今年の良書ベスト10

中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年毎年このリストを書くたびに思うが、経済学の学問的生産性は明らかに落ちている。特に21世紀の世界的な低成長・低インフレ・低金利などの新しい問題について、正統派の経済学は答を出せない。このため半世紀以上前の「どマクロ経済学」の亡霊が日本を徘徊し、政権にまで影響を及ぼしている。
  1. 白川方明『中央銀行』
  2. フランシス・フクヤマ『政治の衰退』
  3. ロバート・フランク『ダーウィン・エコノミー』
  4. 武田悠『日本の原子力外交』
  5. ニーアル・ファーガソン『大英帝国の歴史』
  6. 森本あんり『異端の時代』
  7. 有馬哲夫『原爆 私たちは何も知らなかった』
  8. Fred Pearce "Fallout"
  9. 細谷雄一『自主独立とは何か』
  10. マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』
続きはアゴラで。

民衆の感情をあやつる技術としてのレトリック

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)
ソフィストは古代ギリシャのソクラテス以前の思想家、という程度しか知らない人が多いだろう。日本でソフィストを主題にした研究書は、本書の前には1冊しかない。この原因は、プラトンがソクラテスを「最初の哲学者」として描いたとき、それと対比して彼以外の思想家に「詭弁をもてあそぶソフィスト」というレッテルを貼ったためだ。

しかし当時そういう学派の対立があったわけではなく、ソフィストがソクラテスを攻撃したわけでもない。彼らの仕事は民会や法廷で弁論を駆使して人々を説得することだったので、真理には興味をもたなかった。ソクラテスのように真理を語って告発者を論破しても、裁判に負けては意味がない。必要なのは多くの民衆を味方につけることなので、ソフィストは逆説や背理法などさまざまなレトリック(弁論術)を駆使した。

政治で何が真理かはわからないので、大事なのは聴衆の感情を読み取って即興的に言葉をつないでいく技術や、民衆の心をとらえるタイミング(時宜)である。それは哲学のような時を超えた真理ではなく、書物にも残らないが、よくも悪くも民主政を動かした。古代ギリシャの昔から、政治を動かしたのは感情をあやつる技術だったのだ。

続きは12月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

感情は敵と味方を識別するセンサー

愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める
ひところたくさん出た行動経済学のおもしろ本は、最近あまり見かけなくなった。その実験結果は「合理性」を信じる経済学者にとっては奇妙な例外にみえるが、普通の人々にとっては常識的な行動だからだろう。むしろ問題は、人間がそういう「不合理」な感情的行動をとるのはなぜかということだ。

本書は、その原因を進化論的に説明する。たとえば囚人のジレンマでは、経済学者の想定する合理的な行動(支配戦略)はつねに裏切ることだが、そういうエゴイストの集団は外敵との戦争に勝てないので、進化で淘汰されたと思われる。他方、誰とも協力する博愛主義者もエゴイストに食い物にされて淘汰されるので、相手が敵か味方か識別して協力することが(進化論的には)合理的だ。感情はそのセンサーであり、人類が生存競争で生き残る上で重要な装置だった。

これを実験しているのが、"Split or Steal"というテレビ番組だ。次のゲームでは10万ポンドを両方がsplitして等分したら5万ポンドずつもらえるが、一方だけがstealしたら10万ポンド独占できる。しかし両方stealすると、2人とも何ももらえない。これは囚人のジレンマで、ナッシュ均衡は両方がstealを選ぶことしかないが、実験では必ずしもそうならない。



続きは12月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

人類は「感情的動物」だから生き残った

人間とはなにか 上 (ちくま学芸文庫)
人間は合理的動物であり、その本質は理性にあるというのが、デカルト以来の近代的な人間像である。合理的な行動が正しい行動であり、感情的に行動するのは愚か者である。人工知能はそういう合理的な決定だけをソフトウェアとして抽出し、感情を切り捨てることによって効率を上げようとするものだ。

しかしこの人間像には、進化論的に疑問がある。感情がそれほど無駄なものなら、なぜ人間は感情的に行動するのだろうか。霊長類の中で群を抜いて大きいホモ・サピエンスの脳のエネルギーの8割は、感情に使われている。人類は「感情的動物」なのだ。数十万年のきびしい生存競争の中で、無駄に大きな脳をもつ人類が生き残ったとは考えられない。

最近の脳科学の答は逆である。人類が生き残る上で重要なのは感情だった、と本書は指摘する。前頭葉に損傷を受けた人は、言語や計算の能力には問題がなかったが、他人の感情を無視していつもケンカするようになり、社会生活ができなくなった。感情は人間関係を調整して集団行動を維持する役割を果たしているので、それなしで理性は役に立たないのだ。続きを読む

退屈の小さな哲学

退屈の小さな哲学 (集英社新書)
人生は意味のない長い暇つぶしである。そういう認識は古代ギリシャからあったが、退屈は近代ヨーロッパの現象だと本書はいう。それを最初に明晰に書いたのはパスカルである。彼は『パンセ』の有名な断章で、人生を「気晴らし」と定義する。
私たちのみじめさを慰めてくれる唯一のものは、気晴らしである。しかしこれこそみじめさの最たるものだ。なぜなら、それは自分について考えるのを妨げ、知らず知らずのうちに滅びに至らせるからだ。それがなかったら私たちは退屈に陥り、この退屈から脱出するためにもっと確実な方法を求めるように促されたことだろう。ところが気晴らしは時間をつぶし、知らず知らずのうちに私たちを死に至らせるのだ。
近代人が退屈するようになった原因は、神を失ったからだとパスカルはいう。生活に追われていた民衆には、退屈する暇がなかった。貴族や聖職者は暇だったが、退屈しなかった。人生は神の国に至る過程であり、いつも神に救われるように努力する必要があったからだ。人々にそういう目的を与えるのが教会の仕事だった。

しかし民衆も豊かになると暇を持て余し、彼らが信仰を失うと人生は退屈になる。キルケゴールは「退屈はいっさいのわざわいの根源だ」と強調した。人々は退屈をまぎらわすためにユダヤ人を迫害し、長い平和に飽きると戦争を求める。つねに外部に敵をつくらないと、自分が死に至るみじめな存在だという現実に直面するからだ。

続きは12月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

感情にも普遍的な合理性がある

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か
ゴーンの強欲を指弾するワイドショーは合理的だ。利己的な欲望を追及する悪者を憎む感情は、類人猿にもみられる本能だからである。こういう利他的感情は多くの未開民族にもみられるが、新古典派経済学の想定するように個人の欲望だけを最大化する利己的行動はほとんどみられない。

これは著者が多くの社会実験で実証したが、意外に重要な発見である。たとえば猿がもらったキュウリを投げ返す行動は合理的とはいえないが、不公平に怒る感情は必要だ。餌を独占する利己的な猿を放置すると、集団が滅亡してしまうからだ。そういう遺伝的な感情を文化的に制度化したものが道徳や宗教である。

近代社会では合理性だけが普遍性をもち、道徳はそれぞれの社会に特殊だとされているが、強欲を憎む感情も自己犠牲を好む感情も世界共通だ。市場やデモクラシーを動かすのが理性ではなく、大衆の感情だという事実も普遍的なので、そういう感情がどのように(遺伝的・文化的な)進化で生まれるのかを解明する「感情の科学」が必要だろう。

続きは12月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

猿にも道徳や「公平」の感情がある

道徳性の起源: ボノボが教えてくれること
日産の事件についてのマスコミの論評をみると「何が事実か」には関心がなく、「ゴーンは強欲だ」とか「会社を私物化した」という類の決めつけが多い。読者には「善か悪か」という価値判断が、事実認識より強くアピールするからだろう。これは「犯罪の認定は事実にもとづかなければならない」という近代国家の原則とは違うが、ほとんどの社会では「敵か味方か」で正義が決まる。

これには遺伝的な根拠がある。狩猟採集民が草原で見知らぬ男と出会ったとき、彼が何者であるかを確認している間に、向こうが石を投げてきて殺されるかもしれない。まず敵か味方かを識別して敵を攻撃し、味方とは協力する感情が、反射的な「速い思考」になったと考えられる。

そういう感情を道徳と呼ぶとすれば、最近の実証研究では、類人猿にも道徳があることがわかってきた。猿は利己的に行動するだけではなく、必要なときには他の猿と協力する。他の猿と平等に扱ってもらわないと怒る「公平」の感情も持っている。この実験では、隣の猿と同じ餌をもらえなかった猿は、怒って餌を投げ返す(13:00以降)。


続きは11月26日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

文化は暇つぶしから生まれた

人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)
暇つぶしは、高齢社会の切実な問題である。サラリーマンの人生は65歳で終わり、やることが何もなくなる。そのあと20年ぐらいある退屈な余生をどうやって過ごすのか。これは人類が初めて直面した問題ではない。本書によれば、狩猟採集社会から定住社会に移った約1万年前から、退屈は重要な問題だった。

人類の脳は新しい食糧を求めて移動する狩猟採集社会に最適化されているので、つねに新しい刺激を求める。キャンプを移動して食糧をさがし、外敵から身を守る感覚が、遺伝的な「古い脳」の機能だが、定住して農耕を始めると変化が少なくなる。食糧は安定して供給され、外敵からは隔離されるので、脳への刺激が不足する。農作業が終わると、人々は長い夜を過ごすために神話を語り、壁画を描き、音楽を演奏し、芸能を楽しむようになる。

日本列島でこの変化を示す証拠が、縄文式土器だ。狩猟採集時代には実用的な石器しかなかったが、定住の始まった1万年ぐらい前から、土偶や複雑な模様の土器が出現した。

この土器は単なる容器ではなく、祭祀に使われたものと思われる。実用的な機能はないが、おそらく呪術的な意味があり、われわれの祖先はそれを使って儀式をやったのだろう。こういう文化は生存競争の役には立たないが、単調な生活に変化を与え、定住で解放された脳のエネルギーを消費する暇つぶしになったのだ。

続きは11月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

生産性格差と「二重構造」

生産性とは何か: 日本経済の活力を問いなおす (ちくま新書)
日本経済の停滞の原因が人口(特に生産年齢人口)の減少にあることは政治家も認識しているが、それを解決することはむずかしい。外国人労働者を入れて労働人口を増やす安倍政権の政策は、問題を解決するより作り出すおそれが強い。もう一つの考え方は、労働人口が減っても労働生産性を高めればいいという議論だが、具体的に何をするかが問題だ。

生産性を考える場合、製造業とサービス業を区別することが重要だ。グローバルに立地できて労働節約的な技術進歩の速い製造業に比べて、ローカルな対人サービスに依存するサービス業の労働生産性はどこの国でも低く、製造業の比率が下がるにつれて労働生産性が下がる「ボーモル病」がみられる。

日本はこの格差が特に大きく、いつまでも縮まらないのが特徴だ。次の図は日米の労働生産性格差(生産性本部調べ)で、アメリカを100すると日本の製造業の生産性は69.7だが、サービス業は49.9。こういう「二重構造」の硬直性は高度成長期から指摘されていたが、1990年代以降の長期不況で拡大し、2000年代に固定化した。

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続きは11月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

新石器革命は「宗教革命」だった

人類進化の謎を解き明かす
人類の歴史の大部分はつねに移動する狩猟採集社会だったので、脳はそれに適応するように進化したが、ここ1万年ぐらいの新石器時代以降は定住社会なので、文化はそれに適応した。つまり人間は遺伝的には移動に適しているが、文化的には定住するように進化したのだ。この矛盾が、現代人の行動にも影響を与えている。

狩猟採集社会で移動する集団(band)の規模は50人程度で、それより小さいと外敵から身を守れないが、あまり大きいと集団の中で紛争が起こる。このため遺伝的には150人程度が限界だが、定住社会ではそれをはるかに超える人数が集団で暮らすようになり、紛争やストレスが多くなった。それを解決するしくみが(広い意味の)宗教である。

狩猟採集社会にも同族意識による信仰(シャーマニズム)はあり、共同体の内部で紛争が起こると、その長(シャーマン)が調停し、定期的に祝祭や儀礼で人間関係をリセットした。しかし定住して集団が大きくなると、そういう素朴なしくみでは維持できないので、体系的に世界観を共有する宗教ができた。この点で新石器革命は「宗教革命」だったと著者はいう。

続きは11月19日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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