EUはなぜ土壇場で「内燃機関ゼロ」から引き返したのか



欧州連合(EU)のエネルギー担当相理事会が28日に開かれ、2035年以降も内燃機関の新車販売を認める法案を決定した。昨年EU委員会は内燃機関を35年に禁止する方針を決めたが、フォルクスワーゲン(VW)やメルセデスなど自動車大手を抱えるドイツが反対していた。

今回の理事会決定はその妥協で、合成燃料を使う内燃機関車に限って新車販売を認める。合成燃料(e-fuel)はCO2と水素を合成してつくる液体燃料で、現在のエンジンで走ることができる。投入するCO2と排出するCO2の量が同じなのでカーボンニュートラルだが、コストはリッター当たり700円以上で、今のところ実用にならない。

これは逆にいうと、ガソリンでも合成燃料でもエンジンは同じということだ。たとえば2034年12月にEU議会で理事会決定をくつがえし、「合成燃料はバカ高いのでガソリンでもいい」という決定が出ても、自動車メーカーは今と同じエンジンをつくればいい。おそらく主流はハイブリッド(PHVを含む)になるだろう。

4月7日から始まるアゴラ経済塾「グリーン経済学」では、こういう「1かゼロか」という発想を脱却し、快適な環境とは何かという問題を経済学的に考える。

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電波利権を生んだのは占領時代の「正力構想」の挫折だった

日本の電波行政が、いまだに放送に政治的公平を求める一方、電波オークションも行われないなど石器時代のような状況なのは理由がある。それは戦後の占領体制のもとで、米軍支配の一環としてつくられたからだ。

1952年に日本最初のテレビ放送免許を取得したのはNHKではなく、日本テレビである。その社長だった正力松太郎はCIAの工作員であり、ポダムという暗号名をもっていた。彼はGHQを後ろ盾にして通信・放送を支配下に収め、日本をアジアの反共の橋頭堡とする正力構想を実行しようとした。

世界で初めて1928年にテレビを発明したのは日本の高柳健次郎であり、この方式では1チャンネルは7MHzだった。それに対してアメリカのNTSCでは6MHzで、GHQはこれを日本に導入しようとし、郵政省もその方針に従った。NHKは7MHz案を主張したが、占領体制ではNHKに勝ち目はなく、NTSC方式が採用されて国産技術は葬られた。

正力構想は米軍の通信網を使って通信・放送を一つのネットワークに統合する計画だったが、これには電電公社が強く反対し、吉田茂がそれをバックアップしたため、正力構想は挫折した。おかげでテレビには全国ネットワークができす、各県ばらばらの県域免許の放送局を電電公社のマイクロ回線で結ぶ変則的な構造になった。

その結果、地方民放は県域では採算が取れず、在京キー局からもらう電波料という補助金で経営するゆがんだ構造になった。その利権構造を支配したのは、自民党の田中派だった。このように自民党と深く結びつき、今も強い政治力をもつ民放連が電波行政の癌である。

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消費税は「消費者からの預かり金」か?

インボイスをめぐって、また国会で議論があった。今回の論点は、消費税は「預かり金」かという問題である。


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「院政」は公式と非公式の二重構造の始まり

院政とは何だったか (PHP新書)
「院政」は日本独自の制度である。社長が引退したあと「顧問」などの役職で実質的な権限をもつ慣習も、他の国にはみられない。これは歴史的にも重要な意味をもつ。

教科書には、日本の中世は1192年の鎌倉幕府から始まり、公家による支配から武士による支配に移行したと書かれているが、最近の歴史学では、1086年に白河上皇が院政をしいたときが、中世の始まりとされることが多い。

7世紀末に唐から輸入された律令制は公地公民を原則としたが、それと並行して荘園が生まれた。荘園領主の力が強まった10世紀には律令制が崩壊し、国家財政が破綻したので、後三条天皇は1069年に荘園整理令を出し、文書に根拠のない荘園を没収した。これによって逆に文書に根拠のある荘園は公認された。

このとき多くの領主が国の課税をまぬがれるために上皇に荘園を寄進したので、建て前では全国が天皇の公領だが、荘園は上皇や公家の領地(院領)という荘園・公領制が生まれた。このように公式の「国」による支配と非公式の「家」による支配が併存する二重構造は、その後も1467年の応仁の乱まで続く。

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放送規制の「独立行政委員会」は周回遅れ

放送法をめぐる文書で明らかになったのは、総務省がいかに民放に気を使っているかだ。これについて「独立行政委員会で規制すべきだ」とか「日本版FCCが必要だ」という意見がよくあるが、もう周回遅れである。

OECD諸国の中で、通信・放送規制の独立行政委員会がないのは日本だけである。1952年までは電波監理委員会があったが、占領統治の終了とともに郵政省が吸収した。これを復活しようという話は昔からあり、1996年の行政改革会議の中間報告では、郵政省の規制部門を通信放送委員会に分割し、現業部門を郵政公社、産業振興部門を「産業省」に分割する案が発表された。


行革会議の中間答申

これに対して郵政省は逓信族議員を使って巻き返し、その結果、郵政省が丸ごと自治省・総務庁と合併する「総務省」という意味不明の官庁ができた。自治省と郵政省は業務にまったく共通点がないため、庁舎のフロアも別々で人事交流もほとんどない。それが今回のような旧自治省と旧郵政省の縦割り官庁の中の縦割りを生んでいる。

独立行政委員会ができたのは、放送コンテンツを政府が規制することが検閲にあたるためだったが、今では放送コンテンツを規制する法律が、OECD諸国にはほとんどない。BS・CS含めて100チャンネル以上のチャンネルができた現在、すべてのチャンネルに政治的公平を求める意味はないからだ。新聞や雑誌を規制しないのと同じである。

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Winny事件が日本のITイノベーションを殺した

国破れて著作権法あり ~誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか (みらい新書)
映画「Winny」が公開されて話題になっている。本書は著者がアゴラに連載した記事をベースに、Winny事件で日本社会が何を失ったかを考えるものだ。今では知らない人も多いと思うが、Winnyは世界で初めて開発されたP2Pの動画共有ソフトだった。

サーバとクライアントを区別しないで、すべてのコンピュータが同格に情報を共有するP2P(peer to peer)の技術は新しいものではなく、インターネットの設計思想がP2Pだった。これを音楽ファイルの共有に使ったのが1999年にサービス開始したNapsterだったが、これは音楽産業の訴訟で閉鎖に追い込まれた。

その後、2002年に金子勇(東大助手)が開発したP2PソフトウェアがWinnyである。これは動画のような重いファイルをクラスターに分解して多数の端末で共有するソフトウェアで、当初、2ちゃんねるで配布され、一時はネット上のトラフィックの半分以上をWinnyが占める状態になった。

これに対して、日本で訴訟を起こしたのは警察だった。2004年、著作権法違反「幇助」の容疑で京都府警が金子を逮捕し、起訴した。P2Pユーザーが民事訴訟を起こされる事件は世界中で起こっていたが、その開発者を刑事訴追した事件は、これが世界初だった。その影響は大きく、日本のP2P開発は壊滅した。



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マスコミはなぜ「放送法4条を廃止しろ」といわないのか

放送法の解釈についての総務省の調査結果が出た。これが当面の最終報告のようだが、焦点の大臣レクについて前半と後半ではニュアンスが微妙に変わっている。

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21世紀の財政政策

21世紀の財政政策 低金利・高債務下の正しい経済戦略
ブランシャールの新著がさっそく翻訳された。訳者はBlanchard-Tashiroの共著者、田代毅氏。本書は現在のマクロ経済学の世界標準で、日銀の植田新総裁の理論に近い。今後の日銀の方針を考える上でも参考になる。

日本語版への序文では、本書の研究のきっかけは日本の状況を理解することだったと書いている。2000年以降のゼロ金利は、当初は不良債権処理にともなう特殊な現象と思われたが、2008年以降は世界全体の現象になった。

その最大の原因は、慢性的な需要不足で中立金利が実質成長率を下回る傾向が定着したためだ。これは資本収益率が低下したことを示しており、民間投資を公的投資で置き換える機会費用が小さくなった。財政破綻が近づいているという懸念は妥当なものではなく、現在の日本にはプライマリーバランスの赤字が必要だ。

民間投資を補完する公的投資として有力なのは土木型の公共事業ではなく、社会保障の拡大である。これは非正規労働者の需要を拡大して、需要不足を補う。地球温暖化を防ぐ「グリーン投資」も有力な公的投資の対象だというが、日銀は3%のインフレ目標を設定すべきだという提言はよくわからない。続きを読む

小西洋之議員の国家公務員法違反について

連日ネット上で各方面から批判を浴びている小西洋之議員が、とうとう逆切れしたようだ。


いろいろ誤解があるようなので、とり急ぎ一般論で国家公務員法の問題を解説しておこう。

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50年前の「環境危機」と「脱成長」

成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポート
IPCCの第6次評価報告書の統合報告書が発表された。中身は一昨年から3回にわけて発表されたものだが、50年前にも同じような報告書が出たのを覚えている人は少ないだろう。それは「ローマクラブ」という国際的なNPOが1972年に出した報告書で、その主な予言は次のようなものだった。
  1. 世界の人口、工業化、環境汚染、食糧生産、資源の枯渇における現在の増加傾向が変わらない場合、この惑星の成長は、今後100年以内に限界に達する。最も可能性の高い結果は、人口と産業能力の急激で制御不能な減少である。
  2. これらの成長傾向を変えることは可能であり、将来にわたって持続可能な生態学的および経済的安定の条件を確立することは可能である。
  3. グローバルな均衡状態は、地球上の各人の基本的な物質的ニーズが満たされ、各人が個々の人間の可能性を実現する平等な機会を持つことである。

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『成長の限界』のシミュレーション

世界経済の成長経路は、コンピュータ・シミュレーションで上のように予測されていた。注目されたのは、資源の埋蔵量である。『成長の限界』によると、それが枯渇するまでの時間は

 ・石油:50年
 ・金:29年
 ・銅:64年
 ・鉄鉱石:173年

とりわけ「石油があと50年で枯渇する」という予測は世界に衝撃を与え、「ゼロ成長」が流行語になった。いま一部の人が提唱している「脱成長」は、50年前に提唱されていたのだが、その結果はどうなったのだろうか。

4月からのアゴラ経済塾「グリーン経済学への招待」では、こういう問題を経済学的に考えたい。

続きは3月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
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