資源インフレがやってくる:積極財政はやめて総需要を抑制すべき

イラン戦争でホルムズ海峡が閉鎖され、日本の輸入する原油の9割が止まる。LNGは1割だが、どちらも国際価格は2割近く上がり、ウクライナ戦争のときのような資源インフレが起こることは確実だ。ドル円も157円台になった。



高市政権の積極財政も野党の減税要求も、インフレを加速するだけ。財政・金融政策を転換し、総需要を抑制するときだ。

高市首相の「円安課税」で大企業の株主以外の国民は貧しくなる

政府は日銀の審議委員に「リフレ派」といわれる2人を提示したが、このうち浅田統一郎氏はリフレというよりMMTで、藤井聡氏と一緒に動画に出ている。

もう一人の佐藤綾野氏は無名だが、彼女の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」での講演(2023年2月)は、高市首相のよく使うフレーズが出てくるので興味深い。



全体としては、15年前のリフレ派の話を聞いている感じだ。佐藤氏の主張は図1に要約されるが、これを2023年に描いているのは唖然とする。


図1(佐藤綾野氏)

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消費減税のアリバイづくりの「国民会議」なんていらない

高市政権のつくる予定の「社会保障と税の国民会議」への参加に、野党が難色を示している。これは少数与党だった石破政権が超党派で給付つき税額控除をやるために設置しようとしたものだが、高市政権は衆議院の2/3を取ったので、こんなものは必要ない。

大人になれないまま死んでゆく団塊左翼の老人たち

今回の選挙を「リベラルの敗北」などと言う人がいるが、これはお門違いである。立民も中道も本来の意味でのリベラルとは無関係な、戦後日本の特殊な左翼集団に過ぎない。今どきこんな恥ずかしいポスターを出すセンスは信じがたい。



リベラルという言葉は、18世紀のイギリスでバークやヒュームが唱えた古典的自由主義の思想だが、ルーズベルト以降のアメリカで誤用され、「大きな政府」の代名詞になった。

日本では社会主義という言葉のイメージが悪くなった社会党が、リベラルという言葉を使い始めた。「憲法9条を守れ」という空想的平和主義はリベラルと無関係だが、団塊の世代が子供のころ教わった素朴な正義感と一致したからだ。

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墓場からよみがえった「戦後リベラル」のゾンビが成仏した

戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか (PHP新書)
今回の総選挙は、自民圧勝というより中道改革の惨敗だった。しかも公明党は議席を増やしたのに、立民党は1/3以下に減る空前の惨敗だった。これを見ていろいろな論評があるが、私が思い出したのは2015年に書いた『戦後リベラルの終焉』という本である。

これは慰安婦問題で朝日新聞の社長が辞任したとき書いた本で、朝日のように社会主義と一国平和主義を混ぜた日本型の戦後リベラルが死んだという趣旨だったが、この死亡宣告は早すぎた。朝日新聞はこの年に安保法制反対の大キャンペーンを張り、死んだと思われた戦後リベラルのゾンビが墓場から復活したからだ。


Sora 2


これはそれまで右傾化していた朝日の論調を逆転させるもので、社内でも驚きをもって受け止める向きが多かったが、長谷部恭男氏などの左翼知識人が結集し、シールズなどの団体が現れ、60年安保のような盛り上がりを見せた。

しかし選挙では反安保勢力の票は伸びず、安倍政権は安泰だった。安保反対運動は活動家の「ガス抜き」で、大衆の支持はなかったのだ。このような護憲左派が、民進党のアキレス腱だった。彼らを切ると党が分裂するので、彼らを少数派に追い込むために、前原代表は小池百合子氏の希望の党と合併しようとした。

ところが小池氏が「左派を排除する」という意図を公言したため、排除を恐れた枝野幸男氏などの左派が立憲民主党をつくった。これは当初は枝野氏ひとりの党だったが、左派の活動家を集め、希望の党を逆転してしまった。これが成功体験となり、ゾンビだった戦後リベラルはまた復活したのだ。

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自民党圧勝で「トランプ高市」の超バラマキ財政が始まる



各社の世論調査では、自民党が300議席に迫る圧勝の勢いだ。その最大の原因は中道改革の迷走と国民民主の自爆テロだが、高市首相は自分に対する支持だと受け止めて自信を深め、積極財政をさらに進めるだろう。

佐賀県の演説で、高市首相はこう続ける:
積極財政なんかやってたら経済がおかしくなる。そんなことをおっしゃる学者もいるけれども、そうじゃない。経済のパイを大きくしなかったら、何もできないですよね。今この縮み志向を打ち破る、そのためのチャレンジ。必ずそれは税収になって戻ってきますよ。

つまり積極財政に対する批判は「私をつぶしたい人」の陰謀で、聞く気がないというのだ。ではだれのいうことを聞くのか。「外為特会ウハウハ」と言った高橋洋一氏などネトウヨ・リフレ派の話だ。

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日本政府は巨大なSWF:「円安でホクホク」だが、金利が上がると破綻する

長期金利が上がり、財政危機論がまた盛り上がってきた。日本の政府債務は純債務ベースでみても名目GDPの130%と先進国で突出して大きい。普通ならトルコやアルゼンチンのようになっても不思議ではないが、日本国債の金利は今まで低く、財政危機も起こらなかった。

これは海外の財政学者にとっても謎だった。"Japan's Debt Puzzle"はこの謎を統合政府の資産に着目して解く。日本の財政が危ないはずなのに持ちこたえているのは、政府が600兆円以上の借金で運用する世界最大の政府系ファンド(SWF)で「意図せざる資産形成」をしてきたからだ。



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私のバブル戦後史(4) イトマン事件と「裏社会」の闇

1990年5月14日、大蔵省銀行局の土田正顕局長に、1通の手紙が届いた。「拝啓 土田銀行局長様 私共は伊藤萬の従業員であります」で始まるその手紙には「伊藤萬が6000億円の不良債権を抱えている」という驚くべき数字とその内訳が書かれており、大蔵省も「怪文書ではない」と考えていた。

これは明らかに普通の従業員が書いたものではなく、役員クラスの情報だった。筆者が何者かはわからなかったが、その後の事態の展開でこの告発は正しいことが証明された。最終的に住友銀行がイトマン(最終的には住金物産)に対して放棄した債権は約3000億円だったので、不良債権の半分が闇に消えたことになる。

住友銀行秘史
國重惇史
講談社
2016-10-06


世界のバンカー磯田一郎を籠絡した組織暴力

1990年3月の3業種規制(不動産融資の総量規制)は不動産・建設・ノンバンクの3業種が対象だったが、そこには商社がなかった。このため大阪の中堅商社イトマンが住銀の迂回融資に利用された。それ自体はどこの銀行にもあったが、イトマンの特異な点は、組織暴力とのつながりが噂されたことだった。

住銀の会長は磯田一郎。かつては時価総額世界第3位の住銀の会長として「バンカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた名経営者だが、大阪を本店とする住銀を全国銀行にしたいという野心から、ハイリスクの事業に手を染めた。

その最初は1985年の平和相互銀行の買収だった。関東に支店網を広げたかった磯田はイトマンの河村良彦社長を使って川崎定徳の佐藤茂に迂回融資し、400億円で創業家のもっていた株を買い取らせたのだ。

佐藤は小指がないことで知られていたので、これはきわどい勝負だったが、結果的には佐藤は約束を守り、住銀は平和相互の買収に成功した。その経営は乱脈だったが、多くの支店が駅前の一等地に建っていたので、不動産を売却して最終的にはプラスになった。

日本社会では借地借家法と司法の制約で法的な所有権の移転がむずかしいので、不動産では地上げ屋で暴力団が稼ぎ、株式では仕手筋のような形で組織暴力団がからんだ。このため銀行が不動産融資で業績を上げるためには(直接・間接に)組織暴力とのつながりが避けられなかったのだ。

この事件で裏社会を使ってもうけたことは、磯田にとって悪しき成功体験になった。彼の威光はますます高まり、その「向こう傷は問わない」経営は、バブル期のモデルになって世界から絶賛された。

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円安でグローバル企業はホクホクだが、国民は貧しくなる

高市首相の「円安で外為特会はホクホク」という発言が大きな反響を呼んでいる。その後、本人が「一部報道機関で誤解がある」と言い訳したが、これは誤解ではない。彼女は明らかに「円安は望ましい」と発言したのだ。日経がその全文を紹介している。

問題は「ホクホク」の部分ではなく、彼女がいつもいう「為替変動に強い経済」にある。
国内投資がとことん低い。だからよその国は今もう何をしているかって言ったら、海外に投資してるんじゃなくて、自分の国内に投資をする。自分の国内で工場をつくる。自分の国内で研究開発拠点をつくる。だから、自分の国内で投資をしているんです。ここは日本は弱かった。ガラッと変えようとしてます。高市内閣で。だって為替変動にも強い経済構造をつくれるではないですか。国内でつくるんだから

国内投資が低いことは事実だが、それは為替レートのせいではない。高市氏もいうように民主党政権で円高になったとき貿易収支は赤字になったが、安倍政権で円安になっても貿易赤字は続いたのだ。円安にして国内投資を増やそうという高市氏の目的は間違っている。

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「衰退国の先輩」イギリスに学ぶ(アーカイブ記事)

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)
総選挙では各党が声をそろえるのは「成長戦略」だが、その具体的な中身は何もない。半導体やAIに政府がカネをばらまいても成長できるわけではない。もちろん成長はしたほうがいいが、政府投資で潜在成長率を上げることはできないのだ。

イギリスで「産業革命」が起こったとか「産業資本主義」で成長したとかいう常識は、最近の経済史では葬られている。大英帝国のエンジンは産業革命でも綿工業でもなく、北米のプランテーションと奴隷貿易だった。本国の何十倍もの面積をもつアメリカ大陸を経済圏に入れ、そこから砂糖やタバコなどの一次産品を輸入してアフリカに売り、北米に奴隷を輸出する三角貿易が最大のビジネスだった。

この商業革命で上げた巨額の利潤が資本主義を生んだ。産業革命が大英帝国を生んだのではなく、その逆なのだ。その中心となったジェントルマンは産業資本家のように勤勉ではなく、合理的な「ホモ・エコノミクス」でもなかった。しかし彼らが採算を度外視してつくった道路や鉄道などのインフラが産業の基礎になり、彼らのコーヒーハウスが王立科学協会に発展して近代科学を生んだのだ。

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