イスラエルとアメリカがイランを攻撃し、新たな中東戦争が始まろうとしている。思えば1978年のイラン革命は、世界のグローバル化=西洋化の転換点だった。イランでもパーレビ国王が西洋化を進め、井筒俊彦は王立研究所でイスラムの文献を収集・刊行していたが、革命に遭遇して日本に帰国し、日本語の著作を書き始めた。
彼の目的は欧米中心のグローバル化を超える普遍的な知の探求だった。イスラム神秘主義から大乗仏教や老荘思想まで横断する「東洋思想」の中心概念は、言語アラヤ識である。これは唯識派の阿頼耶識に由来するが、アプリオリな概念ではなく、コトバから生まれる経験的知識である。
コトバは狭い意味の分節言語だけではなく、イマージュを含む。言語アラヤ識が分節化した言語やイマージュの要素を、井筒は(唯識にならって)「種子」と呼んだ。われわれが見ている世界は種子の集合体で、コトバは「本質」から生み出されるように見えるが、それはプラトン以来の西洋哲学の生んだ錯覚である。
世界に先験的な「本質」は存在しない。逆にコトバが言語アラヤ識として構造化され、本質を生み出すのだ。それは大規模言語モデル(LLM)に辞書も文法もなく、膨大な文脈(共起行列)から次の言葉を生成するのと同じである。
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彼の目的は欧米中心のグローバル化を超える普遍的な知の探求だった。イスラム神秘主義から大乗仏教や老荘思想まで横断する「東洋思想」の中心概念は、言語アラヤ識である。これは唯識派の阿頼耶識に由来するが、アプリオリな概念ではなく、コトバから生まれる経験的知識である。
ある一つの文化共同体に生まれ育ち、その共同体の言語を学ぶ人は、事前に、それと自覚することなしに、その文化の定める「本質」体系を摂取し、それを通じて存在をいかに分節するかを学ぶ。学ばれた「本質」 体系は全体的に「文化的無意識」の領域に沈殿してその人の現実認識を規制する。さきに私が、「言語アラヤ識」と呼びたいと言ったものがそれだ。
コトバは狭い意味の分節言語だけではなく、イマージュを含む。言語アラヤ識が分節化した言語やイマージュの要素を、井筒は(唯識にならって)「種子」と呼んだ。われわれが見ている世界は種子の集合体で、コトバは「本質」から生み出されるように見えるが、それはプラトン以来の西洋哲学の生んだ錯覚である。
世界に先験的な「本質」は存在しない。逆にコトバが言語アラヤ識として構造化され、本質を生み出すのだ。それは大規模言語モデル(LLM)に辞書も文法もなく、膨大な文脈(共起行列)から次の言葉を生成するのと同じである。
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