エネルギー

送電線「空き容量ゼロ」は本当にゼロなのか

アゴラで指摘した送電線の話はテクニカルだが、今後のエネルギー改革で重要なので、経産省の資料で簡単に説明しておこう。朝日新聞の「利用率2割」は誤報である。基幹送電線は二重化され、100%は使えないからだ。送電線のルールは、次のようになっている。
電力系統には、たとえ1本の送電線が故障した場合でも、電気をほかの送電線に流してカバーできるようにすることで、停電を防ぐしくみになっています。これは「N-1(エヌ マイナス イチ)基準」とよばれる考え方に基づくもので、日本だけでなく、欧米など国際的にも広く採用されているものです。
送電容量は設備の予約なので、実際に使われていなくても「空き容量ゼロ」になる。今は図のように回線を先着順に割り当てているが、これだと後から申し込んだ再エネ業者が接続できなくなる場合がある。

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このとき「空き容量ゼロ」に見えても「緊急時用に確保」した設備を使うとゼロではないので、次の図の②の部分の送電容量を動的に割り当てようというのがコネクト&マネージである。ただし100%使うと回線事故の場合に大停電が起こるので、緊急時には停止するなど優先順位をつけ、休眠している設備の割り当て(①)を減らす。qqti-26np8bz1続きは2月5日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越します)

送電線は8割も余っているのか

朝日新聞に「基幹送電線、利用率2割 大手電力10社の平均」という記事が出ているが、送電線は8割も余っているのだろうか。

ここで安田陽氏(風力発電の専門家)が計算している「利用率」なる数字は「1年間に送電線に流せる電気の最大量に対し、実際に流れた量」だという。それによると東電の利用率は27.0%だから、送電線はガラガラのような印象を受けるが、この計算はおかしい。

続きはアゴラで。

原子力技術にまだ夢はあるのか

遺言~私が見た原子力と放射能の真実~
1950年代以降、政府は国策として原子力開発を進めた。そのころ原子力は夢のエネルギーで、鉄腕アトムもドラえもんも動力は原子力で、エリート技術者が原子力に集まった。著者も夢を抱いて原子力技術者になったが、そのポテンシャルを十分発揮できないまま、原子力開発は3・11で頓挫してしまった。

しかし炉心溶融は原子力の宿命ではなく、軽水炉に固有の問題だ。軽水炉は核反応を制御棒で減速して水で冷却する構造なので、炉心溶融のリスクが避けられない。それはもとは軍事技術で、民間で使うには多重に安全装置をつけないといけない過渡的な技術と考えられていた。本命は制御棒なしで高速中性子を使う高速炉だったが、原子力潜水艦で実用化した軽水炉が世界標準になった。

著者の発明した4S炉も高速炉の一種で、出力は1万~5万kWと超小型なので制御しやすい。燃料を交換しないで(運転員なしで)30年運転でき、電源がなくなった場合も制御棒なしで自動的に核反応が止まるので、炉心溶融は起こりえないが、その実用化への道は遠い。

続きは1月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

「1ミリシーベルトの神話」が風評被害を生む

きのう「福島県沖の魚介類の放射性セシウム濃度が2年連続で基準値超えゼロだった」という福島県の発表があった。これ自体はローカルニュースにしかならなかったのだが、驚いたのはYahoo!ニュースのコメント欄だ。1000以上のコメントがつき、その上位は「信用できない」というコメントで埋め尽くされ、しかも2000以上の「いいね」がついている。

続きはアゴラで。

日米原子力協定で買った「核の傘」



来年、日米原子力協定の30年目の期限が来る。今のところ自動延長されるようだが、その意味は複雑だ。日本では核燃料サイクルはエネルギー問題としか理解されていないので、民主党政権は2012年に「原発ゼロ」を決め、アメリカに「余剰プルトニウムはどうするんだ」と突っ込まれて撤回した。その本質はアメリカの核戦略である。

もともとアメリカは原子力技術をいっさい国外に出したくなかったが、ソ連がそれを入手したため、1950年代には日本に「平和利用」の技術を売り込んだ。しかし核が世界に拡散すると核拡散防止条約(NPT)で核を独占しようとし、核燃料サイクルも1977年にカーター政権がやめ、日本にもやめるよう求めた。

これに日本が反発し、東海村で再処理を続けたので、アメリカはその核燃料を国際原子力機関(IAEA)が個別に査察しないと再処理できないしくみにした。これでは商業運転はできないので日本が改善を求め、10年以上の交渉の末、再処理にアメリカが包括的事前同意する原子力協定が1988年に結ばれた。金子氏はそのときの交渉官である。

この協定は二国間協定でNPTの例外をつくる特別待遇だったが、このとき日本は再処理でできたプルトニウムをすべて平和利用で消費することを約束した。これによって(よくも悪くも)日米同盟の形が決まった。いわば日本は核武装しないことを約束してアメリカの「核の傘」を買ったのだが、この約束は守れるのだろうか。

続きは12月18日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

エネルギー問題に民主主義は有効か

デモクラシーの歴史は長くない。それを古代ギリシャのような特権階級の自治制度と考えれば古くからあるが、普通選挙にもとづく民主政治が世界の主流になったのは20世紀後半であり、それによって正しい意思決定ができる保証もない。特に長期的な意思決定には適していない。



この図は1956年にハバートの描いた「長い夜に燃やす1本のマッチ」で、化石燃料があと数百年で枯渇することを示している。彼の「ピークオイル」論は間違っており、化石燃料の生産はあと100年ぐらいは枯渇しないと思われるが、非在来型を含めてもあと1000年続くことはない。

続きはアゴラで。

EVで化石燃料の時代は終わるか

石油がまもなく枯渇するという「ピークオイル」をとなえたアメリカの地質学者ハバートは、1956年に人類のエネルギー消費を「長い夜に燃やす1本のマッチ」にたとえた。人類が化石燃料を使い始めたのは産業革命以降の200年ぐらいで、現在の消費量が史上最大である。化石燃料の埋蔵量は物理的には有限なので、向こう数百年を考えると、このマッチがいつか燃え尽きることは自明だ。

続きはアゴラで。

原子力のコストは民主主義のコスト

小池・小泉「脱原発」のウソ
本書は専門家が書いたエネルギー問題の入門書だが、こんなキワモノ的なタイトルで「右派」の出版社からしか出せないところに日本の深刻な状況がある。著者もなげくように、出版業界でも「原発推進派」の本は企画として成り立たない。

民主党政権は「原発ゼロ」という間違った戦いを始めてしまったが、自民党政権もそれを止められない。マスコミが原子力に莫大な恐怖のコストを上乗せしたからだ。たとえば福島第一原発の「汚染水」は薄めて流せばいいが、安倍首相がOKしないので100万トン以上タンクに貯水したままだ。こういう政治的コストを「廃炉費用」に算入したら、原子力のコストは際限なくふくらむ。

本書はそういう政治的コストを除き、原子力の技術的コストだけを考えると、核燃料サイクルも実用化できるという。たしかに中国もロシアも、核燃料サイクルを続けている。独裁国家は政治的コストを考えなくてもいいからだ。これは民主主義のコストともいえるが、その有権者に将来世代は入っていない。100年後の世代は、安倍政権の選択をどう考えるだろうか。

続きは12月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

蓄電池に「ムーアの法則」はない



先週の「言論アリーナ」は、竹内純子さんにエネルギー産業の長期ビジョンの話をうかがった。電力会社は原発再稼動など目の前の問題で精一杯だが、2050年に電力産業がどうなっているかという「長期均衡」から逆算すると、別のストーリーがみえてくる。

続きはアゴラで。

中国が世界のEVを制覇する



JBpressの私の記事を「中国語に訳したい」という問い合わせが来た。中国は内燃機関で日本に勝てないことは明らかなので、EVで勝負しようとしているのだ。それは1980年代に日本に負けたインテルなどの半導体メーカーが取ったのと同じ戦略である。

続きは9月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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