近代世界システムは終わるのか

史的システムとしての資本主義 (岩波文庫)
グローバル資本主義の見方に大きな影響を与えたのが、ウォーラーステインの近代世界システム論である。これはマルクスの資本と賃労働の支配関係を中心国と周辺国に当てはめたもので、1960年代にフランクやエマニュエルなどの提唱した従属理論が始まりである。

従属理論は自由貿易で世界の所得格差はなくなるという「収斂理論」を批判し、現実には格差が拡大している状況を説明する。市場経済の原則は等価交換だが、資本主義の原則は不等価交換である。比較生産費説ではすべての国が利益を得られるが、宗主国だけが利益を得て、植民地がモノカルチャーで発展しない状況も解として出てくる。

たとえばイギリスが綿織物に特化し、インドが綿花の生産に特化した場合、綿工業の技術はいろいろな機械工業に応用できるが、綿花をいくらつくっても工業化はできない。つまり比較生産費に時間軸を入れると、格差が固定され、中心国は周辺国を搾取し続けることができる。

しかしこういう状況は1990年ごろから変わり始めた。近代世界システムの外側にあった社会主義圏が崩壊し、中国がグローバル資本主義に参加して、周辺国が自立し始めた。グローバルな水平分業は先進国と途上国の労働者が対等に競争する世界を作り出し、超過利潤は失われ、金利はゼロに近づく。それは近代世界システムの終わりなのか。

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キリスト教の中の無神論

古代ユダヤ教 上 (岩波文庫 白 209-8)
ガザをめぐる紛争をみると、ユダヤ人がみずからを正当化する意識の強さを感じる。それは選民意識といわれるが、そうではない。2000年以上にわたって祖国もないユダヤ人がそのアイデンティティを守ってきた原因は、自分たちは世界に唯一の神に守られているという普遍主義なのだ。

これを最近の聖書研究では唯一神教と呼び、ローカルな社会の中だけの「拝一神教」と区別する。それは紀元前597年から始まったバビロン捕囚で始まったというのが、ウェーバーの見解である。
捕囚の悲惨のなかで第二イザヤは、その普遍主義的な神観を最終的帰結にもたらし、そのことによってそれらの思想を最終段階にもたらしたのであった。[…]ヤハウェのみがこの世界の創造者であり、世界史の支配者であって、この世界の過程はヤハウェの隠された計画のもとに行なわれるのである。
ヤハウェはユダヤの神ではなく世界全体の神であり、彼の計画によって世界は最後まで決定されている。そして彼はイスラエルの民に屈辱的な運命を与え、それに屈することなく信仰を守ったものだけが救われるのだ。これをウェーバーは苦難の神義論と呼び、イエスによって世界全体に布教された普遍主義の原型だったという。

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もう「NTT問題」を卒業しよう

楽天の三木谷社長に、NTT広報が反撃して話題を呼んでいる。


これに対してソフトバンクやKDDIも応戦している。


事の発端は、昨年決まった防衛費の増額の財源として、政府が保有するNTT株の33.3%を売却して完全民営化する話が自民党で出てきたことだ。NTTの時価総額は、22日現在で15.7兆円。政府保有株の時価は5.2兆円である。これをすべて売却すれば、防衛予算の半年分ぐらいは出るが、恒久財源にはならない。

それより大事な問題は、完全民営化するとどんな「国民の利益」が損なわれるのかということだ。自民党内で反対が強いのは②のユニバーサルサービスからの撤退だが、今どき電話線を全国で維持する必要はない。③の安全保障については、そのための規制をすればよい。ソフトバンクのインフラは外資のボーダフォンが所有していたが、それ自体は問題ではない。

結局、①の「国費で作られた局舎・電柱・管路等を活用して構築された光ファイバー網」が独占されるというのが、ほぼ唯一の論点だと思うが、これも無線が主流になった現在では、ほとんど意味がない。それよりNTTが特殊会社として強く規制されていることが、日本の通信業界全体の地盤沈下をまねいている。

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老人医療への「支援金」をやめれば健康保険料は半分に減らせる

岸田政権の政策の特徴は、目的がはっきりせず、場当たり的に財源を求めることだ。少子化対策の財源も、増税ではなく医療保険に上乗せして徴収するという。なぜ少子化対策の財源が医療保険なのか。リスキリング(職業訓練)の予算は雇用保険(失業手当)から支出される予定だ。政府の審議会でも、目的外使用に疑問の声が相次いだという。

こうした政策には、一つだけ一貫した方針がある。それは消費税は上げないということだ。社会保障給付が急速に膨張している状況で、その財源となる消費税の増税から逃げるので、社会保険料の流用が行われるのだ。これは少子化対策が初めてではない。次の図のように後期高齢者の医療給付の40%が、それ以外の保険から流用した後期支援金6.3兆円でまかなわれている。



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キリスト教文明がいつまでも続くとは限らない

ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか (中公選書 142)
私は2007年からFacebookのユーザーだが、初期はほとんど英語で、海外との連絡に使っていた。宗教を選べというので、Atheist(無神論者)というグループに入ったら「なぜあなたは神を信じないのか」という質問がたくさん来て驚いた。

よくきかれたのは「日本人はモラルが高いが、宗教なしでどうやってモラルを維持しているのか」という質問だった。なるほどアメリカ人にとってモラルは教会で教えるものなのかと意外に感じたが、キリスト教だけを「宗教」と考え、それ以外の信仰を「呪術」とか「アニミズム」とか呼ぶのは自民族中心主義である。

本書も人類史の中で宗教を考え、まずこの通念を否定する。家族を超える共同体を維持するためには、他人と協調して暴力を抑制するモラルが必要で、それなしでは肉体的に貧弱な人類が生き残ることはできなかった。それには言語も宗教も必要ではなく、本質的なのは集団の中で同じものを信じる共感(信仰)である。

ホモ・サピエンスの30万年の歴史の中では、一神教はたかだか3000年前に生まれたもので、その1%ぐらいの短い歴史しかない特殊な信仰形態である。ほとんどの信仰に唯一神はなく、教義もない。キリスト教文明が世界を文化的に支配するようになったのも20世紀以降の現象であり、今後もずっと続くとは限らない。宗教はその社会的基盤を失ったからだ。

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徳川の平和を維持した「無頭の合議体」



江戸城にはなぜ天守閣がないのか、という問いの答は簡単である。1657年の明暦の大火で天守閣が焼失したあと、幕府でその対策を指揮した保科正之が天守閣を再建しなかったからだ。その最大の原因は財政難だったが、もっと重要な原因は「徳川の平和」が確立したことだろう。

16世紀までの日本は、各地の大名が分割支配する連邦国家だったので、その領主は大きな城と高い天守閣をつくった。天守閣そのものは単なる展望台で、戦争の役には立たなかったが、その威容が大名の権力と資金力を示した。徳川家は最大の大名だったので、江戸城も大坂城を上回る日本一の高さで、将軍が代替わりするごとに建て替えた。

しかし明暦年間には島原の乱や由比正雪の乱も終わり、徳川家に対抗できる大名はいなくなった。むしろ都市機能が江戸に集中し、江戸城内に全国の大名の江戸屋敷が密集したことが、明暦の大火で10万人もの死者が出た原因だと保科は考えた。彼は城内から大名屋敷を移転させ、過密になっていた江戸の道路を拡幅し、江戸を再開発したのだ。

江戸城は、ヨーロッパ型の主権国家とはまったく違う「国のかたち」を示している。都市国家の戦争の中で強い国が弱い国を併合し、絶対君主が巨大な城郭で権力を誇示するのではなく、徳川家は多くの大名の(バタイユ的にいうと)無頭の合議体で平和を維持した。江戸城はその無頭性を象徴している。

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医療保険の「贈与」の構造をいかに変えるか

医療保険制度の再構築:失われつつある「社会保険としての機能」を取り戻す
社会保障のうち年金については経済学者の研究も多いが、医療については少ない。医療保険がいろいろな制度のパッチワークになっていて、論理がないからだ。特に問題なのは、老人医療の大幅な赤字をサラリーマンが補填する構造が続いていることだ。

次の図のように後期高齢者の給付の9割がそれ以外の保険からの「支援金」でまかなわれているだけでなく、市町村国保の赤字(主として前期高齢者)をサラリーマンの組合健保・協会けんぽが埋めている。結果的に、組合健保の保険料収入の半分が「前期調整額」と「後期支援金」に取られ、組合員への給付には半分しか使われていない。

2022-11-04 (1)
厚労省の資料

健康保険は、もともと19世紀にビスマルクがギルドの相互扶助の制度を支援する形で始めた社会政策で、本来インサイダーの従業員だけのものだった。これを国民すべてに適用しようとすると、富裕層に給付よりはるかに大きな負担が集中するので、アメリカのように皆保険は実現できない。

ところが日本の国保は、岸信介が国民皆保険の理念を打ち出し、未納や免除による赤字を市町村が埋め、その赤字を国が補填する場当たり的な財政運営を続けた。これは相互扶助ではなく、現役世代から老人への一方的な贈与である。それが破綻するきっかけになったのが、1973年の老人医療無料化と1983年の老人保健制度だった。

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超円安を招く日本の「カントリーリスク」

円安が一段と進んで1ドル=151円台になったが、今のところ為替介入はない。財務省もこれが相場とみているのだろうか。昨年10月に1ドル=150円に近づいたときは、日銀のYCCが上限0.25%に張りついたのを投機筋にねらわれたが、今回は日銀も静観している。

この円安には2つの要因がある。一つは金利である。黒田日銀が短期金利のみならず長期金利までゼロに固定する異常な金融政策を10年も続けたため、日米金利差が拡大した。

日米の長期金利(厳密には実質金利)の差が開くと円が下がり、縮まると上がる。今はアメリカの金利上昇がなかなか止まらないため、円安が続いている。



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医療保険の「支援金」って何?

社会保険料にみなさんの関心が高まり、国会でも維新が初めて社会保険料を取り上げました。ところがこども家庭庁は、少子化対策に3.5兆円の支援金を医療保険から出す方針を明らかにしました。加藤鮎子長官はこれを「新しい分かち合いのしくみ」といっています。

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戦争は「共感革命」から生まれた

共感革命: 社交する人類の進化と未来 (河出新書 067)
ハラリの『サピエンス全史』によると、人類は7万年前に「認知革命」という突然変異で言語の能力を獲得してフィクションを信じるようになったというが、そんな証拠は遺伝的にも考古学的にもない。人類の脳は200万年前から大きくなり始め、ホモ・サピエンスが出てくる30万年前には現在の大きさになっていた。

言葉の使用は脳の拡大の結果であり、突然変異で生まれたものではない。むしろ重要なのは、目的を共有して共同作業ができるようになったことだろう。これを山極寿一氏は共感革命と呼んでいるが、それは一挙に起こった革命ではなく、脳が徐々に大きくなって記憶容量が増え、多くの人の顔を覚えられるようになった結果である。

ホモ・サピエンスの脳は霊長類の中では格段に大きく、150人ぐらいの顔を覚えることができる。これによって「共感」する仲間とそれ以外の敵を区別し、共同体を守れるようになった。草原で直立歩行する人類は他の哺乳類にねらわれやすいので、集団で身を守る知能が必要だった。狩猟採集民は強い相手からは逃げ、戦争することはほとんどなかった。

人類最古の戦争の遺跡は、スーダンの砂漠でみつかった1万2000年前の大量の槍などで傷ついた人骨である。戦争は定住社会の現象であり、特に文明や国家の始まった枢軸時代から、戦争の発生率は10倍以上に増えた。それはなぜか。

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