科学/文化

「帝国大学」モデルの終わり

帝国大学―近代日本のエリート育成装置 (中公新書)
文学部バイアスの記事が思わぬ反響を呼んでいるので、誤解のないように補足しておこう。私は国立大学に文学部は必要ないと思うが、もっといえば文系学部はすべて必要ない。経済学部の最初の半年ぐらいはすべての学生の必修にすべきだと思うが、それ以外の文系の学問は(文学部だけでなく)役に立たないので、学生をキャンパスに集めて教える意味はない。

それは明治期に帝国大学をつくった伊藤博文も承知の上だった。初期の「東京大学」は開成学校などの専門学校の寄せ集めだったが、1886年にできた「帝国大学」は、ドイツから帰国した伊藤が、当時世界最高のレベルを誇ったフンボルト型大学をモデルにして設立したものだ。

ドイツ型の大学は研究者の養成機関だが、その研究費を「授業料」と称して学生から取る詐欺的なビジネスだった。これはアメリカに輸出されて「大学院」というさらに詐欺的なビジネスを生み、20世紀後半にはドイツは競争に敗れた。日本の帝国大学は、最初からドイツ型の教養主義で、高級官僚の地位を約束する代わりに高い学費を取るものだった。

大学の文系学部が役に立たないことは、今では誰でも知っているが、学歴のシグナリング効果(情報節約機能)がある限り、このビジネスは成り立つ。大学の私的収益率は10倍以上なので、無償化なんて必要ない。帝大は発展途上国だった日本がエリートを養成する役には立ったが、もうその役割は終わったのだ。

続きは7月31日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

日本は江戸時代から「暇つぶし先進国」

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日本の反政府デモは平均年齢が高い。上の写真は安保法制のときのハフィントンポストの記事だが、平均年齢はどう見ても60歳を超えている。「憲法9条を守れ」というような宗教的信念を刷り込まれたのは私以上の世代だが、年金は十分あるので働く必要はない。デモは彼らの暇つぶしなのだ。

普通のサラリーマンは50歳ぐらいで仕事がなくなり、60歳で肩たたきを受け、65歳で定年退職してから平均20年ぐらい何もすることがない。どうやって老後の暇をつぶすかは、高齢化する日本で深刻な問題である。マスコミで加計学園のような些細な話が盛り上がるのも、1日中テレビを見ている団塊の世代の影響が大きいと思う。

暇つぶしにかけては、日本は先進国である。何しろ江戸時代には250年以上、内戦も対外戦争もなかったのに、日本中の300近い「国」がそれぞれ軍人(武士)を抱えていた。彼らは人口の1割近くいたが、戦争をしない国で退屈をまぎらわすには、きわめて高度な技術が必要だった。江戸時代の文化は、そのおかげで洗練されたのだ。

続きは7月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

憲法学者は真理を政治的に決める「聖職者」



きのうは篠田英朗さんに戦後の憲法学の奇妙な歴史についてきいたが、途中で突飛な連想が浮かんだ。宮沢俊義の「8月革命」説がキリスト教の三位一体説に似ており、それを守る東大法学部の憲法学者が聖職者に似ているということだ。

近代の常識では、規範で事実を決めることはできない。たとえば憲法で「地球は太陽のまわりを回るべきではない」と決めても、地球が公転するという事実は変わらない。しかし歴史の大部分では、信仰で真理が決まった。三位一体説は「父と子と聖霊は三つだが一つである」という(8月革命と同じく)支離滅裂な話だが、4世紀以来ずっとキリスト教の正統である。それを信じない者は「異端」として政治的に排除されたからだ。

今でもイスラムでは、法学者は聖職者である。スンニ派とシーア派が戦争するのは、法解釈で真理が決まるからだ。歴史的には、規範と無関係に実験や観察で真理を決める実証主義は特殊な思想だが、カトリック教会も1992年に地動説を認めた。東大の法学者=聖職者が学問的真理を政治的に決める憲法学は、イスラムと同じである。

続きは7月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

「天賦人権」は迷信である

共謀罪は人権と安全のトレードオフだという評論家がいるが、彼らの疑わない人権とは何だろうか。「プライバシー」は人権なのだろうか。「すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」というアメリカ独立宣言は、明らかに証拠のない迷信である。

人間が遺伝的に人権をもって生まれてこないことも明らかなので、それは価値判断だろうが、すべての人に同じ権利を政府が賦与すべきだという根拠はどこにあるのだろうか。天賦人権を宣言したアメリカの憲法は、奴隷の権利を3/5に制限してその売買を認めた。こうした矛盾を最初に指摘したのは、エドマンド・バークである。
私は、各個人が国家においてもつ権限、権威、指揮などを文明社会内の人間の本源的直接的な権利に数えることを拒否する。私の考察対象は文明社会の人間であって、これは慣習によって決定さるべき事柄である。

続きは6月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

年齢不問の「新しい科挙」の提案



アベノミクスの次の政策として、何らかの形で教育をネタにした財政支出が出てくる見通しが強まってきたが、「大学無償化」はナンセンスだ。今の大学は研究者を養うために学生を食い物にするシステムであり、公的投資は正当化できない。

続きはアゴラで。

大学は教授の生活を学生が支える集金装置

大学とは何か (岩波新書)
このごろ政治で「次は教育だ」という話がよく出てくるが、今の大学をそのまま無償化するのは、税金をドブに捨てるようなものだ。その本来の目的は教育ではなく、研究者の養成だったからだ。19世紀初めにドイツで生まれたフンボルト型大学は、中世のuniversityとは似て非なるものだ。初期のuniversityは職業訓練校であり、アメリカでは神学校だったが、キリスト教会の衰退で行き詰まった。

他方ナポレオン戦争に敗れたドイツでは、国力を高めるために研究の水準を上げることが急務だった。フィヒテやフンボルトの創立した大学の目的は教育ではなく、世界最先端の研究者を養成することだったが、その資金は税金だけでは足りなかった。そこで学費という形で研究資金を集める、ベルリン大学などのビジネスモデルができた。

実験や演習を中心として研究室を単位とする大学は、職業の役には立たないが、学生の払う授業料で資金は回る。20世紀前半まで世界をリードする科学的成果がドイツで生まれたのは、この大学のおかげだった。それは教授の研究費を授業料として集金するシステムなので、学生にはメリットがなかったが、アメリカに輸入されて意外な副産物を生んだ。続きを読む

クジャクの羽という「シグナリング」


クジャクの羽は美しいが、何かの役に立つのだろうか。生物学のハンディキャップ理論によれば、羽は目立つので敵に襲われやすく、長い尾は逃げるときじゃまになるが、それゆえに意味がある。それを維持するにはコストがかかるので、派手な羽や長い尾をもつオスは、自分の生殖能力を羽でシグナルしているのだ。

学歴も、クジャクの羽のようなものだ。それ自体は無駄だが、みんなが派手な羽をもつと、もたないオスは生存競争に敗れる。昔は大学に行くことが知識人のシグナルだったが、今はアメリカではMBAでないと一流企業に入れない。それが「大学バブル」だということに誰もが気づいているが、自分だけ降りることができない。

続きは5月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

「高等教育無償化」で大学の価値は下がる

教育には、人的資本を高める効果とシグナリングの機能がある。小・中学校の教育は人的資本を高める効果が高いが、高校教育の効果は疑問だ。大学(特に文系)が人的資本を高める効果はほとんどないが、一流大学の私的収益率は高い。それは「私の能力は高い」と示すシグナリングの効果が大きいからだ。

これを簡単な図で考えよう。2人の労働者AとBがいて、生涯賃金も勉強のコストも教育年数の増加関数だが、Aの勉強コストはBより高いとする。企業がAとBのどちらを雇うか判断するとき、どちらも「私の能力は高い」といっても、Aが高卒でBが大卒だと、Bのほうが勉強のコストが低いことがわかる。Bの生涯賃金よりコストが高くなる教育レベルが高いからだ。

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勉強のコストが能力の減少関数だとすると、企業は2人の能力を知らなくても、学歴というシグナルを見ればよい。だから大学で人的資本が高まる効果がゼロだとしても、大学の存在価値はある。学歴というシグナルで、企業が有能な労働者を選別するコストを節約できるからだ。

ここで大学(高等教育)を無償化すると、Aの勉強コストが下がってBと同じになるとしよう。そうすると両方とも大卒になるから、企業はどっちが有能かわからないので、2人をランダムに採用して同じ賃金を払う。有能な労働者はそんな企業には行かないので、無能な労働者だけが来る逆淘汰が起こってしまう。つまり高等教育を全面的に無償化すると、大学のほとんど唯一の効果である情報節約機能がなくなるのだ。

続きは5月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

日本的雇用は「後入れ先出し」の大学から崩壊する

一橋大学から香港科学技術大学に移籍する経済学者が話題になっているが、彼もいうように経済学では珍しいことではない。理系ではとっくに、優秀な研究者は日本の大学に残らない。これは日本語のハンディもあるが、根本的な問題は准教授以上は自動的に終身雇用(テニュア)になるからだ。

これは大企業と同じだが、大きな違いは大学教師には転勤がないことだ。日本のサラリーマンに競争がないというのは大きな間違いで、出世競争は激しい。給料や形式上の職位は横並びだが、たとえばNHKでいうと東京の特報部長と北見の放送部長は、給料が同じでも社内ランクはまったく違い、これが強いインセンティブになっている。

ところが大学教師には転勤がないので、准教授になったら論文を書かなくても授業だけやっていれば、定年まで雇用が保障される。ここで大学教師の定員を減らすと、後入れ先出しになる。論文を1本も書いていない老人の既得権を守って、その何倍も業績を上げている若い研究者が任期つきになり、5年で切られるのだ。このため優秀な研究者は日本の大学でテニュアをとれず、それを見た学生は大学院に進学しなくなった。

続きは5月1日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

「忖度」は遺伝的なメカニズム

今週の金曜から、アゴラ経済塾「合理的に考える」がスタートする(申し込みは木曜まで受付中)。合理的な思考力は字を読む能力と同じく、遺伝的にすべての人がそなえている能力ではない。それはコストのかかる「遅い思考」なので、普通の人は近道して「速い思考」で判断する。

人間の脳に特有の機能は、人間関係をアレンジすることだ。特に「空気」を読んで他人の気持ちを忖度することが重要だ。それは特殊日本的な文化ではなく、最近の人類学では、意図の共有は遺伝的な機能と考えられている。命令されなくても「共同主観的」な信仰で協力して戦うことによって、人類は繁殖した。

協力を効率的に行うためにできたのが言語を使った論理だが、その本質は同じ文法を繰り返し適用する再帰的な構造である。それを高度化したのが数学的証明やコンピュータのコーディングだが、これは多くの人が苦手だ。忖度は遺伝的な能力だが、論理的な「遅い思考」は自然には身につかないのでトレーニングが必要だ。それが今回の経済塾の目的である。

続きは4月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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