エネルギー

世界の環境は改善されている

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、2030年までに世界の平均気温が産業革命前より1.5℃(現在より0.5℃)上昇すると予測する特別報告書を発表した。こういうデータを見て「世界の環境は悪化する一方だ」という悲観的な話があるが、これは誤りである。世界の環境は大幅に改善されているのだ。

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泊原発の再稼動には「判断基準」が必要だ



北海道はこれから冬を迎えるが、地震で壊れた苫東厚真発電所の全面復旧は10月末になる見通しだ。この冬は老朽火力も総動員しなければならないが、大きな火力が落ちると、また大停電するおそれがある。根本的な問題は泊原発(207万kW)が使えないため、北電の電力供給計画が「片肺飛行」になっていることだ。

泊を再稼動すれば、この冬に大停電が起こるリスクはほぼなくなるが、マスコミはこの問題を避けている。それは安倍政権が「原子力規制委員会が安全と認めた原子炉を再稼動する」という方針をとっているため、安全審査でもめている泊をこの冬に再稼働することは問題外だと思っているのだろう。

これは間違いである。これまで何度も書いたように、安全審査は原発を運転しながら行うことが現行法のルールなのだ。審査と運転は別の概念であり、安全審査のとき運転を止めろとは、法律のどこにも書いてない。定期検査も、原子炉以外の部分は運転しながらできる。その原則を民主党政権が逸脱したことが、今の混乱の原因である。

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いびつな「電力自由化」が大停電を生んだ

JBpressの記事はやや荒っぽいので、補足しておく。今回の大停電の原因は、短期的には泊原発を止めたままにしていることだが、本質的な問題は、いびつな電力自由化にある。今まで電力会社は地域独占で供給責任を負ってきたため、日本の電力品質は高いが、電気料金は世界最高水準だ。これが2020年4月から発送電分離されると、送電部門は別会社になり、発電は禁止される。系統運用は送電会社の責任になるので、発電会社は送電責任を負わない

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火力発電所は太陽光や風力などデコボコの多い発電所の負荷(超過需要)を調整しているが、発送電分離されると調整は送電会社の役割になる。その調整は今の電力会社の設備を使うが、分離されることがわかっている電力会社には、競合他社の負荷を調整する投資のインセンティブがない。だから設備投資は「効率化」されてぎりぎりになり、今回のような事故が起こりやすくなるのだ。

私は原則として電力自由化には賛成だが、日本の自由化は経産省が3・11のあと、東電の政治力が弱った時期に、民主党政権を利用して火事場泥棒的に決めたものだ。おまけに原子力が動かない状態のまま発送電分離するので「片肺飛行」になり、今回のような事故が再発するリスクもある。このまま分離して大丈夫なのか。

続きは9月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

苫東の停止がなぜ大停電に発展したのか

北海道大停電について「出力ではなく周波数が問題だ」というデマが流れているので、テクニカルな話だが、事故の経緯をくわしく見てみよう。苫東厚真の3基は一挙に止まったわけではなく、地震直後には1号機が動いていた。読売新聞によると
地震発生直後の6日午前3時8分頃、2号機と4号機が地震の揺れで緊急停止。1号機は稼働を続けていた。電力は需要と供給のバランスが崩れると、周波数が乱れて発電機が損傷する恐れがある。このため、北海道電は、失われた供給分(約130万キロ・ワット)に見合うように一部の地域を強制的に停電させて需要を落としバランスの維持を試みた。
つまり地震直後には大停電は起こっていなかったのだ。

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北海道大停電の責任は安倍政権にもある

今回の大停電では、マスコミの劣化が激しい。ワイドショーは「泊原発で外部電源が喪失した!」と騒いでいるが、これは単なる停電のことだ。泊が運転していれば、もともと外部電源は必要ない。泊は緊急停止すると断定している記事もあるが、泊は震度2で、苫東厚真とは送電系統が別なので緊急停止しない。

原発は出力を調整できないベースロード電源なので、24時間フル稼働する。泊の207万kWが動いていたら、深夜3時の消費電力300万kWを供給するには、あと約100万kWあればいい。実際のオペレーションがどうなっていたかはわからないが、次の表のように北電の火力は406万kWあるので、その1/4の出力を各発電所に分散して運転することはむずかしくないだろう。


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泊原発の「活断層問題」には法的根拠がない

きょう菅官房長官がようやく「泊原発を直ちに再稼動することはありえない」という見解を記者会見で表明した。それは「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると認められた原発のみ、原子力規制委員会の判断を尊重して再稼働を進める」というのが安倍政権の方針だから当然だが、この方針には法的根拠がない。

安念潤司氏など多くの法律家が指摘するように、原子炉等規制法は「これらの許認可に関する審査を、原子炉の運転を継続しながら行う仕組み」をとっており、審査が終わらなくても運転できる。それどころか炉規制法には「発電用原子炉の再稼働を認可する規定はない」(したがって規制委員会に認可する権限はない)という政府答弁書が出ているのだ。

泊で争点になっている活断層問題にも、法的根拠がない。2012年に改正された設置許可基準には「耐震重要施設は、変位が生ずるおそれがない地盤に設けなければならない」と規定され、それが「後期更新世以降(約12~13万年以前以降)の活動が否定できない断層」の問題になっているが、これは新設する原発の基準である。

それを過去に建設された原子炉に遡及適用するバックフィットは、法的に規定すれば可能だが、炉規制法にはその具体的な規定がない。「新規制基準に適合すると認められた原発のみ再稼働を進める」というのは政治的リップサービスであり、安倍首相が「変更する」といえばいつでもできるのだ。もちろんそれは大きな反発を招くだろうが、原子力規制委員会は反対できない。それは彼らの権限ではないからだ。

続きは9月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「東京大停電」は起こるか

東京大停電 電気が使えなくなる日
地震は避けられないが、大停電は避けられる。北海道大停電は避けられた事故だった。苫東厚真発電所に過度に依存した北海道電力の運転管理にも問題があったが、最大の原因は3・11前には北海道の電力供給の半分以上を占めた泊原発が動かせないことだ。こういう「片肺飛行」の状況は全国で同じなので、大停電のリスクは他の地域にもある。

東電の送電能力は北電の10倍以上あり、他の電力会社からも電力の融通を受けられるので、首都圏全体が大停電にはならないだろうが、ぎりぎりの状況は同じだ。今年1月下旬、大寒波で東電の電力使用率は99%を超え、融通でしのいだ。この状態で大きな火力発電所が事故で止まると、ブレーカーが落ちるように「東京大停電」が起こる可能性がある。

このように電力供給が綱渡りになった一つの原因は電力自由化だ。太陽光や風力のように安定供給の責任を負わない事業者と競争するには、電力会社も送電網に余裕をもたせないでぎりぎりにするしかない。だが短期的な原因は、運転できる原発を運転していないことだ。ところが本書は原子力の問題から逃げるので「電源を多様化せよ」という一般論になってしまう。

続きは9月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

冬までに泊原発を再稼動して命を守れ



北海道の地震による大停電は復旧に向かっているが、今も約70万世帯が停電したままで、事故を起こした苫東厚真火力発電所はまだ運転できない。古い火力発電所を動かしているが、ピーク時の需要はまかないきれないため、政府は計画停電を検討している。北海道の電力は足りてないのだ。北海道の電力供給がぎりぎりで危険な状態にあることは、以前から多くの専門家が指摘してきた。

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泊原発が動いていたら大停電は避けられた

北海道は地震によって全世帯が大停電という前代未聞の事態になったが、これは地震の発生した午前3時の消費電力300万kWのうち、震源に近かった苫東厚真火力発電所(165万kW)の送電設備が壊れて3基がすべて送電できなくなり、その影響で他の火力発電所も送電を停止したためだ。本州との連系線も(起動する電力がなくて)動かなかった。

この直接の原因は苫東の変電所に事故が起こって送電網から切り離され、周波数が低下したことだ。電力網は需要と供給が一致しないと周波数が乱れ、設備が壊れるおそれがあるため、送電が自動的に遮断される。このため苫東につながっていた他の系統も、連鎖的に停止したものだ。苫東に負荷を集中させた北海道電力のマネジメントにも問題があるが、これを「電源の分散配置を怠った」と批判するのは筋違いだ。

供給が不安定になる最大の原因は、泊原発(207万kW)が安全審査中で動かせないことだ。泊が動いていれば深夜のベースロードを供給するので、苫東が落ちても全道に波及することはなかっただろう。泊は震度2だったので、緊急停止しなかったはずだ。分散配置した電源の半分が動かせない「片肺飛行」が、今回の事故の原因だ。

しかし泊の安全審査は、今年の冬までには終わりそうにない。原子力規制委員会が「12~3万年前から断層が動いたかどうか」を調査しているからだ。真冬の北海道でまた大停電が起こったら、多くの凍死者が出るだろう。人命尊重の観点から優先すべきことは何か、安倍政権が決断するときではないか。

続きは9月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

被害者の再生産する「風評差別」の構造

福島のトリチウム水をめぐって、反原発派も最近は「危険だ」とはいわなくなった。トリチウムは環境基準以下に薄めて流せば人体に害はなく、他の原発ではそうしている。福島第一原発でも事故までは流していた。それをゼロにしろという科学的根拠はない。その代わり彼らがいうのは「風評被害で魚が売れなくなる」という話だ。

これを聞いて私が思い出したのは、子供のころの出来事だ。私の実家は京都の大きな被差別部落の隣にあり、子供のころよく差別事件が起こった。中でも根強く残ったのが結婚差別だった。このとき親が反対したのは「部落出身者と結婚してはいけない」という理由ではなかった。「私はかまわないが世間には偏見がある」という理由だった。

続きはアゴラで。






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