今そこにあるバブル

今そこにあるバブル (日経プレミアシリーズ)
日本国債がバブルといわれて久しい。それはシムズがハイパーリカーディアンと指摘したように、理論的には大幅な過大評価だが、バブルが崩壊する兆しは今のところない。しかし国債以外にも、資産価格の過大評価はあちこちに見られる。

今年3月に国土交通省の発表した公示地価の上昇率は、第1位が大阪の道頓堀「づぼらや」の41.3%増で、4000万円/m2。東京の第1位は銀座の山野楽器で、25.9%増の5050万円。いずれも1980年代を上回った。あの時期を「バブル」と呼ぶとすれば、少なくとも大都市では不動産バブルが発生しているといえよう。

他方、不動産融資の増加は地方銀行が目立ち、昨年は前年比10%も伸びている(信金中央金庫 地域・中小企業研究所調べ)。次の図でも明らかなように、不動産融資が大きく伸びたのは安倍政権になってからである。日銀のばらまいた金は、フローの物価上昇ではなく資産インフレをもたらしたのだ。これも80年代と同じで、物価指数だけを見ていると危ない。

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ユニバースからマルチバースへ

マルチバース宇宙論入門 私たちはなぜ〈この宇宙〉にいるのか (星海社新書)
一時ポストモダン業界で流行した新実在論は「ヒュームの問題」を解こうとするものだが、その答は物理学で30年前に提唱された人間原理と同じだ:世界がどういう形で存在するかは(論理的には)偶然だが、こういう形で存在することは(現実的には)必然である。そうでなければ、人間が生存できないからだ。

これは多くの人が指摘しており、そういう論文集も出たが、メイヤスーは批判に答えていない。彼の議論は物理的実在を「ガリレオ的な数学的整合性」で基礎づけようとするトートロジーである。物理学ではそんな幼稚な段階はとっくに過ぎ、宇宙は10500以上あるというマルチバース(多宇宙)仮説を観察データで実証する試みが行われている。

著者はカリフォルニア大学バークレーでそういう研究を指導する立場にあるが、ここ10年ぐらいでマルチバースに対する学界の見方は大きく変わったという。昔はランチタイムの茶飲み話だったが、最近は学会発表で多くの状況証拠が出され、少なくとも真空のエネルギー(宇宙定数)が10-120になる事実はマルチバース以外では説明できないらしい。

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江戸時代の「長い平和」を守った組織暴力

江戸の平和力―戦争をしなかった江戸の250年 (日本歴史 私の最新講義)
『失敗の法則』の仮説は、日本人に根強い部分最適化の歴史的な原因は江戸時代に続いた(世界史に類をみない)長い平和にあるということだが、この平和はどうやって維持されたのだろうか。徳川家が全国を小さな藩に分割して内戦を防いだことはよく知られているが、各藩の中はどうしたのだろうか。

普通は豊臣秀吉の「刀狩り」で兵農分離が行われたと説明されるが、これは疑問である。武士は城下町に集まって住んだので、農民は生活を守るために武装せざるをえず、農村には多くの刀や槍が残っていた。そういう農村や宿場町の治安維持の役割を果たしたのが「侠客」だった。国定忠治や清水次郎長が今もさまざまな物語になって親しまれるのは、そういう「私的な警察」の役割を果たしていたからだろう。

彼らの収入源は賭博などの非合法な手段であり、暴力を独占しようとする武士には弾圧されたが、元をたどれば、武士も戦国時代に成り上がった組織暴力にすぎない。これは武士という大きな組織暴力と侠客という小さな組織暴力の戦いで、今でいう警察と暴力団のようなものだった。

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「人づくり」の中心は学校ではなく私塾である

子ども格差の経済学
改造内閣では「人づくり革命」という意味不明の言葉が出てきたが、要するに「教育無償化」と称して地方に公共事業をばらまこうということだろう。本書は日本の教育に特有の「塾」を調べたものだが、「学校の予算を増やせ」という結論になっている。これは逆である。教育は学校と同義ではない。慶應義塾のような私塾こそ、非効率的な教育を改革する理念なのだ。

日本の公的教育支出のGDP比は、OECD諸国で最低である。この数字はよく教育無償化の根拠として出てくるが、これも逆だ。日本の私的教育支出のGDP比は、大国の中ではアメリカに次いで高い。親が教育の私的利益率が高いことを認識しているから、税金を使わなくても自発的に塾に行かせ、受験勉強をするのだ。

日本と同じような傾向が、韓国にもみられる。それはどちらも大学受験のスクリーニングがきびしく、受験戦争で人生が決まってしまう儒教圏の伝統があるからだ。これに対して大学のスクリーニングの信頼性が低い英米には塾はない。受験勉強しても、金とコネがないといい大学には入れないからだ。続きを読む

霞ヶ関は「ヒラメ」の養殖場になった

失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか
あなたの友達が霞ヶ関にいても、彼が「**法では」とか「**の政策は」という話をしているうちは実態はわからない。彼と「**さんは自民党の**と話ができる本流だが、**さんは理屈だけで根回しのできない傍流だ」といった固有名詞だらけの話ができるようになって、初めて本当の話ができる。もちろん互いに**という名前を知らないと話が通じないので、こういう話はそれを知らない人には暗号でしかない。

私も固有名詞はほとんどわからないが、わかる範囲では霞ヶ関では「ヒラメ」が増殖しているようだ。これは大企業にもたくさんいる「上ばかり見ている」サラリーマンのことだが、こういう現象は本書の第1法則「現場が強いリーダーを許さない」の系(コロラリー)である。日本の組織は強いリーダーを想定していないので、菅官房長官が内閣人事局で人事権を振り回すと、各省の幹部がヒラメばかりになり、現場に不満のマグマが貯まる。

霞ヶ関を総合商社にたとえると、こんな感じだ:人事は鉄鋼や食糧などのグループごとに行われていたが、社長が「戦略的人事局」をつくり、部長級以上の人事はすべて人事担当専務が決定することになった。就業規則では社長に究極の人事権があるので、誰も反対できなかったが、そのうち「**さんは同期のトップだったが、専務にきらわれてアフリカ駐在に飛ばされた」といった話が、アフター5の話題で盛り上がるようになった。続きを読む

自衛隊は「日陰者」のままで戦ってくれるのか

誰も知らない憲法9条 (新潮新書)
著者の提唱した「今の憲法に自衛隊を書き加える」という憲法改正案が、安倍首相案の原型になったらしい。元自衛官の著者がこんな微修正を提案するのは意外だが、その理由は自民党がどこまで本気なのか、はっきりしないからだ。安倍首相は積極的だが、政権の足元がふらついてきた。彼以外の自民党「ハト派」は池田勇人以来、改正をまじめに検討したことがない。

おかげで国民の意識の中に、深刻な「ねじれ」ができてしまった。野党も自衛隊を認める一方で、学校の教科書ではいまだに「自衛隊は憲法違反だ」と教えている。こういう教育を受けた子供は自衛隊を敵視し、自衛官の子を「人殺しの子供」と呼ぶ。

続きはアゴラで。

「日本の奇蹟」をもたらした<システム>

日本 権力構造の謎〈上〉
本書が出たのは1989年。「日本はなぜこんなに強力なのか」という謎を解き明かす「日本特殊論」(revisionism)の代表として世界的ベストセラーになり、翌年に日本語訳も出た。著者は日本に住むオランダ人で、当時は日本のマスコミにもよく出ていた。今はすっかり忘れ去られたが、本書はいま読んでも荒唐無稽な感じはない。

最近の加計学園や防衛省の騒ぎをみても、日本を動かしているのは国会や内閣ではなく、顔のない<システム>だという本書の指摘は今も当てはまる。その中身は東大法学部を頂点とする学歴エリートだという話は陳腐だが、残念ながら変わらない。

おもしろいのは、かつて「日本の奇蹟」を説明した本が、そのまま日本の失敗を説明するのに使えることだ。<システム>には中心がないが、かつてのように「成長という合意」があったときは官民協調で環境の変化に柔軟に対応できた。それは著者も指摘するように江戸時代から続く「抱き込みの包囲網」だが、そこには致命的な盲点があった。

続きは7月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

アベノミクスが甘やかした日本経済

「西洋」の終わり 世界の繁栄を取り戻すために
著者ビル・エモットはバブル絶頂期のEconomist東京支局長だったが、『日はまた沈む』という本でバブル崩壊を予想し、本誌の編集長になった。そこまではよかったが、そのあと彼が何度「日はまた昇る」と予言しても、日本は彼が東京にいたころのようなスーパースターには戻れなかった。

本書の第7章「日本という謎」では、その原因を90年代の不良債権処理から続いてきた財政・金融政策による企業の過保護に求める。日本の政府債務は、純債務でみるとGDPの130%ぐらいなので、ゼロ金利が続く限り財政が破綻するリスクは切迫していないが、最大のリスクはそれが破綻しないことだ。アベノミクスは収益の上がらない企業を甘やかし、改革を先送りしたため、日本の最大の病である「硬直性」が強まってしまった。

この診断は平凡だが、処方箋も単純である。チャーチルは「アメリカ人はつねに正しいことをする――他のすべての選択肢が尽きたときには」と言ったが、同じことは日本人にもいえる。政治家が企業を甘やかすのをやめたとき、彼らは初めて正しいことをするだろう。そして幸か不幸か、甘やかす財源は尽き始めている。

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失敗の法則:日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか

失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という。これはプロ野球の野村克也元監督の言葉として知られているが、もとは江戸時代の大名、松浦静山の剣術書である。勝つときは偶然勝つこともあるが、負けるときは必ず理由があるという意味だ。
 
ビジネススクールの授業やビジネス本には「不思議の勝ち」を説明する結果論が多い。たとえばコイン投げのギャンブルで、あなたが表だけに賭けて30回続けて勝つ確率は10億分の1だが、そのとき「コイン投げで勝つ秘訣は何ですか?」ときかれたら、あなたは「表に賭けることです」と答えるだろう。
 
こういう錯覚を「生存バイアス」と呼ぶ。どんなゲームにも(偶然で)勝ち続ける人は少数いるので、その原因を結果論で説明しても、大して役には立たない。それに対して、負ける人は多いので、その原因を分析することは意味がある。一つ一つはつまらない失敗でも、集めると法則性が見えてくる。続きを読む

なぜ「お家」は命より大事だったのか

現代語訳 武士道 (ちくま新書)
『武士道』ほど誤解されてきた本も少ない。それはアメリカ人に「日本の道徳体系」を説明するために英文で書かれたので、日本人が読むと首をかしげる話が多い。武士道という言葉の出典をきかれて、新渡戸稲造は「わからない。私の造語かもしれない」と答えたという。

彼の執筆動機は「日本人は宗教なしで、どうやって道徳を教えるのか?」というアメリカ人の質問だったが、彼は『甲陽軍鑑』も『葉隠』も読んでいなかった。出典は歌舞伎や浄瑠璃などのフィクションなので、武士道が存在した証拠にはならないが、明治期の日本人の主観的な日本文化論としてはおもしろい。

新渡戸の美化したサムライの価値基準は「お家」だった。それは日本独特の宗教といってもいいが、儒教や仏教のような普遍性はなく、あるのは義理と人情と人間関係だけだ。武士が命より大事にしたのは「体面を守る」とか「恥をそそぐ」という美意識だったが、人はそんなことで切腹できるものだろうか。

続きは7月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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