法/政治

問題は「忖度」でも内閣人事局でもない

近代日本の官僚 - 維新官僚から学歴エリートへ (中公新書)
森友学園の文書改竄では「忖度」を生む内閣人事局が諸悪の根源だということになっているが、こういう政治任用は先進国では当たり前だ。アメリカでは政権が交代するたびに、連邦政府の高官3000人以上が交代する。事務次官まで100%内部昇進の日本のような「純血主義」の官僚機構は、先進国では類を見ない。

日本でも戦前は、政治任用が当たり前だった。明治政府では長州閥が政府の主要ポストを独占したので、他の藩の優秀な人材が官吏にならなかった。このため伊藤博文は勅任官(政治任用)と奏任官(試験任用)の2種類の官吏をつくり、後者は高等文官試験で公平に選抜した。

各省の次官は政権の任命する政治任用だったが、大正期に政党政治が盛んになると情実人事が増えたので、山県有朋は勅任官も高文の合格者に限った。政党はこれに反発して政治任用を復活させようとし、その妥協の結果、各省の次官が政務と事務の2人いる奇妙な制度ができたが、実質的な権限は事務次官に集中した。

官僚の中心は枢密院と法制局で、特に法制局は各省庁が法案を提出する前に必ずチェックを受けなければならないため、弱い内閣に代わって政府の調整機能を果たした。法制局の長官は政治任用で、参事官は穂積八束や美濃部達吉など東大法学部の重鎮だったので、ここで法解釈も決まった。行政機関が立法も司法も行う日本型の官僚機構は、大正期にできたのだ。

続きは3月26日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

検察のリークは「統帥権の独立」を求めるクーデタか

森友文書の改竄をスクープした朝日新聞の情報源は、大阪地検特捜部の検事だと思われるが、わからないのは検察がなぜこんな政権をゆるがす情報をリークという変則的な形で出したのかである。その答は、文書の改竄や事後処理にどこまで首相官邸の関与があったと考えるかで違う。

役所の常識では、まったく官邸の関与がなかったとは考えにくい。財務省は昭恵さんの名前の入っている文書については、官邸に相談するだろう。遅くとも検察が入って国交省や会計検査院に原本があることが判明した昨年4月以降は財務省だけで隠蔽できないので、官邸と協議したと思われる。

検察も普通は朝日に情報を出す前に、官邸に情報を上げるだろう。もちろん公式の報告ではなく、杉田官房副長官に「かぎつけられたので隠せない」と電話する程度だ。この場合は佐川元理財局長だけではなく、「今月5日に国交省の報告で初めて知った」という杉田副長官も(場合によっては菅官房長官も)嘘をついていることになるが、文書の証拠は残らない。

続きはアゴラで。

財務官僚はなぜ「三途の川」を渡ったのか

キャプチャ

今回の事件で小黒さんがNHKに「財務省はそんなに簡単に三途の川を渡るような役所ではない」とコメントしたのが印象的だ。文書改竄で刑法上の罪に問われたら、官僚としての人生は終わってしまう。それを現場の判断でやるとは考えにくい。少なくとも事後的には、首相官邸が知っていたはずだ。

内閣人事局の「恐怖政治」が批判され、官邸の意向を「忖度」することがよくないという話がよく出てくるが、忖度なしで政治は動かない。100万人以上いる国家公務員を安倍首相がすべて指揮することはできないので、官僚が「安倍さんだったらこう考えるだろう」と先回りして忖度して初めて政治は動くのだ。

忖度は今に始まったことではなく、日本だけの現象でもない。主権者たる国民の選んだ議会が行政を支配するのが議院内閣制の建て前だが、現実には行政の大部分は官僚の裁量的な法解釈で決まる。官僚が違法行為の「三途の川を渡る」ことはきわめて例外的で、大部分はグレーな領域で法解釈を決める。そのとき官僚が、誰の意向を忖度するかが問題である。

続きは3月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

首相官邸は改竄をいつ知ったのか

森友学園の文書改竄問題は、常識では考えられない展開になってきた。私は一次情報をもっていないので以下は報道をもとにした推測だが、これが理財局の中の問題でないことは明らかだ。少なくとも財務省の大臣官房、あるいは首相官邸が、かなり早くから知っていた疑いがある。



続きはアゴラで。

文書改竄の原因は「理財局長の答弁」ではない



国会では佐川元理財局長の参考人招致が争点になっているが、どうも辻褄が合わない。あの程度のことで公文書を改竄するリスクは、その利益に見合わない。本当の原因は理財局長の答弁ではなく、首相答弁ではないか。2017年2月19日の衆議院予算委員会で、安倍首相は森友学園の設置認可について、次のように答弁した。
私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。

繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います。

続きはアゴラで。

決裁文書の「書き換え」は日常的だったのか

きのう発表された森友文書の書き換えは14の文書、310ヶ所にもわたり、特に貸付契約の経緯は大きく削除されている。佐川理財局長(当時)が国会で政治的配慮を否定し、価格交渉もなかったと答弁したことに合わせて書き換えたのだろう。

とはいえ書き換え前の文書に、重大な問題があるわけではない。焦点の安倍昭恵さんの関与については「普通財産の貸付けに係る承認申請について」(平成27年2月4日)の平成26年4月28日の記述として
なお、打ち合わせの際、「本年4月26日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)
と書かれているが、これは籠池理事長の発言である。他にも政治家の名前があがっており、佐川局長の国会答弁とは矛盾するが、それは答弁を訂正すればよい。ところが逆に、答弁にあわせて資料を改竄したのが今回の事件である。

続きはアゴラで。

大人になれなかった団塊の世代

戦後左翼のピークは1960年代後半だった。その最大の原因はベトナム戦争である。これはアメリカの大失敗で、それに反対するデモには大義があったので、世界中で多くの人々がベトナム反戦デモに参加した。これが学生運動に発展し、1968年にはフランスでは「5月革命」が起こり、日本でも全共闘運動の最盛期だった。


ベトナム戦争は、多くの人を社会主義に引き込んだ。それは「資本主義は必然的に帝国主義になり侵略戦争に至る」というレーニンの理論を実証するように見えたからだ。したがって街頭でデモをするような段階は幼稚で、戦争を根本的になくすには資本主義そのものを打倒しなければならないと「理論的に」考えた人が暴力的な直接行動に走った。

これが理論の好きな東大で、全共闘運動が盛んになった原因である。彼らが「戦後民主主義」に飽き足りなかったのも、それが資本主義を変えることができなかったからだが、資本主義を打倒してどうするのかは考えていなかった。だから運動は短命に終わったが、その負の遺産は大きい。

続きは3月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「大きな政府」というモラルハザード

JBpressでも書いたが、安倍政権の「大きな政府」は、現在の有権者の利益を最大化するという意味で民主的である。普通選挙には将来世代の利益を代表するメカニズムがないので、島澤諭氏も指摘するように、日本の社会保障は、まだ生まれていない世代(0歳以下)に負担をしわ寄せするしくみになっている。


もともと議会というのは納税者が政府を監視するしくみだったが、普通選挙で全国民に1票が与えられた。専業主婦や年金生活者には、参政権があるが(消費税を除いて)納税の義務がないので、行政サービスや社会保障の受益者が納税者にただ乗りする傾向が強まった。この関係をざっくり図に描くと、次のようになる。

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もう一つの変化は、金融市場が発達して国債が大量に発行できるようになり、納税者より大きな負担者(将来世代)ができたことだ。このため政府の行動を制約していた納税者の監視が機能しなくなり、政府債務によって現在世代が将来世代にただ乗りできるようになった。これは現在と将来のペイオフの非対称性を利用した、合理的なモラルハザードである。

続きは3月5日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越しました)

軍事政権で平和を守った徳川幕府

昨今の憲法論争で「文民統制」という話がよく出てくる。軍人より文民のほうが平和主義だと思われているのだろうが、歴史的には必ずしもそうではなかった。日本は鎌倉時代から700年以上も武士による軍事政権が続いた、世界でも珍しい国である。特に江戸時代は、徳川幕府の軍事政権で長い平和が続いた。丸山眞男は1966年の講義でこう述べている。
徳川時代の世界史的な逆説は、爪の先まで武装したこの体制の下において、二世紀半以上にわたって「天下泰平」の安定性が維持されたことである。高度に発達した文明の段階において、「閉じた社会」の人為的造出がこれほどすみずみまで計画され、しかもこれほど長期的に成功した例は稀である。
今でも途上国には軍事政権が珍しくないが、それが長期政権になることはまずない。軍政を支えているのはむき出しの暴力なので、それより大きな暴力をもつ軍人が出てくると倒れるからだ。ところが徳川幕府は、軍人が軍人を支配することによって長い平和を守った。この「世界史的な逆説」を理解することが、現代の日本を考えるときも重要である。

続きは3月5日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。(まぐまぐに引っ越しました)

安倍首相はなぜ「左傾化」したのか

日銀総裁は、黒田総裁が再任されることになった。若田部副総裁は実務は知らないので、出口戦略は雨宮副総裁が仕切ることになろう。彼は日銀の本流なので、それほどおかしなことにはならないと思うが、気になるのはここに至る経緯だ。関係者によると、今回の人事の最大の問題は「本田悦朗副総裁の阻止」だったという。

本田氏は極端なリフレ派で、出口戦略も否定していた。これまで安倍首相が任命した審議委員はほとんど本田氏の推薦なので、彼が副総裁になると大きな実権をもち、後任総裁になる可能性もあった。財務省は全力を上げて本田副総裁を阻止したが、若田部氏もリフレ派であり、本田氏の影響力は残った。

アベノミクスの中核だったインフレ目標は失敗したが、安倍首相の「大きな政府」路線は変わらない。最近の「教育無償化」や「働き方改革」の規制強化も、バラマキと政府の介入を拡大する社民的な政策だ。こうした決定は税調や審議会を飛び越え、首相自身がやっているという。なぜ彼は「左傾化」したのだろうか。

続きはアゴラで。






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