メディア

「PCB汚染」はNHKの報道災害だった

福島でトリチウムが騒がれているが、これは普通の水にも含まれている、ほぼ無害といってよい物質である。こういう物質がいったん有毒物質として騒がれると、それが科学的には無害とわかっても、莫大なコストをかけて処理しなければならない。

私が取材する側として経験したのが、PCB(ポリ塩化ビフェニール)である。これは1万4000人が食中毒になったカネミ油症事件の原因とされたが、瀬戸内海の魚からPCBが検出されたことをNHKがスクープし、全国で魚が売れなくなるパニックが発生した。PCBの製造・輸入は禁止され、それを使った製品はすべて廃棄され、いまだに最終処分できないまま大量に貯蔵されている。

しかしその後の調査で、食中毒の原因は熱媒体として使われていたPCBではなく、それが加熱されてできたダイオキシンであることがわかった。中西準子氏の研究でも、ライスオイル中毒の原因はPCBではなくダイオキシンだったと結論している。

これはNHKも早くから気づいていた。私がPCB問題を取材した1980年代から「原因はダイオキシンだ」という研究発表が出ていたが、NHKは無視した。それを認めると、大スクープが誤報ということになってしまうからだ。そして原因がダイオキシンだということがわかると、今度はダイオキシン騒動が起こった。

続きは9月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

ネットメディアの間違いだらけの「在日ネタ」

このごろネットメディアの劣化が目立つ。ヤフーやハフィントンポストやバズフィードはもともと左翼的だったが、最近は現代ビジネスまで、間違いだらけの在日ネタを載せるようになった。次の文章は、根本的に矛盾している。
たしかに、日本の領土の一部であった朝鮮半島の出身者の多くには、植民地支配における負の遺産が引き継がれている。彼らは、戦争で受けた苦しみを、戦後も引き続き受け続けているのも事実である。
「日本の領土」だった朝鮮半島の出身者が「戦争で受けた苦しみ」とは何か。この戦争は、まさか日清・日露戦争ではあるまい。第二次大戦では朝鮮半島は日本の領土だったので、戦場にならなかった。日本兵として出征した朝鮮人は、アジアに対する加害者だったのに、この記事は朝鮮人を戦争で苦しみを受けた被害者として書いている。

徴兵されて南方で死んだという筆者(在日コリアン3世)の大伯父の遺族が、遺族年金を受給できなかったのは当たり前だ。この記事も書いているように「補償の対象は日本国籍を有する者に限定されていた」のだから、遺族が日本国籍を取ればよかったのだ。

ところが帰化しないで年金を受け取る特権を「在日コリアンだけに認めろ」という運動が、戦後ずっと続いてきた。それが日本人の韓国人に対する感情の悪化する一つの原因だが、筆者はその自覚もなく、戦争と植民地支配を混同して、具体的内容のない「不公平感」をいいつのる。

続きは9月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

在日問題を知らないで「弱者の味方」を演じる人々

ネットメディアにも、間違いだらけの「在日」の話が出てきた。

この記事では「在日コリアン3世」と自称する匿名の女性が「私たちはいま、生きるか死ぬかの瀬戸際にいると思っています」とか「連れ出されて殺されるってことも想像しています」などと妄想を語っているが、その具体的な根拠は何もない。

続きはアゴラで。

日韓の対立をあおったのは誰か

吉見義明氏が毎日新聞のインタビューで、慰安婦問題について語っている。この記事は見出しで「『従軍慰安婦はデマ』というデマ」と書き、本文では「慰安婦問題はデマ」と書くなど混乱している。この問題を風化させないためにも、話を整理しておこう。

続きはアゴラで。

慰安婦問題は偶然から生まれた

毎年この季節になると慰安婦問題が出てくるが、今では誤解している人も多いので、リアルタイムの経験を記録しておくのも私の世代の責任だろう。私が偶然この問題が発生する現場に立ち会うことになったのは、NHK大阪放送局に勤務していた1991年夏のことだった。 毎年8月になると終戦記念番組をやることになっていたが、私は運悪くその担当に当たった。

そのころまで戦争の番組といえば、戦争がいかに悲惨かを当事者に証言させるものだったが、そういうネタは尽きたので、海外取材で目先を変えようということになった。そこで出てきたのが強制連行だった。これは朴慶植という朝鮮大学校の教師の造語で、彼の『朝鮮人強制連行の記録』によると、100万人以上の朝鮮人が官憲に連行されて日本で強制労働させられたという。これはどうみても誇張された数字だが、朝鮮人が徴用されたことは事実なので、その実態を韓国で調べてみようということになった。

このとき偶然、NHKに「慰安婦」を売り込んで来たのが福島瑞穂弁護士だった。これは戦時中に軍の慰安所で働いた娼婦の未払い賃金の問題で、韓国で高木健一氏などの弁護士がそれを請求する訴訟の原告を募集し、そのうち金学順という慰安婦が初めて実名で名乗り出たのだ。その訴訟の広報担当が福島氏で、同時に朝日新聞などにも売り込んだ。これを同僚が取材して、私の取材した強制連行と2日シリーズでNC9の企画ニュースにした。

920111だからもともと男の強制連行と慰安婦は別の話で、別々の担当者が取材していた。それを朝日が混同して、植村隆記者が慰安婦が軍に連行されたかのような記事を書いたが、当時は他社も似たようなものだった。戦争中の古い話で、強制かどうかなんて大した問題ではなかったのだ。それを結びつけて日韓の外交問題に昇格させたのが、1992年1月の朝日の記事「慰安所 軍関与示す資料」だった。

続きは8月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

慰安婦問題の知られざる主役

半導体報復でまた日韓問題がもめているが、1990年までほとんど存在しなかった慰安婦問題を日韓の外交問題にしたのは朝日新聞である。これについては、いまだに第一報を書いた植村隆記者が主役のように取り上げられるが、彼は当時33歳の駆け出しで、デスクに命じられて2本の署名記事を書いたに過ぎない。大部分の記事は無署名で、そのキャンペーンの責任者は大阪社会部デスク(次長)の鈴木規雄(故人)だった。

鈴木は千葉支局デスクだった1988年に初めて日本人慰安婦の「証言」を記事にし、大阪社会部デスクに異動して、1991年8月に慰安婦の記事を書かせた。その翌年1月の宮沢訪韓の直前に「軍関与示す資料」という1面トップの記事が出たときの東京社会部デスクも鈴木だった。これは偶然ではありえない。大阪から東京に拠点を移してキャンペーンを続け、慰安婦問題を日韓の政治問題に仕立てたのは朝日新聞社会部だったのだ。

ところが慰安婦の強制連行についての唯一の情報源だった吉田清治の証言の信憑性があやしくなって批判が強まり、朝日は1997年3月の特集で吉田証言の「真偽は確認できない」と曖昧な総括をした。この記事を書いた「検証取材班」の人選をしたのも、当時名古屋社会部長だった鈴木である。

続きは7月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

NHKのネット同時配信はなぜ「民業圧迫」なのか

NHKは今年度中にインターネットの常時同時配信を始める予定だが、これに対して民放連は強く反対してきた。その理由は「民業圧迫」だというが、これは変な話である。民放はネット同時配信をしていないので、圧迫すべき民業はないからだ。

TVerという民放共同のオンデマンドのサイトがあるが、その存在すらほとんど知られていない。民放は「ネット配信はもうからない」というが、もうからないならNHKに圧迫されることもないだろう。

続きはアゴラで。

NHKはなぜ地上波にスクランブルをかけないのか

abema

きのうのアベマプライムでは「NHKの地上波にもスクランブルをかけろ」という私の意見にまったく反対は出なかった。見てない人も払わされる受信料制度がNHKへの不信感のもとになり、「NHKから国民を守る党」などという泡沫政党が(地方議会とはいえ)26人も当選する原因になっている。

この問題の解決は技術的には簡単だ。BSにはB-CASでスクランブルをかけているのだから、地上波にもかければいい。2007年には当時の橋本会長が「地上波にもスクランブルをかけたい」と発言したことがあるが、結局できなかった。その後も、この問題はずっとタブーになっている。NHKの経営形態の問題に発展するからだ。

スクランブルをかけると、見ない人は払わなくてもいい視聴料になり、NHKはWOWOWやスカパーと同じ民間の有料放送になる。受信料制度はなくなるので放送法は改正され、NHKは完全民営化される。これによって経営は効率化し、政治の介入からも解放され、インターネットにも自由に参入できるようになるが、それは政治家と民放連には都合が悪いのだ。

続きは4月29日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

身の安全は「自己責任」では守れない

シリアでテロリストの人質になっていたフリージャーナリストの安田純平氏が解放されたが、マスコミは妙に甘い。たとえば日本人拘束、繰り返される「自己責任論」という朝日新聞の記事は、ネトウヨが「自己責任」を主張して彼を「バッシング」しているという印象操作をしているが、これは逆である。自己責任を主張したのは彼なのだ。



続きはアゴラで。

3・11は朝日新聞の「満州事変」

原発とメディア 新聞ジャーナリズム2度目の敗北
かつて朝日新聞は原発推進のリーダーだった。本書は震災後の連載を2012年に書籍化したもので、朝日の「黒歴史」の記録としては貴重だが、問題を取り違えている。著者は朝日の原発推進キャンペーンを満州事変と比べて「2度目の敗北」と書いているが、これは逆である。満州事変に相当するのは3・11なのだ。

1931年9月まで朝日は軍縮論だったが、一夜にして主戦論に変わった。福島第一原発事故の前は、朝日の社内でも賛否両論だったようだが、事故後は反原発一色になり、「プロメテウスの罠」を初めとする放射能デマを大量に流した。放射能による人的被害はなく、ほとんどの被害は朝日を中心とするマスコミが作り出した風評被害である。そういう報道の原因も満州事変と同じで、反原発でないと売れないからだ。

ところが当の記者は、著者のように自分が正義だと思い込んでいる。結果論で放射能デマを正当化するうちに、嘘が正義にすり替わったのだ。かつての戦争のときも、慰安婦問題のときも、こうだったのだろう。それをリアルタイムで検証することは大事である。

続きは9月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ