博士号

きょう慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科から博士号(学術博士)をいただくことが決まった。

博士論文というのは個人の仕事ではなく、共同作業であることがよくわかった。主査をつとめていただいた岡部光明教授、副査の青木昌彦教授、曽根泰教教授、國領二郎教授ほか、ご協力いただいた多くの方々に、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。

これは私の学問の結果ではなく、新しい出発点だと思っている。今の日本にもっとも欠けているのは、問題を長期的・大局的な視野からとらえる「戦略」である。不幸なことに、企業も行政も「戦術」的な細かい問題には金を出すが、大きな問題には出さない。しかし、戦略の失敗を戦術で補うことはできないのだ。その典型がデジタル放送である。

ただ、私には今まで戦術的な配慮が欠けていたかもしれない。去年起きたいくつもの騒動は、その意味では私自身にも少し責任がある。今後は、正しい戦略がどうすれば日本社会に受け入れられるのかという戦術的な問題も学問的に考えたい。

NHK民営化の道(4)

日本はDSLで世界に先行したが、これは今から始まるネットワーク時代の序幕にすぎない。本当の勝負は、20世紀最大のヒット商品の一つであるテレビを超えるサービスが出てくるかどうかで決まる。この意味で、ブロードバンド革命の第2幕の鍵はコンテンツをもつテレビ局が握っているのだが、彼らは電波こそが利権だと錯覚して、「水平分離」に反対している。

各局とも、アーカイブのデジタル化は完了している。NHKの場合には、川口市にあるアーカイブに、すべてオンライン配信可能な形で180万本の番組が保存されている。私も昔、NHKの資料室に毎日かよって昔の番組を見たことがあるが、『現代の映像』とか『新日本紀行』などは、見ていて頭の下がるような名作が多い。こうした名作を見るだけでも、若手クリエイターの水準は上がるだろう。

しかし、そういう名作をインターネットで見ることはできない。民放連の反対に押されて、総務省がNHKの番組のインターネット配信を「教育・福祉番組」だけに規制したからだ。われわれがこの規制に反対するパブリックコメントを出したときは、多くの人から「私の名前は出してほしくないが趣旨には賛成だ」という連絡をいただいて驚いた。

NHKの民営化を検討するなら、不動産などのハードウェアの価値だけではなく、こうした日本人の文化遺産を次世代にどう継承するかという視点から考えてほしいものだ。

NHK民営化の道(3)

CNETで、「日本で売れるデスクトップPCの78%にTVチューナーが入っている」という記事を見て驚いた。これが本当だとすれば、「高解像度」のイメージは、今までとはまったく違ってくるだろう。

現在のPCモニターの標準仕様であるXVGAは、画素の数ではHDTV(1080i)とほぼ同じである。違うのはアスペクト比だけだ。20年前からハイビジョンにかかわってきた者として懺悔すると、やっぱりあれは失敗だった。テレビの見られる環境は多様化し、個人化しているので、みんなが劇場のような環境でテレビを見ることを想定したハイビジョンは、しょせん高級オーディオのような「すきま商品」なのだ。

特に今後、次世代DVDが登場すると、ハリウッド映画は(どっちの規格か知らないが)HDのDVDで出てくるだろう。そして長期的には(著作権の問題が解決すれば)インターネットでファイル転送されるようになることは目に見えている。つまり「ハイビジョン放送」などというものは、2011年には何の意味もなくなっている可能性が高い。

私は「デジタル放送反対派」だといわれることが多いが、今の放送がデジタル時代にふさわしいメディアとして生まれ変わることは、むしろきわめて重要な問題だと思っている。ただし、その鍵となるのは解像度ではなく情報の多様性であり、インフラ(電波)ではなくコンテンツだ。

こういう議論は、現役のNHK幹部とも何度もしたし、彼らの意見も同じだ。今のわけのわからない「デジタル放送」にこだわる意味がないことは、現場はみんな知っている。チャウシェクス亡き後のルーマニアのように、こういうまともな議論が局内で出てくることを願っている。

NHK民営化の道(2)

NHKを民営化すべきだというと、多くの人から返ってくる反論が「今の民放みたいな下らない番組を作るようになるから反対だ」というものだ。しかし、この心配に対するわかりやすい反例は、衛星放送である。

BSが15年前に始まったとき、黒字になると思ったNHK職員は(私を含めて)ほとんどいなかった。それが今や視聴者1500万人を超え、この種の有料放送としては世界有数である。これは「受信料」という建て前になっているが、実質的には衛星のアンテナを立てている人だけから取る「視聴料」であり、欧米のペイTVと基本的には変わらない。BSの成功は「いい番組は長期的にはペイする」という教訓を示唆している。

他方、今後ハードディスク録画が普及すると、CMをスキップすることが容易になり、従来の広告収入に依存した民放は斜陽産業になるだろう。インターネット上のサイトと同様、情報を売ってもうけるビジネスモデルを考えなければならない。これは現在もケーブルテレビで始まっているモデルであり、今後はこちらが主流になるだろう。つまり民営化されたNHKは「未来の放送=通信」の先例となりうるのだ。

これは、NHKをすべて民放と同じ株式会社にすべきだという意味ではない。視聴料ベースにしても、非営利の公共放送にする方法はある。NHKが他の特殊法人と違って健全なのは、受信料を直接徴収するため、顧客(視聴者)を意識せざるをえない点にある。今回の辞任劇では、このメカニズムがちゃんと機能した。NHKをチャンネルごとに別会社にし、芸能などは株式会社にしてもいいが、総合テレビ(24時間ニュース)は非営利のNPO法人とするのがいいかもしれない。

NHK民営化の道(1)

海老沢会長が辞意を表明した。NHKの会長というのは、畳の上で死ねない恐いポストだ。最近6代の会長のうち3人が、途中でクビになっている。こういうとき怪文書が飛び交って身内のスキャンダルが次々に暴露されるのも、NHKの特徴だ。いつも政治のおもちゃになっているので、社内政治が経営のすべてになってしまうのだ。

海老沢氏が旗を振ってきたデジタル放送も、これを機会に見直すべきだ。今年度の経営方針は「地域放送の強化」。デジタル化で首都圏や近畿圏などでも県域放送することになったためで、その先頭を切ったのが茨城県だ。世界の放送=通信がグローバル化している時代に、予算も増やさないでローカル枠を拡大しているため、現場は疲弊している。初めに電波利権ありきで、電波の配分にあわせて経営方針が決まる本末転倒の典型である。

問題は後任だが、こうなると内部昇進というわけにはいかないだろう。財界から起用して、民営化を検討してはどうか。80年代後半、磯田一郎氏が経営委員長をしていたとき、住友銀行がNHK民営化のシミュレーションをかなり詳細にやったことがあるが、結論は「NTTと違って局舎がほとんど借地で、資産価値がない」ということで興味を失ったらしい。バブル期らしい話である。

「エビジョンイル」体制を支えてきた政治部出身の理事もすべて追放し、代わりに民間から入れるべきだ。形骸化している経営委員会は廃止し、道路公団のように「NHK民営化委員会」を作ってはどうか。たしかに不動産としての価値はないかもしれないが、これからの日本にとってもっとも大事な「知的価値」の創造を国営放送にゆだねておくわけにはいかない。

トルストイの法則

「物事を正しく理解している人は同じように正しいが、バカはそれぞれにバカである」

これは私が「トルストイの法則」と呼んでいる経験則である(いうまでもなく『アンナ・カレーニナ』の冒頭の言葉になぞらえたもの)。「戦略的行動」の落とし穴は、すべての人々が問題を正しく理解していると仮定しているところにある。ナッシュ均衡が成立するには、厳密には全員の利得関数についての共通知識を全員がもつことが必要で、これは「真理は一つ」だということを前提にしている。

真理は一つかもしれないが、誤解は無数にある。そしてだれか一人でもバカがいると、ナッシュ均衡は成立せず、システム全体が混乱におちいる。市場の本質的な機能は、こういうバカを「自己責任」で退場させることによって、システムの挙動がバカに依存しないようにして安定を保つことにある。

だから非市場的な組織では、経営者がバカでも組織全体が崩壊しないfool proofに設計することが重要だ。コーポレート・ガバナンスというのも、結局そういうことである。英米型とか日独型とかいうが、パフォーマンスに大した違いはなく、最後は業績の悪化によって経営者がクビになるという実証研究もある。この場合も、最後は市場がバカを淘汰するメカニズムになっているわけだ。

ところが、政府や大学のような非営利組織では、市場メカニズムがきかないので、たまたま執行側と監視側にバカがそろうと、暴走が止まらなくなってしまう。日本経済では、市場の機能している部分から徐々に改革が進んでいるが、残されているのはこうした「バカよけ」装置としての市場の及ばない組織だ。なかでも普通のNPOは組織が崩壊することでバカを駆除できるが、外部から牽制のきかない政府は最悪である。

Annus Horribilis

今年は、私の人生で最悪の年(annus horribilis)だったが、時間に余裕ができたおかげで、博士論文も仕上げることができ、学問的には実りある年だった。それ以外にも、いくつか重要な教訓を学ぶことができた。

第一に、RIETIやGLOCOMの経営者の「自爆テロ」に等しい行為をみると、人間は戦略的に行動するという経済学(ゲーム理論)の前提が非現実的であることを痛感した。結果として、どっちの組織も崩壊してしまったが、彼らがそういう(当然の)結果を予測して行動したとは思えない。場当たり的に感情にまかせて行動した結果、「組織防衛」のつもりで「組織破壊」をしてしまったわけだ。

第二に、日本でも司法はちゃんと機能していることが確認できた。たしかに高コストで効率は悪いが、裁判官が公開の場で当事者の主張を聞いてルールにもとづいて判断する制度は、官僚が警察と裁判官を兼ねるような制度より、紛争解決システムとしてはずっとましだ。日本の行政には、第三者へのaccountabilityという概念が欠如している。

Shleiferたちが実証したように、発展途上国や旧社会主義国などの法秩序が未発達な状況では行政中心の集権的なシステムが適しているが、制度が安定してくれば、当事者が分権的に紛争を解決する司法中心のシステムのほうが効率的で柔軟だ。日本の「国のかたち」を変えるうえで最大の課題は、行政を縮小して司法を強化することだという私の仮説を、身をもって検証したという点では、有意義な年だった。

業界用語

テレビ業界の用語には、変な和製英語が多い。最近、民放で目立つのは、放送を「OA」と略す字幕だ。「オン・エア」の略語のつもりらしいが、「放送中」というのはon the airである。他にもたくさんある:

  • フリップ:「めくる」という意味の英語から転じて、スタジオで出す図のこと。NHKでは「パターン」という。これはテスト・パターンから来たらしい。

  • カフ・ボックス:アナウンサーが手元で使うフェイダーのこと。咳(cough)を消すためについた名前だという。NHKではFU(fader-upper?)という。

  • テロップ:これは不透明(OPaque)という言葉の前にTELevisionがついたものだというが...

    「やらせ」のように、そもそも業界では(世間的な意味で)使われていないのは、次のような言葉だ:

  • エア・チェック:「録音」の意味で使われるようだが、これは民放でCMがちゃんと放送されたことを放送同録でチェックすること。

  • ダビング:一般には「コピー」の意味で使われるが、テレビ局では映像に音声を多重録音(overdub)する作業のこと。
  • 和解

    私と国際大学との紛争が12月21日円満に解決し、私が2004年4月1日から2005年3月31日まで国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの教授であることが確認された。

    ザスーリチへの手紙

    中沢新一氏とは、かつて1年以上いっしょに仕事をしたことがある。私がサラリーマンをやめるとき、彼に相談したら「リスクは大きいと思うけど、君はサラリーマンに向いてないから止めないよ」といってくれた。

    そのころ、私が「文化人類学に興味をもったのは、マルクスのヴェラ・ザスーリチへの手紙がきっかけだった」といったら、中沢氏は「網野さんみたいなこというね」と笑っていた。彼の新しい本『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)には、網野氏がザスーリチ書簡について語る話が出てくる。

    この手紙は、マルクスの手紙のなかでもっとも重要なものの一つとして知られている。それは、彼が『資本論』の分析の射程は「西欧諸国に明示的に限定されている」とのべているからだ。これは彼の歴史観を「単線的な進歩史観」だとする通俗的な批判への反証であるばかりか、近代西欧の「自民族中心主義」への批判として、レヴィ=ストロースよりも100年近く先行するものだ。

    晩年のマルクスは、西欧文化圏の特殊性を自覚し、ロシアの共同体などを研究していた。パリ・コミューンがわずか72日間で終わったのに対して、こうした「原コミューン」は何百年も存続してきた。その知恵は未来社会にも生かせるはずだ、というところで彼の研究は途絶えた。しかし、このマルクスの問題提起は「マルチチュード」の概念として現在にも受け継がれているのである。



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