科学/文化

「無駄な進化」には意味があるのか

進化はすべて生存競争による「適者生存」の結果だ、というダーウィン以来の進化論の原理によると、生物の機能はすべて環境に適応するためにできたもので、無駄な進化というのはないはずだ。しかし生物には一見すると、無駄な機能が多い。



オーストラリアにいるクジャクグモという体長5mmほどの小さなクモのオスは、背中に派手な飾りをつけ、それを広げてメスの前でダンスを踊る。メスはこのダンスを見て交尾するオスを決めるというが、どれも同じように派手な模様で、同じようなダンスをしているので、どれが生殖能力の高いオスかは(人間には)わからない。このダンスには本当に意味があるのだろうか。

これは進化生物学で重要な適応主義論争のテーマである。すべての進化が環境に適応するものだとすると、この無駄なダンスにも意味があるはずだ。敵に捕食されやすい飾りをつけて目立つダンスをするオスは、敵が来ても逃げられる能力をメスに誇示するという目的に適応した、と解釈するのがハンディキャップ理論だ。

だがグールドの批判によれば、それは適応主義の神話にすぎない。こういう無駄な機能は、ある環境に適応してできた形質が、役に立たなくなっても残る進化の痕跡、スパンドレルだということになる。人間の音楽もダンスも、今は生存に意味のないスパンドレルだ。そう思って見ると、これは人間の歌手のダンスに似ていないだろうか。

続きは10月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

進化は偶然だけで説明できるのか

盲目の時計職人
進化のメカニズムは自然淘汰と突然変異しかないが、人間のように複雑な生物がそういう偶然だけで説明できるのか、というのは昔から疑問とされてきた。18世紀の神学者ペイリーは「時計が時計職人なしで偶然にできることはありえない」とし、それが自然の設計者たる神の存在証明だと考えた。

これは表現を変えると「猿がランダムにタイプライターをたたいて、シェイクスピアの作品ができるのか」という問題だが、ドーキンスは「できる」という。彼があげる例は『ハムレット』の

 METHINKS IT IS LIKE A WEASEL

という28字の文だが、アルファベットと空白の27字をランダムにタイプしてこの目的の文が偶然できるには、2728=1040回の試行錯誤が必要だ。これは1秒に1回タイプしても、宇宙の寿命より長い時間がかかるので、猿にはシェイクスピアの作品は書けない。これに対して、たとえば任意に選んだ続きを読む

「徳川の平和」に回帰する日本

アゴラ読書塾「丸山眞男と戦後日本の国体」はきのうで終了したが、結論は残念ながら「戦後日本に意味のある政策論争はなかった」ということだ。1950年代に丸山を初めとする知識人が主張した「非同盟・非武装」という理念は、もともと政策として成り立たなかった。のちに彼も認めたように憲法第9条は「逆説」であり、これからもそうであるしかない。

では憲法改正が現実になるかというと、それも当面は無理だろう。岸信介の理想とした「自主防衛」で米軍基地を撤去しようという政治家は、今や自民党にもいない。かつて「改憲保守」のリーダーだった安倍首相は、今や「親米保守」になった。こういう状況で第9条を改正するかどうかは、もう政策論争として意味がない。

これは中国の圧倒的優位(冊封体制)のもとで平和を維持していた江戸時代の日本に似ている。清は形式的には日本を支配していたが、武力は行使しなかった。日本は250年の平和の中で兵農分離し、武器は鉄砲から刀に退化した。人々は各藩の中の「一国平和主義」を享受していたが、18世紀から人口も所得も増えなくなった。

同じ時期にヨーロッパでは、人口と所得が爆発的に増えた。その最大の原因は、新大陸の「発見」で領土が拡大し、軍事力が発達したことだった。日本が「徳川の平和」で局所最適化した時期に、ヨーロッパ人は世界征服という大域最適化を求めたのだ。こういう進化論的な差は、短期間に急速に拡大する。

続きは10月1日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「安倍一強」で劣化した右派論壇誌

『新潮45』の特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐる波紋が、意外に大きくなっている。私は問題の発端になった杉田水脈氏の原稿も、今回の特集も読んでいない(これから読む気もない)が、小川栄太郎氏の「痴漢の触る権利を保障しろ」という原稿は、普通の雑誌ならボツだ。これを掲載した編集長の責任は問われるべきだが、それだけのことである。

ところがこれをきっかけとして「『新潮45』は廃刊しろ」というだけでなく、朝日新聞は「新潮社の本を棚から撤去」という記事で不買運動をあおり、新潮社の社長が謝罪した。これは著者の一部に執筆拒否の動きが出たためだろう。文芸出版社は、著者には弱い。『週刊新潮』にも『週刊文春』にも、作家のスキャンダルは出ない。それにつけ込んで新潮社に圧力をかけるのは言論弾圧である。

考えさせられるのは、こんな駄文が月刊誌に掲載されるようになった「論壇」の劣化だ。まだ『諸君!』が健在だったころは、右派論壇誌で外交や安全保障をめぐって「親米」か「反米」かといった論争もあった。そういう論争がなくなり、同じ顔ぶれで同じテーマばかり繰り返すようになったのは、安倍政権の「一強」が強まってきた最近の現象である。

続きは10月1日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「支那」は差別語ではなく地名である

最近Facebookの検閲がきびしくなって、「支那」という言葉を使うとアカウントが停止されるようだ。グーグル日本語でも候補に出てこない。これはマスコミでは昔から禁止だが、根拠のないタブーである。その語源は5世紀ごろインドで中国を「シナ」と呼んだもので、このもとは「秦」だといわれる。中国には「漢」や「唐」などの王朝を超える地名がなかったため、シナやチャイナという呼称がヨーロッパでも使われた(今も使われている)。

支那という漢字も中国で当てたものだが、これは他称なので、中国人は使わなかった。日本に輸入されたのは平安時代で、江戸時代に広く使われるようになった。どちらの国でも「中国」という言葉は、ほとんど使われなかった。まれに中国人がそう呼ぶときは「南蛮北狄」などに対する世界の中心という意味で、「わが国」の尊称だった。

その事情が複雑になったのは、明治以降である。「支那人」を差別する日本人がいたことは事実だが、それは「支那」が蔑称だったからではなく、他にあの大陸を表現する言葉がなかったからだ。しかし中国から日本に来た留学生は、彼らの知らない「支那」という言葉を差別語だと感じたようだ。1930年に中華民国政府は、「支那」という言葉を使った外交文書を受け取らないと日本政府に通告した。これがタブーの始まりだった。

続きは9月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

就活ルールを廃止して「大学入学」を就職の条件に

経団連の中西会長が「就活ルールを2021年春から廃止する」と述べたことが話題になっている。この種の協定には拘束力がなく、規制と廃止を繰り返してきた。今は説明会は3月、面接は6月に解禁することになっているが、実際には3年生の年末から就活は始まっており、アンケート調査では5月までに内定を出した企業が4割近い。

経団連に入っていないIT企業や外資系企業は、通年で採用している。たとえばユニクロ(ファーストリテイリング)は1年生の4月から内定を出し、在学中は店舗でアルバイトをしてもらい、卒業と同時に店長にする。財界系企業だけ協定を守っていては、競争にならないという危機感があるのだろう。

新卒一括採用という日本独特の雇用慣行がなくなるのは、学生にとっても企業にとってもいいことだ。就活の前倒しは「学業のさまたげになる」という批判が強いが、それほど学業が重要なら、成績も確定しない3年生に内定を出すはずがない。

続きはアゴラで。

「サン・チャイルド」の小さな事件が示す大きな変化


サン・チャイルド像(作者ホームページより)

福島市長が、福島駅の近くに設置した「サン・チャイルド」という像を撤去することを決めた。これ自体は大した事件ではないが、福島をめぐる「空気」の変化を示している。作者のヤノベケンジ氏は、2011年にこれを制作した動機をこう語っている。
黄色い放射能防護服を着ていますが、ヘルメットを脱いで左手に抱え、顔に傷を負い、絆創膏を貼りながらも、空を見上げて逞しく立っています。胸のガイガー・カウンターは、ゼロを表示しています

子供は未来を表しており、それらは放射能の心配のない世界を迎えた未来の姿の象徴でもあります。そして、右手に持つ「小さな太陽」は、次世代にエネルギー問題や放射能汚染が解決される「未来の希望」を象徴しています。

続きはアゴラで。

なぜ大学教師はサラリーマンより生産性が低いのか

文部科学省は2019年度から、国立大学の教員に年俸制を導入し、業績給を拡大する方針だ。これに対して大学教師から反発の声が上がっているが、年俸制なんて普通の会社では当たり前だ。「業績の意味がわからない」という声もあるが、論文の引用数による業績の算定方法は(理系では)確立している。



続きはアゴラで。

私立大学は「裏口」だらけ

文部科学省の局長が逮捕された事件は、まだ事実関係がはっきりしないが、「贈賄側」の東京医大の理事長と学長は、「入試の点数に加点した」ことを認めているようだ。賄賂は現金に限らず、職務上の地位が賄賂と認定された判例もあるらしいが、「裏口入学」が贈賄と認定されたら、私立大学は賄賂だらけになる。

続きはアゴラで。

日本の大学教師はなぜダメなのか

Facebookでうろ覚えの数字を書いたら反響があったので、訂正かたがた書いておく。日本の大学改革でよく「新自由主義で雇用が不安定になったから大学の業績が落ちた」という話がある。これが正しいとすれば、日本より雇用の不安定なアメリカでは、もっと業績が落ちるはずだ。世界一といわれるハーバード大学はどうだろうか。

キャプチャ


これは大学の公式サイトに出ている数字だが、学部スタッフ2026人のうち、テニュア(終身雇用資格)をもっているスタッフは910人、45%である。日本では全大学を平均して終身雇用が約60%なので、雇用の安定している日本のほうが業績が上がるはずだが、もちろんそうなっていない。

雇用保証が労働生産性を高めるかどうかは、仕事の性格に依存する。工場労働者のようなチーム生産の利益が大きく、個人の能力にあまり依存しない労働では、雇用を保証して「企業特殊的スキル」を身につけることが重要なので、日本の製造業の生産性は高い。ホワイトカラーの生産性は低いが、人事異動や出世競争という強いインセンティブがある。

これに対して研究はチーム生産の利益が小さく、個人の能力に大きく依存するので、雇用保証する意味が少ない。大学では人事異動もないので、競争原理がまったく働かない。この意味で大学の雇用慣行は最悪で、日本的雇用が知識集約的な産業でダメになるモデルケースだが、それは最近さらに悪化している。若い研究者だけに「業績主義」が適用されているからだ。

続きは5月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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