人はなぜリスクを錯覚するのか

人はどこまで合理的か 上
合理的な決定はむずかしい。それは脳がもともと合理的な推論のためにできていないからだ。特に多くの人が苦手なのは、確率の推定である。たとえば本書のあげている次のような問題を考えよう。
ある地域で女性が乳癌にかかる事前確率(客観的リスク)が1%だとしよう。検査の感度(患者が陽性になる確率)が90%で、偽陽性率が9%だとする。ある女性が検査で陽性になったとき、彼女が乳癌である確率(事後確率)は何%だろうか?

これはベイズの定理の初歩的な応用問題である。医師の答でもっとも多かったのは「80%~90%」だったというが、正解は9%である。

1000人の中で乳癌にかかる人は10人いるので、そのうち陽性になる人は9人。残り990人のうち89人は偽陽性になるので、合計98人が陽性になる。そのうち9人が本当の癌だから、事後確率は9÷89=約9%なのだ。

こういう錯覚は多い。その原因は、ほとんどの人が事前確率を知らないからだ。たとえば石炭火力の事故や大気汚染で死ぬ事前確率は原発の100倍だが、原発事故は大きく騒がれるので危険と感じる。発電量という分母を考えないからだ。

これは行動経済学でいう利用可能性バイアスである。人間の脳では、頻繁に起こる出来事が記憶に残るので、大きなリスクだと感じる。テレビで毎日騒いでいると、危険だと思う。その客観的な分布(事前確率)はわからないので無視するのだ。

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統一教会についての論点整理

統一教会(世界統一平和家庭連合)をめぐる騒ぎには、おもしろい特徴がある:その全盛期を知らない人ほど、統一教会が「巨悪」だと思い込んで騒ぐことだ。統一教会は文鮮明の死後、分裂し、今は信者6万人程度の零細な新宗教にすぎない。

しかし1990年代の霊感商法や合同結婚式は大規模だった。今ワイドショーに出ているのは、その時期までの「元信者」がほとんどだ。1988年の合同結婚式が、あたかも現在の教団の問題であるかのように延々と語られ、時系列がこちゃごちゃになっているので、ここで整理しておこう。

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ポール・ローマーと経済成長の謎

ポール・ローマーと経済成長の謎
知識が経済にどのような影響を及ぼすかを、ポール・ローマーの有名な論文を中心に描いたもの。もとの論文を読んだ人には読む価値がないが、知識や情報が経済学でどのように扱われてきたかという経済学史の読み物としては、わかりやすく書かれている。

経済成長の最大のエンジンが技術革新であることは、アダム・スミスやマルクスの時代から認識されていた。価値の本源的な源泉は労働力(人的資本)だが、単なる肉体労働では価値は蓄積されない。それが物的資本として蓄積され、知識が技術進歩として実現することで、経済は成長するのだ。

マルクスのいう資本の有機的構成の高度化は、労働価値説でこの問題を明らかにしようとした最初の試みだった。技術進歩で労働力を節約すれば、利潤が上がる。職人が手作業で服を縫うより、その技術を自動織機に置き換え、職人をなくせば成長できるのだ。

これは当たり前の話だが、新古典派経済学は「完全情報」の世界を仮構して、知識の問題を無視してしまった。新古典派成長理論は、技術進歩を(理論的に説明できない)残差としてモデルの外に出したが、実証研究で明らかになったのは、皮肉なことに、成長の最大の要因がこの「残差」だということだった。

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柳田国男のアナーキズム

柳田国男: 知と社会構想の全貌 ((ちくま新書 1218))
国葬をめぐる議論をみていると、安倍元首相に対する反感が意外に多くの人に共有されていることがわかる。これは彼が強権的だと思われていたためだろう。現実には彼は党内コンセンサスを大事にして対立の原因になるエネルギー問題や雇用問題には手をつけなかったのだが、あの程度でも朝日新聞には「一強」などといわれた。

このような日本人の「強い権力」に対する嫌悪は、古代から続いているものだ。柳田国男は日本の伝統は国家神道のような神社を中心とする組織ではなく、村ごとにばらばらの氏神信仰だと考えた。それは農商務省の官僚として彼が明言できなかった天皇制への暗黙の批判だった、というのが本書の見立てである。

柳田は若いころクロポトキンに傾倒し、平民社のメンバーとも交流があったが、1910年の大逆事件を機にアナーキズムを「表」では語らなくなった。その後は全国各地の「常民」の聞き取り調査で、一見ねらいのわからない膨大な記録を残した。それを読み解くと、彼が国家神道を批判していたことがわかる。

日本の土着信仰の原型は記紀のような神話ではなく、各地にさまざまな形で残っている「氏神」だった。それはキリスト教を典型とするデュルケームやウェーバーなどの宗教学とはまったく違うもので、このような土着信仰が先進国に残っているケースは珍しい。

そういうばらばらの土着信仰では大きな社会は統合できないので、それを超える国家権力で人々を支配するようになるのが普通だが、日本人はそういう強大な権力を拒否してきた。そこに柳田は、日本に古代から継承されるアナーキズムの伝統をみた。

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1ドル=150円で日本経済はよみがえるか

私がブログで「1ドル=150円で日本経済はよみがえる?」と書いたのは、ちょうど2年前だが、きょうは1ドル=144円。私の予想は半分当たったが、よみがえるかどうかはこれからだ。

円安の短期的な原因は金利差だが、それだけでは為替レートは動かない。最終的にどの程度が「均衡水準」かを市場関係者も意識している。当局は「オーバーシュートだ」というが、マーケットはそうみていない。

最大の構造的な原因は、2年前の記事でも書いたように、日本経済が大幅な国内の需要不足を抱えていることだ。きょう発表された国際収支統計をみても、経常収支は黒字である。貿易収支は資源価格の上昇で大幅な赤字になったが、所得収支(海外投資収益)の黒字がそれより大きいので、経常収支は黒字なのだ。



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暴力と資源が世界を動かす「戦時経済」への回帰

正義なき世界を動かす シン地政学
冷戦時代には、世界を動かすのは自由主義と社会主義のイデオロギー対立だと思われていた。冷戦が終わったあと世界はグローバル化し、中国もロシアも自由主義圏に組み込まれると信じて軍縮が進められ、資源を浪費しても気候変動を防ぐべきだという美しい理想が語られた。

しかしウクライナ戦争で世界は変わった。いま「新しい冷戦」の世界を動かすのは暴力と資源である。これは一時的な変化ではなく、16世紀以来の世界秩序に戻る動きだ。ヨーロッパの歴史は戦争の歴史であり、20世紀後半は核兵器で戦争のコストが極大化された結果の小休止だった。それを支えていたのは、戦争を違法化し、国連が集団安全保障を維持するという原則だった。

ところが安保理事会の常任理事国であるロシアが、そのルールを破ってしまった。国際法に法の支配はないので、秩序の基盤は暴力であり、それを支えるのは資源である。人間は理想なしでも生きられるが、資源なしでは生きられない。

脱原発という理想にこだわって破滅したドイツの窮状は、「ポスト冷戦」の平和と豊かさの時代が終わったことを象徴している。世界は暴力で資源を支配する戦時経済に回帰しているのだ。

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荘園の「多重下請け構造」

荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで (中公新書)
教科書では「7世紀に大和朝廷が成立し、律令制で公地公民になった」と教えるが、大宝律令が完成したのは701年。その及ぶ範囲も、近畿地方ぐらいだった。これは隋の均田制を輸入したものだが、全国民(成年男子)に同じ面積の土地を割り当て、相続も許さなかったので、土地を開墾するインセンティブがなかった。

そこで自分の開墾した土地を3代に限って相続を認める三世一身法ができ、743年には墾田永代私財法で無期限の相続が認められた。律令制は、たった40年間の制度なのだ。その後も口分田は残ったが、公地公民の原則は崩れ、開墾した土地は私有財産になった。

しかし荘園の所有権は明確ではなかった。土地の境界もなく、農民は地元に住んでいる荘官に農作物の一部を収め、荘官は貴族や寺社などの領家に上納し、その一部が京都の摂関家などの本家に上納される多重構造だった。このように所有権が多重に設定される「職(しき)の体系」が日本の荘園の特徴である。

中世ヨーロッパでも荘園(マナー)という言葉が使われたが、これは在地領主が一円を支配して農奴から地代を徴収する直接支配だった。ここでは領主が軍事力をもち、領土の安全を守る対価として農産物を受け取る契約が成立していた。

それに対して「本家」は不在地主であり、京都に住んで自分の荘園を一度も見たことのない貴族がほとんどだった。これは常識的に考えると奇妙である。なぜ農民は、土地を見たこともない本家に農作物を上納したのだろうか?

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「統一教会パージ」をあおる人権派弁護士と憲法学者

岸田首相が自民党所属国会議員に統一教会との関係を断つよう指示し、これを受けて党内では、思想調査が行われている。このように特定の宗教団体を名指しで排除するのは、官庁や企業から共産党員を排除した終戦直後のレッドパージ以来の思想弾圧である。



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経済学の古典10冊

昔のファイルを整理していたら、2009年に週刊ダイヤモンドに書いた原稿が出てきたので再掲。古典だから、今でもそのまま使える。新学期の読書にどうぞ。

経済学に、古典と呼べる本は少ない。それはもともと時事的な問題を論じるジャーナリズムとして始まった学問だからである。ケインズは『人物評伝』で、こう書いている。
経済科学の進歩と日常の有用性とは、先駆者や革新者が体系書をさけてパンフレットやモノグラフのほうを選ぶことを要求するのではないだろうか。(中略)マルサスは『人口論』を初版のあと体系書に改めたさいに台なしにしてしまった。リカードのもっとも偉大な著作は、その場かぎりのパンフレットとしてものされたのである。

しかし真に偉大な古典は、時代を超えた経済の本質を明らかにし、現代の問題を考える役にも立つ。いま世界の直面している危機が「100年に1度」だとすれば、100年単位で経済を見つめ直すことも意味があろう。経済学の中心的な問題は、市場によって経済問題が解決できるかということだ。それにイエスと答えるのがスミス以来の主流派、ノーと答えるのがマルクス以来の反主流派だ。経済が成長しているときは前者の、危機に陥ったときは後者の影響力が強まった。こうした時代背景を考えながら、経済学の古典を紹介してみる。

アダム・スミス『国富論』:本書はケインズが「四つ折り版の体系書」として書かれた数少ない名著とした本だが、これも政治的な意図によって書かれたものだ。18世紀後半の英国は、産業革命によって高い生産力を実現していたが、当時の重商主義的な政策のもとでは、各国が既存の企業を保護するために独占の特許を与えたり、高い関税をかけたりしていた。これを廃止し、自由貿易によって分業の利益を享受することがすべての国の利益になると主張したのが本書である。
 
「保護や規制をやめて競争にゆだねよ」というスミスの主張は、当時の強者である英国の立場を代弁するものだった。しかし彼の理論は、同時代の重商主義者より一貫しており、歴史的にも正しかった。彼の理論の基礎にあったのは、人々が利己的に行動する結果、社会的にも望ましい結果が生じる、という「見えざる手」の考え方だ。これは実証的に導かれたものではなく、その背景にあったのは、神が世界を合理的に創造したという「理神論」の信仰だったといわれている。つまり利己心の追求が調和をもたらすという彼の理論の背景には、神の創造した秩序への信仰があったのだ。

カール・マルクス『資本論』:本書が政治的な目的で書かれたことはいうまでもないが、文体は過剰なまでにアカデミックだ。同時代のあらゆる文献を引用して衒学的な飾りが多く、観念的で読みにくい。経済学の本としてはリカードの労働価値説の二番煎じだが、貨幣の生成を論じる価値形態論や、剰余価値の発生を論じる「貨幣の資本への転化」などの狭義の経済学とは違う部分はおもしろい。
 
マルクスの問題意識は、等価交換の市民社会(市場経済)から資本家による不等価交換(搾取)が発生するメカニズムを解明することだった。金融危機を引き起こすのも、投資銀行の金融商品による不等価交換システムだ。それはさや取りによって価格を平準化するように見えながら、実は複雑な「仕組み債」によって高い利潤を作り出していたのだ。

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占領体制が宗教法人法を生んだ

統一教会をめぐる騒ぎでは「憲法の政教分離の原則に反する」という議論がよくあるが、憲法に政教分離という言葉はない。憲法20条はこう定めている。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
これは信教の自由を保証する規定であり、政教分離(国家の宗教への不介入)はそれを保証する制度だから、宗教団体が特定の政治家を応援することは憲法違反ではない。それは創価学会と公明党の関係をみれば明らかだろう。

明治憲法では神社は「宗教」ではないとして国家護持されたが、1945年12月の神道指令で国家神道は廃止された。ほぼ同時に制定された宗教法人令で、神社も寺院もキリスト教も同格の「宗教法人」として認められた。GHQは日本人を啓蒙するために、キリスト教を普及させようとしたのだ。

国家による審査を廃止し、新宗教も届け出だけで認められて非課税となったので、全国で宗教法人の申請が激増した。それを整理するために文部省や自治体の「認証」が必要だと規定したのが、1949年にできた宗教法人法である。

GHQが占領政策の最初に国家神道を廃止し、宗教法人に強い保護を与えたことは、それが占領体制の重要な一環だという印象を与えた。それが今も宗教法人が強く保護されている原因である。続きを読む



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