法/政治

「国のために死ぬ」というパラドックス



篠田英朗氏の記事に書かれている朝日新聞の記事を読んで、私も気分が悪くなった。長谷部恭男氏が批判しているのは、安倍首相のビデオメッセージの次の部分だろう。
命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれというのは、あまりにも無責任です。

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安倍政権の終わりの始まり

各社の世論調査で内閣支持率が急落し、4割前後になった。この原因は明らかに加計学園で官房長官の説明が二転三転したことで、一過性の現象だと思うが、そろそろ安倍政権の寿命も見えてきたので、この4年を振り返ってみよう。



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警察の最大の武器は「共謀罪」ではない

「共謀罪」法の成立で「監視社会」になるという話が、また出ているようだ。これは「国民総背番号」や個人情報保護法のときも、一部の人々が騒いだ話だ。もう忘れた人も多いようなので、当時どれほどヒステリックな騒ぎが起こったかを思い出してみよう。
  • グリーンカードは"国民総背番号制"で、これを実施すれば国民のプライバシーが侵害される。――金丸信(1983)
  • 国民に対する権力の監視の目を厳しくする法案として民主党が問題としているものに、住民基本台帳法、いわゆる国民総背番号法があります。――枝野幸男(1999)
  • 個人の統一的管理システムの構築を認めない。――日弁連「自己情報コントロール権を情報主権として確立するための宣言」(2002)
  • 住基ネットは国民を裸で立たせるものだ。――櫻井よしこ(2002)
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霞ヶ関の中の「武士道」



今年の流行語大賞は「面従腹背」だと思うが、この言葉は意外に重要なインプリケーションをもっている。サラリーマンなら誰でも面従腹背の経験があると思うが、それが大きなストレスになるのは、彼らが役所や会社をやめられないからだ。こういう状況は、江戸時代からあった。

「武士道」という言葉は新渡戸稲造が捏造したものだが、それを江戸時代に使った数少ない本が『葉隠』である。これは「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉で有名だが、死を美化する本ではなく、むしろ日常的な武士の心がけを書いたものだ。特におもしろいのは、ここに面従腹背のエートスがみられることだ。

『葉隠』は主君への絶対服従を説いているようにみえるが、笠谷和比古氏も指摘するように、そこで山本常朝が忠誠の対象としているのは藩主ではない。主君の政治が間違っている場合には「主君の御心入を直し、御国家を固め申すが大忠節」という言葉で忠誠の対象になっているのは、個人としての藩主ではなく「国家」(鍋島藩)なのだ。続きを読む

菅官房長官「99勝1敗」の背後に見える警察の影

通常国会は後味の悪い幕切れだった。土壇場で文科省の怪文書の実物が出てきて、菅官房長官が謝罪に追い込まれたからだ。無敵だった彼の99勝1敗ぐらいで大勢に影響はないが、内閣支持率も落ちてきた。政権が加計学園をもみ消すために会期延長しなかったのは事実だろう。以下は憶測だが、この背後には警察の影がちらつく。

続きはアゴラで。

「面従腹背」はサラリーマンの職業倫理

Kihei_Maekawa_cropped_2_Kihei_Maekawa_20160607今週のアゴラジオは、私も飛び入りで参加して、文科省の騒動を霞ヶ関の中の人の立場で考えてみた。前川喜平氏の話で違和感があるのは「政権の暴走に現場が歯止めをかける」という話だ。彼は政権の決めたことを執行する立場のトップだったので、企業でいえば事業本部長のようなものだ。それが社長に「面従腹背」していたら、ビジネスは成り立たない。

前川氏は歌舞伎町の風俗店でも「女性の貧困問題を現場で調査」していたらしいが、こういう「現場主義」が政治や経営を混乱させる元凶だ。内閣が考えるのはどの均衡を選ぶかという大きな意思決定で、各省の役人が考えるのは、その中で最善をつくす小さな最適化である。

ところが霞ヶ関では、各省の中間管理職が大きな意思決定を行い、閣議はそれを持ち寄って事後承認するだけだ。これは大企業の役員会が各事業本部長の合議体になっているのと似ているが、指揮系統が不明瞭なので同じ問題を各段階で果てしなく議論し、全員一致できない問題は先送りする。

続きは6月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

前川喜平氏の「たった一人の満州事変」



加計学園の騒動は、菅官房長官が文書の存在を全面否定したため、かえって野党に攻撃材料を与えてしまったが、存在していても大した話ではない。霞ヶ関には山のようにある(公印も日付もない)メモだが、おもしろかったのは、前川喜平氏の座右の銘は面従腹背という発言である。6月1日の「報道ステーション」で、彼はこう語った。
私ね、座右の銘が「面従腹背」なんですよ。これは普通は悪い意味で使われるんだけど、役人の心得としてある程度の面従腹背はどうしても必要だし、面従腹背の技術というか資質はやっぱりもつ必要があるので、ですから表向き、とにかく政権中枢に言われたとおり「見つかりませんでした」という結論にもっていくけども、しかし巷では次々に見つかっているという状態ということを考えたかもしれない。

続きはアゴラで。

米軍「ただ乗り」ほど高いものはない

河野洋平氏が、講演で「憲法は現実に合わせて変えていくのではなく、現実を憲法に合わせる努力をまずしてみることが先ではないか」と、安倍首相の憲法改正案に反対したという。ここまでひどい平和ボケは珍しいが、戦後の日本が憲法9条のおかげで「軽武装」で成長したという高坂正堯のような歴史観は、自民党の中にも多い。

1951年にアメリカの再軍備要求を拒否して、在日米軍基地に「ただ乗り」した吉田茂の選択は、そのときは正しかったともいえるが、その後は憲法改正のチャンスを逃してしまった。軽武装が高度成長をもたらしたという根拠もない。その最大の原因は、若年労働者が倍増した「人口ボーナス」であり、軍事予算が2倍になっても成長率はそれほど変わらなかっただろう(航空機産業は発展したかも知れない)。

他方、ただ乗りのコストは大きい。世界最強の米軍を駐留させることで日本は70年以上も戦争をまぬがれたが、防衛は米軍なしでは不可能になってしまった。アメリカの核の傘があるうちは河野氏のような平和ボケでもいいが、米軍が撤退したら、その空白を埋めることはむずかしい。核武装は、いまだに最大のタブーだからである。

続きは6月5日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

中村刑事部長はなぜ逮捕状を止めたのか

山口敬之氏の詩織さんに対する「準強姦」疑惑については、すでに不起訴処分となり、検察審査会の結論を待つしかないが、性行為は確認され、ホテルの監視カメラなどの物証もある。これ自体はただの性犯罪(?)だが、問題は政権との関係だ。

この事件については高輪署が捜査して山口氏の逮捕状をとり、2015年6月、山口氏が帰国するタイミングで捜査員は準強姦罪容疑で逮捕するため、成田空港で待ち受けたが、逮捕状は執行されなかった。詩織さんは捜査員から「逮捕直前に警視庁から指示があった」と伝えられたという。

続きはアゴラで。

全員が拒否権をもつ国

寺脇研氏のFacebook投稿が話題になっている。特に「内閣府という役所は歴史が浅く、他の省庁のように役人としてどうあるべきかという吏道が確立していない」という話がおもしろい。「吏道」とは具体的にどういうものか知らないが、政権の意思と各省の吏道が対立したときは、後者が優先するというのが彼の発想らしい。

これは霞ヶ関で、大きな問題がいつまでも決まらない原因をよく示している。役所の吏道はそれぞれ違うので、意思決定は図の地下茎(リゾーム)のように複雑な各省の根回しで行なわれ、合議(あいぎ)で関係省庁が一致して初めて事務次官会議に上げ、閣議決定する。つまり全官庁が拒否権をもっているのだ。


こういう方式では利害の対立する問題は決定できないので、官庁をまたがる問題を調整するのが自民党の政治家だが、ここでも政調会や総務会は全員一致で、派閥の利害が対立する問題は決定できない。そういうデッドロックを解決しようとしたのが、橋本内閣の設置した内閣府だった。その目的は、こういう個別利害を踏み超えて「政治主導」を実現することだった。

続きは5月29日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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