法/政治

左翼はなぜ負け続けるのか



社民党の党首選挙で立候補者がなく、告示をやりなおすことになった。国会議員はわずか4人で、党首が落選という状態では、誰も党首なんかやらないだろう。社民党の消滅は時間の問題だが、それ自体は大した問題ではない。深刻なのは立民党も含めて左翼が弱体化し、日本では政権交代が(見通せる将来に)不可能になったことだ。

続きはアゴラで。

トランプ大統領の「精神状態」は大丈夫か


新年早々、金正恩が「核のボタンは机の上にある」といい、トランプが「おれの核のボタンはもっとデカい」とツイートして、世界が騒然としている。核の均衡を成り立たせている相互確証破壊(MAD)は、核保有国の指導者がすべて合理的だという条件で成立しているので、彼らの誰か一人でもmadだったら崩壊する。

アメリカ議会では、トランプの「精神状態」についての説明会が開かれたが、これはアメリカの「核の傘」の下にある日本にとっても他人事ではない。核の傘が存在するのは、日本への攻撃に対して米軍が必ず報復するときに限られるが、日米同盟への「ただ乗り」をたびたび批判している彼が、日本国民のために米兵の血を流すかどうかはわからない。

ところが日本は、核拡散防止条約(NPT)で核武装を放棄し、日米原子力協定で「余剰プルトニウムはすべて平和利用で消費する」と約束した。これによって核兵器で「自主防衛」する道は断たれたので、日本国民の安全はトランプの精神状態に依存しているのだ。

続きは1月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

丸山眞男と漫才師の共通点

アゴラこども版でふれた村本大輔の話は、丸山眞男と共通点がある。もちろんレベルはまったく違うのだが、村本の話は単なる無知ではなく、丸山を代表とする戦後リベラルの劣化版だからである。

丸山の憲法論は、最近の憲法学者のような解釈学的トートロジーではなく、国際情勢の分析にもとづくものだった。憲法問題研究会の最終報告である1964年の「憲法第九条をめぐる若干の考察」で、彼は憲法制定議会での吉田茂の答弁を引用して、自衛戦争を含むすべての戦争を放棄する立法趣旨を確認するが、それは解釈として正しいかどうかとは別の問題である。

丸山は「国家の一切の戦力を放棄することに究極の安全保障がある」という憲法の考え方が逆説であることを認めるが、それは「核兵器を増強すればするほど人々の安全感が低下する」という核兵器の逆説と同格で、「問題は、どっちの逆説をわれわれ日本人が選択するのか」だという。彼は国民が前者の逆説を選択すると思ったのだが、それは誤りだった。

続きは1月8日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

砂川事件から始まった「安保反対」の暴走

1月からのアゴラ読書塾で考えてみたい問題の一つは、戦後の政治の最大の争点だった「安保」は本当に争点だったのかということだ。1957年の砂川事件について今年11月、東京高裁は再審請求を棄却した。この事件は1959年に東京地裁で「米軍の駐留は違憲だ」という判決が出たが、最高裁で棄却された。

この判決は米軍基地の合憲性についての最高裁の唯一の判例で、集団的自衛権についての政府見解の根拠ともされたが、これについては政権に遠慮した「統治行為論」だという批判も強い。2000年代に発見されたアメリカ側の公文書では、当時のマッカーサー駐日大使が最高裁への「跳躍上告」を求めたことが判明した。今回の再審請求はそれを根拠にしたものだが、裁判所も事実関係は認めた。

憲法解釈としては、在日米軍は憲法の禁止する「戦力」にあたるという砂川事件の一審判決(伊達判決)はおかしくない。岸信介も「伊達判決は傾聴に値する」と回顧し、「こういう問題について一点の疑義もないような憲法をもたなければ嘘だ」と述べている(『岸信介証言録』)。彼が憲法を改正しようとしたのも、そういう疑義を解消するためだったが、「安保反対」の大波がそれを押し流してしまった。それは意味のある問題だったのだろうか。

続きは12月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

安保反対運動は何に反対したのか

私が子供のころ、初めて聞いた政治用語は「アンポ反対」だった。もちろん意味はわからなかったが、今もわからない。60年安保で、野党や知識人や全学連は何に反対していたのだろうか。一般には岸首相が「強行採決」で野党の反対を押し切ったと思われているが、最初に旧安保条約を問題にしたのは野党だった。

1957年2月4日の衆議院本会議で、社会党委員長の鈴木茂三郎は「日本民族の独立のための不平等条約の改廃」を求めた。そのきっかけは砂川事件で、米軍が日本に自由に基地を置ける安保条約は不平等条約だ、というのが野党の主張だった。これに対して岸信介(首相臨時代理)は「自力によるところの防衛状態が完備した状態において改正を考えたい」と答弁した。

野党の中でも左派は安保条約の破棄を主張したが、右派は破棄は現実的ではないといい、その妥協で安保改定に反対という統一要求が掲げられた。これでは肝心の不平等条約を改正するなという要求になってしまうが、誰もおかしいと思わなかったのだろうか。来年1月からのアゴラ読書塾「戦後史を疑う」では、こういう戦後史の疑問点を考えたい。

続きは12月18日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

野党と知識人の求めた「安保改正」

安保法制をめぐる議論は憲法解釈ばかりで、日本の安全をいかに守るかという話がないが、1960年の安保改正も何が問題だったのかよくわからない。1951年に結ばれた旧安保条約と日米行政協定は、米軍が日本国内に基地を自由に置ける不平等条約で、これを岸首相が対等な条約に改正しようとしたのは当然だった。

それは当初は野党も同じだった。砂川事件の起こった1957年に、清水幾太郎などの進歩的知識人は「基地問題の根源的な原因は安保条約と行政協定にある」として、その「根本的な再検討」を求める声明を出した。これに対して岸は国会で「文化人が健全な世論を建設する場合には、これを尊重してゆく。安保条約、行政協定は再調整する時期になっている」と答弁した(清水『わが人生の断片』)。

知識人の声明が図らずも安保改正の露払いの役割を果たしたので、彼らはあわてて「これは憲法を改正せよという意味ではない」という補足声明を出したが、安保改正の流れは止まらなかった。安保条約を廃止して米軍を撤退させるには、憲法を改正して再軍備するしかないが、野党がこれをごまかして倒閣運動に利用したため、安全保障と無関係な混乱が始まった。

続きは12月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

核拡散防止条約の「隠れた目的」

北朝鮮がまたICBMを発射し、日本も核武装すべきだという議論が再燃しているが、いま核拡散防止条約(NPT)を脱退することは日米同盟を脱退するに等しいので不可能だ。しかし栗山元外務次官によると、1960年代には日本政府はそういう選択肢を真剣に考えていたらしい。

1968年にNPTができたのは1964年の中国の核実験がきっかけだが、そのとき米ソの「隠れた目的」は、日本と西ドイツの核武装を封じ込めることだったという。NPTを強制する機関としてできたのがIAEAだが、その主な対象も日本だった。今でも六ヶ所村の再処理工場では、IAEAの査察官が24時間勤務でプルトニウムの量を監視している。

当時の日本政府はNPTのそういう不平等性を知っていたので、これに抵抗した。条約に署名したのは発効直前の1970年2月、批准は1976年6月だった。自民党内で6年ももめたのは党内タカ派の反対が原因だが、「非核三原則」を唱えた佐藤栄作もNPTに最初は反対だった。こういう自民党の迷走が、その後の混乱の原因になった。

続きは12月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

進歩的知識人はなぜ転向したのか

戦後を疑う (講談社文庫)
清水幾太郎は60年安保のスターで、その後「転向」した人物として評判が悪いが、彼の話は「自分はなぜ転向したか」を語る資料としてはおもしろい。戦前の日本を否定しようとした戦後知識人の価値観のコアにあったのは、治安維持法への復讐だという。

それは戦前の国体の象徴だったので、彼らの「二つの公理」は、治安維持法のタブーだった共和制社会主義で、「憲法擁護」というスローガンは戦術的なものだった。共和制は天皇制の廃止という意味だが、憲法1条で天皇は「象徴」として残ったので、彼らは「国民主権」を主張した。社会主義は憲法29条(財産権の保障)に反するが、資本主義を否定しないと進歩的知識人にはなれなかった。

しかしこういう復讐のルサンチマンは、治安維持法がなくなって言論が自由になると忘れられる。一時は英雄になった共産党はその輝きを失い、社会主義の現実がわかると人々は常識に戻ってゆく。それは戦前に治安維持法で転向した人々と同じだ、と清水は主張する。

続きは11月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

読売の誤報が生んだ「核持ち込み」のタブー

戦後日本外交 軌跡と課題 (岩波現代全書)
戦後外交史の最大の岐路は60年安保だが、いまとなっては何が問題だったのかさえ不明な空騒ぎだった。あれほど盛り上がった運動が条約の通過後は急速にしぼんでしまったのも、反対派に大義がなかったからだ。むしろあの騒動のおかげで岸信介の考えていた日米相互防衛条約はできず、条約改正は中途半端に終わってしまった。その後遺症は今も与野党に残り、思い出したように「安保反対」が出てくる。

著者は宮沢内閣のときの外務次官だが、あの騒ぎの最初のきっかけは1954年のビキニ環礁事件だったという。これは読売新聞の誤報だったが、「放射能で死者が出た」というイメージが世界に広がり、原水爆署名運動が2000万人以上の署名を集め、日本に寄港する原子力空母や潜水艦への反対運動が強まった。

このため岸内閣は、核兵器の持ち込み(introduction)について事前協議するという制度を安保条約の付属文書に入れた。これは当時は日本政府が「拒否権」をもつと受け止められたが、現実にはそうではなかった。核兵器は60年代以降も、日本を通過(transit)するという形で、日本に持ち込まれたのだ。続きを読む

沖縄をめぐる被害妄想の起源

だれが沖縄を殺すのか (PHP新書)
沖縄タイムスに掲載された琉球大学教授の暴行殺害事件初公判の傍聴記がちょっと話題になっている。米兵=強姦というステレオタイプで「迷いなく急所を攻撃できる、殺しのテクニックを持つ」という差別意識まる出しの記事を津田大介氏が拡散して批判を浴びた。

本書も指摘するように、米兵に犯罪が多いというのは嘘である。米軍の軍人・軍属は沖縄の人口の3%だが、犯罪検挙数は刑法犯の0.7%だ。1件の犯罪を「米軍基地は悪だ」と一般化するのは地元紙の常套手段だが、こういう被害者意識を生み出した事情は複雑だ。その起源は1947年に昭和天皇がGHQに伝えた、次のような天皇メッセージにさかのぼる。
  1. 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む
  2. 占領は日本の主権を残したままの長期租借(25年ないし50年以上)によるべき
  3. 手続は日米の二国間条約によるべき
これが1990年代に発見された当初は「沖縄切り捨て」の起源だと思われたが、それは逆だった。マッカーサーは東アジア戦略の要となる沖縄をアメリカが今後も支配すべきだと主張したが、天皇はそれに対して米軍基地を認める代わりに、沖縄に対する日本の主権を守ったのだ。このメッセージがなかったら、その25年後に沖縄が返還されることはなかっただろうが、この「長期租借」という擬制が沖縄問題の起源になった。

続きは11月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






title




連絡先(取材・講演など)

記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons