インフレ目標は廃止して金融調節は「中立金利」で

立憲民主党の政権政策の中で、多くの人を驚かせたのが、物価目標0%超である。これは本文の中に小さな字でこう書かれている。
日銀の物価安定目標を「2%」から「0%超」に変更するとともに、政府・日銀の共同目標として、「実質賃金の上昇」を掲げます。
それほど大事な話だとは思わなかったのだろうが、これはアベノミクスの憲法ともいうべき2%のインフレ目標を改正する大きな変化である。もし石破政権が過半数を割ると、これが政策協議の対象になるかもしれない。だがその説明は支離滅裂である。

続きはアゴラ

ディープラーニング革命(アーカイブ記事)

ディープラーニング革命
今年のノーベル物理学賞は、ジョン・ホップフィールドとジェフリー・ヒントンが受賞することになった。ホップフィールドより20年早く同じ理論を発表していた甘利俊一氏が受賞しなかったのはおかしい。

1980年代にニュートン的合理性で人間の知性を再現する人工知能は失敗し、ダーウィン的なニューラルネットが始まった(著者はそのパイオニアである)。これも最初はだめだったが、インターネットの「ビッグデータ」が使えるようになった2000年代から急成長した。

ディープラーニングは、それまでコンピュータが手も足も出なかった画像や音声のパターン認識を可能にした。こういう「機械学習」はテクノロジーとしては有望である。それが「人工知能」になる見通しは今のところないが、その可能性はゼロではない。

かつて生命という複雑な現象が単純な分子構造で表現できると思った人はいなかったが、その予想は1953年にDNAの発見でくつがえされた。もし人間の脳の機能を完全に再現できる学習アルゴリズムが発見されたら、すべての科学が計算機科学を中心に再編成されるかもしれない。続きを読む

「ジョブ型雇用」というナンセンスな概念が雇用問題を混乱させる

ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書 新赤版 1894)
雇用改革の話をすると、よく出てくるのが「それはジョブ型雇用の話ですか」という質問だ。これは英語に訳すとjob employmentで、英米人には何のことかわからないだろう。こんな変な概念を使うことが混乱の原因だ。その発案者が著者で、ジョブ型の対義語はメンバーシップ型だというが、これは対義語になっていない。

メンバーシップ(長期的関係)という言葉を最初に使ったのは私の『情報通信革命と日本企業』だが、そこではこの対義語はオーナーシップ、つまり資本の所有権にもとづく契約である。民法では契約自由の原則によって、労使のどちらかが解約すれば雇用契約は終了する。

民法627条 当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。 この場合において、雇用は、解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了する

日本でも、解雇は原則として自由なのだ。これを著者は「ジョブ型」だというが、そんなことはどこにも書いてない。これは契約ベースの雇用であり、日本的な長期的関係を前提としていない。

ここでは資本家と労働者は対等だが、資本の所有権は資本家にあるので、契約が終了すると労働者は職を失う。このオーナーシップの非対称性によって資本家は労働者に命令できるが、労働者の生活は不安定になる。それを救済するため労働基準法の改正で解雇ルールを法制化しようとした。

ところが労使とも改正に反対したため、2003年にその例外となる解雇権濫用法理だけが法制化された。その後も解雇ルールは整理解雇の4要件という判例のまま、今日に至っている。これが自民党総裁選で小泉進次郎氏が勘違いした「解雇規制」である。

続きはアゴラサロンでどうぞ(初月無料)

維新も国民民主も「石破ポピュリズム」を後追いするのか

石破首相の所信表明演説は、無残なものだった。総裁選で彼が主張していた筋論はきれいさっぱりなくなり、選挙目当ての老人ポピュリズムのオンパレードだ。



ではそれに対する野党はどうか。いつもなら野党の公約なんてどうでもいいが、今回は石破内閣がグダグダなので、自公で過半数を割る可能性も出てきた。その場合は維新か国民民主が連立の相手になり、彼らの政策が反映される可能性がある。

続きはアゴラ

『日本改造計画』は今も新しい

9784062064828_wアゴラの記事で取り上げた『日本改造計画』をアマゾンで検索したら、なんと古本にもない(リンク先は楽天)。かつて100万部以上も売れたベストセラーだが、著者があれほど変わり果てたら、ただの古文書だと思う人が多いのだろう。

しかし内容は今も新しい。その提案がほとんど実現していないからだ。有名なのは、序文のグランドキャニオンについてのエピソードである。
国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。

大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。
本書は彼が自民党の幹事長だったころから2年にわたって行われた研究会の成果だが、発行されたのは1993年5月だったので、細川政権のマニフェストと受け取られた。彼が書いたのは序文だけで、あとは政治学者や経済学者の分担執筆だった。その目次は次のようなものだ。

第1部 いま、政治の改革を

首相官邸の機能を強化
 補佐官制度を導入

与党と内閣の一体化
 160人の議員が政府に(政務三役)

小選挙区制の実現
 政党による政策の選挙
 議員は国会で国会の仕事を

全国を300の「市」に
 身近なことはすべて地方で
 権限も財源も移す

第2部 普通の国になれ

平和創出戦略への転換
 自衛隊を再編成する

国連中心主義の実践
 核の国連管理
 国連待機軍をつくれ

保護主義のワナから救え
 「世界貿易機構」をつくる

「アジア・太平洋閣僚会議」の常設
 十万人留学生の受け入れ
 外国人労働者の技能研修制度の整備

第3部 5つの自由を

東京からの自由
 遷都のすすめ

企業からの自由
 所得税・住民税を半分に
 消費税は10%に

長時間労働からの自由
 1800時間を実現するために

年齢と性別からの自由
 高齢者の職場参加を進める

規制からの自由
 管理型行政からルール型行政へ

続きはアゴラサロンでどうぞ(初月無料)

石破茂氏と高市早苗氏:「裏切り者」の失われた31年

首相になった石破茂氏と自民党総裁選で惜敗した高市早苗氏には共通点がある。1993年の政権交代で、自民党を離党して与党に移ったことだ。

石破氏は細川内閣ができたあと新生党に入党し、高市氏は「柿沢自由党」に入党して与党の一員となったが、いずれも新進党時代に離党して自民党に戻った。こういう「裏切り者」が首相になったのは、自民党の歴史始まって以来の出来事である。



続きはアゴラ

日本の伝統を「間柄」に見出した和辻哲郎の倫理学

和辻哲郎 (ちくま学芸文庫 ユ 2-1)
日本の保守の不幸は、守るべき伝統がはっきりしないことだ。高市早苗氏や百田尚樹氏などの主張する皇国史観は明治時代に偽造された伝統であり、万世一系も男系の皇統も明治政府の儒教的プロパガンダである。

では本来の日本の伝統とは何か。和辻哲郎はその原型を古事記の「神」に求めた。神といっても一神教のように超越的な存在ではなくローカルな共同体の信仰で、多くの共同体を束ねるシャーマンが天皇の原型だった。

こういう理解は本居宣長から受け継いだものだが、和辻はデュルケームなどの人類学の成果を踏まえ、日本の素朴な神こそ世界の未開社会に普遍的で、西洋の個人主義がキリスト教から生まれた特殊な倫理だという。しかしそういうローカルな土着信仰で国家を維持することはできない。

1000年以上にわたって権力のない天皇を支えたものは何だったのか。それは和辻の言葉でいうと、間柄を大事にする日本文化である。漢字の「人間」という言葉の本来の意味は個人ではなく、親族や地域などの「世間」を意味する。そういう人間の長期的関係を大事にするのが日本文化の特長である。

そこまではよかったのだが、戦時中に和辻はこの神をヘーゲルの絶対精神のような「日本精神」に昇格させ、それが白人の世界支配に対抗する「アジアの民族精神」になると論じた。このため戦後、軍部に協力したとして公職追放される一歩手前になった。

続きはアゴラサロンでどうぞ(初月無料)

戦後の「反抗期」から成熟できない日本の保守派

増補 靖国史観 ――日本思想を読みなおす (ちくま学芸文庫)
今回の自民党総裁選では、高市早苗氏が靖国神社参拝の話を持ち出したことが敗因の一つだろう。首相がそんなことをしたら日米関係も日中関係もめちゃくちゃになるが、靖国神社はそこまでして守る伝統ではない。

その始まりは1862年に東京招魂社で行なわれた安政の大獄の慰霊行事だった。日本の伝統には、戦死者が神になるという信仰はない。「英霊」の概念は朱子学をもとにして藤田東湖のつくったもので、これに明治政府のつくった皇国史観を接合したのが靖国神社である。

戦後の日本をだめにした責任の一部は平和ボケの左翼にあるが、それに対抗する右翼のイデオロギーが皇国史観しかないため、男系天皇とか夫婦同姓など男尊女卑の家父長制が政治的スローガンになり、まともな論争が成立しない。

その原因は右翼の原体験が、終戦直後アメリカに憲法を押しつけられたトラウマにあるからだ。それは保守ではなく東京裁判史観への反抗だった。江藤淳がGHQの検閲を指摘し、『南京大虐殺のまぼろし』など東京裁判を批判する本が出たのは、1970年代である。保守派の反抗期は、戦後30年もたってから始まったのだ。

それは「歴史修正主義」として批判を浴びたが、大論争になったのは1990年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が始まってからだ。これは東京裁判史観を脱却して「国民の物語」をつくる試みだったが、保守には東京裁判に対抗できる物語がなかったので内紛が起こり、消えてしまった。

最近の高市氏や百田氏のような劣化右翼は、また皇国史観という偽の物語に回帰している。日本の保守派は、反抗期から永遠に成熟できないのだろうか。

続きはアゴラサロンでどうぞ(初月無料)

アジア版NATOって何?

あすの国会で石破自民党総裁が首相に指名されます。彼の持論はアジア版NATOですが、その意味がよくわからないと話題になっています。

Q. NATOって何ですか?

北大西洋条約機構という軍事同盟で、1949年にソ連との核戦争を想定してつくられました。加盟国は32ヶ国です。

Q. そのアジア版とはどういう意味ですか?

今アジアには日米安保条約のように2ヶ国間の条約しかありませんが、それを韓国や台湾などとの多国間の同盟にして、台湾有事などに備えようという話です。

続きはアゴラ

高市早苗氏の主張する皇国史観は軍部の「死ぬ理由」だった

昭和の精神史 (講談社学術文庫 696)
今回の自民党総裁選挙で慶賀すべき出来事は、高市早苗氏の敗北である。「一つの血統で126代も続いた皇室は日本にしかない宝物だ」という彼女の皇国史観は古来の伝統ではなく、明治時代に井上毅のでっち上げたプロパガンダである。

なぜ井上はそんな伝統を創作したのか。国民を戦争に動員するためだ。人は損得計算で死ぬことはできない。生命を失うことより大きな損はないのだから、死におもむくためには、個人の生命より重い超越的な価値を信じる必要がある。そこで井上が創作したのが天皇制という宗教だった。

井上は憲法で「万世一系の天皇」をでっち上げ、双系だった天皇家を「男系の皇統」にし、内閣や軍を統括する天皇親政の国制を決めた。国民を「天皇のために死ぬ」と教育するために教育勅語をつくり、兵士が天皇に命をささげるために軍人勅諭を書いた。これは江戸時代までのシンボリックな天皇とはまったく違う創作だったが、その効果はてきめんだった。

竹山道雄は1930年代のクーデタを現場で見た世代だが、普通の人は天皇を崇拝していたわけではなく、軍部はきらわれていたという。ところが青年将校は天皇機関説を排撃して「君側の奸」を殺し、天皇親政を実現しようとした。それは天皇こそ彼らが戦場で命を捨てる理由だったからだ。

続きは9月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)


スクリーンショット 2021-06-09 172303
記事検索
Twitter
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ