グローバル資本主義の見方に大きな影響を与えたのが、ウォーラーステインの近代世界システム論である。これはマルクスの資本と賃労働の支配関係を中心国と周辺国に当てはめたもので、1960年代にフランクやエマニュエルなどの提唱した従属理論が始まりである。
従属理論は自由貿易で世界の所得格差はなくなるという「収斂理論」を批判し、現実には格差が拡大している状況を説明する。市場経済の原則は等価交換だが、資本主義の原則は不等価交換である。比較生産費説ではすべての国が利益を得られるが、宗主国だけが利益を得て、植民地がモノカルチャーで発展しない状況も解として出てくる。
たとえばイギリスが綿織物に特化し、インドが綿花の生産に特化した場合、綿工業の技術はいろいろな機械工業に応用できるが、綿花をいくらつくっても工業化はできない。つまり比較生産費に時間軸を入れると、格差が固定され、中心国は周辺国を搾取し続けることができる。
しかしこういう状況は1990年ごろから変わり始めた。近代世界システムの外側にあった社会主義圏が崩壊し、中国がグローバル資本主義に参加して、周辺国が自立し始めた。グローバルな水平分業は先進国と途上国の労働者が対等に競争する世界を作り出し、超過利潤は失われ、金利はゼロに近づく。それは近代世界システムの終わりなのか。
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従属理論は自由貿易で世界の所得格差はなくなるという「収斂理論」を批判し、現実には格差が拡大している状況を説明する。市場経済の原則は等価交換だが、資本主義の原則は不等価交換である。比較生産費説ではすべての国が利益を得られるが、宗主国だけが利益を得て、植民地がモノカルチャーで発展しない状況も解として出てくる。
たとえばイギリスが綿織物に特化し、インドが綿花の生産に特化した場合、綿工業の技術はいろいろな機械工業に応用できるが、綿花をいくらつくっても工業化はできない。つまり比較生産費に時間軸を入れると、格差が固定され、中心国は周辺国を搾取し続けることができる。
しかしこういう状況は1990年ごろから変わり始めた。近代世界システムの外側にあった社会主義圏が崩壊し、中国がグローバル資本主義に参加して、周辺国が自立し始めた。グローバルな水平分業は先進国と途上国の労働者が対等に競争する世界を作り出し、超過利潤は失われ、金利はゼロに近づく。それは近代世界システムの終わりなのか。
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