法/政治

バイデン大統領で「もっと大きな政府」がやってくる



アメリカ大統領選挙はバイデン元副大統領の勝利が確実になったが、熱狂はみられない。「バイデンの最大の長所はトランプではないことだ」という評価が妥当な所だろう。

事前にはバイデンが楽勝とみられていたが、トランプは意外に健闘した。その最大の原因は、彼が選挙制度の欠陥を最大限に利用したことだろう。選挙人制度のもとでは、共和党の候補がニューヨークやカリフォルニアで選挙運動しても意味がない。彼がねらったのは中西部のスウィングステートに住むプア・ホワイトである。

アメリカはまだ人口の60%以上が白人であり、彼らは「おれたちの国だ」と思っているが、口には出せない。そのルサンチマンを刺激してマイノリティや移民に対する差別意識をあおるのが、トランプの一貫した選挙戦術だった。

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パッチワークの合衆国憲法が世界を混乱させる

アメリカ大統領選挙は、初日が終わってもまだ情勢が混沌としている。ペンシルベニアとウィスコンシンの開票率が低く、郵便投票でひっくり返る可能性があるからだ。特にペンシルベニアは6日までかかりそうで、トランプ大統領は「4日以降に届いた票は無効だ」という訴訟を起こすと表明しているので、連邦最高裁が大統領を決めるブッシュ対ゴアのときのような展開になるかもしれない。

こういうややこしいことになる原因は、大統領選挙人という特殊な制度にある。ほとんどの州は各州ごとに勝者総取りになっているので、ニューヨークやカリフォルニアのような大きな州(民主党が必ず勝つ)はどうでもよく、両党の勢力が伯仲している中西部のスウィングステートを取ったほうが勝つ。

ここに住んでいるのは、貧しい白人の労働者が多い。彼らはマイノリティや移民に仕事を奪われるという被害者意識が強いので、白人中心主義をとなえて移民を差別し、保護貿易を主張すれば、彼らの支持を得ることができる。トランプの選挙戦術は、それに特化した点で徹底していた。

この奇妙な制度ができた原因は、合衆国憲法ができたときは、各州が独立国だったからである。当時は大統領の選出は連邦議会が行なうべきだという意見が強かったが、それでは各国の独立性が失われるという反対論があったため、各国が独自に選挙人を選出し、その投票で決める折衷案になったのだ。

こういう「三権分立」がデモクラシーの理想だと思っている日本人が多いが、それはGHQの洗脳である。このパッチワークの統治機構のおかげで、大統領選挙のたびに混乱が繰り返され、スウィングステートに迎合するトランプのような大統領が生まれ、中西部の田舎者が世界情勢を決めてしまう。

続きは11月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

自衛官の入学拒否についての毎日新聞の「ファクトチェック」は誤報である

毎日新聞が「ファクトチェック」と称して、櫻井よしこ氏の発言を誤りと断定している。これがファクトかどうかチェックしてみよう。

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学術会議の独立性を制度的にどう担保するか

学術会議をめぐる論争は、安保法制と同じ色分けになってきた。反対派は憲法第9条の代わりに第23条(学問の自由)を振り回し、政府を擁護する側は「反日」だとか「中国と協力した」というが、これは的外れだ。問題はそのいびつな制度設計にある。

学術会議は戦後の混乱期にGHQの指導でつくられたため、内閣直属の政府機関で研究者の直接投票という世界にも類のない制度で発足した。これを最大限に利用したのが共産党だった。直接投票という制度の欠陥を利用して大量の党員を送り込み、極左的な決議を発表させた。

これに対して自民党の反発が強まり、政府は1984年に学会推薦にした。その後も民営化しようとしたが、学術会議はこれを拒否し、2005年に会員推薦に変えただけだ。その結果、会員が自分の後任を決める縁故採用になって政府は口を出せず、民主的統制のまったくきかない治外法権になった。

これは国家公務員の人事としては考えられないので、内閣が選別するのは当然だ。「学術会議だけ特別に無条件で任命しろ」という要求は、法的に認められない。だが任命の基準が明確でないと、恣意的な政治介入が行われるおそれがある。本質的な問題は、研究機関や学術団体の独立性を制度的にどう担保するかということである。

続きは10月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

処理水問題は安倍首相の「貯蓄過剰」だった



福島第一原発の処理水問題が、今月中にようやく海洋放出で決着する見通しになった。これは科学的には自明で、少なくとも4年前には答が出ていた。「あとは首相の決断だけだ」といわれながら、結局、安倍首相は決断できなかった。それはなぜだろうか。

政治家の人気を政治的資本(political capital)と呼ぶことがある。安倍首相は第1次内閣では「戦後レジームからの脱却」などの理念を打ち出したが、政治的反発を呼んで1年足らずで退陣に追い込まれた。その反省から第2次内閣では「デフレ脱却」で政治的資本を蓄積し、安保法制や憲法改正などの不人気な政策に投資するつもりだったのだろう。

ところが安保法制で2015年の国会が大混乱になり、このあおりで憲法改正も公明党が反対して行き詰まった。この状況を打開するために、経済政策は慢性的な景気刺激になった。消費税の増税は2度も延期し、日銀の量的緩和は果てしなく続き、不人気な原子力政策にはまったく手をつけなかった。その結果、政治的資本は蓄積されたが、結局それを使わないまま退陣してしまった。

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杉田官房副長官はどこで間違えたのか

学術会議の問題は、国会の最大の争点になってきた。これは森友・加計のような中身のない話ではなく、政府機関の制度設計という大きな問題だが、野党やマスコミが「学問の自由」という見当違いな争点を設定しているので話が噛み合わない。

わからないのは、なぜ官邸が欠員6人を出したのかということだ。12日の記者会見で菅首相は「99人の名簿しか見ていない」と口をすべらせたが、これだと6人の任命を拒否したのは首相の判断ではなかったことになる。その後「105人の名簿は決裁文書に添付されていた」とか「任命できない人が複数いると事前に説明を受けた 」とか話が二転三転している。

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学術会議はGHQのつくった「学問の戦後レジーム」

学術会議をめぐる議論が迷走している。菅首相が105人の推薦のうち99人の名簿しか見ていなかったことが「日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」という学術会議法に違反していると野党は騒いでいるが、彼らは内閣に上がってくる膨大な決裁文書を首相がすべて見ろとでもいうのか。

「内閣総理大臣が〜する」という実務は内閣のスタッフが行うのであり、この場合は杉田官房副長官(内閣人事局長)だろう。ただこれは首相が本件をそれほど重視していなかったことを示唆している。今のような騒ぎになることを計算していたら、落とした6人の名前ぐらい見たはずだ。

内閣法制局の1983年答弁についての矛盾した説明も、準備不足をうかがわせる。もともと内閣が諮問機関の人事をその機関に白紙委任することはありえないので、民主的統制のまったくきかない従来の運用が異常であり、今回はそれを正常化しただけだ。

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学術会議は「ゆがんだ制度設計」を直さないと独立できない



学術会議が話題になっているが、「学問の自由」などと騒いでいるのは野党とマスコミだけで、当事者はみんな白けている。学術会議は特定の政治勢力に利用され、政府には相手にされなくなり、もう死に体になっているからだ。問題はなぜこんなひどいことになったのかということだ。

学術団体が内閣直属の政府機関になっているのは特異な制度設計で、先進国には類をみない。これはGHQが科学の振興とともに再軍備の監視という機能を学術会議にもたせたことが原因で、全研究者の直接投票という異例の組織形態も、民主的組織で政府を監視するためだったらしい。

それが党派的に利用されたため、民営化すべきだという議論が1950年代からたびたび出たが、学術会議が抵抗して実現しなかった。政府は2001年に諮問機関として総合科学技術会議をつくり、学術会議は予算も増やさないで放置した。それが2017年の「軍事研究の禁止決議」でまた党派的な性格を強めたため、人事に介入したのだろう。

私は研究機関に独立性が必要ないといっているのではない。逆である。2001年に省庁再編で独立行政法人ができたとき「政府から独立して助言する」という目標が掲げられ、私が所属した経済産業研究所は、本当に独立して自由に政府を批判した。このため北畑隆生官房長が、青木昌彦所長など多くの研究員(私を含む)を追い出した。

このときわかったのは、独立行政法人は実は独立していないということだった。設置法を読むと、予算も人事も本省がすべて握っており、独法に勝ち目はなかった。まして学術会議のような内閣直属機関が、そのゆがんだ制度設計を直さないで「自分たちだけ特別に人事を無条件で認めろ」といっても、法律論で一蹴されるだけだ。

続きは10月12日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

学術会議は共産党の活動拠点だった

学術会議の騒ぎを受けて自民党が「非政府組織化」を検討するプロジェクトチームを発足させた。読売新聞によると、河野行政改革担当相が学術会議の運営や組織の見直しに着手したという。

きのうの記事では学術会議の法的な問題点を整理したが、きょうはその政治的な問題点を考える。元会員の村上陽一郎氏が、初期の学術会議の実情をこう書いている。
日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。

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学術会議問題は「風見鶏」中曽根首相の遺産

学術会議問題は法的には自明だと思ったが、国会答弁が迷走しているので、最低限度の法的問題を整理しておこう。きょうの衆議院文教委員会で、共産党の田村智子議員の質問に対する政府の答弁は混乱していた。



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