Culture/Science

今年のノーベル賞は?

恒例のThomson-Reutersの予想によれば、今年の医学・生理学賞の候補に小川誠二氏(濱野生命科学研究財団小川脳機能研究所)があげられている。張出のスウェーデン銀行賞の候補は
  • Ernst Fehr & Matthew J. Rabin(行動経済学)
  • William D. Nordhaus & Martin L. Weitzman(環境経済学)
  • John B. Taylor, Jordi Gali & Mark L. Gertler(金融理論)
となっている。このうちでは私の印象では、テイラー・ルールをつくったTaylorが有力だと思う。Galiは、当ブログでも紹介したマクロ経済学の教科書の著者だ。個人的にはFehr-Rabinコンビがもらうとうれしいが、まだ若すぎるだろう。京都議定書や排出権取引に否定的なNordhausが受賞したら話題になるだろうが、その理由で受賞はないと思う。

このリスト以外では、そろそろこの種のランキングでつねにトップにあがるBarroに授賞してもいいのではなかろうか。ちなみに、このリスト1000人のうち日本人はたった6人で、最高は211位の林文夫氏。見通せる将来に、日本人が受賞する可能性はない。首相が「市場原理主義」を批判するような国に、経済学は向いていないのだろう。

なおLadbrokesのオッズによれば、文学賞候補の9位に村上春樹氏が入っている。

Imagine

著作権のない世界を想像してごらん
きみにできるかな

ぼくの書いた曲が、また「リマスター」されて売り出され
全世界でヒットチャートのベスト1になったって?
ロックは1970年に終わったんだね

昔のレコードに何億ドルも著作権料が発生することが
「創造のインセンティブ」になるんだろうか?
ポールもヨーコも「著作権を死後70年に延長しろ」といってるけど
それは自分がもうクリエイターではなくなったと告白してるんだよ

ぼくらが解散して40年近くたつのに
いまだに著作権をめぐる紛争が絶えない
テレビ番組のBGMに無断でぼくらの曲を使うと1万ドル請求される
というのは業界では有名な話だ

無名時代のぼくらが著作権を音楽出版社に売ったおかげで
著作権はぼくらの知らないところで転売され
マイケル・ジャクソンが持っていたが
彼はぼくのところに来てしまった
これを誰が相続するかで、またもめている

インターネット時代だというのに
ぼくらの演奏はiTunesでは聞けない
強欲なEMIと弁護士のおかげさ
人々が兄弟になって音楽を共有する日はいつ来るんだろう...

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world...

Charlie Haden

ブルーノート東京で、久しぶりにQuartet Westの演奏を聴いた。ヘイデンは今年72歳になるにしては、まだまだ元気だ。特に印象に残ったのは、「19歳のとき、オーネット・コールマンと初めて録音した曲」と紹介して演奏された"Lonely Woman"だ。半世紀を経て、かつての前衛曲が堂々たる古典として演奏されることに感動した。

彼は、かつてはLiberation Music Orchestraという前衛ビッグバンドを率いて、メッセージ性の強い音楽をやっていた。そのころの代表作はバンド名をつけたアルバムだろうが、私の個人的な好みはBallad of the Fallenだ。聞きやすいのは、パット・メセニーとのデュエット、Beyond the Missouri Skyだろう。Quartet Westは今年で25年やっているそうだが、最高傑作はこの"Haunted Heart"。映画仕立てで、ビリー・ホリデーの録音などを織り込んだ企画物だが、この手のものとしてもよくできている。

競争が友愛を築く

鳩山由紀夫氏によれば、「市場原理主義」が文化や伝統を破壊して、信頼にもとづく社会の秩序を危うくしているそうだが、それは本当だろうか。Francois et al.によれば、規制改革によって労働市場が競争的になると、労働者の信頼は高まるという。


秩序を維持するメカニズムは2種類ある。一つは伝統的な「小さな社会」を支える長期的関係=安心で、これはグローバルな市場で維持することはむずかしい。もう一つは「大きな社会」で機能する契約ベースの信頼=友愛(fraternity)である。それは無条件に人類を愛する「博愛」ではなく、特定の結社や契約にもとづく信頼関係だから、友愛が機能するためには安心社会とは異なるルールの体系が必要だ。友愛社会は不自然なルールにもとづくものだから、安心社会ほど心地よくないが、文化や伝統の違いを超えて広がりをもつ。

安心社会に慣れた人々にとっては、こうしたルールの変更は「国家の品格」を破壊するものと映るかもしれない。日本のように大きな社会で安心メカニズムが機能してきたのは稀有な例だが、ここ20年の閉塞状況は安心社会が行き詰まったことを示唆している。いったん安心の失われた社会で、長期的関係を再構築することは非常にむずかしい。本気でやろうと思ったら、鳩山氏のいうように「グローバリズム」を拒否して農業を保護し、地方に補助金をばらまいて衰退する農村を守るしかない。そういう「小国主義」もそれなりに一貫した政策だが、それは友愛とはまったく逆の思想である。

長期的関係の呪い

きのうの記事の続きだが、日本の自殺率がなぜこれほど高いのかというのは、かなり深刻な問題だ。それが「失われた20年」に増えたことから考えても、いま日本社会が直面している変化を象徴しているように思われる(テクニカルで長文)。

基本的な原因として自殺を名誉ある行為とする文化があり、経済的な苦境や高齢化による病気が増えたことも事実だろう。しかし時系列データでみても、1990年から10年たらずの間に1.5倍にも激増したのは、ただの不況や失業の問題とは思えない。興味あるのは、主要国の中で韓国の自殺率が日本と並ぶ高さになり、しかも同じように90年代以降、急増していることだ。以前の記事でも書いたように、日本と韓国は「双子国家」であり、両国には相違点が多いが共通点も多い。似ているのは、日本の系列や韓国の財閥に代表される長期的関係によるガバナンスが崩壊しつつあることだろう。

囚人のジレンマから協力が発生するメカニズムはいろいろ知られており、世間ではアクセルロッドの「しっぺ返し」が有名だ。しかしこの戦略は1対1の対戦では強いが、多人数になるとつねに裏切る「邪悪」な戦略のほうが強い。合理的なゲーム理論では、一度裏切った相手を裏切り続ける「引き金戦略」のほうがサブゲーム完全な戦略で、有効だと考えられている。

しっぺ返しと引き金はよく似ているが、大きな違いがある。前者が裏切った相手を裏切り、協力するとまた協力するのに対し、後者は一度裏切った相手は二度と許さないことだ(このため容赦ない(grim)戦略ともよばれる)。この戦略は強力だが、誰が裏切り者かという情報をコミュニティのメンバーが共有している必要がある。神取(1992)が示したように、このメカニズムを多人数の進化ゲームで実装するためには、社会の全員が全員の評判を知るデータベースが必要だ。

日本と韓国が似ているのは、このような人事情報がきわめて濃密に共有されていることだ。サラリーマンの飲み屋の話題の半分以上は人事の話で、「あいつは変な奴だ」とか「問題を起こした」といった情報は、このネットワークで急速に広がる。こうした噂は非公式なので、誤っていても本人には訂正しようがない。そしてこれが倒産とか解雇、あるいは逮捕といった形で公的に確認されると、個人にスティグマ(烙印)が押され、社会から排除される。

これに対して、アメリカに典型的にみられる西洋型の社会は、そこまで濃密に情報が共有できないので、ある州で犯罪を起こした人物が別の州に移住して犯罪を繰り返すといった問題が絶えない。この点では、日本型システムは秩序を守る点ではすぐれているのだが、一度失敗すると二度と立ち直れない。これは安倍政権で「再チャレンジ」として取り上げられたが、問題は債務の個人保証だけではなく、そういう制度を支える社会的な規範なのだ。

このような「村八分」型のガバナンスは日本に固有のものではなく、Greifが示したように、人類の歴史の大部分では引き金戦略によって秩序が守られてきたと考えられる。しかしこうしたメカニズムは、互いの評判を共有している小集団では有効だが、近世以降の欧州で複数の文化圏にまたがって貿易が行なわれるようになると有効性を失い、非人格的な市場メカニズムと法的なガバナンスに代替された。

他方、近代以降の日本では、市場での取引と組織内の長期的関係が併存し、後者においては評判メカニズムが有効性を持ち続けた。これほど人口の多い「大きな社会」で長期的関係が機能したケースは他に例をみないが、その原因は中間集団の自律性やメンバーの同質性が高かったためだと思われる。評判メカニズムは法的な紛争解決よりはるかにコストが低いので、司法制度は余分なものだった。

しかし経済活動がグローバル化し、メンバーの異質性が大きくなると、長期的関係の拘束力は弱まる。高度成長が終わると、企業の破綻や再編は日常茶飯事となるのだが、幸か不幸か日本社会の評判メカニズムはまだ強力なので、いったん「問題」を起こしてスティグマが押されると、二度と消えない。犯罪には時効があるが、評判は死んでも残る。

長期的関係を維持する引き金戦略は、一部は遺伝的なものとも考えられるが、大部分は文化的・歴史的に形成されたものだろう。日本の場合、その有効性はまだ高く、人々の脳内に深く埋め込まれているので、簡単に変えることはできない。これは「再チャレンジ政策」で解決するような生やさしい問題ではなく、日本の苦境のコアにある歴史的な変化である。異常な自殺率が示しているのは、この長期的関係の呪いが非常に大きなストレスを人々にもたらしているということだ。

この問題を解決する道は、論理的には二つある。一つは「グローバリズム」を拒否して鎖国し、市場メカニズムを否定して長期的関係を死守すること、もう一つは近代化をとげた多くの国と同じように、市場や司法などの非人格的メカニズムに切り替えることだ。自民党も民主党も前者の道をとろうとしているようにみえるが、私はそれは文字どおり自殺的な選択だと思う。

教育改革はなぜ失敗するのか

日本のサービス産業の効率が低いことは周知の事実だが、教育サービス(特に高等教育)はその中でも最低の部類だろう。私立大学の過半数が定員割れで、中国人留学生で定員を埋めている状態だ。一時、文科省が「大学院重点化」によって乱造した大学院大学も、ほとんどが定員割れで「学歴ロンダリング」の温床になっている。

こういう状況について何度も改革が試みられたが、ほとんど改善されていない。その根本的な原因は、企業システムにある。拙著(第5章)でも書いたように、日本の企業のガバナンスは資本主義の原則である所有権(ownership)による支配ではなく、長期的関係にもとづいた会員権(membership)による支配だから、大事なのは組織に忠実で協調性の高いことで、専門的技能は必要ないのだ。

前にも書いたように、日本の大学はシグナリングの装置だから、その役割は入試のとき終わっている。重要なのは「東大卒」の学歴ではなく「東大入学」の能力だから、4年間は遊んでいてもかまわないし、大学の成績も重視されない。仕事は徒弟修行によってOJTで覚えるので、それを習得する文脈的技能が高ければよい。あのつまらない受験勉強を耐えて東大に入った学生は、どんなつまらない仕事も我慢し、上司の求める答を出す忠実な社員になるというシグナルを出しているのである。

だから企業システムを変えないで、教育システムを変えることはできない。企業が汎用サラリーマンを求めているのに、必要もない大学院卒を増やしても、労働市場での価値は上がらない。長期雇用・年功序列システムの特長は、需要の変化に対応して多くの部門に配置転換できる柔軟性なので、へたに博士号をとったりして「専門バカ」になると、つぶしがきかなくて使いにくい。

こうした教育システムが行き詰まっているのは、日本企業の行き詰まりに対応している。かつては市場の変化には配置転換や出向・転籍で対応できたが、情報革命とグローバル化によって変化が急速になり、競争が激しくなると、高度に専門化された企業による水平分業が起こり、サラリーマンでは対抗できなくなる。ところが企業の人事システムは昔のままだから、専門的な判断力のない調整型の経営者が組織内のコンセンサスで経営戦略を決めて失敗を繰り返す。

逆にいうと、学生が専門的技能を生かすには、柔軟な労働市場が必要だ。そのためには、企業が現在のような長期的関係に依存した閉鎖的な共同体ではなく、資本市場で所有権を移転して柔軟に組み替えるモジュールになる必要がある。これはゲーム理論でいうと、繰り返しゲームから戦略的ゲームへの転換である。つまり
  1. 日本型:会員権―長期的関係―文脈的技能
  2. 英米型:所有権―労働市場―専門的技能
という2種類の補完的な組み合わせがあり、1から2にワンセットで変えないとうまく行かないのだ。このどちらがすぐれているかは先験的にはわからないので、自民党や民主党のように長期的関係にもとづく「安心・安全」を守るために「市場原理主義」を拒否するというのも、それなりに一貫した戦略だ。藤原正彦氏から中谷巌氏に至るまで、そういう戦略を推奨する人もいるので、どちらを選択すべきかは自明ではない。

問題は、1のシステムが長期的に維持可能かどうかということだ。私は、グローバル化の進む世界経済の中でこういうシステムを死守することは、玉砕戦法に等しいと思う。だとすれば、好むと好まざるとにかかわらず、普通の資本主義に移行するしかない。異なる均衡への「パラダイム転換」にともなうリスクや社会的コストはかなり大きいが、それを先送りした結果が「失われた20年」の長期停滞である。

だから教育改革も、産業構造の改革の一環として進めないと失敗を繰り返すだろう。大学進学率が50%を超えた現状では、もう大学はアカデミズムではないので、大部分の私立大学は専門学校と同じように労働市場で即戦力になる人的資源を養成すべきだ。それが離職者の受け皿になれば、柔軟な労働市場を実現して企業システムの改革にもつながるだろう。この意味で、NIRAも提言するように、文科省が経産省や厚労省と連携して、産業政策として大学教育を再建する必要がある。

Road Shows, Vol. 1


今年で創刊75周年を迎えたDownbeat誌の批評家投票のベスト・アルバムは、圧倒的な差でSonny Rollins。80年代のまだ50代のライブが中心なので、とても元気でフレッシュな演奏だ。彼は79歳で、ベスト・アーティストにも選ばれた。ジャズ界の高齢化が心配になるが、Rising StarにはRudresh Mahanthappaという30代のインド人が選ばれ、彼のKinsmenというアルバムも5位に選ばれた。インド音楽風だが、現代的なジャズでおもしろい。

ピアノ・アルバム3枚


このごろジャズの新譜はあまり聴かなくなったが、最近いいピアノ・アルバムを続けて聴いたので、紹介しておこう。こういうのは『スウィングジャーナル』のようなPR誌では「前衛」に分類され、国内盤もほとんど出ていないが、そんなにむずかしい音楽ではない。

圧倒的にすばらしいのはAbdullar Ibrahimの"Senzo"だ。なぜ「先祖」という日本語のタイトルがついているのかよくわからないが、74歳とは思えない繊細なピアニズムを聴かせる。彼のアルバムはDollar Brandの時代からほとんど聴いているが、最高傑作はRicky Fordなどと一緒にやった"Ekaya"(廃盤)だと思う。"Water from an Ancient Well"Abdullah Ibrahim, Ben Riley, Carlos Ward, Charles Davis, David Williams, Dick Griffin & Ricky Ford - Water from an Ancient Wellやソロの"Yarona"Abdullah Ibrahim - Yaronaも傑作だ。Keith Jarrettのファンなら好きになると思う。

"Alhambra Love Songs"John Zorn - Alhambra Love Songsは、John Zornのコアなファンを怒らせるかもしれないイージー・リスニング(彼は演奏していない)。Zornはこういう普通の曲もうまく、"Film Works"などはBGMとしても聴ける。ただ彼の最高傑作は、前衛的な"Naked City"John Zorn - Naked City"News for Lulu"だと思う。

"Music We Are"Jack DeJohnette - Music We Areでは、Jack DeJohnetteはピアノも演奏している。これもいいが、アルバムのインパクトとしては、3年前のTrio Beyond名義の"Saudades"Jack DeJohnette, John Scofield, Larry Goldings & Trio Beyond - Saudadesのほうがよかった。

太陽活動は弱まっている

地球温暖化の唯一の原因は太陽の輻射熱だから、太陽活動が弱まれば、温室効果ガスがどうなろうと地球は寒冷化する。そして2008年から太陽活動は弱まるサイクルに入り、そのエネルギーは1928年以来最低の水準になる、とNew Scientistは予測している。

他方、ベルギーの太陽黒点数データセンターの観測でも、黒点の「相対数」は今年は4月までの暫定値が1.2と、1810年以来の低水準を記録した、と朝日新聞は報じている。太陽の黒点数は太陽活動の指標であり、地表温度と高い相関がある。17~8世紀には約70年間、黒点がほぼ消え、欧州では英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥ったという。同じように黒点の減少が長期間にわたって続くと、寒冷化が起こる可能性があると研究者は懸念しはじめている。

広大な宇宙の摂理の中では、人類の活動が与える影響はよくも悪くも微々たるものである。「人類が地球を救う」などという発想は、西欧的な自民族中心主義の変種にすぎない。

Susan Boyle


2億2000万回も再生されてYouTube史上最大のセンセーションとなったSusan Boyleは、素人のど自慢の準決勝では音をはずしたが、無事に決勝に進出した。しかし、やはり予選の映像が圧倒的におもしろい。47歳のオバサンの意外な美声と、それに驚く審査員のリアクションが劇的だ。







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