法/政治

日本は「アジア近隣諸国」に謝るべきなのか

カンヌ映画祭でパルムドールを取った是枝裕和監督が、韓国の中央日報で日本の「国粋主義」を指弾し、「アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない」と語っている。韓国メディアへの社交辞令かもしれないが、こういう気持ちが護憲派の根っ子にはあるのだろう。

日本軍がアジアで非人道的な戦争をやったことは事実だが、それはナチスのやったホロコーストとは違う。非人道的という点では、大英帝国がインドを数百年にわたって植民地支配し、新大陸に1500万人の黒人奴隷を「輸出」した残虐行為のほうがはるかに大規模だ。

しかしイギリスは、旧植民地に一度も謝罪したことはない。1928年の不戦条約まで、戦争も植民地支配も違法ではなかったからだ。日本も1910年の韓国併合を謝罪する必要はない(現に日本政府は謝罪していない)。1931年の満州事変以降は明らかに国際法違反だが、それは東京裁判で決着ずみである。

続きは5月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

劣化した国会を正常化する二つの方法

野党は「18連休」を終えて、やっと衆議院本会議に出てきた。麻生財務相の辞任を条件にして審議拒否を続けていたが、世論の批判を浴びて復帰せざるをえなくなった。1年半近くスキャンダルばかり追及して政策論争のない国会は、55年体制より劣化している。

こうなった原因は(よくも悪くも)国対政治が機能しなくなったことだ。昔から審議拒否はあったが、与党が野党に「国会対策費」を渡して3日目には出てくるといった取引ができた。しかし今のように与野党の勢力に差がつくと「妥協するな」という自民党内の声が強くなる。今回のように単独で審議再開すればいいのだ。

続きはアゴラで。

「半主権国家」で何が困るのか

かつての西ドイツを半主権国家(semisovereign state)と呼ぶことがある。これはKatzensteinの使った言葉らしいが、政治学では普通名詞として使われるので「軍事的主権を欠いた国家」と理解すると、日本も半主権国家である。終戦直後に米軍が駐留し、占領が終わってもなし崩しに米軍基地が残り、その指揮権もアメリカ政府にあるという歴史も日独で共通だ。

ただドイツの違いは、正式に再軍備したことだ。西ドイツは1955年にNATOに加盟するときドイツ連邦軍を創設し、1956年に基本法を改正して軍備を認めた。社民党(SPD)も当初は日本の社会党左派と似た絶対平和主義だったが、ベルリン封鎖などの危機が迫る中で、与野党が一致して基本法を改正した。

これに対して日本では、吉田茂がアメリカの再軍備要求を拒否した。これには保守勢力だけでなく社会党右派からも批判があったが、知識人のとなえた「全面講和」の絶対平和主義が論壇の主流となり、憲法改正はできなかった。このとき知識人が(ほんらい無関係な)非同盟と非武装を誤ってバンドルしたことが、今に至る不毛な憲法論争の始まりだ。

1950年代には不平等な安保条約や行政協定を改正する必要があったが、安保条約はその後改正され、今は解釈改憲で再軍備した。明文で禁止されているのは核武装ぐらいだ。「自主憲法」がほしいという人々の気持ちはわかるが、フルスペックの国家主権がないと具体的に何が困るのだろうか。

続きは5月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

憲法改正より大事な問題がたくさんある



NHKの世論調査によると、「今の憲法を改正する必要があると思いますか」という質問に、あるが29%で、ないが27%だが、2014年以降に大きく下がっている。この状況では、たとえ改正が国会発議できても、国民投票で否決されて取り返しのつかないことになるおそれが強い。それにしても、本当に憲法改正は必要なのだろうか?

続きはアゴラで。

弱小野党の強い「ジャンケン国家」

国会はセクハラ問題で1週間以上空転し、そのまま連休に突入する。野党にとっては2週間以上の「大型連休」だが、国会内の会議室では連日、野党6党の「合同ヒアリング」が開かれている。これは法的根拠がないが、憲法で国会は「国権の最高機関」と位置づけられているので、弱小野党でも役所を呼びつける力をもつ。

国会の質問でも前日まで引っ張り、役所は徹夜で国会待機する。情報量は官僚機構のほうが圧倒的に多いが、彼らは立法府に「お仕えする」立場を装わないといけない。このように政治家が官僚より強く、官僚はマスコミに強く、マスコミは政治家に強いジャンケン国家は、江戸時代から続く構造である。
janken

主権者たる国民が意思決定を行うという憲法の原則はフィクションで、実際には行政実務のほとんどは官僚機構が行う。それを国会が立法でチェックするというのもフィクションで、法案の8割以上は内閣提出法案だ。それをチェックするのは実質的にはマスコミだが、彼らは役所から情報をもらわないと仕事にならない。ジャンケンでひとり勝ちはできないのだ。

続きは4月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「昭和デモクラシー」の暴走

国会の劣化は止まらない。この1年、森友・加計から始まったスキャンダルは、ついにセクハラ騒動で1週間も国会が止まるようになった。これは昭和初期の帝国議会を思い起こさせる。大正デモクラシーという言葉はあるが、「昭和デモクラシー」とはいわないのは奇妙だ。普通選挙で「民主政治」が始まったのは昭和3年である。

それまでの有権者は地租を納める地主だったが、普通選挙で一般の男子に選挙権が拡大し、有権者は8倍以上に増えた。この時期を「政党政治からファシズムへ」の転換というのは正しくない。ヒトラーがナチス以外の政党を解散させたドイツとは違い、日本では1940年に大政翼賛会ができるまで政党は存在し、満州事変にも日中戦争にも圧倒的多数で賛成したのだ。

第1次大戦で専制国家が民主国家に敗れたのを見て、政府は総力戦体制としてのデモクラシーをつくろうとしたが、大衆(大部分は農民)は政策なんかわからないのでスキャンダルだけに関心をもち、帝国議会は金とセックスの話題に明け暮れた。今と同じである。昭和の暴走は、デモクラシーを抑圧する「反革命」ではなく、普通選挙のデモクラシーから生まれたのだ。

続きは4月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

セクハラで空転する国会はデモクラシー末期


(写真はNHKより)

国会は今週ずっと、財務次官のセクハラ問題で審議が止まっている。野党6党は国会内で集会を開き、女性議員はセクハラ運動のプラカードを掲げ、喪服をつけて麻生総務相の辞任を求めた。これを見て私は、もう日本のデモクラシーは終わったと思った。

続きはアゴラで。

下ネタで国会審議を空費するな



財務省の福田事務次官の「セクハラ発言」が話題になっている。本人の話によれば、自分の声だということは否定していないが、音声はそこだけ切り取られているので、文脈がわからない。相手の声も切っているので、訴訟を起こされても名乗り出ることは考えにくい。彼が「お店の女性と言葉遊びを楽しんだ」ときの音声だと主張したら、当の「女性記者」が出てこないと新潮社は勝てないだろう。

続きはアゴラで。

「総力戦体制」としてのデモクラシー

歴史の教科書では、いまだに明治憲法は「遅れた不十分なデモクラシー」だったと教えているようだが、これは逆である。明治維新より前に近代国家ができていたのはフランスとイギリスぐらいで、ドイツ帝国は1871年、イタリアが統一されたのは1870年、アメリカは南北戦争(1861~5)でようやく連邦を統一したばかりだった。日本はむしろ近代国家としてのスタートは早かったのだ。

19世紀末から君主制と民主制の「制度間競争」が始まったが、第一次大戦で明らかになったのは、デモクラシーは総力戦に強いということだ。ドイツもオーストリアもロシアも、帝政は戦争ではなく国内の革命で転覆された。日本がそこから学んだのは「大正デモクラシー」で国民を政治に参加させることが、総力戦に国民を動員する上で重要だということだった。

この意味で、デモクラシーはナショナリズムに通じる。福沢諭吉が「政府ありて国民なし」と嘆いたとき、国民を動員する目的は戦争だった。彼が日清戦争に賛成したことが批判の的になるが、当時の日本にとっては朝鮮半島が防衛線だった。そして戦争を遂行するためにもっとも重要な思想が「自分の国のために死ぬ」というデモクラシーだった。

続きは4月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

日本に生まれなかった「自発的結社」

政治の世界 他十篇 (岩波文庫)
丸山眞男が戦後民主主義の担い手として期待したのは「自発的結社」だった。それは大衆社会のバラバラの「原子論的個人」ではなく、地域や企業を超えて連帯する自覚的な個人の集まりとして、デモクラシーを支える「主権者」となるはずだった。彼は1952年の論文「政治の世界」をこう結んだ。
長時間労働で身心を使い果たし、しかも失業の恐怖に不断に襲われている勤労者にとっては、組合への関心すらも日常的になりがちでしょう。そうなると結局民主主義が現実に民衆の積極的な自発性と活発な関与によって担われるためには、どうしても国民の生活条件自体が社会的に保証され、手から口への生活にもっとゆとりが出来るということが根本だということにならざるをえません(強調は原文)。
労働者が政治に無関心なのは「手から口へ」の貧しい暮らしを続けているからであり、彼らが豊かになれば労働組合を支持するようになるだろう。革新政党が弱いのは労働者が貧しいからで、その生活にゆとりができれば彼らの政治意識は高まり、労働組合が近代的個人を結集する「自発的結社」になるだろう――と丸山は予想したが、そこには致命的な見落としがあった。

続きは4月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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