戦後の保守本流は「小さな政府」だった。資源がなく貧しかった日本の税収は少なく、国債は建設国債しか発行できなかった。岸信介は戦時国債の経験から赤字国債を許さず、赤字国債(特例公債)が初めて発行されたのは1965年だった。その後も赤字国債は毎年、国会で特別法を可決しないと発行できず、歳出をいかに削減するかが政権の最重要事項だった。
自民党の右派は均衡財政主義で、行政改革が政権のコアだった。中曽根政権の国鉄・電電民営化のあと、小沢一郎氏が首相官邸への機能集中や小選挙区制などの改革を実施し、英米型の新自由主義を継承する予定だった。彼の『日本改造計画』の序文には、グランドキャニオンの体験がこう書かれていた。
国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。[中略]これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。
鮮烈な「強い個人」による小さな政府の宣言だった。私を含めて多くの人が「これで日本は変わる」と期待したのだが、それは幻に終わった。その一つの原因は小沢氏の独善的な政治手法にあったが、もっと根本的な問題は日本人の国家意識にあると思う。
4月からのアゴラ経済塾では、そういう問題をみなさんと考えたい。
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