フランス革命についての省察

フランス革命についての省察 (光文社古典新訳文庫)
本書はフランス革命の最中に、それが流血の大惨事に陥って軍人の独裁に終わるだろうと予言した。実際にフランス革命はナポレオン皇帝の誕生で終わったが、当時エドマンド・バークは「革命に敵対する反動」として攻撃され、それ以来、保守主義の元祖とされるようになった。

しかし彼はイギリスの古典的自由主義の元祖でもある。それはルソーの『社会契約論』やマルクスの『資本論』のように人々を行動に駆り立てる思想ではなく、ほとんどの記述は同時進行の出来事に対する批判である。体系的な理論が展開されているわけでもないので、いま読むとわかりにくく、これが人気のない原因だろう。

バークの基本思想は「社会を合理主義で設計することは間違いのもとだ」というコモンローの精神である。これは同時代のヒュームやスミスと同じく、社会は漸進的に進化していくもので、人間が「設計」してもうまく行かないという経験論である。

それはフランス革命が人類に普遍的な「天賦人権」を根拠にしていたのに対し、天から与えられた人権などというものは存在しないと否定する。

国政に関して、各人がどれだけの権限、権威、あるいは発言力を持つべきかとなると、これは「人間の基本的権利」にかかわる事柄ではなく、「文明化された社会人」にかかわる事柄である。ならば、単なる人間と「文明化された社会人」の相違は何か? それは社会的慣習を受け入れたかどうかなのだ。

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脱炭素化はビジネスチャンスではなくコストである



言論アリーナでロンボルグも有馬さんも強調したのは、地球温暖化対策には莫大なコストがかかるということだった。温暖化を止めるという理想に反対する人はいないが、そのコストがどれぐらいかかるのか知っている人は少ない。

おまけに脱炭素化のコストは、ウクライナ戦争で激増した。再エネをバックアップする天然ガスの価格が上がったからだ。ロンボルグの住んでいるデンマークは再エネ100%で電力を供給しているが、図のように電気代は世界一高く、日本の2倍である。

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費用対効果はどうだろうか。IEAの提唱した「ネットゼロ」のメリットは毎年4.2兆ドルだが、そのコストは毎年25.5兆ドル。コストはメリットの6倍である。温暖化対策のコストは、多くの政治家や国民が考えているよりはるかに大きく、そのメリットは先進国ではほとんどない。

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「ネットゼロ」の便益と費用

日経新聞は「カーボンゼロ」でもうかると思っているが、もし脱炭素化がビジネスチャンスだったら、各国が交渉してCO₂を削減する必要はない。ほっておけば、みんな競って脱炭素化するだろう。脱炭素化はコストであり、課税なのだ。

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なぜ私は保守主義者ではないのか

自由の条件III: 福祉国家における自由
本書はイギリスのサッチャー元首相が保守党大会で「これが私の信じているものだ」といって掲げて有名になった本だが、ハイエクは保守党を支持しなかった。彼は「福祉国家は社会主義の変種だ」と批判したが、貴族や大地主の既得権を守る保守党(Tory)も批判した。

彼はliberalという言葉は、大きな政府を求める人々に誤用されているので使わなかった。Libertarianという造語もきらい、old Whigと自称した。これは今はなくなった自由党のことで、ブルジョアジーの代表だった。

ホイッグはエドマンド・バークのように貴族の特権に反対し、フランス革命に反対する一方、アメリカ独立革命を支援した。本書の付録の「なぜ私は保守主義者ではないのか」という短い論文に、ハイエクはこう書いている。
過去数十年間の歴史は全般的に社会主義的な方向に向かっていたので、今は保守派も自由主義も主にその動きを遅らせようとしているように見えるかもしれない。しかし自由主義の重要な点は立ち止まることではなく、別の場所に行こうとすることである。

政府の行動のほとんどに関する限り、現状では自由主義が現状を保守したいと考える理由はほとんどない。実際、自由主義にとっては、世界のほとんどの地域でもっとも緊急に必要とされているのは、自由な成長に対する障害を徹底的に一掃することだと思われる。

この意味での自由主義は保守ではなく、自由な成長への障害を取り除くために国家の介入と闘う思想である。今の日本に必要なのは、いい意味でも悪い意味でも保守政党である自民党に対抗して、肥大化した福祉国家をスリム化する自由主義の政党ではないか。

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朝日新聞の理解できない「容量市場」の経済的意味

電事連が、4月14日の朝日新聞の記事に抗議している。これは「地域新電力が容量市場に反対している」という当たり前の話で、これを1面トップに持ってきた朝日新聞は、デスクも含めて容量市場を理解していない。それはこの図を見ればわかる。

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朝日新聞より

ここには「容量市場の負担のしくみ」と書いてあり、そのメリットは何も書いてない。「不公平だ」と答えた新電力が77%というのは当たり前だ。この制度は「転売屋」の新電力に発電コストを負担させることが目的だからである。それにコメントしている高橋洋氏は自然エネルギー財団の特任研究員であり、いま話題の再エネTFのロビイストである。

再エネは昼間は太陽光で発電できるが、夜は売る電力がない。本来は新電力が24時間発電できるインフラをもつべきだが、民主党政権が発電設備をもたない転売屋の火力へのただ乗りを許したため、大手電力は固定費を回収できなくなった。

JEPXのようなスポット市場はフローのkWhだけを取引するので、限界費用の安い再エネが競り勝ち、採算のとれなくなった火力は廃止される。これを防ぐためストックのkWを取引して、広域機関が4年後の火力の設備を予約するのが容量市場である。

理論的には、スポット市場だけのenergy only market(EOM)でも、大手電力が再エネの発電できない夜間に高い価格をつけるスパイクで固定費を回収できるはずだ。それを理由に再エネTFは容量市場に反対したが、現実にはテキサスのようにEOMでは大停電が起こった。それはなぜだろうか。

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日本最大のメガソーラーは建築確認なしで買取価格40円の無法地帯

長崎県の宇久島で計画されている日本最大のメガソーラーが、5月にも着工する。出力は48万kWで、総工費は2000億円。パネル数は152万枚で280ヘクタール。東京ディズニーランドの5倍以上の巨大な建築物が、県の建築確認なしで建設される。民主党政権が太陽光発電を建築基準法の適用除外にしたからだ。


宇久島メガソーラーのイメージ(同社ホームページより)

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リニア中央新幹線って必要なの?

静岡県の川勝知事が辞任して、一番ほっとしているのはJR東海の社員でしょう。2027年に開業する予定だったリニア中央新幹線の名古屋までの路線も、ようやく工事を再開できそうです。でもそれは本当に必要なんでしょうか?



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河野太郎氏の「脱工業化社会論」の錯覚

再エネタスクフォースをめぐる問題の根底には、河野太郎氏の急進的な再エネ推進がある。彼はもとは反原発派ではなく、その出発点は核燃料サイクルをめぐる電力会社の自民党支配に疑問をもったことだった。2011年5月のBLOGOSチャンネルで私と対談した貴重な記録が残っていた。



池田:今は太陽光発電のコストは、1kWhあたり40円。それが、石炭火力だと6円です。本当に再生可能エネルギーが、石炭に匹敵するようなものになるのか。ならない場合に、補助金をいつまで続けるのか。今の仕組みだと電気料金に上乗せされてしまいますよね、それは結局は、日本の産業の国際競争力に跳ね返ってしまうのでは。

河野:日本はまだまだ重厚長大型の産業が残っている。欧米はそこからソフトウェアに変わったり、もう少し知価革命が進んできている。重厚長大でやってきた部分は、中国やインドの追い上げを考えると、どこかの段階でそれを受け渡して、新しいところに出て行かなきゃいけない。

そうすると、産業の中でエネルギーコストの部分も段々小さくなる方向に行くだろうと思います。日本経済が発展するためには、小さくなる方向に動いていかなきゃいけない。 再生可能エネルギーを可能な限り伸ばしていくと、それが伸びていけば新しい日本の産業にもなって輸出できるわけです。

河野氏は日本が脱工業化してハイテク産業に特化すればエネルギー消費が減り、電気代が高くなってもいいと思っていたわけだ。彼は日本には珍しい「大きなビジョン」を語る政治家であり、この考えはその後も変わっていないだろう。だがその後、世界の現実は大きく変わった。ハイテク産業こそ最大の電力集約産業になったのだ。

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死の恐怖を克服する「賢者の石」はあるのか

自殺について (角川ソフィア文庫)
子供のころ、自分も死ぬのだということに気づいて、毎日おびえていたことがある。その恐怖を解決するために本書を読んだが、「死によって人は世界の本質的な「意志」に回帰する」というペシミズムによけい恐くなった。

死の恐怖は人間のもっとも強い感情だが、それが文献に出てくるのは意外に新しい。中世までの社会では、個人は共同体に埋め込まれていたので、人は死を自然に受け入れた。キリスト教では死後に永遠の生命が得られることになっているので、問題は死ではなく天国に行けるかどうかだった。

死が恐怖の対象になったのは、近代ヨーロッパで人々が神を失ってからだ。モンテーニュは死について考え続けて『エセー』を書き、パスカルは「無限の宇宙の永遠の沈黙が私をおののかせる」と書いた。

ヘーゲルは「絶対精神」によって人は神に同化し、永遠の生命を得ると論じたが、ショーペンハウエルはそれを否定するペシミズムを主張した。本書は彼の主著『意志と表象としての世界』の応用として自殺を考えたものだが、ここで彼は「死の恐怖を解決する賢者の石を手に入れた」と主張した。

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「大東亜共栄圏」はアジア諸国を解放したのか

大東亜共栄圏 帝国日本のアジア支配構想 (中公新書)
自衛隊の公式サイトが「大東亜戦争」という言葉を使ったことが問題になっているが、自衛隊では以前から使っていたようだ。これはGHQのプレスコードで禁止されただけで、占領はとっくに終わったのだから、GHQの指令を守る必要はない。

問題は「大東亜」という言葉に、独特のコノテーションがあることだ。これに「アジア侵略」という意味をもたせる人がいる一方、アジア諸国を欧米の植民地支配から解放したという人もいるが、どちらも正しくない。

この言葉を最初に使ったのは、1940年8月の松岡洋右外相の談話だが、当時はヨーロッパでドイツが破竹の快進撃を続けてフランスが占領され、イギリスが敗れるのも時間の問題だと思われていた。この情勢認識のもとに松岡は三国同盟を結び、世界を自給圏に分割しようとした。

これはブロック経済で、アメリカの「モンロー主義」は南北アメリカ大陸を一つの自給圏とする構想だった。それに対して日本は太平洋の西側を自給圏とし、ドイツを中心とするヨーロッパの自給圏と、それぞれの圏内の権益を相互承認する条約を結ぼうというのが松岡の構想だった。

ここではアジア諸国は、日本の支配下にある保護国であり、民族自決の原則は認めなかった。各国の民族独立運動と連携して旧宗主国を日本軍が追放したが、代わりに日本軍がその国に駐留した。各国は日本軍にとっては自給圏の階層秩序の一部だったが、彼らにとっては日本軍は完全独立をさまたげる存在だった。

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プラトンは「哲人政治」を理想としたのか

国家 上 (岩波文庫)
本書は英米圏の1000人の哲学者が選んだ西洋哲学の古典の第1位に選ばれた。これはそれほど意外な結果ではないが、最後まで読んだ人はほとんどいないだろう。

私も学生時代に読んだが、挫折した。古典の第2位に選ばれたカントの『純粋理性批判』は、いかにも哲学書という文体で論理的に書かれているが、本書はカジュアルな対話で話が進められ、どこまでがプラトンの思想かよくわからないからだ。

その中のソクラテスの話がプラトンの意見だと考えると、ポパーのようにプラトンは「哲人政治」という独裁制を理想とした全体主義者だということになるが、これは疑問である。むしろこの対話篇は一種の演劇であり、登場人物の話は問題を多面的に描くものだ、という林達夫やレオ・シュトラウスの見方に共感を覚える。

哲人政治は第5巻の最後(邦訳の上巻p.405以降)に出てくるだけで、系統的に論じられているわけではない。それを基礎づける論理として、有名な「洞窟の比喩」でイデア論が語られるが、これも比喩としては成り立っていない。人々がみんな洞窟の中にいて、哲学者だけが太陽を見ているという根拠はない。

だがそれに続いて出てくる民主制の批判は、具体的で説得力がある。民主制は必然的に衆愚政治になり、僭主(独裁)に行き着く。それを生み出すのは「雄蜂」のようにうるさく騒ぎ回り、人々を煽動するデマゴーグだ。そして僭主の独裁が成立すると、それは二度と元の民主制には戻らない。

つまり哲人政治論は、現実の(プラトンの生きていた時代の)アテネの民主制末期の混乱に対する皮肉だったのではないか。ポパーも批判するように哲人が誤ることはないというプラトンの無謬主義はおかしいが、同じことは民衆にもいえる。主権者たる国民はつねに正しいというのもフィクションである。

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