「衰退国の先輩」イギリスに学ぶ(アーカイブ記事)

イギリス 繁栄のあとさき (講談社学術文庫)
総選挙では各党が声をそろえるのは「成長戦略」だが、その具体的な中身は何もない。半導体やAIに政府がカネをばらまいても成長できるわけではない。もちろん成長はしたほうがいいが、政府投資で潜在成長率を上げることはできないのだ。

イギリスで「産業革命」が起こったとか「産業資本主義」で成長したとかいう常識は、最近の経済史では葬られている。大英帝国のエンジンは産業革命でも綿工業でもなく、北米のプランテーションと奴隷貿易だった。本国の何十倍もの面積をもつアメリカ大陸を経済圏に入れ、そこから砂糖やタバコなどの一次産品を輸入してアフリカに売り、北米に奴隷を輸出する三角貿易が最大のビジネスだった。

この商業革命で上げた巨額の利潤が資本主義を生んだ。産業革命が大英帝国を生んだのではなく、その逆なのだ。その中心となったジェントルマンは産業資本家のように勤勉ではなく、合理的な「ホモ・エコノミクス」でもなかった。しかし彼らが採算を度外視してつくった道路や鉄道などのインフラが産業の基礎になり、彼らのコーヒーハウスが王立科学協会に発展して近代科学を生んだのだ。

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右も左も溶解して「中道」とバラマキの総選挙

解散・総選挙が始まりました。中道改革連合という新党が突然できて食料品の消費税ゼロという政策を掲げ、これに対して高市政権も食料品消費税ゼロを掲げる減税ポピュリズムの泥仕合になっています。

ただ戦後ながく野党統一の障害になっていた社会党以来の「護憲左派」が中道改革に集まり、バラバラだった野党がまとまるようにみえるのはいい傾向です。しかしここに国民民主党が割り込んで、わからなくなりました。



GPIFの年金積立金を消費減税の財源に流用できるのか?

中道改革連合が食料品消費税をゼロに下げる財源として提案しているのが、政府系の資金を一体運用するジャパン・ファンドですが、これは何でしょうか。

Q. 「ジャパン・ファンド」とは何ですか?

中道改革連合が提唱している日本版政府系ファンド(SWF)の構想です。政府や政府関係機関が保有する公的資産を一元的・戦略的に運用し、その運用益を政策財源として活用する仕組みをつくるというアイデアです。(公明党)



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与野党は消費減税案をただちに撤回せよ

国債バブルの暴落が始まった。長期金利が急上昇し、きょう未明の段階で10年物国債が2.38%と27年ぶりの水準となり、40年物は4.215%と過去最高を記録した。



ベッセント財務長官は「日本国債の暴落が世界の市場を混乱させている」と日本の与野党が金利上昇局面で減税案を出していることを批判した。

この原因は中道改革が食料品の消費税ゼロを打ち出し、それに対抗して高市首相も衆議院解散の記者会見で、食料品の消費税ゼロを打ち出したことだ。



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私のバブル戦後史(2)

1980年代後半に起こった不動産バブルは、必然的な出来事ではなかった。それは信じられないほど多くの判断の誤りが複合した競合脱線だった。その原因は当時、渦中にいた企業にも行政にも、取材した私にもわからなかったが、あえて結果論で整理してみよう。


バブルはレーガン政権の放漫財政から始まった

私が日米通商問題の取材班に入ったのは1985年の初めだった。アメリカから「製品輸入の拡大」などの要求がつきつけられたのだが、最初は「貿易摩擦」とは何のことかわからなかった。確かに日本の貿易黒字は大きかったが、それは日本の自動車や電機製品が海外で売れているからで、不公正な貿易をしているわけではなかったからだ。

しかしアメリカにとっては違った。当時はレーガン政権がいわゆるレーガノミックスを打ち出した時期だった。これはイギリスのサッチャー政権のまねで「小さな政府」の政策だったが、レーガンにはその論理がよくわからなかったので、富裕層向けの大減税とともに軍備拡張をやった。

これは小さな政府どころか莫大な財政赤字をもたらし、長期金利が上がった。しかも当時インフレを沈静化するため、FRB(連邦準備制度理事会)のボルカー議長が政策金利(FF金利)を最高20%まで上げる超高金利だったため、世界中からアメリカに資金が流入し、1ドル=250円まで上がった。これは購買力平価(PPP)をはるかに上回るレートだった。

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この財政と貿易の双子の赤字のおかげで中西部の製造業は競争力を失って不況になり、「ラストベルト」(さびついた工業地帯)と呼ばれるようになった。この原因はレーガン政権の放漫財政だったので、それを軌道修正すべきだったが、どこの国でも減税は容易だが歳出カットはきらわれる。

こうした国内の不満を外に向けるため、レーガン政権は日本を非難のターゲットにした。日本の工業製品の関税はほぼゼロだったが、アメリカ製品が売れないのは「不公正貿易」のためだと難癖をつけ、下院議員が東芝のラジカセを議会の前で壊すジャパン・バッシングのパフォーマンスをやった。

貿易摩擦はこのようにアメリカの国内問題を日本の「不公正貿易」にすり替えたものだったが、その最大の焦点は為替レートだった。貿易収支が為替レートで決まるというのは錯覚で、円高になった後も日本の貿易黒字は減らなかったが、当時は日本も円高に協力し、円高に誘導しようと考えたのだ。

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「中道改革連合」は希望の党のように分裂してグチャグチャになる

立民党と公明党が合併してできる「中道改革連合」は、2017年の「希望の党」の騒ぎとよく似ている。また立民左派が分裂して、バラバラになるんじゃないか。



インフレで金利が急上昇しているときに「消費減税」を掲げて選挙を戦う政治家の知能はどうなってるんだ。

政府の「下請け」になった日銀はいらない

ECB(欧州中央銀行)などの中央銀行総裁とBIS(国際決済銀行)が、トランプ大統領のパウエルFRB議長に対する刑事捜査に抗議する共同声明を出したが、16人の署名の中に日銀の植田総裁は含まれていない。

当然、日銀にも事前に連絡があったと思われるが、日銀広報は「他国の中央銀行などの対応についてコメントすることは差し控える」と述べただけだ。これは共同声明を出すまでの時間が短く、政府との調整が間に合わなかったためといわれる。

しかし日銀は日銀法で独立性が保障されているのだから、政府が「署名するな」と言ったとしても、植田総裁の判断で署名できるはずだ。これは植田氏が高市首相に(あるいはトランプ大統領に)忖度して署名しなかったと考えるしかない。

これまでも日銀の金融政策については"behind the curve"だという批判が多かったが、それは政府の許可を得ないと利上げできないからだ。これは日銀関係者はだれでも知っている公然の秘密である。今でも日銀に独立性はないのだ。

「国債バブル」が崩壊すると550兆円が吹っ飛ぶ

今週からnoteで週刊池田信夫という連載をスタートした(メルマガも同じ内容)。その一つの動機は、今の状況が1990年代の初めと似ているからだ。



共通点は、バブルが崩壊し始めてからも人々はしばらくそれに気づかないということだ。バブルの象徴といわれるジュリアナ東京が開業したのは1991年5月。株価はピークから3割ぐらい下がっていたが、公示地価はまだピークのままだった(図1)。


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それが循環的な景気後退ではなく、バブル崩壊だと認識されたのは、1992年に公示地価が下がり始めてからだ。この年の11月に、私は「追跡・不良債権12兆円」というNHKスペシャルをつくったが、当時は不良債権という言葉さえ知られていなかった。

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私のバブル戦後史(1)

今週からブログとnoteのメンバーシップに共通の記事を毎週月曜に連載する。時事的な話題は今まで通りアゴラに書くが、こっちでは私の個人史をシリーズで書いてみたい。

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この歳になると人生を振り返ってみたい気分になるが、「私の履歴書」なんて誰も興味ないと思うので、私の人生の折り返し点だった1990年以降の歴史を一人称で書いてみる。あれが戦後日本の分岐点でもあったからだ。

バブルは戦争体験のようなものである。後から「あれは愚かだった」というのは誰でもいえるが、その最中に「これはバブルだ」といった人はいなかった。いま高市政権で「国債バブル」が崩壊し始めているが、それを同時代に経験した感覚を思い出し、2度と同じ過ちをおかさないようにする必要がある。

西新宿を「焼け跡」にした地上げ屋

不動産バブルの始まりは、いま思えば1985年9月のプラザ合意だったが、当時は誰も気づかなかった。私はNHKの「ニュースセンター9時」の経済班にいたが、最初にそういう番組をつくったのは「神田から古本屋がなくなる」という企画ニュースだった。

神田神保町の古本屋街には老舗が多かったが、1985年ごろから廃業する店が急に増えたのだ。事情を聞いてみると地上げ屋というこわい業者が出没しているという。

地価上昇はその前から始まっていたが、1985年に金融緩和が始まったころから、東京の都心に地上げ屋が急に増えた。当時は「底地買い」と「地上げ」は別で、底地は大地主が一括して所有しているケースが多く、大手ゼネコンなどがビル建設のために一括して買収交渉したが、厄介なのはその土地に住んでいる借家人だった。

借地借家法では借家人の権利が強いので、底地を買収しても借家人を立ち退かせることができず、多額の補償金を要求される。最悪の場合は、用地買収額の7割を借家人が取る場合もあった。これが出て行かないと、底地だけ買ってもビルが建設できない。

そこで借家人を追い出すのが地上げ屋である。これは不動産の仲介業者ではなく、その委託を受けて借家人を追い出す業者で、元請けの名前は明かさなかった。大手不動産業者だとわかると、足元を見られて高値を吹っかけられるからだ。

地上げ屋には、今でいう反社が多かったが、暴力で追い出すと警察が来るので、暴力以外のあらゆる手段を使って借家人を追い出す。よくあるのは家の前に生ゴミや排泄物などを毎日置くいやがらせだった。家の前で右翼の街宣車が1日中がなり立てることもあった。借家人が根負けして出て行くまでいやがらせをした。

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再開発前の西新宿6丁目

地上げ屋が猛威をふるったのは、西新宿6丁目だった。都庁が西新宿に移転したあと再開発が進んだが、ビルの谷間に平屋の木造家屋が密集し、権利関係が複雑で用地買収が進んでいなかった。そこに目をつけた地上げ屋が、最上恒産の早坂太吉である。

早坂は同和問題をネタにして不動産でもうける「エセ同和」の大物、尾崎清光の子分だったが、分け前をめぐって喧嘩別れした後、尾崎は入院中の病院で殺害された。早坂は警察の取り調べを受けたが不起訴となり、事件は迷宮入りになった。

この事件を早坂は「おれは殺しの容疑で逮捕された男だ」と借家人を脅す殺し文句に使った。最初は早坂が借家人を脅して追い出し、細切れの土地を集めて地主に渡す。その資金源は第一相互銀行で、資金源はフジタ工業だった。売却額は470億円で、最上恒産は186億円の利益を得て、1986年の申告所得は前年度の380倍になって業界を驚かせた。

しかし早坂は所得税法違反で逮捕され、1993年に最上恒産は倒産。早坂が地上げした土地は空き地のままになり、焼け跡のような状態になった。その後も再開発は続けられ、バブルの遺産が消えたのは2010年代に入ってからである。

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アベノミクスの不発弾「国債バブル」をいかに処理するか

きょうからアゴラセミナー「日本病のカルテ」が始まる(申し込みはまだ受け付け中)。これは1990年代以降の日本経済の失敗を踏まえて経済政策や資産運用を考えようというものだが、最近の状況を見ると90年代初期の思い出がよみがえる。



特に不気味なのは金利上昇である。国際価格はこの5年で15%下がり、特に40年債は半値以下になった。国債バブルの崩壊が始まったと言ってもよい(図1)。これは必ずしも悪いことではないが、問題はそれがゆるやかに正常化するかどうかである。



図1 40年物国債の金利と価格(服部孝洋氏)

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