Neil Young

Living with War
Neil Young
Reprise

このアイテムの詳細を見る

ニール・ヤングの新譜だが、彼の公式ウェブサイトで全曲、ストリーミングで聞ける。このアルバムのブログもある。ブッシュ政権の政策に反発して、ほとんど数日で録音したというから、曲も演奏もラフだが、それほど悪くない。61歳になっても、こういう「青い」音楽をつくる精神的な若さには感心する。

彼の1970年の作品、After the Gold Rushが、私の初めて買ったレコードだった。そしてこれが今でも、これまで聞いたすべてのレコードのなかで、私のベスト・ワンである。ここには、タイトル曲のような繊細なフォーク・ミュージックと、"Southern Man"のような荒削りなロックが同居し、危ういバランスを保っている。アメリカン・ロックの青春時代を代表する作品だ。

一般には、次のHarvest(1972)がよく知られているが、これは音楽的にも劣るし、オーケストラをつけるなどのoverproductionで、曲が台なしになっている。むしろ幻の最高傑作は、両者の間に録音されたLive on Sugar Mountainとも呼ばれるライヴ・レコードかもしれない。これは発売前に海賊盤が大量に出回ったため、結局リリースされなかったが、"Sugar Mountain"は、曲として彼の最高傑作である。

Harvestが全米ヒット・チャートの第1位になってから、ニールは逆にコマーシャルな曲を拒否し、出来不出来の激しいアルバムを出すようになる。もう少しいいプロデューサーがついていたら、もっと完成度の高いアルバムができただろう。80年代以降は、音楽的にもつまらなくなったから、彼のもっとも完成されたアルバムは、1977年に作られたコンピレーション、Decadeである。

黒澤明vs.ハリウッド

db87a1b6.jpg黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて

田草川弘

このアイテムの詳細を見る

黒澤が監督として起用されながら、撮影中のトラブルで降ろされた事件の真相を、米側文書も含む新資料で検証した本。黒澤の診断書や映画の契約書など、1次資料をもとにして、事件を微に入り細にうがって検証している。

映画についての日米の考え方の違いや、黒澤の人間性などがよくわかって興味深い。特に、彼が癲癇持ちだったという話は、初めて知った。なるほど、あの粘着質のリアリズムがドストエフスキーやゴッホと似ているわけだ。しかし、日誌や診断書などが生で何ページも引用されていたりして、やや冗漫だ。映画1本の話に480ページ以上もつきあうのは、黒澤ファンにはいいかもしれないが、ちょっと疲れる。

GLOCOMの自壊

国際大学GLOCOMの所長代行と東浩紀副所長が辞職した。もともと所長は不在なので、経営者のまったくいない研究所という異常な状態になる。

こうなることは、十分予想できた。所長を辞めたはずの公文俊平が「代表」なる肩書きで居座る一方、経営責任は持たず、無能なスタッフを甘やかしてきたからだ。こういうガバナンス不在の状況では、まともな研究者はいつかず、行き場のない連中だけが残って、派閥抗争を繰り返してきた。経営は慢性的に赤字で、不正経理問題も起こり、財政的にもいつまでもつかわからない。

GLOCOMは、1991年に村上泰亮を所長として発足した。東大の「中沢事件」で辞職した村上と、リクルート事件で辞職した公文を救済しようという中山素平(興銀特別顧問)の温情で、興銀の取引先の企業から寄付をつのってやってきた。特に彼が社外取締役だったNTTからの寄付が大きく、いわば興銀とNTTの丸抱えでやってきたのである。郵政省とNTTが経営形態をめぐって対立した時期には、NTT分割に反対する「別働隊」として政治的な役割も果たした。

しかし社会科学系の研究所が、寄付だけでやっていくのは不可能である。NTTが1999年に再編された後は、郵政省との関係も修復され、NTTにとってGLOCOMの利用価値はなくなった。興銀もみずほFGに吸収され、他のスポンサーも中山の個人的な人望でつなぎとめていたので、彼が死去した今となっては、もうGLOCOMには存在基盤も存在理由もない。本体の国際大学も、大幅な定員割れで赤字が続いているので、GLOCOMが解体されるのは時間の問題だろう。

村上起訴

村上世彰氏が起訴された。案の定「聞いちゃった」という記者会見のストーリーは、検察の証拠で崩され、故意を認めて「完落ち」した、というお粗末だ。この筋書きは、ほとんど『ヒルズ黙示録』と同じだが、違うのは、大鹿記者がライブドアの「決断」を05年1月17日としているのに対して、当の村上氏がそれを04年11月8日までさかのぼる検察の筋書きを丸呑みしたことだ。

常識的には、ライブドアがまだニッポン放送株を買っていない段階で、一社員から「願望」を聞いただけで、それを「5%以上買い占める」という重要事実だと認定するのはむずかしいはずだが、検察には決め手があったらしい。NHKのニュースによれば、「N社について」という企画書とは別に、04年11月に「ITとメディアの融合をうたった事業計画書」(*)を村上氏が書いてライブドアに渡していたという。これが事実なら、相手がそれに同意すれば重要事実と考えても無理はないだろう。

しかし、村上氏が抱えていたニッポン放送株をライブドアに買わせて売り抜けたという行為は、インサイダー取引にあたるのだろうか。この場合は、逆にライブドアが(村上氏が買い占めるという)「重要事実を知つて買い付けた」インサイダーになるのではないか。これに該当する条文が証取法にないからインサイダー取引として起訴するのだとすると、おかしな話である。公判で、弁護人が「起訴事実は証取法167条違反に該当しない」と主張したら、どうなるのだろうか。

167条では「公開買付け等の実施に関する事実を当該各号に定めるところにより知つたもの」が当該有価証券を買い付けてはならない、としているが、村上氏は自分から仕掛けたのだから、ライブドアに聞いて「知つた」わけではない。これは確かに不正行為ではあるが、インサイダー取引とは違う類型の犯罪である。前にも紹介した郷原信郎氏や小幡績氏のいうように、157条の包括規定で起訴して、判例で類型を規定するのが本筋だったのではないか。

(*)この「事業計画書」は、NHK以外のメディアには出てこない。NHKのスクープなのか誤報なのか不明だが、私の経験では、NHKの司法クラブがこういう危ないネタで他社を抜いたことはないので、後者である疑いが強い。

追記:47thさんから、コメントとTBで詳細な解説をいただいた。それによると、問題はむしろ村上氏とライブドアの行動が「共同買付」にあたるかどうかだという。両者が一体の「共同買付者」である場合にも167条を適用すると、「5%以上買い付けることを決定したファンドが、その事実を公表せずに買付を行うこともインサイダー規制に該当する」というおかしなことになり、企業買収の実務に影響が大きいそうだ。法律ってむずかしいですね。

メディアの1940年体制

「1940年体制論」というのは、野口悠紀雄氏の著書などでおなじみだ。戦時中の「国家総動員体制」に対応して、銀行中心の金融市場などができたという話だが、マスメディアにも「戦時体制の遺産」があることは、あまり知られていない。

特に顕著なのは、新聞である。「マスコミ不信日記」からの孫引きだが、桂敬一氏によると、1937年には全国で1420紙も新聞があったのに、検閲の手間を省くため、各県1紙に統合されたのだという。戦前は、新聞配達もあったが、一つの販売店が複数の新聞を配達する「合売店」だった。それが新聞の寡占化にともなって、現在のような「専売店」になった。だから新聞の再販がなくなると崩壊するのは「活字文化」ではなく「新聞専売店」にすぎない。

同じ理由で、出版の取次は2社に集約され、通信社も2社になった。電通が独占的な地位を得たのも、戦時中である。放送(ラジオ)は、もちろん国営放送として、国民を戦争に駆り立てるもっとも効果的な道具となった。こうしたメディアで「戦意発揚」の旗を振ったジャーナリストの多くは、戦後追放されたが、新聞社や放送局は残った。

1940年体制の中心だった銀行の護送船団行政は、1990年代に崩壊したが、こうしたメディアの戦時体制は、まだ残ったままだ。そして新聞は、部数の減少のなかで、大した意味もない特殊指定を死守しようとし、NHKは減少の一途をたどる受信料収入にすがりついている。彼らが競争を恐れるのは、無理もない。70年間市場経済を知らなかったソ連国民と同じように、彼らは自由競争というものを一度も経験したことがないのである。

NTTとNHKの止まった時計

通信・放送懇談会では、NTTの経営形態について「2010年には、通信関係法制の抜本的な見直しを行う」と提言したのに対し、自民党の通信・放送産業高度化小委員会(片山虎之助委員長)では「2010年から見直す」としていたNTT再々編問題は、竹中氏と片山氏との会談で、「2010年の時点で検討を行う」という表現で実質的に先送りされた。

こういう結果は、当ブログでも予想したとおりだ。あらためて痛感するのは、NTTを特殊会社として規制する法律の弊害である。現在の経営形態が、インターネット時代にそぐわないことは明らかだが、NTT法を変えようとすると、法律を改正する作業だけで3年ぐらいかかる。2010年に改正しようと思えば、今から審議会の議題にしないと間に合わない。2010年になってから検討したのでは、改正NTT法を施行するのは2015年ぐらいになるだろう。そのころには、今とはまったく違う通信技術が登場しているかもしれない。これでは永遠にいたちごっこだ。

他方NTTは、法律を改正すると、必ず「完全分割」論が出てきて不利な方向になると思っているから、今の経営形態がいかに窮屈でも、NTT法を変えてくれとはいわず、現在の法律のなかで換骨奪胎をはかっている。これは改革を迫る側も悪い。今回、規制改革会議や通信・放送懇談会で出てきた「NTT各社の資本分離」というのは、1982年に第2臨調が出した答申そのままだ。今の企業の境界に問題があるのに、その境界にそって資本分離せよという議論は理解できない。要するに、攻める側も守る側も、第2臨調以来の24年間、時計が止まったままなのだ。

NHKについては、「3波削減」のうちFMに反対論が出て、対象はBSの2波だけになったようだ。そのうち1波(BSハイビジョン)は、2011年に停波することが決まっているので、実質的には1波削減だが、それも「検討の対象とする」だけ(霞ヶ関語では何もしないということ)。受信料の支払い義務化は、08年度から導入されることが決まったようだが、義務化だけしても収納率は上がらない。罰則の導入は不可避だろう。

情報通信コストが下がり続けているなかで、受信料の値上げがもう不可能だということは、島桂次会長の時代からわかっていたことだ。島は「受信料に依存している限り、NHKの経営には限界がある」として、最終的にはMICOという孫会社を中心にしてNHKグループ全体を民営化する構想をもっていた。しかし1991年に彼が失脚して、こうした改革は白紙に戻されてしまった。その後の15年間(海老沢時代)は、たまたまBS受信料によって実質的に値上げできたため、改革は何も行われず、NHKの時計も止まったままだ。

インターネット時代の環境変化は、この古い時計を揺さぶっているが、今回もまた針を現在時刻に合わせる作業は失敗に終わった。もう時計を取り替えるしかない。3年で4倍という速度で技術革新が起こっている情報通信業界の中心的な企業を、改正の作業だけで3年以上かかる法律で規制するしくみが間違っているのである。NTT法の改正ではなく廃止を明示的な目標にし、そのために何が必要かを考えるべきだ。時計の針を戦前のような国営放送に戻そうとしているNHKに至っては、何をかいわんやである。

デジタル時代を拒否するNHK

NHKの不祥事を受けてつくられた「デジタル時代のNHK懇談会」の最終報告書が出た。いくつもの審議会を兼務する御用学者と御用文化人を集めた懇談会には、もともと何も期待していなかったが、この報告書は、その予想をさらに下回るものだ。公共放送がなぜ必要かという部分では、こう書かれている:
公共的性格を備える放送を産業振興策や政争の具に使ってはならない。近年の放送と通信の接近を、公共性を旨とする放送の本質や使命の変化と見誤ってはならない。誰もが安価に参加しうる番組の制作と送出は、情報と文化の質的低下を招きかねず、視聴者ニーズを個別に把握する双方向技術は、商業主義の過剰な浸透につながりかねない。NHKは、技術的物珍しさや短期的収益性に惑わされることなく、民主主義社会のインフラとしての役割を果たすとともに、より確かな放送技術や番組・放送サービスの開発と普及を使命とすべきである。
通信と放送の融合は「産業振興策」(?)であり、インターネットは「技術的に物珍しい」だけで「商業主義の過剰な浸透」をまねくという。このように市場経済を蔑視し、「公共放送」がいつまでもメディアの中心だというのが「デジタル時代」への認識なのだから、恐れ入る。ところが最後の提言には、こう書かれている:
NHKが保有する番組アーカイブスの公開等、インターネットの積極的活用を進めるため、経費負担や著作権処理のあり方やNHKの業務範囲についての再検討が求められる。視聴者の声を汲み上げるためのブログ等の活用やそれとの交流も押し進めるべきである。
インターネットは「短期的収益性」を求めるもので、ブログのような誰もが安価に参加しうるメディアは「情報と文化の質的低下」をまねくんじゃなかったっけ? ここには、インターネットに対応して業務を再編することは拒むが、もうけになる部分だけはつまみ食いしたいという卑しいダブル・スタンダードがある。1年も懇談会をやって、出てくる提言が「視聴者第一主義」とか「組織統治の明確化」といったお題目ばかりで、業務も組織も変えないという以外の具体策は何も書かれていない。

こんな無内容な諮問機関は、今どき霞ヶ関にもみられない。総務省の通信・放送懇談会の報告書にも、チャンネルの削減とか受信料の値下げとか、それなりに目玉をつくろうという努力がみられた。ところが、このNHK懇談会では、チャンネルの削減も拒否し、受信料の支払い義務化を条件つきで容認しているところまで、NHK経営陣の見解のカーボンコピーだ。これを起草したのは、座長代行の長谷部恭男氏(東大教授)だといわれるが、彼はNHKべったりの御用学者として業界では有名だ。この報告書は、NHKがジャーナリズムとしていかに衰退したかを示す点では有益だろう。

追記:古川享氏が、この報告書について怒りのコメントをしている。別に私は答える立場にはないが、調達については、I通信機などには多くのOBが天下りしているので、他のメーカーと競争する民生品市場では安く売り、随意契約の「NHK価格」で利益を確保するしくみになっている。同様のからくりは、美術センターなどNHKの子会社にもよくある。タクシー代については、松原聡氏も「NHKのタクシー・ハイヤー代は月4億円で、霞ヶ関の全官庁に匹敵する」と『朝生』で怒っていたが、これでも昔に比べたら激減したんですよ・・・

「複雑ネットワーク」とは何か

「複雑ネットワーク」とは何か 複雑な関係を読み解く新しいアプローチ (ブルーバックス)
インターネットでおなじみの「ロングテール」は、数学的にいうと、ベキ法則、y=x-kに従うものである。この分布は一般の社会にも多く、たとえば英語に出てくる単語の数は、theを左上の頂点とし、ほとんど使われない単語を裾野とするロングテールになる。

また所得の分布も、少数の金持ちと大多数の貧乏人(ロングテール)にわかれるという事実は、19世紀にパレートが発見し、ベキ分布は「パレート分布」とも呼ばれる。バラバシは、これを「スケールフリー・ネットワーク」と名づけ、なぜこういう分布が出現するかをグラフ理論を使って明らかにした。

それは簡単にいうと、ネットワークが成長するとき、リンクの多い「ハブ」ほど多くの新しいリンクが張られる「優先的選択」によって拡大するためだ。したがってウェブも、インターネット(ルータの接続)も、mixiもスケールフリー・ネットワークになる。また、当ブログでも前に紹介した「スモールワールド・ネットワーク」も、グラフ理論で説明できる。伝染病の感染経路や脳のニューロンの結合が、このタイプだといわれている。

こうしたモデルを使えば、「ネットワーク外部性」や「モジュール化」などの経済現象も説明できるかもしれない。ただ本書は入門書なので、実用的な教科書を求める読者には、同じ著者の『複雑ネットワークの科学』のほうがいいだろう。最近、原論文を集めたリーディングスも出たが、初心者向きではない。

The Theory of Corporate Finance

The Theory of Corporate Finance

Jean Tirole

このアイテムの詳細を見る

著者のもとで博士課程にいた研究者の話によると、著者は「普通の人の10倍のスピードで仕事をする」そうだ。もちろん質も高く、彼の書いた産業組織論の教科書やFudenbergと共著のゲーム理論の教科書は、いずれも古典である。本書も、企業金融や企業統治の教科書の世界標準となるだろう。まだ第1章「企業統治」しか読んでないが、最近の出来事と少し関連がありそうなので、紹介しておく(一部は版元のホームページからダウンロードできる)。

著者の立場は、いかにして企業価値を最大化し、それを株主に還元させるかという「狭い意味での企業統治」を論じるものである。「ステークホルダー」とか「社会的責任」などの問題は、契約や法で解決すべきで、企業経営にそういう色々な利害関係者を入れると、利益相反が生じやすい。

経営者のモラル・ハザードを防ぐには、ストック・オプションのような形で株主と経営者の利害を共通にする方法と、モニタリングを強化する方法がある。メディアは、企業買収や企業犯罪の摘発を大きく扱うが、こうしたカラフルな出来事が企業統治に果たす役割は、限られたものである。むしろ最終財市場がガバナンスに果たす役割が大きく、業績の悪化した企業の経営者が追放される率は、日米独の3ヶ国でほとんど変わらない。

Shleiferなどの行った企業統治についての一連の大規模な実証研究によれば、「直接金融」か「間接金融」かといった違いは企業統治の効率に無関係で、もっとも重要なのは投資家の保護である。しかし、SOX法のようにモニタリングを極端に厳格化し、しかも広い範囲に重い刑事罰を課す政策は、バランスを欠いた過剰規制になるおそれが強い。投資家保護が重要だというのは事実だが、それは特定の企業をスケープゴートにすることによって実現するものではない。

インサイダー取引はなぜ犯罪なのか

株取引のサイトでは、村上ファンド事件について「なんでこれが大犯罪なのか?」という疑問が多い。兜町でも、ちょっと前までは、インサイダーがその情報でもうけるのは当たり前だった。日本でインサイダー取引が禁じられたのは、1988年である。世界的にみても、米国が1960年代からインサイダー取引を刑事訴追しているのは突出して早く、英国でも1986年、EUでは2002年に取り締まりを強化しようというEU指令が出た程度だ。

そもそも市場で利益を得るのは、定義によって他人よりすぐれた情報をもっているからである。それを得たら取引してはいけないとなると、投資家が多くの情報を得ようとするインセンティヴが失われてしまう。インサイダーが好材料にもとづいて株式を買えば、株価が上昇することによって、その情報は価格に織り込まれる。逆に悪い情報も、インサイダー情報にもとづいて株式を空売りできれば、内部告発者が真実を語るインセンティヴが生じる――とミルトン・フリードマンは論じている。

法の公平性という点からみても、不動産や商品市場にはインサイダー規制はない。たとえば大手ゼネコンがビルの建設用地を買収するときは、建設計画を隠して複数の地上げ屋に「底地買い」させるのが常識であり、罪には問われない。またインサイダー情報が正しいとも限らない。ライブドアがニッポン放送株を買収すると聞いて、村上氏が秘かに株を買ったあとで、ライブドアが株を売ってしまったら、村上氏は損するリスクがある。新薬の発表のような情報でも、正式発表までに(兜町の噂で)市場が織り込んでいるため、逆に株価が下がったりすることは珍しくない。証券取引の、しかも情報の出所が経営陣やTOBなどの場合に限って刑事罰が課されるのは、不公平ではないか。

インサイダー取引を規制するのは、多くの個人投資家の参加によって市場を活性化するためとされているが、そういう因果関係は証明されていない(*)。米国で規制がきびしいのは、市場規模が大きくなった原因ではなく、その結果である。60年代にインサイダー取引をめぐる訴訟が頻発したため、SECが取り締まりを強化したのである。逆に、行政が市場に強く介入することによって市場が萎縮する社会的コストも大きい。特に今回の事件のように、非公式の情報を聞いた後に当該株式の取引をしただけで刑事訴追されるとなれば、機関投資家の情報収集は大きく制約される。規制のコストと効果のどちらが大きいかはわからない。

私は、インサイダー情報がすみやかに開示されることは「効率的市場」が実現するために必要なので、それを開示する義務は負わせるべきだと思うが、それを利用した取引に刑事罰まで課す必要があるのかどうかは疑問だ。特に、市場の問題に検察が出てきて派手に摘発し、ライブドアのように生きている会社を殺してしまうのは、いかがなものか。証券取引等監視委員会の行政処分ぐらいでよいのではないか。それなのに、7日に成立した金融商品取引法では、違反行為は今より厳罰になってしまった。

追記:経済学者の標準的な意見では、「ナイーブな報道や映画や小説が描くのとは違って、インサイダー取引の功罪は、理論的にも実証的にも、よくわからない。現在の攻撃や規制の激しさは、その理解をはるかに超えている」。

追記2:10日の朝日新聞(朝刊15面)で、元東京地検検事の郷原信郎氏が、今回の事件の核心はインサイダー取引ではないと述べている。村上氏が最初からニッポン放送株の売り抜けをねらってライブドアに買収を持ちかけたとすれば、証取法157条1号の「不正の手段、計画又は技巧」にあたり、証取法のなかで最も罰則が重いそうだ。

(*)これはちょっとい言い過ぎだった。最近の実証研究のサーヴェイによれば、インサイダー取引を禁止している国では、投資家の集中度が低い(個人投資家が多い)。しかし、その効果は民事訴訟を容易にすることによるもので、SECのような公的機関による刑事罰の効果は有意ではない。



スクリーンショット 2021-06-09 172303
記事検索
Twitter
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ