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テレビ朝日という二流企業

キャプチャ

財務次官の騒ぎで印象的なのは、テレビ朝日の対応のお粗末さだ。記者会見によると、調査を始めたのは今週の月曜(16日)で、その日に件の女性記者が名乗り出たというが、問題の音声がネットに出たのは先週(4月12日)だ。財務次官の番記者で女性なんてわずかだから、すぐ「彼女だ」と気づくのが普通だ。本人が事実を認めたら先週のうちに懲戒解雇し、報道局長は更迭して今週発表するぐらいが当然だ。それなしで財務省に処分なんか要求できない。

会見もしどろもどろで、「それはいえない」という話ばかり。「財務省に抗議する」というが、質問は情報漏洩に集中し、さすがに報道局長は「音声データを第三者に流したことは不適切だった」と認めたが、「無断で録音したのか」という質問には、意味がわからないので答えられない。報道局長まで含めて、ジャーナリストとしての基本ができていない。

はっきりいって、テレ朝は二流企業である。もとはNET(全国教育テレビ)という独立系の局だったが、テレビ局のほしかった朝日新聞が田中角栄に頼んで1977年に子会社にした。「朝日放送」という会社はすでに大阪にあったが、当時はTBS系だった。それを角栄が強引に株式交換でNETと系列化し、「全国朝日放送」というまぎらわしい社名になった。

経営陣はNETのころ入社したので、報道はまったく知らなかった。社長は代々朝日新聞の天下りで、ニュースは新聞の原稿をもらっていた。新聞も大事なニュースは「ラテ禁」(ラジオ・テレビ禁止)で、翌朝までテレビに出さなかったので、テレ朝にはスクープが存在しなかった。そういう状況が変わったきっかけは、1985年の「ニュースステーション」の開始だった。

続きは4月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

福田次官の事件は「テレビ朝日のセクハラ」



きのうから財務省の福田次官の辞任にからんでテレビ朝日が記者会見し、騒ぎが続いているが、事態が刻々と変わるので、今の段階の状況をメモしておく。福田氏の発言がセクハラかどうかは本人が争っているのでグレーだが、きのうテレ朝が明らかにしたのは、次のような事実だ:
  • 少なくとも2016年11月から今年4月まで、女性記者が福田氏とのオフレコの会話を無断で録音した。
  • 記者は問題を報道しようとしたが、上司が握りつぶした。
  • このため女性記者は、音声データを週刊新潮に提供した(金銭の授受はないと主張している)。

続きはアゴラで。

マスコミの「過剰報道」が国会を迷走させる



森友学園が一段落したと思ったら、今度は加計学園で「首相案件」という話が出てきた。これは事実だとしても違法行為ではない。シリアでは空爆が始まったというのに、こんなくだらない話に国会審議を浪費している場合ではない。

続きはアゴラで。

日本の映像産業はなぜ衰退したのか

規制改革推進会議の放送改革案が(まだ答申が出てもいないのに)話題を呼んでいるが、本質的な問題は日本の映像産業がここまでだめになったのはなぜかということだ。

1950年代の日本映画は、世界でも最高水準だった。黒沢明はスティーブン・スピルバーグなどのハリウッド映画に影響を与え、溝口健二はジャン=リュック・ゴダールなどのヌーベル・バーグの手本となったが、60年代以降の映画産業は質量ともに衰退の一途をたどった。年間入場者数は1958 年の約11億人をピークに減少し、最近では全盛期の2割にも満たない。

一般には、映画の没落はテレビの登場による不可避な運命だったと考えられているが、米国では映画産業はその後も発展した。関連産業もあわせた娯楽産業の国内総生産は電機産業や自動車産業と肩を並べ、米国の最大の輸出産業となっている。何がこのような大きな違いをもたらしたのだろうか?

続きは4月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

放送と著作権のわかりにくい関係

アゴラでも書いたように、放送法4条はどうでもいい話で、撤廃しても衛星に「自民党チャンネル」や「共産党チャンネル」ができる程度の影響しかない。放送と通信の最大の障壁は著作権だが、これはとてもややこしいので理解している人は少ない。規制改革推進会議も理解しているかどうかあやしいので、10年ぐらい前に書いた報告書の一部をブロマガに載せておく。

放送とは「公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信」(放送法2条1項)なので、もともと通信に含まれる。「公衆によって直接送受信」できるモバイル端末が1億台以上ある時代に、送信だけを別の法体系で規制する理由はない。別になっているのは、ラジオ時代からの歴史的な経緯である。

放送は電波の利用効率の悪い通信だが、高出力で広い地域に送信できるため、一種の公益事業として特別な扱いを受けている。その一つが、多くの権利者から著作権の許諾を一括して受ける包括ライセンスである。これは放送局以外の業種で禁じられているわけではなく、通信事業者と著作権者の双方が合意すれば、ネット配信でも包括ライセンスは可能だが、不特定多数の権利者を対象にする場合、きわめて困難だ。

続きは4月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

読売新聞ナベツネ主筆の誤解している放送改革

最近、放送法についてマスコミが何を騒いでいるのかよくわからなかったが、どうやらその裏には読売新聞の「主筆」がいるらしい。現代ビジネスの記事によると、3月30日に安倍首相は、渡辺恒雄氏と一緒に東京ドームで巨人=阪神の開幕戦を観戦したという。
読売新聞社関係者が明かす。「実は、渡邉主筆はこの試合の半月ほど前に、読売新聞東京本社で行われた会議の席上で『首相がその気なら全面対決だ』と発言したというのです。読売社内では『これまでの親安倍から反安倍に路線変更か』と大きな話題になっていました」

続きはアゴラで。

言論統制で民放の既得権を守ろうとする読売新聞

安倍政権の進めている通信・放送改革に、読売新聞が「番組の劣化と信頼失墜を招く」という社説で反撃している。政府の規制改革推進会議が「テレビ・ラジオ局の放送事業者とインターネット事業者の垣根をなくし、規制や制度を一本化する」ことに、読売は反対だという。その理由は
放送局は、放送法1条で「公共の福祉の健全な発達を図る」ことを求められている。民放はこうした役割を担い、無料で様々な番組を提供してきた。同様の規制がなく、市場原理で動くネット事業者を同列に扱うのは無理がある
というのだが、これがわからない。民放が無料なら、インターネットも無料だ。ネット事業者が「市場原理で動く」というなら、民放も市場原理で動いている。そうでなければ、彼らはどうやって株式会社を経営しているのか。

続きはアゴラで。

通信・放送改革をめぐる誤解と混乱

規制改革推進会議は、月末にも通信・放送の規制改革の方針を出す予定だが、共同通信が「新たに入手した政府文書」によると、次のような方針が出るそうだ。
放送局に番組基準の策定や番組審議会の設置を義務付けたり、教養、報道、娯楽など番組ジャンルの調和を求めたりしている規定を撤廃。一企業による多数のマスメディア所有を禁じた条項や外資規制も廃止する。 また地上放送の組織に関する放送法の例外規定を撤廃。既存局を、番組を供給するソフト部門と、放送設備を運営するハード部門に分離したい意向とみられる。
ここから推測する限り、改革の中身は10年前に話題になった情報通信法案の焼き直しである。このときも放送法4条の「政治的公平」などの規制を撤廃し、コンテンツとインフラの規制を水平分離する案が検討されたが、放送業界の反対でつぶされた。

続きはアゴラで。

読売新聞の奇妙な電波改革反対キャンペーン

読売新聞が「安倍「放送」改革に潜む落とし穴」という意味不明な記事を書いているが、その中に私の名前が出てくる。
池田氏「放送局の方の出されている資料を見ると、例えば男体山とか、山の奥の話をしているわけです。要するに、日本の国土全体から見ると0・何パーセントの人々のために、物すごく贅沢に電波資源を使っているわけです」(中略)。

競争入札で最高額を示した企業に周波数帯の利用権を与える「電波オークション」の論者として知られる両氏の発言は、筆者の耳には「極論」「暴論」と聞こえるのだが、実は安倍首相のブレーンとしても知られる原座長は、かなり肯定的に受け止めているようだ。
加藤理一郎という記者は、私がここで「電波オークション」を主張していると思っているようだが、これはオークションではなくSFNによる区画整理の話である。私は山の奥の中継局を廃止しろといったのではなく、親局と中継局は同じチャンネルで放送できる(現にしている)という技術的には自明の話をしただけだ。

読売が危機感をもったきっかけは、2月6日の衆議院予算委員会で安倍首相が放送法第4条(政治的中立)の撤廃に言及したことらしい。世界的には多チャンネル化を進めて放送内容の規制を撤廃するのが常識で、放送業界にとっても言論の自由が広がるのだから結構なことだろう。ところが読売は規制の撤廃に反対だという。

加藤記者はこれを「規制のないネットの世界に地上波放送を移行させ、空いた周波数をモバイルなどに有効利用する」と解釈しているのだが、首相も規制改革推進会議もそんなことをいっていない。いまだに民放連が電波改革をこう誤解していることが混乱の原因である。電波を有効利用しても、テレビ局は今まで通り放送を続けられるのだ。

続きは3月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「取材源の秘匿」は法的な権利ではない

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「財務省が書き換えたと主張する朝日新聞は証拠を出せ」という人は(私を含めて)たくさんいる。財務省が新しい証拠を出さなければ、それしか国会を打開する手段がないからだ。幸い週明けには財務省が「書き換え」を認めるようだが、それでも国会が動かなければ、挙証責任は「書き換え」を報じた朝日新聞にある。

朝日に証拠の開示を要求することは間違っていない。取材源の秘匿は「職務上の秘密を守る」という業界ルールにすぎず、法的に保護された権利ではないからだ。なぜジャーナリストだけが、他人の違法行為をいうとき証拠を出さなくていいのか。「書き換え」を報じたのが一般人のブログだったら、朝日新聞と違って文書を出す義務があるのか。「ジャーナリスト」の定義は何か。それは「ブロガー」とどう違うのか。

――と考えればわかるように、取材源を秘匿する「ジャーナリストの権利」なんて法的には存在しない。これこそジャーナリズムの「いろはのい」であり、大学でもそう教えることが正しい。江川紹子さんが、ネット時代に「ジャーナリストだけに取材源を秘匿する特別の権利がある」と思い込んでいるとすれば、それは単なるマスコミの特権意識である。

続きは3月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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