニュースは、検察がこういう「観測記事」にGOを出したということだ。ライブドアの捜査で「主役」である村上ファンドの立件に自信をもったのか、それともシンガポールに証拠書類を全部移す前に強制捜査するということか。

もちろん村上氏も、捜査当局の動きを知っているはずだ。シンガポールに移る話も、最大の目的は捜査を逃れるためだろう。しかし、与謝野金融財政相も「ファンドの本拠地がどこにあろうと、日本の株式に投資しているかぎり、日本の法律が適用される」とコメントしている。シンガポールに亡命でもしないかぎり、捜査を逃れることはできない。

焦点は、ライブドアの時間外取引によるニッポン放送株の買収が、村上ファンドの筋書きによるものだったかどうかだ。『ヒルズ黙示録』も示唆しているように、その疑いは強い。ニッポン放送株を買い集めて、ホリエモンに買収の話を持ちかけたとすれば、明白なインサイダー取引である。時間外取引を利用する手口も、村上氏が去年、阪神株を買収したときと同じだ。

しかし最大の焦点は、村上氏ではない。彼の力のかなりの部分は、宮内義彦氏のバックアップに依存している。村上氏の荒っぽい手法が、これまで公的にはそれほど問題にされなかったのも、日本の企業には「資本の論理」が必要だ、という宮内氏の正論があったからだ。そのオリックスが、今度の引っ越しを機に手を引いたのは、情勢の変化があったからではないか。

もしも村上ファンドに強制捜査が入ったら、少なくとも宮内氏の結果責任はまぬがれない。当局が慎重に捜査しているのも、ひとつ間違えると、財界全体を敵に回すことを恐れているからだろう。検察の「国策捜査」の筋書きには、どこまで入っているのか、しばらくは目が離せない。

(*)ただ、Economistの記事がウェブに出たのは、日本時間のきょう午前0時ごろで、各紙に出たのは、けさの朝刊だから、もしかすると、このEconomistの記事が「解禁」のきっかけになったのかもしれない。

開発主義の暴走と保身

開発主義の暴走と保身 金融システムと平成経済

池尾和人

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著者と最初につきあったのは、10年前、住専問題についての番組をつくったときだった。そのときから著者は、実質的に破綻した銀行は破綻処理し、国費を投入して早急に処理すべきだ、と主張していた。しかし大蔵省も銀行も問題を先送りしているうちに、傷口はどんどん広がり、「失われた10年」は「失われた15年」になってしまった。

今年3月期の大手銀行の決算は、軒並み史上最高益を記録するなど、不良債権問題が峠を越えたことで、金融業界には楽観論が広がっている。しかし、本当の勝負はこれからである。政府が民間企業を先導して特定分野に資金を配分する「開発主義」的な金融システムがまだ残り、資本市場による「市場型間接金融」サービスの質は、世界的にみてきわめて低い。デリバティブや企業買収などの新しい金融技術の分野では、日本の銀行・証券は大きく立ち遅れている。

「市場主義」を批判する人は多いが、その代わりにどういう制度がいいのか示さない限り、こういう批判には意味がない。Rajan-Zingalesも指摘するように、市場はそれを支える多くの制度的なインフラがないと機能しないのである。これからの日本経済に必要なのは、市場を否定することではなく、グローバルに開かれ、不公正や格差拡大などの弊害を最小化する「質の高い市場」を構築することである。

フラット化する世界

フラット化する世界 [増補改訂版] (上)
この本にリンクを張るのは、「おすすめ」するためではない。こういう本もあると紹介するだけである。もしもあなたが、「ブラウザ」とはどういうもので、「モザイク」というソフトウェアが世界をどう変えたかについて、10ページ以上にわたって懇切丁寧に教えてほしいとすれば、この本をおすすめする。それ以外の人にとっては、本書の記述は、その題名のように平板だろう。

本書の原著は、Freakonomicsと並んで、発売から1年以上たっても、まだAmazon.comのベストテンに入っている。たしかに、グローバリゼーションがいかに進んでいるかを、それぞれの現地へ行って取材し、具体的に記述したレポートとしては、本書にも一定の価値はある。コラムを書くという条件さえあれば、会社の経費で世界のどこへでも行けるジャーナリストは、限られているからだ。

しかし皮肉なことに、彼がNYタイムズの多額の出張旅費を使って取材したことのほとんどは、フラット化した世界では、グーグルを使えばだれでも知ることができる。今ごろ『共産党宣言』がグローバリゼーションを予言していたことを知って驚くのは、米国人ぐらいのものだ。

新聞の「特殊指定」はなぜ必要なのか

きのうのICPFセミナーでは、新聞協会の後藤秀雄氏に話を聞いた。オフレコなので、くわしいことは書けないが、「再販制度があるのに、なぜ特殊指定が必要なのか?」という点については、「新聞の乱売合戦を防ぐため、昭和28年に再販制度ができたが、それでも乱売が止まらないので、昭和30年に特殊指定ができた」とのことだった。50年以上前のことだ。今でも特殊指定を廃止したら、終戦直後と同じ状況になるのだろうか。

「新聞の価格競争が始まったら、戸別配達網が崩壊するという根拠は何か?」という質問に対しても、あまり説得力のある説明はなかった。価格競争が始まったら、販売店の淘汰・再編は起こるだろう。それは、どこの業界でも起こっている流通の合理化であり、販売店の問題にすぎない。「活字文化」とは何の関係もない。

たとえ特殊指定や再販で価格を守っても、1世帯あたり1.1部という現在の購読率が欧米なみの0.7部ぐらいまで下がったら、戸別配達網は維持できなくなるかもしれない。それは斜陽産業の宿命であり、規制によって止めることはできない。むしろ今のうちに販売店を集約するとか、宅配便に業務委託するとか、いろいろな改革を試みる必要がある。規制を維持することは、効率の悪い販売店を温存して本質的な問題を見えなくするだけだ。

何よりも異様なのは、この問題をめぐる各紙の報道や論説が、まるで戦時中のように一致していることだ。「新聞協会としては各社に意思統一を求めていない」とのことだから、なおさら異様だ。「他の業界の規制についてはきびしく批判する新聞が、自分の業界については甘いダブル・スタンダードだ」と見られることが、新聞の信用を傷つけていることを自覚すべきである。

行動経済学

行動経済学 経済は「感情」で動いている

光文社

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きのうの記事でも少し言及した「行動経済学」の入門書。中心はKahneman-Tverskyのプロスペクト理論やフレーミング理論だが、多くの実例でわかりやすく解説されている。この種の理論は、経済学者はバカにしていた(2人とも心理学者)が、2002年にKahnemanがスウェーデン銀行賞を受賞して、にわかに注目されるようになった。

経済学、とくに消費者行動の理論は、本来は心理学の領域である。「限界効用が逓減する」などという事実は実証されてもいないし、そもそも一意的な「効用関数」が存在するかどうかも疑問だ。Kahneman-Tverskyは実証データによって効用理論を否定し、「感情」によって消費者行動が決まる「価値関数」を導いた。ゲーム理論を使った「実験経済学」でも、ナッシュ均衡が実現することはほとんどない。

しかし今でも多くの経済学者は、この種の理論に懐疑的だ。それはこういう理論が正しくないからではなく、正しいと困るからだ。消費者の主観的均衡が成立するには、効用関数が連続で凸であるといった条件が不可欠である。価値関数のように非凸だと、均衡がひとつに決まらず、経済学の体系全体が崩れてしまう。

これは実証科学では当たり前のことだ。理論が現実にあわないときは、理論を現実にあわせるべきであって、その逆ではない。行動経済学は、今のところは経済システム全体を説明する厳密な理論にはなっていないが、著者もいうように「厳密に間違っているよりは大ざっぱに正しいほうが役に立つ」。一方では「経済物理学」のように、市場データを正確にシミュレートする理論も生まれているから、そのうち現在の均衡理論とはまったく違う「21世紀の経済学」が生まれるかもしれない。

The Wealth of Networks

The Wealth of Networks: How Social Production Transforms Markets And Freedom

Yale Univ Pr

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著者には、レッシグと一緒に会ったことがある。「電波コモンズ」の提唱者としての功績は大きいが、それ以外のLaw Journalの論文は凡庸だ。本書についてレッシグは、当然のことながら裏表紙で
In this book, Benkler establishes himself as the leading intellectual of the information age. Profoundly rich in its insight and truth, this work will be the central text for understanding how networks have changed how we understand the world.
と絶賛しているが、率直にいってそれほどの本ではない。私の感想は、Publisher's Weeklyの
Though Benkler doesn't really present any new ideas here, and sometimes draws simplistic distinctions, his defense of the Internet's power to enrich people's lives is often stirring.
という書評に近い。

著者は法学者だが、本書のコアになる議論は、オープンソースやWikipediaなどのネットワークによる「社会的生産」が、市場に匹敵する自律的なメカニズムかどうかという経済学の問題である。著者は、Tiroleなどの議論を参照して、オープンソースが経済メカニズムとして成立することを説明し、行動経済学の文献を援用して、知的労働には金銭的な「インセンティヴ」よりも内的な「モチベーション」のほうが重要だと指摘する。

そこまではいいのだが、そのあとが続かない。「IBMではライセンス料よりもオープンソースの収入のほうが多くなった」といったアドホックな例がいろいろ出てくるだけで、論理が展開しない。本書が示しているのは、たかだか「市場とは別の情報生産・流通システムが存在する」ということまでで、そのメカニズムは明らかでないし、それが市場とどういう関係にあるのかもわからない。

しかし、これはないものねだりというものだろう。当の経済学者が、この問題を系統的に説明できないのだから、法学者にそれを求めるのは酷だ。おそらく、その答にもっとも近いところにいるのは、オープンソースについても行動経済学についても論文を書いているTiroleだろうが、彼でさえ決定的な答は出せていない。これは21世紀の社会科学にとってもっとも重要な問題のひとつだと思うが、21世紀のうちに答が出るかどうかもわからない。

追記:本書の中身は全部、著者のサイトからPDFファイルでダウンロードできる。ただし500ページもあるのでご注意を。

NHK民営化は、なぜ封印されたのか

けさの朝日新聞のオピニオン面に「受信料『税金化』前面に」という1ページの記事が出ている。最初はNHKの民営化を検討するはずだった通信・放送懇談会の議論が、なぜ受信料の「税金化」に方向転換したのか、を追及する記事だ。

最大の疑問は、昨年12月22日の「2001年の閣議決定でNHKは特殊法人にすると決めた」という小泉首相の発言の背景に、どういう事情があったのかということだ。この記事には「メディア全体を敵に回してどうするんだ、という判断が官邸にあった」という「閣僚経験者」の推測が出ている。民放連もNHK民営化に反対していたから、というのだが、これは怪しい。

民放連の氏家元会長も、NHKについて「何らかの制度改革は避けられないだろう。分割して一部民営化する方向に議論が進むのではないか」(日経12/21)と民営化を許容するような発言をしていた。広瀬会長も、「朝生」の議論では絶対反対という感じではなかった。有料放送であれば、彼らの利権とはあまり競合しないからだ。

この記事には、NHKの川口元会長と私のコメントが並んでいるが、川口氏の話は、あいかわらず「視聴者の信頼」とか「良い番組を作り続ける」とかいう精神論だ。新聞の特殊指定を正当化するのに「活字文化」が出てくるのと同じである。メディアを産業として論じることを忌避し、「文化」や「公共性」を盾にとって現状維持をはかる古いレトリックは、もうやめるべきだ。

いずれにせよ、今のままでは通信・放送懇談会は、NHK改革に関しては後ろ向きの提言をするおそれが強い(チャンネルの削減や国際放送なんて改革の名には値しない)。それどころか、義務化や罰則の導入は、受信料を税金化してNHKを「官報」にしようという自民党のねらいにはずみをつける結果になりかねない。そんなことになるぐらいなら、思い切ってNHK改革に関しては白紙とし、「次の政権に引き継ぐ」と書いてはどうか。

追記:コメント欄にも書いたが、これは官邸内の権力闘争の一環という見方もできるかもしれない。最近、首相と竹中氏の距離が広がり、特に飯島秘書官が彼らが2人きりで話すのを妨害しているといわれる。しかし「2001年の閣議決定」なんて持ち出したのは飯島氏とは思えないから、財務省出身の丹呉秘書官だろう。竹中氏が「懇談会の結論を骨太の方針に盛り込む」としていたのを、経済財政諮問会議の主導権を奪い返した財務省がきらったのではないか。


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