死ぬまで元の取れない厚生年金に強制加入させる年金法改正案

厚労省は25日、年金法の改正案を審議会に提示した。これは「年収106万円の壁」をなくし、すべての企業に厚生年金を強制するものだ。日経新聞などは「基礎年金の3割底上げ」と報じているので、結構なことだと思う人が多いだろうが、これには複雑なからくりがある。

この背景には、マクロ経済スライドの失敗がある。これは年金財政の収支が均衡するように支給額を下げる制度だが、政治的な事情でほとんど実行されず、これから実行すると国民年金が3割下がる。そこで2057年までかけて支給額を3割減らす予定だったが、これでは最低限度の生活ができないので、底上げしようというのが今回の改正案のねらいだ。



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心理的な「年収の壁」は100万円にある

税制と経済学: その言説に根拠はあるのか
国民民主党の問題提起で「年収の壁」が話題になっているが、基礎控除の引き上げで自治体が減収になるという反対論が出ている。そこで与党では、所得税の基礎控除48万円を上げる一方、住民税の基礎控除43万円を据え置く案が検討されているという。これで「働き控え」は減るのだろうか。

本書も指摘するように103万円は所得税がかかるだけだが、それを壁と呼ぶとすれば、もっと高い壁が年収100万円にある。これを超えると住民税10%がかかるのだ。これは所得税5%より重い。そしてパートの主婦はこの年収100万円の壁を意識しているのだ。

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パート主婦の年収とその比率(ニッセイ基礎研)

上の図は主婦の年収とその人数をみたものだが、年収95~100万円のグループが7~8%と突出して多い。つまり100万円までしか働かないように調節している。これは心理的バイアスだが、この住民税の課税最低限度額が変わらない限り、働き控えは減らないだろう。

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国民民主党の所得減税の財源は年金控除12兆円にある

自民・公明と国民民主党の協議で「年収103万円の壁」を引き上げることが合意されたが、その中身ははっきりしない。特に問題なのは財源である。財務省の計算では基礎控除・給与所得控除を103万円から178万円まで上げると、所得税が7.6兆円の減収になるという。特に住民税・住民税が4兆円減るため、全国知事会が反対を表明している。

これに対して国民民主は「財源は政府が考えろ」と開き直っているが、これは「対決より解決」のスローガンに反する。責任野党なら、財源についても対案を示すべきだ。私はその財源として公的年金控除をあげたい。

図のように所得税の対象額270兆円のうち、半分以上の150兆円が所得控除され、課税ベースが極端に狭まっているため、財務省は所得控除を減らす方針だ。特に昔から問題になっているのが、年金控除12兆円である。



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大乗仏教はポストモダンを超えるか

唯識の思想 (講談社学術文庫)
西洋哲学がプラトンに始まりニーチェで終わったとすると、20世紀以降の哲学はそのオマケみたいなものだが、大乗仏教の歴史はその終わった地点から始まっている。これは偶然ではない。インド=ヨーロッパ語族は主語・述語の論理で考えるので、大乗仏典のロジックは西洋哲学と似ているのだ。

中観派(ナーガールジュナ)は客観的実在を否定して「空」の思想を創造した。そこではカントより1500年以上早く、「存在は有から生じない」などのアンチノミーを使って素朴実在論から矛盾が導かれることを明らかにしているが、積極的な世界像はない。この点はポストモダンに似ている。

そういうニヒリズムを超えようとしたのが唯識派である。それは単に実在を否定するのではなく、それを成り立たせる本質は意識だと考える主観的観念論だった。これは独我論に近いが、世界を成り立たせているのは個人の意識ではなく、阿頼耶(アーラヤ)識と呼ばれる集合的無意識である。

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保険料が減って年金が増える(?)年金法改正のからくり

河野太郎氏が年金法改正に疑問を呈している。

これは一般論としてはその通りで、いま国民年金を払っている労働者は、次のように本人負担だけみると1万9100円が1万2500円に減る。負担が減って年金受給額が増えるというおいしい話のように見える。


厚労省の資料

しかしいま負担ゼロのパートの主婦(第3号被保険者)は、106万円の壁がなくなると第2号になるので、負担が15%増える。

また事業主負担は企業にとっては人件費として賃金と一体だから、「社保倒産」を避けるには賃金に転嫁する必要がある。たとえば今のように3%のインフレのとき賃上げしなければ、実質賃金は3%下がる。こうして長期的には、社会保険料はほぼ100%賃金に転嫁されるというのが、経済学の常識である。

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厚労省の資料

今回の年金法改正には、このように給付を手厚くする効果もある。これは図のように4590万人の厚生年金被保険者を増やし、赤の部分200万人に適用を拡大する。その発想はいいのだが、これは財政的にボロボロの国民年金の赤字を厚生年金で埋める結果になる。

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「年収106万円の壁」って103万円の壁と違うの?

国民民主党の問題提起で「年収103万円の壁」が話題になっていますが、このごろ年収106万円の壁が来年4月からなくなることが問題になっています。まぎらわしいので、わかりやすく説明しましょう。



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『はじまりのレーニン』がはじまったとき

新版 はじまりのレーニン (岩波現代文庫)
中沢新一氏の番組をつくっていたとき、彼に「これから編集者にあやまらないといけない。つきあってくれないか」といわれた。新宿の飲み屋で彼が岩波の編集者に話した内容は、「1年前に約束したレーニン論が書けない。申し訳ないが、この話はなかったことにしてほしい」というものだった。

編集者は青ざめていろいろ収拾策を提案したが、横で聞いていた私が思いつきで「今までのレーニン論の逆をやってはどうか」と提案した。現代の哲学者のレーニン論は、廣松渉のようにレーニンの唯物論を素朴実在論として批判し、彼が『唯物論と経験批判論』で攻撃したボグダーノフこそ新しい認識論だったと評価するものだ。

ボグダーノフはマッハ主義者で、その認識論はフッサールからポストモダンに至る20世紀の哲学の主流だが、私はこれに納得できなかった。そんな「価値相対主義」では、革命はできない。行動を起こすには絶対的な価値を信じる必要がある。レーニンの「物質」とはそういうものだったのではないか…と話したら、中沢氏は「それだ!」といった。

そのときの思いつきだけで書き下ろしの本が1冊できたが、中身はレーニンとはほとんど関係ない。文献学的にもずさんで、レーニンがマッハを超える高度な認識論をもっていたわけではないが、そこには意外に新しい問題がある。それはポストモダンが行き詰まった今、考え直す価値があるかもしれない。

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減税したら税収が増えるのか

国民民主党の「103万円の壁」減税案は、全国知事会の反対で頓挫しそうだ。そこで今度は消費税の減税が出てきた。



これを批判すると山のように飛んでくるのが「減税で消費が増えて税収は上がる」という話だ。これは昔からある話で、レーガン大統領にアーサー・ラッファーという経済学者が紙ナプキンに描いて見せたのが、次のようなラッファーカーブである。

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横軸は所得税で、T*が税収を最大化する税率だとすると、今の税率がそれより高い場合は、税率が下がると税収は増える。レーガンは「私が初めて聞いた納得できる経済理論だ」とラッファーを絶賛し、この理論にもとづいて大幅な減税をおこなった。税収が増えるのを見込んで、大規模な軍拡をおこなった。

その結果、アメリカの財政赤字は激増し、高金利でドル高になり、貿易赤字が増えて「双子の赤字」になった。アメリカの中西部の製造業は没落し、失業した白人労働者の自殺率が上がった。これを日本の不公正貿易のせいだと考えたレーガン政権はジャパン・バッシングを始め、日米通商摩擦が激化した。

いま思えばその原因は単純だった。アメリカの所得税率は最適税率T*の左側にあったので、税率を下げたら税収は減ったのだ。これがいまだに減税派の理解していない事実だが、実は問題はそれほど単純ではない。

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年金ネズミ講を全企業に拡大する年金法改正を野党は阻止すべきだ

永田町では国民民主党の減税案が話題になっているが、これは3つにわけて考える必要がある。

・年収の壁
・手取りを増やす効果
・財源

このうち年収の壁については、103万円は問題ではない。これは学生の親や主婦の配偶者の扶養控除がなくなるだけで、所得税・住民税は所得と103万円の差額にかかる。たとえば年収110万円なら差額の7万円に所得税・住民税15%がかかるので、税額は1万円である。これは次の表のように連続的な増加で壁ではなく、高所得者ほど有利になる。



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マルクスはなぜ世界を魅惑したのか

マルクス主義の主要潮流 その生成・発展・崩壊
マルクスは20世紀の歴史に最大の影響を与えた思想家だが、それを理解している人はほとんどいない。あの観念的で難解な思想が、なぜ全世界の知識人と労働者を魅惑し、100年近くにわたって世界史を動かしたのかは今も謎である。本書は1978年にポーランド語で書かれた古典だが、初めて邦訳が出た。

著者の答は、マルクスの思想とマルクス主義の運動は別のものだったということだ。マルクスの思想は高度なものだが、彼がそれを『資本論』のように学問的な形で書いただけなら、今ごろはヘーゲル左派の一人として歴史に残る程度だろう。

ところが彼はその思想を単純化して『共産党宣言』などのパンフレットを出し、その運動が成功することで彼の理論の科学性が証明されると主張した。このように独特な形で「科学的社会主義」の理論と実践を結びつけたことが成功の一つの原因だが、その運動の実態は理論とはおよそかけ離れたものだった。

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