経済

MMTって何?

このごろ日本でMMT(現代貨幣理論)という理論が流行しています。これは50年ぐらい前からある話で、現代的でも貨幣理論でもないのですが、アベノミクスが手詰まりになった日本で今ごろ話題になっています。

MMTは基本的にはケインズ理論の焼き直しで、目新しい点はありませんが、おもしろいのは内生的貨幣供給説です。これはお金の流通量は資金需要で決まるので、預金の制約を受けないという説です。

たとえばA社がB銀行に口座をもっているとしましょう。B銀行がA社に1億円貸し出すとき、1億円の札束を持って行くわけではありません。B銀行のA社の口座に、万年筆で「1億円」と書いたら終わりです。

これを万年筆マネーといいます。現代では「キーボードマネー」といったほうがいいと思いますが、ここでは銀行貸し出しは、預金がなくてもできるフリーランチのように見えます。

続きはアゴラで。

MMTで金利が上がったらどうなるか

MMTの流行も終わったと思ったら、日本では今ごろ本がいろいろ出てきた。この理論は日本ローカルの流行だが、その理由はよくわかる。MMTは金利のない理論なので、日本のようにゼロ金利がずっと続いている状態ではわかりやすいからだ。

レイは金利についてほとんど何も語っていないが「ゼロが望ましい」という。 MMTでは政府は絶対的に信頼できるので、国債にはリスクがない。したがって長期金利の均衡水準はゼロであり、政府債務はすべて中央銀行の発行する通貨でまかなえばいいのだ。

MMTには数式がないのでわかりにくいが、これはFTPLで説明できる。政府と日銀の統合バランスシートを考え、物価水準をP、マネタリーベースをM、市中で保有されている国債の評価額をB、財政黒字の現在価値をSとすると、物価=名目政府債務/財政黒字で、

  M+B
P=―――
   S

ここで日銀が量的緩和で国債を銀行から買い入れても、Mが増えた分だけBが減るので何も起こらないが、政府が国債を大量発行すると、Bが増えるのでPが上がる。つまりリフレはきかないが、財政赤字はきくのだ。

これがMMTの想定するゼロ金利の世界であり、今の日本には近似的に当てはまるが、金利がプラスになったらどうなるのかについてはMMTは何もいえない。金利の概念がないからだ。

続きは1月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「条件つきベーシックインカム」は可能か



前澤友作氏が100万円を1000人に配る実験が話題になっているが、これはベーシックインカムの実験にはならない。Universal Basic Income(UBI)は、すべての人に同じ金額を配る普遍性に意味があるので、1000人だけに配ってもしょうがない。

これはフィンランドの実験をまねたものだと思うが、あれはUBIではなく、失業者の中から抽選で2000人に毎月560ユーロ支給する失業給付の一種であり、財源がなくなって2018年に中止された。

UBIの最大の特長は複雑で不公平な社会保障を廃止してシンプルな定額給付に置き換えることだから、給付の対象を限定したら意味がない。たとえば「生活保護を受けている214万人だけに年100万円配る」と決めると、財源は214万×100万=2兆1400億円ですむが、それ以外の社会保障は今のままだ。

他方すべての国民にUBIとして100万円を配るには、1億2000万×100万=120兆円が必要になり、これは現在の社会保障給付の総額とほぼ同じだ。今の社会保障を廃止することは政治的に不可能であり、これがUBIの最大の障害となっている。

つまりBIは部分的に実施すると効果がなく、全面的に実施すると巨額の財源が必要になる。その中間の解はないだろうか。

続きはアゴラで。

銀行が安楽死する時代

今年はマイナス金利が日本から世界に広がった年だった。これを受けて「金利なんか気にしないで政府がバンバン借金すればいい」というMMTが流行したが、これは単に金利をゼロと仮定しているだけなので、ゼロ金利を説明できない。

マイナス金利の原因を自然利子率の低下と考えるサマーズやブランシャールの長期停滞論が大きな影響をもつようになったが、彼らもマイナス金利そのものを是正する政策を提言しているわけではない。金融政策がだめなら財政政策でという発想は、80年前のケインズ理論とほとんど変わらない。当時ケインズは、こう論じた。
資本主義の金利生活者的な側面を、それが仕事を果たしてしまうと消滅する過渡的なものであると私は見ている。そして金利生活者的な側面の消滅とともに、資本主義に含まれる他の多くのものが変貌を遂げるであろう。(『一般理論』)
イギリス経済がだめになったのは、リスクを恐れる金利生活者のおかげで投資が不足したためだ、とケインズは考えていた。だから政府が投資する必要があるが、資本主義が効率的になってリスクがなくなると金利はなくなり、銀行は消滅する。

21世紀の資本主義は、ケインズの予想に似てきた。そこで重要なのは物的資本ではなく、情報や権利などの無形資本なので、金利は価値の尺度にならない。資本は過剰なので物的投資は大きくないが、付加価値は大きい。資本主義がケインズの予想していた道をたどるとすると、銀行の安楽死する日が来るのかもしれない。

続きは12月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

バラマキ財政の正しいばらまき方

政府は「アベノミクスのエンジンを再点火する」という経済対策の案を与党の会合で提示した。財政措置(財政投融資を含む)で13兆円、事業規模で25兆円。「真水」と呼ばれる財政支出(国・地方の歳出)は7~8兆円だが、大不況というわけでもない時期に、これほど大規模な補正予算を組むのは異例である。

ところが野党やマスコミから「バラマキ財政だ」とか「財政規律が失われる」という、いつもの批判がほとんど聞かれない。桜を見る会で手一杯なのかもしれないが、MMTなど最近の「反緊縮」の動きが影響を与えているのかもしれない。

マクロ経済学的には、長期金利がマイナスの状態で国債を増発するリスクは大きくない。日銀が財政ファイナンスで金利リスクを負担してくれる限り、国債増発はフリーランチである。問題はその中身だ。

提示された政府案では、堤防強化・遊水池整備・電線地中化など、災害対策と称する土木事業が多いが、こういう裁量的支出をどさくさまぎれに補正予算で支出することは好ましくない。マクロ経済対策としては、全国民に一律5%ポイント還元するような無差別のバラマキが望ましいのだ。

続きは12月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

フリードマンはどこで間違えたのか

ミルトン・フリードマンの日本経済論 (PHP新書)
20世紀前半を代表する経済学者がケインズだとすれば、20世紀後半を代表するのはミルトン・フリードマンだろう。しかし彼の金融理論には、致命的な弱点があった。古典的な貨幣数量説は、

 MV=PY

という式であらわされる(Mは貨幣量、Vは流通速度、Pは物価水準、YはGDP)。フリードマンはこれに依拠して「Mの増加率を一定に保てば物価は安定する」と主張した。これが有名な「k%ルール」だが、政策としては失敗した。

その原因は単純である。中央銀行は「貨幣量」をコントロールできないからだ。Mを中銀の供給するマネタリーベースと考えると、Vが大きく変動するので貨幣数量説は成立しない。Mを市中に流通するマネーストックと考えると、これは民間の信用創造で決まるので中銀が直接コントロールできない。

しかしフリードマンは「マネーサプライ」という曖昧な言葉を使い、その意味を状況によって使いわけた。これがマネタリスト論争の混乱した原因だが、日本のリフレ論争はその戯画である。本書は晩年のフリードマンがリフレ派を応援していたというが、その結果は明らかだ。Mを増やしてもV(信用乗数)が大きく下がったので、量的緩和はきかなかったのだ。

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信用乗数の変化(三井住友アセットマネジメント調べ)


続きは12月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「真水で10兆円」の大型補正がやってくる

国会は5500万円の「桜を見る会」で大騒ぎだが、 年末に出る今年度の補正予算では真水で10兆円という数字が取り沙汰されている。これは自民党の二階幹事長と世耕参院幹事長が言及した数字だが、2012年以来の大型補正である。大不況でもないのにこんな大規模な財政出動が行われるのは異例だが、その背景には金融政策の挫折がある。

だが日銀の大規模な量的緩和のおかげで長期金利までマイナスになり、財政出動がやりやすくなった。マクロ経済的には、企業が大幅な貯蓄過剰になっている現状では、政府が金を使うのは合理的である。財政赤字が高金利やインフレを招くという批判は、マイナス金利では説得力をもたない。

かつて財政支出は政治腐敗の温床になると批判されたが、今は公共事業などの裁量的支出の比率は低下しており、一般政府でみると財政支出の半分以上を占めるのは社会保障である。これは長期の所得再分配であり、ケインズ的な財政政策にはなじまない。所得再分配を短期的にコントロールするしくみは可能だろうか。

理論的には可能である。いま政府のやっている「5%のポイント還元」を、すべての店舗に拡大して、全国民に配る「ヘリコプターマネー」にすればいいのだ。それを止めるのは財源と関係なく、たとえば「インフレ目標2%に達するまでポイント還元を続ける」と決め、その財源は日銀が国債を買い取ってファイナンスする。

続きは11月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

財政政策と金融政策の協調が必要だ

日銀の黒田総裁が記者会見で「政府が財政政策をさらに活用するなら、財政あるいは金融政策を単独で実施するよりも(政策)効果は高まる」と語った。これまで日銀が財政政策に口出しすることはタブーだったが、彼もようやく財政政策と金融政策の協調に向けて踏み出したようだ。

黒田総裁はこれを「財政ファイナンス」と呼ばれるのをきらって「ポリシーミックス」と表現しているが、いま世界的に議論されているのは、昔のケインズ的なポリシーミックスとは似て非なるものだ。

続きはアゴラで。

中央銀行は「財政ファイナンス」をコントロールできるか

日本ではまだMMTなどという古い話にこだわっている人がいるようだが、世界的にはそんなものは問題になっていない。大論争になっているのは、ブランシャールやサマーズの提案した財政と金融の協調である。この論争にスタンリー・フィッシャー(元FRB副議長)も参加した。

従来のマクロ経済学では、景気安定化策に財政政策を使うのは効率が悪く、金融政策でやるべきだと考えられていたが、2010年代の先進国経済(DM)は流動性の罠に陥って、金融政策がきかなくなった。他方で図のように、財政支出の余地(実質金利-実質成長率)は大きい。

fischer

このため財政支出を増やすべきだという議論が高まっているが、財政インフレをコントロールする手段がはっきりしない。MMTのいうような増税は簡単にできない。フィッシャーの提案は、これを中央銀行が長期国債の買い入れでコントロールしようというものだ。

中銀は財政支出とインフレ率の目標を決め、イールドカーブがフラットになるまで長期国債を買い入れる。予想インフレ率が目標を上回ったら、買い入れをやめる。これは明示的な財政ファイナンスで、日銀のやっているイールドカーブ・コントロールに近い。しかし長期金利で財政はコントロールできるのだろうか。続きを読む

防災インフラ整備は地元にまかせてはいけない

台風19号の被害が堤防やダムで防げたことで、インフラの役割が見直されている。特に民主党政権が完成を遅らせた八ッ場ダムが、完成直後の試験貯水で洪水を防いだという評価が高い。利根川の流域全体の水量からみると大きな差がなかったという意見もあるが、ないよりあったほうがいいことは明らかだ。

こういう公共事業に反対するのが、10年ぐらい前まで流行した。田中康夫知事が「脱ダム」を打ち出した長野県が千曲川の氾濫で大きな被害を出したことが批判を浴びているが、大部分のダムは農業用水のための利水ダムだったので、治水設備としては効率が悪い。

治水は100年に1度ぐらいの洪水にそなえるものだから、自治体の防災対策は99年は空振りになり、過少投資になりやすい。だが日本全体としてみると、去年の西日本豪雨に続いて今年と、大型の台風や集中豪雨はほぼ毎年、全国のどこかに来る。

つまり国レベルで考えると、ほぼ確率1で起こる出来事にそなえる災害予算を組めばよい。政府の一般会計予算で治山・治水費用は約1兆円あるから、これを水害の被害の大きい都市部の堤防に優先的に配分すればいいのだ。このとき地元の意見を聞いてはいけない。

続きはアゴラで。





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