法/政治

森喜朗という「家長」の追放



私は森喜朗氏を政治家としてまったく評価しないが、今回の追放劇はあまりにも理不尽だった。元の発言は「女性枠」に対する皮肉で、女性蔑視でも差別でもなく、彼の進退にかかわるような話ではなかった。

森氏についての論評で印象的なのは、彼の身近にいた人ほど評価が高いことだ。首相としての実績はゼロだったが、自民党内のまとめ役としては、派閥を超えて人望があったらしい。親分肌で義理人情に厚く、オリンピック組織委員会の会長も無報酬で引き受け、癌の手術後、透析を受けながらやっていた。よくも悪くも、昔ながらの自民党の政治家なのだと思う。

自民党は近代的な政党とは違い、個人後援会の集合体だ。後援会は江戸時代から続く「家」システムの延長上にある利益集団である。政治家の地元で同行取材すると驚くのは、冠婚葬祭の類が多いことだ。かなり大物の政治家でも、数十人規模の葬儀や結婚式にまめに顔を出す。忘年会や新年会などは、1日に20を超すこともある。

派閥が家だとすると、派閥はその集まった村である。自民党の議員は、昔は派閥のことをムラといっていた。自民党は村の連合体で、森氏はそれをまとめる「家長」だった。それを海外メディアは「古い日本」の代表として嘲笑したが、こういう構造は日本だけのものではない。腐敗したIOCなどは、村の最たるものだ。

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「ゼロコロナ」は可能なのか



立憲民主党が「ゼロコロナ」で張り切っている。ワイドショーでも、ゼロコロナは人気がある。立民が総選挙でゼロコロナを掲げて戦えば、自民党はそれを正面から批判できない。これは「原発ゼロ」に似ているが、それは実現できるのだろうか?

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緊急事態宣言の延長は5日まで待つべきだ

政府は今夕、緊急事態宣言を延長する見通しだ。日本経済新聞の世論調査では「すべて延長すべき」と「拡大地域では延長すべき」を合計すると90%が延長に賛成し、「解除すべきだ」は6%しかない。この強硬な世論のもとでは、政権基盤の弱ってきた菅政権が延長に踏み切るのも政治的にはやむをえないが、これには科学的根拠がない。


世論調査(日本経済新聞)

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コロナ被害を誇大に発表する厚労省の「逆大本営発表」

菅内閣の支持率が急落している。その最大の原因は、感染症対策が迷走していることだろう。これを「コロナ対策」と考えて、PCR検査陽性者数に一喜一憂するのが間違いのもとだ。感染症対策の目標は(すべての原因の)超過死亡ゼロであり、その基準でみると日本は目標を超過達成したのだ。

感染症統計は各国バラバラなので、その数字を単純に比較しても実態はわからない。感染症被害の規模を国際比較する指標として開発されたのが超過死亡数(死亡数-平年推定値)である。たとえばインフルエンザの死者は(すべての死因の)超過死亡から統計的に推定する。2018/9年のシーズンでは3276人だった。

これに対して「コロナはこれほど対策をしても死者5000人以上だからインフルより大変だ」という話は錯覚である。昨年の超過死亡はマイナスで、日本の感染症被害は世界最少だった。自粛の影響ですべての感染症が減った効果は、コロナの被害より大きいのだ。

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政府が非常事態で命令できない国

医師会などの騒いでいる「医療崩壊」は、アゴラでも書いたように医療資源の絶対的な不足ではなく、医療資源の配分のゆがみである。これは経済問題としては単純で、安倍政権の専門家会議の方針のように、感染症対策の目的はウイルスの撲滅ではなく流行のピークを下げることである。

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上の図の横軸を場所と考えると、ある地域の感染が「医療対応の限界」を超える場合には、その患者を他の地域に移すか、他の地域からの応援で片寄りをフラットにしてピークを下げればいい。ところが日本の医療法では、行政が民間病院の医療資源を配分できない。

この問題を解決する便法として厚労省が使っているのが指定感染症だが、これも指定医療機関にコロナ患者の受け入れを強制できない。感染症法19条は「都道府県知事は感染症指定医療機関に対し当該患者を入院させるべきことを勧告することができる」と定めているだけで、指定医療機関がその勧告に従う義務も罰則もない。

いまだに「ロックダウンしろ」という人がいるが、日本ではヨーロッパのようなロックダウン(罰則つきの外出禁止令)はできない。特措法45条は都道府県知事が住民に「みだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の新型インフルエンザ等の感染の防止に必要な協力を要請することができる」と定めているだけだ。

ロックダウンは「移動の自由」という基本的人権の侵害なので、非常事態条項がない憲法では不可能だ。立法論としてはありうるが、やるなら憲法を改正するしかない。その歯止めなしで政府が恣意的にロックダウンすることは危険である。

要するに日本では、非常事態に政府が民間に命令できる根拠法が何もないのだ。これは憲法で戦時体制を想定していないことが原因だが、本物の危機になったとき、これで大丈夫なのだろうか?続きを読む

バイデン大統領で「もっと大きな政府」がやってくる



アメリカ大統領選挙はバイデン元副大統領の勝利が確実になったが、熱狂はみられない。「バイデンの最大の長所はトランプではないことだ」という評価が妥当な所だろう。

事前にはバイデンが楽勝とみられていたが、トランプは意外に健闘した。その最大の原因は、彼が選挙制度の欠陥を最大限に利用したことだろう。選挙人制度のもとでは、共和党の候補がニューヨークやカリフォルニアで選挙運動しても意味がない。彼がねらったのは中西部のスウィングステートに住むプア・ホワイトである。

アメリカはまだ人口の60%以上が白人であり、彼らは「おれたちの国だ」と思っているが、口には出せない。そのルサンチマンを刺激してマイノリティや移民に対する差別意識をあおるのが、トランプの一貫した選挙戦術だった。

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パッチワークの合衆国憲法が世界を混乱させる

アメリカ大統領選挙は、初日が終わってもまだ情勢が混沌としている。ペンシルベニアとウィスコンシンの開票率が低く、郵便投票でひっくり返る可能性があるからだ。特にペンシルベニアは6日までかかりそうで、トランプ大統領は「4日以降に届いた票は無効だ」という訴訟を起こすと表明しているので、連邦最高裁が大統領を決めるブッシュ対ゴアのときのような展開になるかもしれない。

こういうややこしいことになる原因は、大統領選挙人という特殊な制度にある。ほとんどの州は各州ごとに勝者総取りになっているので、ニューヨークやカリフォルニアのような大きな州(民主党が必ず勝つ)はどうでもよく、両党の勢力が伯仲している中西部のスウィングステートを取ったほうが勝つ。

ここに住んでいるのは、貧しい白人の労働者が多い。彼らはマイノリティや移民に仕事を奪われるという被害者意識が強いので、白人中心主義をとなえて移民を差別し、保護貿易を主張すれば、彼らの支持を得ることができる。トランプの選挙戦術は、それに特化した点で徹底していた。

この奇妙な制度ができた原因は、合衆国憲法ができたときは、各州が独立国だったからである。当時は大統領の選出は連邦議会が行なうべきだという意見が強かったが、それでは各国の独立性が失われるという反対論があったため、各国が独自に選挙人を選出し、その投票で決める折衷案になったのだ。

こういう「三権分立」がデモクラシーの理想だと思っている日本人が多いが、それはGHQの洗脳である。このパッチワークの統治機構のおかげで、大統領選挙のたびに混乱が繰り返され、スウィングステートに迎合するトランプのような大統領が生まれ、中西部の田舎者が世界情勢を決めてしまう。

続きは11月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

自衛官の入学拒否についての毎日新聞の「ファクトチェック」は誤報である

毎日新聞が「ファクトチェック」と称して、櫻井よしこ氏の発言を誤りと断定している。これがファクトかどうかチェックしてみよう。

続きはアゴラで。

学術会議の独立性を制度的にどう担保するか

学術会議をめぐる論争は、安保法制と同じ色分けになってきた。反対派は憲法第9条の代わりに第23条(学問の自由)を振り回し、政府を擁護する側は「反日」だとか「中国と協力した」というが、これは的外れだ。問題はそのいびつな制度設計にある。

学術会議は戦後の混乱期にGHQの指導でつくられたため、内閣直属の政府機関で研究者の直接投票という世界にも類のない制度で発足した。これを最大限に利用したのが共産党だった。直接投票という制度の欠陥を利用して大量の党員を送り込み、極左的な決議を発表させた。

これに対して自民党の反発が強まり、政府は1984年に学会推薦にした。その後も民営化しようとしたが、学術会議はこれを拒否し、2005年に会員推薦に変えただけだ。その結果、会員が自分の後任を決める縁故採用になって政府は口を出せず、民主的統制のまったくきかない治外法権になった。

これは国家公務員の人事としては考えられないので、内閣が選別するのは当然だ。「学術会議だけ特別に無条件で任命しろ」という要求は、法的に認められない。だが任命の基準が明確でないと、恣意的な政治介入が行われるおそれがある。本質的な問題は、研究機関や学術団体の独立性を制度的にどう担保するかということである。

続きは10月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

処理水問題は安倍首相の「貯蓄過剰」だった



福島第一原発の処理水問題が、今月中にようやく海洋放出で決着する見通しになった。これは科学的には自明で、少なくとも4年前には答が出ていた。「あとは首相の決断だけだ」といわれながら、結局、安倍首相は決断できなかった。それはなぜだろうか。

政治家の人気を政治的資本(political capital)と呼ぶことがある。安倍首相は第1次内閣では「戦後レジームからの脱却」などの理念を打ち出したが、政治的反発を呼んで1年足らずで退陣に追い込まれた。その反省から第2次内閣では「デフレ脱却」で政治的資本を蓄積し、安保法制や憲法改正などの不人気な政策に投資するつもりだったのだろう。

ところが安保法制で2015年の国会が大混乱になり、このあおりで憲法改正も公明党が反対して行き詰まった。この状況を打開するために、経済政策は慢性的な景気刺激になった。消費税の増税は2度も延期し、日銀の量的緩和は果てしなく続き、不人気な原子力政策にはまったく手をつけなかった。その結果、政治的資本は蓄積されたが、結局それを使わないまま退陣してしまった。

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