災害が日本社会のモラルをつくった

江戸の災害史 - 徳川日本の経験に学ぶ (中公新書)
近代ヨーロッパの社会をつくった大きな原因が戦争だということは、社会科学の共通理解になりつつある。日本は16世紀までヨーロッパとあまり変わらない「封建社会」だったが、江戸時代に長い平和が続き、それとはまったく違う社会になったといわれている。

しかし本書も問いかけるように「江戸時代は本当に平和だったのだろうか。一体平和とは何だろうか。たしかに戦争はなかったが、じつは江戸時代は、わたしたちが想像する以上に生き延びるのに苦労の多い時代であった」。19世紀末の平均寿命は43歳ぐらいと推定され、生まれた子供の半分は5歳までに死亡した。17世紀に日本の人口は2倍以上になったが、18世紀以降はほとんど増えなくなった。

その大きな原因は災害だった。特に18世紀後半から、地震や火災や飢饉などが多発した。それは自然災害が増えたのではなく、人口が増えて都市に集中したため、被害が増えたのだ。特に1780年ごろの天明の大飢饉は、社会を大きく変えるインパクトがあった。そのころから戦争で戦うのではなく、災害で助け合うことが日本社会のモラルになったと思われる。

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パラノイアだけが生き残る

パラノイアだけが生き残る 時代の転換点をきみはどう見極め、乗り切るのか
JBpressのEVについての記事に書いたモジュール化に関する誤解があるので、補足しておく。これは私が20年前に『情報通信革命と日本企業』で提唱した概念だが、単なる製品の「標準化」ではなく産業構造と一体だ。そういう「革命」を当事者が(まだ事態の進行中に)書いたのが本書である(原著は1996年)。

IBM-PCが登場する前の1980年ごろには、IBM、DEC、スペリー、ワングなどのコンピュータ各社がそれぞれ系列メーカーをもち、垂直統合型の生産システムをとっていたのに対し、90年代にはIBM-PCによって部品が標準化されたため、図のように部品ごとに世界市場ができ、グローバルな水平分業が成立した。この点でIBM-PCは、コンピュータ産業の構造が転換する分水嶺だった。同じことがEVで、自動車産業にも起こるおそれが強い。

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在日米軍基地は「旧枢軸国」を監視する施設である

在日米軍 変貌する日米安保体制 (岩波新書)
日米同盟は、正確には「日米軍事同盟」である。これはそう古い言葉ではなく、1981年の日米共同声明で初めて使われた。このとき国会で、社会党の土井たか子の質問に鈴木善幸首相が「軍事的意味合いは持っていない」と答えたのに対して、伊東正義外相が「軍事的な同盟」だと答弁したため、閣内不一致を追及されて外相が辞任した。

本書もいうように安保条約と地位協定は、アメリカが在日米軍基地を自由に使うための条約である。米軍基地が世界でもっとも多いのはドイツ、日本、韓国、イタリアである。「なぜ日独伊なのか」と問えば、答は明らかだろう。米軍基地は、旧枢軸国に駐留して監視するために設置されたのだ。

その後も米軍は既得権を離さず、日本政府は平和憲法に呪縛されて、数々の「密約」が結ばれた。本書はそういう資料をコンパクトにまとめていて便利だ。Nスペの「スクープ」と称する核兵器の事故(broken arrow accidents)も既知の事実で、1981年までに(沖縄も含めて)全世界で32件の事故が記録され、文書で公開されている。

もちろん岩波新書なので、著者は「米軍基地はないほうがいい」というのだが、北朝鮮の脅威が現実になったことも認めるので「現実的な選択肢」がうまく示せない。いろいろ苦闘したあげく、最後に出てくる唯一の具体例は、なんと「モンゴル国の国際的安全保障と非核地位」と題する1988年の国連総会決議である。日本もモンゴルを見習って「非核化」しろというわけだ。

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本百姓の共同体から「百姓成り立ち」へ

徳川社会の底力
近世の百姓は「生かさぬよう殺さぬよう」領主にいじめられていたというイメージがあるが、最近の研究では江戸時代の前期と後期でかなり違うようだ。18世紀前半までは土地が開墾されて人口も増え、本百姓(自作農)を中心とする村請による村落共同体の自治が確立した。

初期の徳川幕府は軍事政権の性格を残していたが、人口増加で災害の被害が増え、餓死や逃散が増えた。特に1780年代の「天明の大飢饉」では、東北地方の人口の2割近くが死亡したという。こうした災害で本百姓が没落する一方、豪農が広域的な土地を支配する地主になり、階層分化が進んだ。

飢饉で年貢が減ったので、領主は百姓を救済して税収を確保した。それが百姓成り立ちという制度だった。その方法には「夫食貸」と呼ばれる生活補助や「種貸」と呼ばれる生産補助などがあったが、公的補助の分配を決めたのは、領主支配を代行する「取締役」と呼ばれる地主だった。領主の仕事の中心は、戦争から「御救い」と呼ばれる社会保障に移ったのだ。

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丸山眞男という巨象をなでる群盲

丸山眞男の憂鬱 (講談社選書メチエ)
かれこれ2年半ぐらい丸山眞男論を書いているのだが、なかなか先に進まない。彼の書いた学術論文は少ないが、講演や座談会が膨大で、いまだにそれが出版されるからだ。丸山を論じた新刊も出るので、先行研究を踏まえるアリバイとして読まざるをえない。本書もその一つだが、アリバイ以上の意味はなかった。一般読者にはおすすめできない。

丸山論のほとんどは弟子がありがたがる讃辞で読む価値はないが、たまに批判する本は文献を読む手間を省き、一部をつまみ食いして「群盲象をなでる」になってしまう。本書は「闇斎学と闇斎学派」を読んで(同じく闇斎学派を論じた)山本七平の『現人神の創作者たち』と比較するが、これは私の『「空気」の構造』と同じで、誰でも思いつく発想だ。

ところがこの比較だけで、本書はいきなり「私は丸山は、近代主義者ではないと思う。なぜなら、近代とはなにか、丸山はわかっていないから」(p.205、強調は原文)と断定する。それ以外に引用しているのは、丸山が20代に書いた『日本政治思想史研究』だけだ。これはまるで巨象の鼻をなでて「象とは筒のようなものだ」という盲人みたいなものである。私もこうならないようにしようと自戒した。

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北朝鮮の危機は悲劇の序幕か

Destined for War: can America and China escape Thucydides’s Trap?
ツキジデスの罠という言葉は習近平が(否定的に)使って有名になったが、著者がハーバード大学で主宰した歴史研究プロジェクトの名前である。それは新興国が既存の覇権国を脅かした過去500年の16のケース(日米戦争を含む)を研究したもので、そのうち12は戦争に至った。

本書は中国の脅威を論じた本ではないが、最後にランド研究所のシミュレーションを参照し、同様の結論を出す:戦争の最終的な勝負を決めるのは軍事力だけではなく、総合的な国力の差である。それは経済力だけではなく、政治的統合や民族意識も重要だ。

いま中国の民族意識は高まっているが、経済力にはかげりが見えている。共産党の政治的支配が崩れることは、長期的には不可避だろう。そのとき(中国の歴史でよくある)軍閥の内戦が起こるかもしれない。逆に朝鮮半島で米中の衝突が起こると、そこから政権が崩壊する可能性もある。中国共産党は、平時でも6500万人以上を殺したのだ。北朝鮮の軍事的冒険は、さらに大きな悲劇の序幕にすぎないのかもしれない。

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アメリカという主権者

戦争がイヤなら 憲法を変えなさい
国民主権と平和憲法が戦後日本の「表の国体」だとすれば、「裏の国体」は対米追従と在日米軍である。この二重構造は、劣化左翼にとっては「知ってはいけない」話らしいが、自民党政権には戦後ずっと受け継がれてきた。

もちろんアメリカが日本の主権者だということは、いかなる法律にも条約にも書かれていない「密教」だが、1981年に著者が日本国憲法を書いたケーディス(当時のGHQ民政局次長)に「第9条の目的は何だったのですか?」と質問したとき、彼は「日本を永久に非武装のままにしておくことです」と答えた。マッカーサーのメモには「自国の防衛のための戦争や戦力も放棄する」という指示があったが、その部分をケーディスが削除したのだという。
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「明治維新」という奇妙な革命

「維新革命」への道: 「文明」を求めた十九世紀日本 (新潮選書)
来年は明治150年である。私の子供のころは「明治100年」を祝賀するのは保守的な人で、明治維新を「不十分な上からの革命」として否定するのが進歩的な人だった。今はそれほどわかりやすい対立はないが、安倍政権の「明治150年記念事業」に反対することが進歩的だという対立は残っているようだ。

しかしこういう対立に、今も意味があるのだろうか。そもそも「明治維新」という区切りがあったのかという問題について、最近の歴史学はどちらかといえば否定的だ。もちろん制度上の区切りはあったが、17世紀から続く「長い江戸時代」の中で、1868年がそれほど特権的な節目とは考えられていない。今の社会の基本的な枠組は、江戸時代にできたという見方が多い。

明治維新は革命としては低コストだったが、政権の自称した「王政復古」(Restoration)だったわけではない。「文明開化」で見かけはがらっと変わったが、文明の中身は江戸時代と連続していた。江戸時代は中世というより近代に近く、それを「近世」と呼んでも問題は解決しない。本書は江戸時代を日本の「文明」が生まれた時期だと考えるが、それは実に独特な文明だった。

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日銀の出口で「ハイパーインフレ」は起こるか

異次元緩和に「出口」なし! 日銀危機に備えよ (PHPビジネス新書)
日銀が財政ファイナンスで国債を買い支えたため、財政危機は「日銀危機」になった。マネタリーベースを毎年80兆円増やすというペースも60兆円程度に落ち、長期金利もゼロ%ちょうどをつけたので、このあとは上がるしかない。

これについて著者が今年6月に参議院の財政金融委員会で「金利上昇で日銀の評価損はどれぐらい出るのか」と質問したところ、岩田副総裁は次のように答弁した。
  • 1%上昇:24.6兆円
  • 2%上昇:44.6兆円
  • 5%上昇:88.3兆円
日銀は今は14兆円の評価益を計上しており、自己資本も6兆円ある。長期的には金利収入が増加するので、1%上昇ぐらいまでは耐えられる可能性があるが、問題は民間銀行だ。本書にはその話が抜けているが、IMFは地方銀行の過剰な不動産融資に警告している。

著者は昔から「財政破綻でハイパーインフレになる」といい続け、オオカミ少年ならぬ「オオカミ老人」といわれているらしいが、そういう「ハードランディング」は本当に起こるのだろうか?

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日本の知識人を育てた「会読」

江戸の読書会 (平凡社選書)
大学で教師も学生もうんざりするのは、大教室でやる「講義」だ。教師は義務としていやいや教えているし、学生は単位をとるためにいやいや出席している。こんな中身のない大学教育を丸ごと「無償化」するなんて、悪い冗談だろう。

このように非生産的なのは、日本の大学が教育の場ではなく、立身出世の手段だからである。これは日本だけではなく、中国では儒学は科挙で立身出世する手段だったので、学校はすべて科挙の予備校だった。解釈は宋代の朱子学で固定され、あとはひたすら四書五経とその既存の解釈を丸暗記する能力が求められたので、儒学は「御用学問」になって硬直化し、学問としては衰退した。

ところが日本の武士は科挙を輸入しなかったので、儒学は立身出世とは無関係の「遊び」になった。おかげで儒学は自由な発展を遂げ、最後は水戸学になって徳川幕府を倒す尊王攘夷思想を生んだ。その母体となった松下村塾などの私塾の教育は一方的な講義ではなく、テキストを各人が読んで順番に説明する「会読」という読書会だった。

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