法/政治

霞ヶ関を「ブラック職場」にするゴロツキ野党議員

森ゆうこ議員が情報漏洩がなんちゃらとわけのわからないことを言っているが、この問題の本質は、彼女が台風前夜に多くの官僚を深夜まで待機させ、しかもそれを批判されると「規定の提出期限までに出した」と嘘をついたことだ。まず経緯を簡単におさらいしておこう。
  • 大型の台風19号が首都圏に接近していた11日夜、何人かの官僚がツイッターで「森ゆうこ議員の質問がまだ来ないので家に帰れない」とつぶやいた。
  • 最初に森議員が出した14項目の箇条書きでは、どの部署が答弁を書くのかわからないので、20:30ごろまでは全省庁待機がかかり、数百人が待機したものと思われる。
  • 次第にその内容が追加されて具体的にわかったので、無関係な省庁から待機が解除されて帰宅したが、担当官庁は徹夜になって帰宅できなくなった。
  • 質問は何度も追加され、最後の更新が終わったのは24:25だった
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森ゆうこ議員のいう「情報漏洩」は論点のすり替えだ

きのう国民民主党は記者会見を開いて「質問内容が外部に流出したのは情報漏洩だ」と主張した。朝日新聞は「森ゆうこ議員が11日午後4時すぎに参院事務局に出した質問通告が外部に流出した可能性がある」と報じているが、これは誤報だ。彼女が16:08に出した通告の内容を20:22にツイートしているからだ。
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弱小野党が強すぎる国会

森ゆうこ議員の質問通告の問題は、日本の国会の深刻な欠陥を示している。日本の政治改革で手本となったイギリスの議会では政府と与党は一体なので、重要法案は政府が優先して審議させるが、日本の政府は審議日程に口を出せないので、内閣が最優先する法案も、与党が協力しないと「審議未了で廃案」になってしまう。

このような国会の強い独立性は、戦後GHQのつくったアメリカ型議会モデルだが、結果的には万年野党を救済するしくみともなった。本会議で採決すると勝てない野党も、全会一致が原則の議院運営委員会では自民党と対等の拒否権をもつので、日程闘争が野党の唯一の武器になった。

野党の要望は自民党の政策に取り入れられ、その賛成するバラマキ福祉はできるが、反対する憲法改正はできない。単純過半数でできる小選挙区制法案も、国会に出るたびに審議未了で廃案になった。政府は日程をコントロールできないので、審議拒否されると法案が成立しないのだ。続きを読む

森ゆうこ議員の「質問通告」はなぜ深夜まで長引いたのか

官僚たちの反乱が始まったのは、台風19号が首都圏に接近している11日の深夜だった。「森ゆうこ糞」というアカウントをつくって経過報告した官僚(と思われる)は、午前0:52にこうツイートした。





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大坂なおみ選手を「違法状態」にしないために国籍法改正を



10月16日に22歳になるテニスの大坂なおみ選手が、日本国籍を選択した。彼女は米国籍も持っているので、そっちをどうしたかについては情報がないが、おそらくこのまま保持するのだろう。アメリカは重国籍を認めており、国籍離脱者から(租税逃れ対策として)純資産の20%近い国籍離脱税を取るからだ。

IOCの規定では国籍を変更した選手は3年以上たたないとオリンピックに出場できないので、彼女は今からアメリカ代表になることはできないが、日本代表になるために米国籍を捨てる必要もないので、二重国籍のまま出場できる。

しかし日本国籍を選択して米国籍を抜かないと、法的には違法状態になる。日本の国籍法では重国籍を禁じているからだ。

続きはアゴラで。

明治日本の奇妙な植民地主義

アジアを救った近代日本史講義 (PHP新書)
1910年の日韓併合は、国際法的には合法だが、実質的には植民地主義といわれてもしょうがない。当時の日本と朝鮮は軍事力にも経済力にも大きな差があり、その力の優位を背景に日本が朝鮮半島を領有する条約を結んだからである。だがそれは奇妙な植民地主義だった。

日本が朝鮮半島に進出しようとした最初のきっかけは征韓論だが、これはヨーロッパの植民地主義とは違う発想だった。明治政府が新政府の樹立にあたって、1870年に李氏朝鮮との修好を求める国書を朝鮮に届けようとしたところ、朝鮮はその受け取りを拒否した。

その理由は、国書に皇上という文字があったことだ。「皇」は中華王朝の皇帝だから、日本の支配者は皇ではなく、朝鮮はその臣下ではないので、国書を受け取ることはできない、というのが朝鮮の主張だった。これに対して明治政府では、西郷隆盛が訪朝して説得すると言い出し、それに大久保利通などの主流派が反対し、これが西郷の下野するきっかけになった。

これは些細な外交文書の字句の問題のようだが、当時の東アジアの秩序のあり方をめぐる論争だった。朝鮮は李朝の伝統だった華夷秩序の概念にもとづいて朝鮮は清の臣下だと考え、日本は秩序の外にある「夷狄」だと考えていた。それに対して華夷秩序の外側にいた日本は、朝鮮のような事大主義の影響を受けていなかったので、ヨーロッパ的な国際法にもとづいて朝鮮と条約を結ぼうとしたのだ。

続きは10月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。


沖縄はなぜ韓国に似ているのか

世界のなかの日清韓関係史-交隣と属国、自主と独立 (講談社選書メチエ)
沖縄の辺野古基地をめぐる果てしないゴタゴタは、韓国に似ている。法的には無意味な住民投票で国の決定をくつがえし、法を遡及しようとする沖縄県民の行動は、日韓請求権協定を無視して「徴用工」問題を蒸し返す韓国人の発想と同じだ。それはなぜだろうか。

これは無意味な問いのようだが、朝鮮と琉球の歴史には共通点がある。形式的には清の属国でありながら、実質的には日本に支配されたという点だ。朝鮮の場合には、それは清の冊封国だが属国自主とされていた。これは西洋のような植民地支配とは違い、清に朝貢して服従を誓うかぎり外交的な独立を認めるものだった。

琉球も清に朝貢する冊封国だったが、1609年に薩摩藩の島津家広が琉球に出兵し、首里城を占領して服属させた。琉球王国は島津氏の監督のもとに、将軍の代替わりごとに慶賀使を江戸に送る一方、清には毎年進貢船を派遣し、代わりに清の冊封使が来航した。こうして琉球王国は、日本に服属する一方、清国を宗主国とする両属の国となった。

この微妙なバランスを変えたのが、1879年の琉球処分だった。明治政府は琉球王国を解体し、沖縄県として主権国家の一部に組み込み、清との宗属関係を断ち切った。これは清にとっては琉球という属国の喪失であり、次に朝鮮半島をめぐる軍事的脅威に発展することを北洋大臣だった李鴻章は恐れた。

続きは10月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

文在寅政権は20年遅れの「全共闘運動」

日本人が今の韓国を理解することはむずかしいが、 世代論でみると、文在寅政権を支える386世代は、日本の団塊の世代に近い。これは「30代で80年代の民主化運動を支持した60年代生まれの世代」という意味だが、1987年の韓国民主化は1968年の日本の大学紛争と似ている。

1980年に光州事件を鎮圧するクーデタで生まれた全斗煥政権は、最初から民主的正統性のない政権だった。これに対して大統領の直接選挙などを要求する民主化運動が、学生を中心に広がった。光州事件のときデモに参加して、投獄された文在寅もその一員だった。

続きはアゴラで。

反日主義は韓国の「戦後の国体」だった

韓国「反日主義」の起源
近代の日本史に抜けているのは、朝鮮半島の歴史である。朝鮮は日本の一部だったのだから、その歴史は日本に含めるべきだが、教科書では「日本軍のアジア進出」として大陸と一緒になっているので、日本軍が朝鮮で戦争したと思っている人も多い。実際には朝鮮半島は平和で、朝鮮人は 内地以上に「皇国」に同化していた。
諸君の犠牲は決して無駄にはならないと、ここに宣言しよう。それは諸君に生を与えた朝鮮半島のための犠牲であり、その犠牲によって朝鮮半島は皇国の一員となる資格が与えられるのだ。まさに朝鮮の未来は諸君の今後の行動にかかっていると言っても過言ではない。
これは1943年に金性洙(のちの韓国副大統領)が、学徒出陣する志願兵に対するはなむけの言葉として朝鮮の新聞に書いたものだ。これは例外ではなく、こういう戦時中の戦争協力者が戦後は韓国の指導者になった。その最たるものが朴正熙大統領である。 彼は高木正雄という日本名で陸軍士官学校を卒業し、満州国軍で中尉となった。

それが戦後、韓国軍の将校になったのは、日本でいえばBC級戦犯が自衛隊の幹部になったようなものだが、彼に親日派としての戦争責任を問う人はいなかった。戦後の韓国政府の首脳は、ほとんどが戦争に協力した親日派だったからだ。朴はその過去を隠すために日本の映画やレコードの輸入を禁じ、安重根記念館をつくり、国定教科書に「韓国史観」を書かせた。

これは日本で、戦犯容疑者だった岸信介が首相になったのと似ている。岸の経歴は誰もが知っていたが、その戦争責任を問う人は少なかった。そんなことをいったら、多くの日本人が(共産党員を除いて)戦争に協力した責任があったからだ。憲法の平和主義は、そういう日本人の罪の意識を隠す戦後の国体だったが、朴のつくった「反日主義」は韓国の戦後の国体だった。

続きは9月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

平家・海軍・外務省

河野太郎外相が、ブルームバーグなどに日本語と英語で寄稿し、日韓問題についての日本の立場を説明している。英語圏の人々にとって英語以外の情報は存在しないので、こういう情報発信は重要だが、今まで外務省はほとんどやってこなかった。2015年度予算からは総額約500億円もの「対外広報戦略費」がついたが、使い道がわからないので「ジャパンハウス」などのハコモノに使われている。

その原因は、英語ができないからではない。外務省には語学バカといわれるぐらい語学のできる人は多いが、問題は発信すべき情報がないことだ。「平家・海軍・外務省」といわれるように、日本の官庁も企業も意思決定が内向きで、国際派は華やかだが力がない。外務省は対米追従で独自の外交路線がないので、情報発信しても他国が関心をもたなかった。

ところが慰安婦問題では、韓国が情報戦で日本を逆転した。この時期に国際世論の動向を左右したのは、ネット上の英語情報だったが、外務省は無力だった。たとえば英語版のWikipediaでは、今もComfort womenはこう説明されている。
Comfort women were women and girls forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied territories before and during World War II.
これを訂正すると30分ぐらいで編集合戦が始まり、韓国系と思われるユーザーによってすべて元に戻されてしまう(試しにやってみるとわかる)。

続きは9月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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