Economics

経済成長というゲームの終わり

今週のニューズウィークにも書いたが、JALの年金債務は、日本の他の企業にも通じる深刻な問題だ。日経新聞の今年3月の集計によれば、主要上場企業の年金・退職金の積立不足は総額約13兆円と、前年比で倍増した。この最大の原因は、株安によって年金原資が大幅に減ったためだ。積立不足額の上位10社は次のとおり:
  1. 日立製作所:6866億円
  2. NTT:5763億円
  3. 東芝:5446億円
  4. ホンダ:4566億円
  5. パナソニック:4188億円
  6. 三菱電機:4039億円
  7. 富士通:4001億円
  8. トヨタ自動車:3929億円
  9. NEC:3483億円
  10. 日本航空:3314億円
どの企業でも、積立不足の額は積立額に近いか上回っており、年金支給額のほぼ半分が不足している。こうした年金債務は現在の会計基準では計上しなくてもよいので「簿外債務」になっているが、今度のJALのように企業が破綻するリスクが出てくると現実の債務となる。国際会計基準が施行されると年金債務も負債に計上されるので、JALのように実質的に債務超過になる企業も出てくるだろう。

この問題を解決するには、支給額を減額するか確定拠出に切り替えるしかないが、それには受給者の2/3以上の同意が必要だ。年金支給の減額に反対するJALのOBは、9000人の受給者のうち3580人の署名を得たとしており、これが事実なら減額は不可能だ。NTTの場合には、2/3以上の同意を得ても厚生労働省が確定拠出への変更を認めず、裁判でもNTTが敗訴した。

企業が長期雇用や付加給付などによって公的福祉を代行するシステムは、企業が成長し続け、若い社員が増え続けるという前提でのみ可能なものだった。労働人口が逆ピラミッドになると、こうした「ネズミ講」型システムは成り立たなくなる。そして企業を卒業したOBには企業に忠誠をつくす理由がないので、徹底的に自分の利益を追求するのだ。

日本的経営を支える「和の精神」が美しい伝統だなどと称賛する向きもあるが、それは成長が永遠に続くという期待にもとづく長期的関係である。まもなく人生が終わり、これが最後のゲームだと知った老人が合理的行動をとるのは、GMを破綻に追い込んだアメリカ人と変わらない。企業がつぶれようが国家財政が破綻しようが、そのとき自分は死んでいるのだから。これがバラマキ財政の止まらない原因でもある。

こうした老人の合理的行動に対抗するには、企業の場合には破綻処理して年金債務を清算するしかない。公的年金の場合も、現在の賦課方式の年金制度が行き詰まるのは時間の問題なので、どこかで清算して積立方式に移行するしかない。この移行は非常に大きな所得移転をともなうので、政治的には困難だが、先送りすればするほど問題は大きくなる。「日本型福祉システム」という繰り返しゲームにも、終わりの時が近づいているのである。

財政赤字への提言

OECDの対日審査報告書が発表された。今年は特に財政赤字についてくわしい分析をしているので、その部分を抜粋しておこう。
2010年には,政府の粗債務残高がGDP比200%,純債務残高では100%へと上昇すると見込まれ,財政の持続可能性に深刻な懸念を惹起している.日本の長期金利は,公的債務の上昇にも関わらず,驚くほど低位安定してきたが,これは豊富な国内貯蓄,投資の強いホーム・バイアス,そして,魅力的な国内投資機会が限られているという中で金融機関が継続的に国債を購入していることを反映している.今後,こうした低金利を支える条件が弱まっていくと見込まれる.

歳出削減は,財政再建目標を達成するために重要な役割を果たすべきである.2002年から2007年の景気拡大期において,一般政府支出はGDP比で39%から36%に低下したが,2010年には42%に達するものと見込まれる.公共投資は1996年のGDP比8.4%から2008年の4.0%へと減少したが,この流れは財政刺激策によってある程度反転した.この増加分を巻き戻すことは,GDP比約1%程度の歳出削減を意味する.

歳出削減の余地が限られていることから,抜本的税制改革による追加的な歳入増が必要である.こうした改革は歳入を増やすと同時に,増税が成長に及ぼす悪影響を抑制し,所得分配の不平等や相対的貧困に対する懸念を払拭し,地方税制を改善することに資する.改革の鍵となるのは以下のような点である:
  • 経済成長への悪影響を抑えることから,消費税率の引上げが主たる増収源であるべき.
  • 法人税を支払っていない企業の比率を引下げるような課税ベースの拡大は,経済成長を加速させる税率の引下げ余地を生み出すだろう.
  • 5割以下の賃金所得しか課税されず,自営業者の所得捕捉率が低いことにかんがみると,個人所得税の課税ベース拡大は歳入を増やすだろう.所得税の改革は,所得分配や相対的貧困問題に対応するために勤労所得税額控除制度の導入を含むべきである.
  • 23の税目という非常に複雑な地方税制の改善と地方自治体に対する更なる財政上の自律性の付与は有益であろう.
私のコメント:課税ベースの拡大のためには、先進国で最低レベルの税務署員を増やし、「クロヨン」のような捕捉率の不公正をなくすべきだ。そのためには、納税者番号を導入し、徴税業務の一部を民間委託するなど、税務を効率化する必要がある。またOECD諸国で最高の40%に達する法人税率を引き下げる一方で租税特別措置を撤廃するなど、複雑で不公平になった税制を抜本的に改めることが重要だ。

企業に依存する「日本型福祉システム」は、大企業の正社員を過剰に保護する一方、もっとも所得再分配を必要とする非正社員などの貧困層に届いていない。OECDも提言している負の所得税(勤労所得税額控除)を実施し、他方で企業年金の確定拠出への移行や退職金への課税などによって付加給付を減らし、社会保険の負担を削減する必要がある。長期停滞に向かう日本経済で「大きな政府」をめざす民主党の路線は、将来世代の負担と老後の不安を増して、消費を減退させる悪循環を起こすおそれが強い。

支離滅裂な「鳩山イニシアティブ」

鳩山首相がCO2を25%削減する「鳩山イニシアティブ」を高らかに宣言し、世界各国がそれを賞賛するのをみて、経済学者ってどこの国でも無視されてるんだなと思った。Mankiw blogの読者ならご存じのように、世界の主要な経済学者は、排出権取引よりも環境税のようなピグー税のほうが効率的で公正だと主張しているのだが、政治家にはまったく理解されない。それどころか、この二つが代替的な政策手段だということさえ認識してない人が多い。民主党のマニフェストに至っては、
  • キャップ&トレード方式による実効ある国内排出量取引市場を創設する。
  • 地球温暖化対策税の導入を検討する。
と併記する支離滅裂なものだ。この両方を同時に実施することは不可能である。たとえば、あるCO2排出企業が、その排出権を他の企業から買って排出量をまったく削減しなかったら、どうするのだろうか。その企業に環境税を課税したら二重負担になるから、企業は購入した排出権を政府に買い取れと要求するだろう(つまり排出権取引は無意味だ)。もし課税しなかったら税の公平に反するので、税務署は許さないだろう。

排出権取引はアメリカの一部の州で実施されているが、それを考案したCrockerも「これはローカルな制度で、国際的な排出権取引は不可能だ」と反対している。排出量の正確な測定やペナルティが実施できないからだ。おまけに、それは政治的にも不可能だ。排出権取引でもっとも重要なのは排出量の割り当てだが、それを決める科学的な根拠がなく、政治的な紛争になりやすいからだ。

欧州は「鳩山イニシアティブ」を賞賛しているが、オバマ大統領は数値目標を明言しなかったし、中国など途上国は先進国の責任だと主張している。日本が負担してくれるのは他国にとって結構なことだから、鳩山氏がほめられるのは当たり前だ。たとえば日本の企業が中国に何兆円も出して排出権を買うのは、ゼロ成長の国が8%成長の国に巨額の開発援助をする結果になり、とても国民の支持を得られないだろう。

かといって国内だけで「鳩山イニシアティブ」を実現しようとすれば、政府の推定にも示されているように、新車の90%をハイブリッド車にし、ガソリン価格を数倍にし、すべての住宅を断熱住宅に改築するよう義務づけるなどの大規模な統制経済が必要で、GDPは3.2%も下がる。これはどう考えても実現不可能な目標である。

物理的に不可能な目標を掲げ、「大和魂さえあれば何とかなる」と国民を鼓舞するのは、前の戦争に日本が突っ込んでいった時を思わせる。経営工学の専門家である鳩山氏が、かつて研究した経営資源の最適配分という合理的思考を忘れて、政治的な大向こう受けをねらったのだとすれば、経済学も経営学も大した学問ではないのだろう。

追記:鳩山首相は記者会見で「温暖化は人類の生存が脅かされる問題だ」と発言したが、これは誤りである。IPCCの予測でも、100年後に平均3℃程度上がるだけで、人類の生存には何の影響もない。

財政刺激は役に立たなかった

John Taylorもブログを始めた。経済もドッグ・イヤーで動き始めた現代には、もう学術論文では間に合わないのだろう。その最初の記事で引用している彼のWSJの記事では、オバマ政権の財政政策によってDPI(可処分所得)は一時的に上がったが、PCE(個人消費支出)には変化がなかったことを示している。

なお来月からアゴラもバージョンアップして、日本の(数少ない)専門家のブログのネットワークを構築し、定期コラムニストを設けて、もう少し本格的なウェブメディアにする予定。

景気対策で「身分格差」は直らない

井出草平の研究ノートという社会学者のブログに、「ロストジェネレーションは計量的に支持されない」という記事があった。ここで彼が批判しているのは、現在の雇用問題の原因を単なる不況による「就職氷河期」の問題とみる説だ。大卒の求人倍率だけをみると、90年代には1を割ることもあった大卒求人倍率が、2006年には2を超えている。これだけみると「景気さえよくなれば雇用問題は解決する。構造改革なんてナンセンス」という、今は亡きリフレ派の議論が当たっているようにみえる。ところが、非正社員の比率を年齢別に分析すると、次のようになっている:
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これを受けて井出氏はこう結論する:
若年者の非正規雇用率が高まっていくのは、1980年くらいから始まる長期トレンドであるが、景気回復によって、この傾向が変化したことはない。変化したのは、大卒ホワイトカラーという恵まれた立場の人間たちの就職率(正規雇用率)が高まった程度である。景気回復による正規雇用の椅子は新卒の大卒ホワイトカラーに吸い取られて、就職の難しい高卒者や労働市場全体にまでは波及しない。現在の若年非正規雇用問題というのは、景気回復では決して解決しないのである。非正規雇用と正規雇用という「身分」の差というのは、景気回復でどうにかなるものではない。
これは経済学でいうと、統計に出てくる(循環的な)失業率と、構造的な自然失業率の違いだ。循環的な失業率は、景気がよくなればある程度、減らすことができるが、労働市場のゆがみによる自然失業率は景気対策で減らすことはできない。そして次の図のように、構造的な身分格差(非正規雇用比率)は、「雇用保護」の強さと正の相関がある(経済財政白書)。白書は同様の関係が、雇用保護と失業率の間にも成り立つことを示している。したがって民主党政権が派遣労働を禁止して雇用規制を強めると、格差が固定されるとともに失業率が上がる可能性が高い。

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ただし井出氏が「非正規と正規の待遇差をなくして、所得移転をする」ことが本来されるべき議論だとしているのは、前半は正しいが後半は誤りである。上でものべたように、所得移転によって自然失業率は変わらない。厚労省が1500倍以上に激増させた雇用調整助成金のようなバラマキ雇用対策は、社内失業を温存して労働市場を硬直化し、ゾンビ企業を延命することによって90年代と同じような不況の長期化をまねくだろう。問題は正社員だけに保障されている「終身雇用」という特権を廃止し、非正社員との身分差別をなくすことである。

クルーグマンはどこで間違えたのか

先日、紹介したクルーグマンのエッセイにレヴィン池尾さんも怒っているが、いちばん頭にきているのは、名指しでバカ扱いされたコクランだ(原論文はここ)。
クルーグマンは効率的市場仮説(EMH)を批判しているが、それを理解してないようだ。彼は「経済学者がバブル崩壊を予想できなかった」というが、誰も市場の動きを正確に予想することはできないというのがEMHの基本命題で、今回の事件はそれを証明したのだ。いっておくが、市場が「効率的」だというのは「安定している」という意味じゃないよ。

市場経済の本質はそれが完全だということじゃなく、ハイエクが言ったように、それが不完全な知識でもどうにか動くということだ。クルーグマンは政府が市場より賢明だと想定しているが、超低金利を続けて資金過剰を作り出し、ファニー・フレディーに事実上の債務保証を与えて住宅バブルを生み出した政府が、市場より賢いと信じている経済学者は彼ぐらいのものだろう。人々が不合理だという行動経済学の主張は正しいが、同様に政府も不合理なのだ。

特に支離滅裂なのは、彼が70年前のケインズ理論を擁護している部分だ。ケインズが書いたように穴を掘って埋めようともGDPさえふくらめばいいというのなら、マドフは英雄だ。彼は投資家の余剰資金を預かって、それを派手に使う人々(彼自身を含む)に与え、「有効需要」の増加に貢献した。この理論によれば、政府の財政資金がすべて盗まれるのがいちばん簡単で効果的だ。泥棒の限界消費性向はきわめて高いからだ。

経済学の現状についてのクルーグマンの理解は、30年前で止まっている。われわれはKydland-Prescottの1982年の理論を復唱しているわけではなく、現在の研究の主眼はどのような不完全性や摩擦があるかを実証的に検証することだ。クルーグマンは実証には関心がないようだが、「真水理論」は実証研究のベンチマークにすぎない。彼は「経済学は数学的に複雑になりすぎた」というが、問題は逆だ。今のマクロ経済学は、この複雑な経済を扱うには単純すぎるんだよ。
私はマクロ経済学の専門家ではないので印象論でいうと、レヴィンも指摘するように、ケインズ的な財政政策を支持するクルーグマンの議論は理論的にあやふやで、実証的にもおかしい。オバマ政権の巨額の財政政策がほとんど執行されないうちに、景気は回復してきた(これは日本でも同じ)。クルーグマンの素朴ケインズ主義は、コクランもいうように、民主党政権を応援する政治的なにおいが強い。

ただしその他の部分については、クルーグマンの批判は理解できる。超合理的個人=計画当局による永遠の未来までの計画(ダイナミック・プログラミング)をベンチマークとする理論に異質性や不完全性を入れても、それは天動説に惑星の「異質性」を入れるようなものだ。コクランのいうように、今後もっと複雑なハイテク経済理論が生まれる可能性は(論理的には)否定できないが、それは今の真水理論の延長ではないだろう。トマス・クーンも指摘したように、科学と宗教に本質的な違いがないとすれば、多くの若い研究者が真水理論への信仰を失い始めていることは間違いない。

ユニクロは日本を滅ぼすか

今月の『文藝春秋』に出ている浜矩子氏の「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という記事が話題を呼んでいる。日本経済のスーパースターと目されるユニクロが日本経済を滅ぼすと主張しているので、私も見出しに引かれて読んでみたが、唖然とした。彼女はこう書く:
この過激なまでの安売り競争は、さらに一段の不況地獄の先触れではないだろうか。少し落ち着いて考えてみればいい。250円の弁当で1食すませる生活が当たり前になれば、まともな値段の弁当や食事は「高すぎる」ということになってしまう。(強調は原文)
もう少し落ち着いて考えてみよう。「まともな」値段とは何だろうか。浜氏は原価に「適正利潤」を乗せた価格を想定しているようだが、これは誤りである。少なくとも経済学でいうまともな価格(均衡価格)は、限界費用と等しい水準であり、利潤はゼロになることが効率的なのだ。そういう競争をしたら「経済がどんどん縮小してゆき、デフレの悪循環に陥っていく」と彼女は書くが、そんなことは起こらない。ユニクロや弁当の値下げは貨幣的なデフレではなく、相対価格の変化なので、価格が限界費用と均等化すれば止まる。そして価格が下がれば需要は増えるので、ユニクロのように高い利益が上がる場合も多い。

この値下げ競争を防ぐために浜氏が提言するのは「限度を超えて安いモノは買うな」という政策(?)だ。具体的には「日本経済のために日産の人はトヨタの車を買い、トヨタの人は日産の車で通勤」すべきだという。こういう「国産品奨励」を保護主義というのだ(彼女は別の部分で保護主義を批判しているが、その意味も知らないようだ)。これは「デフレを止めるために安売りを規制しろ」と主張する後藤田正純氏と同じレベルである。

これ以上は説明するのもバカバカしいので、あとは大学1年生の教科書を読んでいただきたい。こういう話を商店街のおじさんがするならともかく、「同志社大学教授」がするのは困ったものだ。『グローバル恐慌』などというタイトルだけで読む気がしないので、浜氏の本は読んだことがないが、日本の自称エコノミスト(彼女は元三菱総研)が初等的な経済学も理解していないことを示す実例だ。これは「誰でもわかる経済教室?」だそうだが、(当ブログを読んで毎号送っていただく)文春の編集者にはシリーズの筆者を替えることをおすすめする。

グローバル化とは、浜氏のいう「自分さえよければ病」である。中国は日本の企業の迷惑なんか考えず、安い商品を輸出する。それによって日本の消費者は同じ所得で多くのものが買えるので、実質所得は上がる。市場経済では、企業が損しようが倒産しようが問題ではない。企業は消費者のために存在するのだから、最大化されるべきなのは消費者の効用であって、企業の利潤ではない。そして消費者の好む商品・サービスをもっとも安く提供する企業が生き残ることで、福祉は最大化されるのだ。

問題は要素価格の均等化によって日本の労働者の賃金が中国に鞘寄せされることだが、これは避けられない。IMFによればここ20年、グローバル化とskill-biased technological changeによって所得格差は拡大しており、特に単純労働者の賃金は世界的に均等化している。日本は労働市場が硬直化しているためにその影響は小さかったが、非正社員の増加という形でその影響が出ている。この潮流から自衛するする方法は、基本的には二つしかない。

第一は、金融やソフトウェアなどの新興国ではできないスキルを身につけ、新興国を生産基地として使う水平分業のハブになって利潤を上げることだ。これがIBMやアップルを典型とする、アメリカの多国籍企業が行なった戦略転換だが、日本でこうした転換に成功したのは、ユニクロなど数社しかない。ユニクロは日本を滅ぼすどころか、日本企業がグローバル化するロールモデルなのである。

第二は、福祉・医療・流通などの非貿易財やサービス業に労働人口を移動し、中国との競争から逃げることだ。サービス業の労働生産性は製造業より低いので、製造業から労働者が移動すると賃金が切り下げることは避けられないが、この部門は過剰に規制されているので、規制改革によって競争を促進すれば、生産性が上がって賃金も上がる。限界生産力説の教えるように、賃金を上げる方法は長期的には労働生産性を上げるしかないのだ。

このような「自分さえよければ」という社会を嫌悪する人が多いことは理解できるが、日本だけ「友愛」をとなえても、数億人の飢えた人口を抱える中国はつきあってくれない。自分だけそこから抜け出す方法は、保護主義と規制強化しかない。幸か不幸か「反グローバリズム」を標榜する民主党はそういう政策を選ぼうとしているようにみえるが、それこそ浜氏のいう「縮小均衡の道」である。

民主党の「反ケインズ政策」

TBで教えてもらったが、民主党の「減額補正」の動きをFTが「景気刺激の国際協調に水を差すものだ」と批判している。鳩山内閣の財務相になる予定の藤井裕久氏も、「これはデリケートな問題だ」と認めている。

麻生政権のバラマキ補正は、乗数効果を1としてもGDPを3%押し上げる効果をもつ。未執行分は8.3兆円もあるそうだが、これを全部やめると、GDPは1.6%下がる。これを子ども手当などに回すとしても、来年度以降の話だ。つまり藤井氏の行なっているムダ撲滅は、負の景気対策なのである。これは民主党のバラマキ福祉が「可処分所得」を増やす成長戦略だという説明をみずから否定している。子だくさんの家庭で増える可処分所得の財源をムダの削減でまかなうと、公共事業がなくなって職を失う人々の所得が減るので、マクロ経済的にはプラスマイナスゼロなのだ。

では地底人のように、「どんなムダでもいいから政府が金を使え」という主張は正しいだろうか。これまでにも紹介したように、このような素朴ケインス主義を主張する経済学者は、今はほとんどいない。1930年代にケインズのとなえたバラマキ財政政策も誤りで、本来は通貨を十分供給して銀行の連鎖倒産を防ぐべきだった。今回の日本の不況についていえば、GDPの落ち込みは輸出関連産業に集中しているので、土木事業に税金をばらまいても意味がない。

つまり問題は、集計的なGDPを増やすことではなく、「市場の失敗」の起きた部門を政府が支援して自律的な回復をうながすことなのだ。この観点からいうと、バラマキ補正そのものがナンセンスであり、それを巻き戻す減額補正は正しい。特に今回の日本の不況の原因はマネタリーな要因によるものではなく、外需の減少というリアルな需要ショックによるものだから、負の需給ギャップが生じているとすれば、在庫調整が終わらないかぎり、金融・財政政策の効果は限定的だ。

この問題は「高校生の経済学」では理解できず、素朴なIS-LMで考えると、逆に「デフレなんだからヘリコプターから金をばらまけ」とか「ゼロ金利でもマネタリーベースを無限に増やせばインフレが起こる」とかいう金融バラマキ政策が出てくる。民主党の「反ケインズ政策」も、臨時国会で「景気最優先」を唱える自民党の攻撃を受けるおそれがあるが、民主党のマニフェストにはマクロ経済政策という言葉さえない。素朴に「ムダ撲滅」ばかり言っていると、国会で立ち往生することになりかねない。

最近の(大学院レベルの)マクロ経済学で教えるのは、長期的に維持可能な自然水準を無視した短期的バラマキ政策は(財政・金融ともに)有害だということである。残念ながらこれをやさしく説明したマクロ経済学の教科書はほとんどないが、Mankiwの教科書の次のバージョンのゲラが公開されている。誰か政調会のスタッフが、この部分だけでも(ペラ3枚ぐらいに)翻訳し、マクロ経済学者に「大臣レク」をしてもらって理論武装してはどうだろうか。

経済学はどこで間違えたのか

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クルーグマンが、大恐慌以来の経済学の変化を振り返り、もう一度ケインズの直面した問題に立ち戻るべきだと論じている。
As I see it, the economics profession went astray because economists, as a group, mistook beauty, clad in impressive-looking mathematics, for truth. Until the Great Depression, most economists clung to a vision of capitalism as a perfect or nearly perfect system.
新古典派経済学の欠点は、その理論が単純すぎて実証的テストに耐えないため、何が正しいかではなく何が美しいかによって理論が選ばれることだ。ケインズは経済を不合理な「カジノ」と見たが、危機が去ると経済学者は彼の問題意識を忘れ、経済は自動的に均衡に復帰するという学派が勢いを取り戻した。
Friedman made a compelling case against any deliberate effort by government to push unemployment below its “natural” level (currently thought to be about 4.8 percent in the United States): excessively expansionary policies, he predicted, would lead to a combination of inflation and high unemployment - a prediction that was borne out by the stagflation of the 1970s, which greatly advanced the credibility of the anti-Keynesian movement.
フリードマンの「自然失業率」理論は、学問的にも政策的にも大きな成功を収め、ケインズ理論は死んだ。しかしこうした混じりけのない市場経済を信じる「真水」経済学はフリードマンをはるかに超え、超人的な「代表的個人」が永遠の未来までの経済状況を完全に予見して瞬時に市場がクリアされるというシュールリアリスティックな理論を生み出した。
Even so, you might have thought that the differing worldviews of freshwater and saltwater economists would have put them constantly at loggerheads over economic policy. Somewhat surprisingly, however, between around 1985 and 2007 the disputes between freshwater and saltwater economists were mainly about theory, not action.
市場が不完全だと論じる「塩水」学派もいたが、経済政策については彼らの意見も同じだった。財政政策は有害無益で、金融政策がマクロ経済政策と同義になり、経済はFRBによって完全にコントロールできると信じられるようになった。80年代から2000年代にかけて、大平穏(Great Moderation)とよばれる経済の安定した状況が続き、経済学も平穏になった。
But the crisis ended the phony peace. Suddenly the narrow, technocratic policies both sides were willing to accept were no longer sufficient - and the need for a broader policy response brought the old conflicts out into the open, fiercer than ever.
今回の危機は、こうした偽りの平和を破った。ゼロ金利のもとでは、テクノクラティックな金融政策は役に立たないのだ。オバマ政権の基本戦略はケインズ的な財政政策だが、これは真水学派から批判を浴びている。この論争が決着するには時間がかかりそうだが、大事なのは理論と事実が違っているときは事実が正しいということだ。
Larry Summers once began a paper on finance by declaring: “THERE ARE IDIOTS. Look around.” But what kind of idiots are we talking about? Behavioral finance, drawing on the broader movement known as behavioral economics, tries to answer that question.
ありのままの事実を説明する行動経済学が、今後の方向としては有望だろう。それが新古典派のような美しい理論体系になることは期待できないが、サマーズも言ったように「世の中にはバカがたくさんいる」という不都合な真実から経済学は再出発するしかない。

日本は小国になれるか

おとといの記事のコメント欄で「日本はもう成長を追求するのはやめて、小国としてのんびりやろう」という考え方についての論争が続いている。私は個人的には、そういう路線が可能なら、それもいいと思う。最近、行動経済学で議論されているのは、新古典派経済学の前提としている富の最大化という目的関数が、人々の幸福とあまり関係がないという問題だ。特に日本はそのギャップが大きく、一人あたりGDPは(落ちたとえはいえ)世界で20位前後だが、幸福度は90位だ。

これに対して経済学者の普通の答は「幸福度なんて曖昧な基準はお遊びにすぎない」というものだが、そうだろうか。実は経済学の目的関数も、本当は富ではなく効用という曖昧なものだ。それが市場で需要として表明されることで富に変換されることになっているが、これでは市場では得られない「安心」とか「のんびり」といった価値への評価は計測できない。モノの需要が飽和する一方、環境や文化の重要性が高まってきた今日では、GDPとは別の指標で幸福を考えることも意味があるだろう。

たとえば客観的な指標の一つとして自殺率をとると、日本は東欧諸国と並んで第8位、主要国では断然トップだ。10万人あたり23.7人という自殺率は、イギリスやイタリアの3倍を超える異常なもので、日本人がかなり「不幸」であることを示唆している。Economist誌は、この背景には日本の「生き恥」をさらすことを好まない文化と、やり直しのきかない労働市場や企業システムの問題があるとしている。

こういう問題は「市場原理主義」をやめて、みんなに平等に分配したら解決するだろうか。税負担が大きくなると、金持ちやグローバル企業は日本から出て行くだろう。それによって成長率がゼロ以下になると、財政や年金の赤字をファイナンスすることは不可能になるので、財政が破綻する。結局、貧乏人と若者に負担がしわ寄せされ、ますます自殺は増えるのではないか。

こう考えると、GDPを大きくしないで分配を平等にしようという民主党の「高福祉・高負担」路線は、結果的にはもっと不平等で貧しい社会をもたらすおそれが強い。「成長戦略」を口先でいっている自民党のバラマキ路線も、実質的には同じだ。つまり日本には「小国主義」の政党が二つあるのだ。それも首尾一貫していれば立派な国家戦略だと思うが、それなら「みんな一緒に貧しくなろう」とマニフェストに正直に書いてほしいものだ。それに小国主義の政党は二つもいらないので、成長をめざす党が必要だ。今度の選挙は、そういう本当の二大政党になるまでの過渡的なステップだろう。






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