法/政治

マスコミが「プロレス野党」を生み出す

野党は今度は首相主催の「桜を見る会」を追及するらしいが、別に違法性があるわけでもない。こんな会に公平性を求めてもしょうがない。誤解を招くというなら、来年からやめても国政には何の支障もない。

それより問題は、国会で野党が法案も予算案も議論しないで、こういうスキャンダルばかり取り上げることだ。その理由は単純である。マスコミがそれしか報じないからだ。


細野豪志氏もいうように、マスコミは野党の政策論を取り上げない。その理由も単純である。読者が興味をもたないからだ。政策論はわかりにくく、どうせ野党の政策なんか実現しない。

続きはアゴラで。

強そうで弱い政治家と弱そうで強い官僚

官僚のブラック労働の最大の原因は与野党なれ合いの「国対政治」だが、官僚が一方的な被害者というわけではない。日本の役所の最大の問題は、その完璧主義と無謬主義である。これは彼らが「天皇の官吏」として間違いを許されなかった明治憲法からの伝統だろう。

20年ほど前、役所で同僚になって印象的だったのは、官僚の強いエリート意識だった。政治家や大学教授を「先生」と持ち上げるが、裏に回ると「おれのほうが知っている」という。政治家には「レク」で根回しし、法案の中身は官僚が決めてしまう。審議会の答申も官僚が決め、会合でも「事務方」が延々と説明する。

そのエリート意識の源泉は、東大の知的権威だった。「通産省が日本株式会社を指導する」と言われた時代も役所にそれほど法的権限はなかったが、知的権威で業界を指導し、業界団体に天下ってロビイストとして活躍した。それはウェーバー的な合理的官僚ではなく、科挙官僚のように精神的権威で庶民を指導する東洋的エリートだった。

他方で明治憲法の時代から、政治家には実質的な権限があまりなかった。帝国議会には政府の提出した法案に「協賛」する権限しかなく、1930年代には政府や軍部から干渉を受けることも多かった。それに対する反省から新憲法では国会は「国権の最高機関である」と定められたが、実態はあまり変わらなかった。

続きは11月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

嘘をついたのは森ゆうこ議員である

森ゆうこ議員は10月25日、次のようなツイートで(私を含む)多くの人を脅迫した。
彼女はここで「予算委員会のルールに基づく通告は、提出期限であった11日(金)午後5時までに提出されていた」と主張しているが、これは嘘である。

続きはアゴラで。

今井雅人・柚木道義議員の「サンフランシスコ質問」は議事録から削除せよ

アゴラの記事で指摘した国会質問の事実誤認(あるいは偽造)は今井雅人議員(立憲民主党会派)だけではなく、柚木道義議員(同)も10月23日の衆議院内閣委員会で「内閣府が図を漏洩したのではないか」と質問した。これを自分でツイートしている。

続きはアゴラで。

霞ヶ関のブラック労働は「行政国家」の末期症状

今年の8月、厚生労働省の若手チームの出した業務・組織改革のための緊急提言がちょっと話題を呼んだ。これは霞ヶ関でも最悪といわれる厚労省の労働環境について、現場のアンケートをもとに提言したものだ。

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そこには「厚生労働省に入省して、生きながら人生の墓場に入ったとずっと思っている」といった過酷な労働実態への悲鳴が並び、その大きな原因として「国会関連業務」があげられている。今や「モンスタークレーマー」になった野党への対応が、若手官僚の大きな負担になっていることがわかる。

この原因は日本独特の国対政治だが、そこには普遍的な問題も含まれている。ジョン・ロック以来の近代デモクラシーの原則では、主権者たる国民が選挙で議員を選び、彼らが立法によって政府をコントロールすることになっている。法を執行するのは官僚だが、その解釈は行政から独立した司法が決めるというのが、モンテスキュー以来の三権分立の理念である。

だが、そんな原則を信じている官僚はいない。事務量が膨大になった現代の先進国では、官僚が立法も行政も法解釈も実質的に行う。議会は官僚機構の決定を追認する機関にすぎない。このような行政国家をチェックする制度は、日本国憲法には存在しない。国民主権とか立憲主義とかいうとき、想定されているのは実定法による支配だけなのだ。

続きは11月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

与野党の談合する「国対政治」が官僚を疲弊させる



国会の騒ぎは、野党のいう「情報漏洩」の根拠がツイッターの日付の誤認だとわかって、急に静かになった。野党が国会で政策論争をしないでスキャンダルたたきに熱中するのは今に始まったことではないが、その起源は意外に古い。

続きはアゴラで。

「情報漏洩」の犯人さがしは野党の自殺行為だ


10月23日、衆議院内閣委員会で無所属の今井雅人議員は「高橋洋一氏が15日の森ゆうこ議員の質問内容を事前に知っていた」と質問し、これに対して北村地方創生相は「責任を取る」と答弁した。
今井:その図と思わしきものはですね、森議員が質問の際に出した資料の中にあると思います。これは事前には原さんにも渡してないはずです。しかし、なぜ高橋さんは質疑が始まる前に、この図のことを知っていらっしゃったんでしょうか? [中略]

内閣府から情報が漏れたということはないと、断言していただけますか? で、もし後日そういうのが出てくるということであれば、これはもう大臣の責任問題になると思いますけれども、いかがですか。

北村:本件について内閣府から通告内容が漏洩した事実はない、ということを確認しておりますから、責任問題が生じたときには責任取ります。
24日の野党ヒアリングで、立憲民主党の柚木道義議員も「高橋氏が事前に質問内容を知っていたのは官僚が情報漏洩したからだ」と主張した。その根拠は、野党ヒアリング資料にある高橋洋一氏のツイートだと思われる。

ここには15日の質問前の14日19:57のツイートが出ているが、この時刻はアメリカ太平洋標準時である。日本時間では質問後の15日11:57であり、前後関係からも彼が国会中継の感想を書いていることは明らかだ。



続きはアゴラで。

野党の「日程闘争」が官僚のブラック労働を生む

森ゆうこ議員のパワハラ問題に、産経新聞以外のマスコミは沈黙を続けているが、朝日新聞は「論座」で米山隆一氏の「森ゆうこ議員の質問漏洩問題から見える日本の劣化」というコラムを掲載している。彼は「官僚を自称する複数のアカウント」のツイートについてこう書く。
私は、そもそも事実ではなくそれ自体不当な非難であったことを前提としたうえで、理由はさておき、台風を前に帰宅もできず、愚痴の一つも言いたくなったことは理解できます。しかし、相手の事情を確認もせず、あらゆる結果を仕事の相手方に帰責する形で個人を特定してあげつらったのは、通常の職業倫理からはおよそ考えられず、霞が関の劣化以外の何物でもないと思います。
これ以降の彼の議論は、官僚の情報が「事実ではなくそれ自体不当な非難であった」という前提で官僚を批判するものだが、この前提は誤っている。「森ゆうこ糞」などのハンドルネームで行われた批判は正確であり、質問通告は24:25までかかったことが確認されたので、米山氏の話はナンセンスである。

続きはアゴラで。

森ゆうこ議員の「質問通告」に守秘義務はない

森ゆうこ事件は些細な話のようにみえるが、国会では毎日のように起こっているパワハラの例であり、見逃すことはできない。産経新聞がその質問通告を掲載しているので、ここから当日の経緯を推測してみよう。

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まず明らかなのは、この14項目の「未定稿」だけでは答弁が書けないことだ。特に8の「国家戦略特区について」という項目で「原座長代理」が質問の対象になっているが、原英史氏は公務員ではないので、参考人として出席を要請しなければならない。その時こんな質問項目だけでは、何を聞かれるのかわからない。

そこで内閣総務官室が11日の19:30ごろ森議員に問い合わせ、特区の部分の質問内容が追加された。内閣総務官室は20時ごろ、14項目に次の「質問詳細」を加えた2枚のFAXを添付したメールを原氏に送った。これは15日の質問の実質的に前日であり、民間人に配慮して早めにこの部分だけ外部に送ったものと思われる。質問通告がすべて終わったのは24:25だった。

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これは産経も指摘するように「通常の業務」であり、質問内容は公務員の守るべき秘密ではない。それを受け取った原氏も民間人であり、守秘義務は負わない。彼はこの質問通告を読んで、自分に対する人権侵害が含まれていると考え、私を含む多くの人にこの事実をメールで伝え、そのうち15人が署名運動の発起人になった。

事実はこれだけである。どこにも違法性はない。問題をややこしくしたのは、高橋洋一氏が14日に虎ノ門テレビで「(質問が)役所の方から来た」と言ったことだ。これは嘘である。彼が話を聞いたのは原氏であって「役所」ではないからだ。

続きは10月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

民主主義の次の政治システム

ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想 (星海社新書)
森ゆうこ事件をみると、民主主義がいかに非効率な政治システムかがわかる。これは国家の外に移動できない農民のシステムだから、議会でvoiceして合意を形成するしかなく、こういういやなやつとも一緒に暮らさなければならない。それに対して都市国家は、いやな都市からはexitすればいい。

こういう発想を政治システムとして提案したのが、ニック・ランドの「暗黒啓蒙」というウェブ上の著作である。ここで彼のいう新反動主義はリバタリアンの変種で、こういう都市国家の発想は昔からある。経済学でいうと、ローマーの提案したチャーターシティと同じだ。

新反動主義がダークな危険思想とされているのは、それが生物学的多様性を論じているからだ。これは誤解を恐れずにいえば「白人は黒人より遺伝的に知能が高いので白人だけの都市に集まって住めばいい」という思想で、かつて白人が黒人を排除したのと逆の発想だ。このため彼の本は、アメリカでは出版できなかった。

これ以上の話は政治的に正しくないので、10月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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