法/政治

みんなが拒否権をもつ「ホールドアップ社会」



まもなく開票される新潟県知事選挙は、野党の推薦する池田千賀子候補がやや優勢と伝えられる。彼女が当選すると、米山前知事のつくった「検証委員会」で検討が続けられ、あと4年は再稼動が延期されるおそれが強い。知事には原発の再稼動を許可する権限はないが、東電は知事の意向には従うと表明している。

このように知事の権限が強い現象は他の立地県にもみられるが、その根本原因は日本社会ではみんなが拒否権をもっていることだ。こういう交渉問題は、経済学ではホールドアップ問題として知られている。たとえば自動車メーカーと下請けに資本関係がないとき、契約を結んでも、土壇場になって親会社が約束を破って「景気が悪くなったので納入価格を下げてくれ」と再交渉したら、下請けは抵抗できない。

ここで重要なのは事前にどんな詳細な契約を結んでもホールドアップできるということだ。「景気が悪くなっても納入価格は変更しない」と契約に書いても、親会社は「売り上げが落ちた」というかもしれない。「売り上げは無関係」と書いても、「品質が悪い」と文句をつけることができる…というように論理的には無限にホールドアップの理由がある。新潟県知事も同じだ。

続きは6月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

国民民主党が生き残るたった一つの方法

希望の党と民進党が合併してできた国民民主党は、世論調査で政党支持率が1%と、共産党の3%より低い。去年、希望の党が結成されたときは「保守」のイメージで新鮮さがあったのに、その後は「解釈改憲を許さない」という護憲政党に戻ってしまった。これでは立憲民主党と変わらない。連合がテコ入れをはかっているが、このままでは次の総選挙で消滅するだろう。

続きはアゴラで。

日本は「アジア近隣諸国」に謝るべきなのか

カンヌ映画祭でパルムドールを取った是枝裕和監督が、韓国の中央日報で日本の「国粋主義」を指弾し、「アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない」と語っている。韓国メディアへの社交辞令かもしれないが、こういう気持ちが護憲派の根っ子にはあるのだろう。

日本軍がアジアで非人道的な戦争をやったことは事実だが、それはナチスのやったホロコーストとは違う。非人道的という点では、大英帝国がインドを数百年にわたって植民地支配し、新大陸に1500万人の黒人奴隷を「輸出」した残虐行為のほうがはるかに大規模だ。

しかしイギリスは、旧植民地に一度も謝罪したことはない。1928年の不戦条約まで、戦争も植民地支配も違法ではなかったからだ。日本も1910年の韓国併合を謝罪する必要はない(現に日本政府は謝罪していない)。1931年の満州事変以降は明らかに国際法違反だが、それは東京裁判で決着ずみである。

続きは5月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

劣化した国会を正常化する二つの方法

野党は「18連休」を終えて、やっと衆議院本会議に出てきた。麻生財務相の辞任を条件にして審議拒否を続けていたが、世論の批判を浴びて復帰せざるをえなくなった。1年半近くスキャンダルばかり追及して政策論争のない国会は、55年体制より劣化している。

こうなった原因は(よくも悪くも)国対政治が機能しなくなったことだ。昔から審議拒否はあったが、与党が野党に「国会対策費」を渡して3日目には出てくるといった取引ができた。しかし今のように与野党の勢力に差がつくと「妥協するな」という自民党内の声が強くなる。今回のように単独で審議再開すればいいのだ。

続きはアゴラで。

「半主権国家」で何が困るのか

かつての西ドイツを半主権国家(semisovereign state)と呼ぶことがある。これはKatzensteinの使った言葉らしいが、政治学では普通名詞として使われるので「軍事的主権を欠いた国家」と理解すると、日本も半主権国家である。終戦直後に米軍が駐留し、占領が終わってもなし崩しに米軍基地が残り、その指揮権もアメリカ政府にあるという歴史も日独で共通だ。

ただドイツの違いは、正式に再軍備したことだ。西ドイツは1955年にNATOに加盟するときドイツ連邦軍を創設し、1956年に基本法を改正して軍備を認めた。社民党(SPD)も当初は日本の社会党左派と似た絶対平和主義だったが、ベルリン封鎖などの危機が迫る中で、与野党が一致して基本法を改正した。

これに対して日本では、吉田茂がアメリカの再軍備要求を拒否した。これには保守勢力だけでなく社会党右派からも批判があったが、知識人のとなえた「全面講和」の絶対平和主義が論壇の主流となり、憲法改正はできなかった。このとき知識人が(ほんらい無関係な)非同盟と非武装を誤ってバンドルしたことが、今に至る不毛な憲法論争の始まりだ。

1950年代には不平等な安保条約や行政協定を改正する必要があったが、安保条約はその後改正され、今は解釈改憲で再軍備した。明文で禁止されているのは核武装ぐらいだ。「自主憲法」がほしいという人々の気持ちはわかるが、フルスペックの国家主権がないと具体的に何が困るのだろうか。

続きは5月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

憲法改正より大事な問題がたくさんある



NHKの世論調査によると、「今の憲法を改正する必要があると思いますか」という質問に、あるが29%で、ないが27%だが、2014年以降に大きく下がっている。この状況では、たとえ改正が国会発議できても、国民投票で否決されて取り返しのつかないことになるおそれが強い。それにしても、本当に憲法改正は必要なのだろうか?

続きはアゴラで。

弱小野党の強い「ジャンケン国家」

国会はセクハラ問題で1週間以上空転し、そのまま連休に突入する。野党にとっては2週間以上の「大型連休」だが、国会内の会議室では連日、野党6党の「合同ヒアリング」が開かれている。これは法的根拠がないが、憲法で国会は「国権の最高機関」と位置づけられているので、弱小野党でも役所を呼びつける力をもつ。

国会の質問でも前日まで引っ張り、役所は徹夜で国会待機する。情報量は官僚機構のほうが圧倒的に多いが、彼らは立法府に「お仕えする」立場を装わないといけない。このように政治家が官僚より強く、官僚はマスコミに強く、マスコミは政治家に強いジャンケン国家は、江戸時代から続く構造である。
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主権者たる国民が意思決定を行うという憲法の原則はフィクションで、実際には行政実務のほとんどは官僚機構が行う。それを国会が立法でチェックするというのもフィクションで、法案の8割以上は内閣提出法案だ。それをチェックするのは実質的にはマスコミだが、彼らは役所から情報をもらわないと仕事にならない。ジャンケンでひとり勝ちはできないのだ。

続きは4月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「昭和デモクラシー」の暴走

国会の劣化は止まらない。この1年、森友・加計から始まったスキャンダルは、ついにセクハラ騒動で1週間も国会が止まるようになった。これは昭和初期の帝国議会を思い起こさせる。大正デモクラシーという言葉はあるが、「昭和デモクラシー」とはいわないのは奇妙だ。普通選挙で「民主政治」が始まったのは昭和3年である。

それまでの有権者は地租を納める地主だったが、普通選挙で一般の男子に選挙権が拡大し、有権者は8倍以上に増えた。この時期を「政党政治からファシズムへ」の転換というのは正しくない。ヒトラーがナチス以外の政党を解散させたドイツとは違い、日本では1940年に大政翼賛会ができるまで政党は存在し、満州事変にも日中戦争にも圧倒的多数で賛成したのだ。

第1次大戦で専制国家が民主国家に敗れたのを見て、政府は総力戦体制としてのデモクラシーをつくろうとしたが、大衆(大部分は農民)は政策なんかわからないのでスキャンダルだけに関心をもち、帝国議会は金とセックスの話題に明け暮れた。今と同じである。昭和の暴走は、デモクラシーを抑圧する「反革命」ではなく、普通選挙のデモクラシーから生まれたのだ。

続きは4月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

セクハラで空転する国会はデモクラシー末期


(写真はNHKより)

国会は今週ずっと、財務次官のセクハラ問題で審議が止まっている。野党6党は国会内で集会を開き、女性議員はセクハラ運動のプラカードを掲げ、喪服をつけて麻生総務相の辞任を求めた。これを見て私は、もう日本のデモクラシーは終わったと思った。

続きはアゴラで。

下ネタで国会審議を空費するな



財務省の福田事務次官の「セクハラ発言」が話題になっている。本人の話によれば、自分の声だということは否定していないが、音声はそこだけ切り取られているので、文脈がわからない。相手の声も切っているので、訴訟を起こされても名乗り出ることは考えにくい。彼が「お店の女性と言葉遊びを楽しんだ」ときの音声だと主張したら、当の「女性記者」が出てこないと新潮社は勝てないだろう。

続きはアゴラで。






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