法/政治

野党と知識人の求めた「安保改正」

安保法制をめぐる議論は憲法解釈ばかりで、日本の安全をいかに守るかという話がないが、1960年の安保改正も何が問題だったのかよくわからない。1951年に結ばれた旧安保条約と日米行政協定は、米軍が日本国内に基地を自由に置ける不平等条約で、これを岸首相が対等な条約に改正しようとしたのは当然だった。

それは当初は野党も同じだった。砂川基地で衝突事件の起こった1957年に、清水幾太郎などの進歩的知識人は「基地問題の根源的な原因は安保条約と行政協定にある」として、その「根本的な再検討」を求める声明を出した。これに対して岸は国会で「文化人が健全な世論を建設する場合には、これを尊重してゆく。安保条約、行政協定は再調整する時期になっている」と答弁した(清水『わが人生の断片』)。

知識人の声明が図らずも安保改正の露払いの役割を果たしたので、彼らはあわてて「これは憲法を改正せよという意味ではない」という補足声明を出したが、安保改正の流れは止まらなかった。安保条約を廃止して米軍を撤退させるには、憲法を改正して再軍備するしかないが、野党がこれをごまかして倒閣運動に利用したため、安全保障と無関係な混乱が始まった。

続きは12月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

核拡散防止条約の「隠れた目的」

北朝鮮がまたICBMを発射し、日本も核武装すべきだという議論が再燃しているが、いま核拡散防止条約(NPT)を脱退することは日米同盟を脱退するに等しいので不可能だ。しかし栗山元外務次官によると、1960年代には日本政府はそういう選択肢を真剣に考えていたらしい。

1968年にNPTができたのは1964年の中国の核実験がきっかけだが、そのとき米ソの「隠れた目的」は、日本と西ドイツの核武装を封じ込めることだったという。NPTを強制する機関としてできたのがIAEAだが、その主な対象も日本だった。今でも六ヶ所村の再処理工場では、IAEAの査察官が24時間勤務でプルトニウムの量を監視している。

当時の日本政府はNPTのそういう不平等性を知っていたので、これに抵抗した。条約に署名したのは発効直前の1970年2月、批准は1976年6月だった。自民党内で6年ももめたのは党内タカ派の反対が原因だが、「非核三原則」を唱えた佐藤栄作もNPTに最初は反対だった。こういう自民党の迷走が、その後の混乱の原因になった。

続きは12月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

進歩的知識人はなぜ転向したのか

戦後を疑う (講談社文庫)
清水幾太郎は60年安保のスターで、その後「転向」した人物として評判が悪いが、彼の話は「自分はなぜ転向したか」を語る資料としてはおもしろい。戦前の日本を否定しようとした戦後知識人の価値観のコアにあったのは、治安維持法への復讐だという。

それは戦前の国体の象徴だったので、彼らの「二つの公理」は、治安維持法のタブーだった共和制社会主義で、「憲法擁護」というスローガンは戦術的なものだった。共和制は天皇制の廃止という意味だが、憲法1条で天皇は「象徴」として残ったので、彼らは「国民主権」を主張した。社会主義は憲法29条(財産権の保障)に反するが、資本主義を否定しないと進歩的知識人にはなれなかった。

しかしこういう復讐のルサンチマンは、治安維持法がなくなって言論が自由になると忘れられる。一時は英雄になった共産党はその輝きを失い、社会主義の現実がわかると人々は常識に戻ってゆく。それは戦前に治安維持法で転向した人々と同じだ、と清水は主張する。

続きは11月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

読売の誤報が生んだ「核持ち込み」のタブー

戦後日本外交 軌跡と課題 (岩波現代全書)
戦後外交史の最大の岐路は60年安保だが、いまとなっては何が問題だったのかさえ不明な空騒ぎだった。あれほど盛り上がった運動が条約の通過後は急速にしぼんでしまったのも、反対派に大義がなかったからだ。むしろあの騒動のおかげで岸信介の考えていた日米相互防衛条約はできず、条約改正は中途半端に終わってしまった。その後遺症は今も与野党に残り、思い出したように「安保反対」が出てくる。

著者は宮沢内閣のときの外務次官だが、あの騒ぎの最初のきっかけは1954年のビキニ環礁事件だったという。これは読売新聞の誤報だったが、「放射能で死者が出た」というイメージが世界に広がり、原水爆署名運動が2000万人以上の署名を集め、日本に寄港する原子力空母や潜水艦への反対運動が強まった。

このため岸内閣は、核兵器の持ち込み(introduction)について事前協議するという制度を安保条約の付属文書に入れた。これは当時は日本政府が「拒否権」をもつと受け止められたが、現実にはそうではなかった。核兵器は60年代以降も、日本を通過(transit)するという形で、日本に持ち込まれたのだ。

続きは11月27日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

沖縄をめぐる被害妄想の起源

だれが沖縄を殺すのか (PHP新書)
沖縄タイムスに掲載された琉球大学教授の暴行殺害事件初公判の傍聴記がちょっと話題になっている。米兵=強姦というステレオタイプで「迷いなく急所を攻撃できる、殺しのテクニックを持つ」という差別意識まる出しの記事を津田大介氏が拡散して批判を浴びた。

本書も指摘するように、米兵に犯罪が多いというのは嘘である。米軍の軍人・軍属は沖縄の人口の3%だが、犯罪検挙数は刑法犯の0.7%だ。1件の犯罪を「米軍基地は悪だ」と一般化するのは地元紙の常套手段だが、こういう被害者意識を生み出した事情は複雑だ。その起源は1947年に昭和天皇がGHQに伝えた、次のような天皇メッセージにさかのぼる。
  1. 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む
  2. 占領は日本の主権を残したままの長期租借(25年ないし50年以上)によるべき
  3. 手続は日米の二国間条約によるべき
これが1990年代に発見された当初は「沖縄切り捨て」の起源だと思われたが、それは逆だった。マッカーサーは東アジア戦略の要となる沖縄をアメリカが今後も支配すべきだと主張したが、天皇はそれに対して米軍基地を認める代わりに、沖縄に対する日本の主権を守ったのだ。このメッセージがなかったら、その25年後に沖縄が返還されることはなかっただろうが、この「長期租借」という擬制が沖縄問題の起源になった。

続きは11月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

与党質問なんかいらない

国会の与野党の質問時間の配分が、1対4から1対2に変更された。これを「大政翼賛会」などと騒ぐのも大げさだが、与党質問が増えると国会はさらに空洞化する。法案の内容は自民党政調会の事前審査でチェックされているので、与党質問なんて無意味である。

自民党の国会議員は内閣提出法案(閣法)に賛成するように党議拘束をかけられているので、国会に法案が出てから本質的な疑問は出せない。これは大山礼子氏の指摘するように、日本国憲法のモデルが合衆国憲法で、基本的に閣法を想定していないことが原因だ。憲法第41条では「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めているので、厳密にいうと閣法は憲法違反である。

ところが明治以来の伝統では政府が立法して議会はチェックする機関だったので、法案の作成は官僚に丸投げになっている。そのギャップを調整する機関が部会で、ここが実質的な国会である。ここでは法案の細かいところまで族議員がチェックし、まれには否決されることもある真剣勝負だ。私はそのまれな事例に立ち会ったことがある。

続きは11月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

治安維持法は何を守ったのか

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)
今どき新聞社に「死ね」などという国会議員が出てくるのは、メディアに対して国家権力が手を出せないと思っているからだろうが、刑法77条の「内乱罪」の最高刑は死刑である。破防法の最高刑は懲役3年だが、治安維持法と趣旨は似ている。

1925年に治安維持法ができたときも、それは世界的には珍しい法律ではなかった。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどで共産党を規制する法律が制定されており、日本でも日ソ国交樹立で、コミンテルンが天皇制を打倒する方針を打ち出すことへの対策が必要だった。

ただ他国の法律が「暴力革命」を禁止するものだったのに対して、治安維持法は「國体を變革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は十年以下の懲役又は禁錮に處す」という漠然とした規定になっており、結社を禁じることが特色だった。

最高刑はのちに死刑に引き上げられたが、死刑に処せされた者はいない。これについて清水幾太郎は、1978年に「治安維持法はそれほどの悪法ではなかった」と書いた。戦時中もマルクス主義の文献は出版でき、弾圧されたのは日本共産党とそのシンパだけだったというのだが、それは本当だろうか。

続きは11月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

大串博志氏は希望の党を離党して立民党に入党せよ

希望の党の共同代表に、玉木雄一郎氏と大串博志氏が立候補した。いつまでも加計学園に粘着する玉木氏を応援する気はないが、大串氏にはもっと問題が多い。産経新聞によると、彼はこう主張している。
日本の立憲主義を守る観点からやはり集団的自衛権を含む安保法制は容認しないという立場を明確にしながら、現実的な外交安保政策をとっていく
これは公然たる公約違反である。

続きはアゴラで。

幻の「日米相互防衛条約」

きのうのアゴラこども版はあまりこども向けではないので、補足しておこう。ガラパゴス左翼は今ごろ「日米同盟は対米従属だ」などと騒いでいるが、そんなことは誰でも知っている。それがこの60年間、保守勢力の懸念していたことだ。自民党の結成された最大の目的は、憲法を改正して安保条約を「相互防衛条約」にし、米軍を撤退させることだった。

『歴史としての日米安保条約』によると、1955年8月に鳩山一郎内閣の重光葵外相は訪米し、ダレス国務長官に「日米相互防衛条約」の日本案を見せた。その第4条まではNATOなどと同じ共同防衛の規定だが、第5条には「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始するものとする」と書かれていた。

これに対してダレスは「現憲法下において相互防衛条約が可能であるか。日本は米国を守ることができるのか。たとえばグワムが攻撃された場合はどうか」と質問した。重光は「自衛である限り協議が出来るとの我々の解釈である」と答えたが、ダレスは「それは全く新しい話である。日本が協議に依って海外派兵できると云う事は知らなかった」と驚いてみせた。

続きは11月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

立民党は「安保法制は違憲だ」という見解を撤回せよ

立民党の枝野代表が「私は保守だ。30年前だったら自民党宏池会だ」といったことが、ちょっと話題を呼んでいる。このごろ彼だけでなく保守を自称する左翼が多いが、ほとんどは中島岳志氏のような無学な話だ。こういうときの「保守」はバークを念頭に置いていることが多いが、枝野氏は「宏池会」と具体化したのがおもしろい。

続きはアゴラで。






title




連絡先(取材・講演など)

記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons