AIが「人間を超えるか」なんて大した問題ではない

AI原論 神の支配と人間の自由 (講談社選書メチエ)
最近よく「人工知能(AI)が人間を超えるか」という類の議論がある。この答は、AIの定義による。それを「人間の脳」と考えるなら、コンピュータで脳を完全にコピーすることはできないし、そんなことをする意味もない。他方、AIを「脳の機能」と考えると、コンピュータの能力が人間を超える分野はすでに多い。

だから「ビッグデータ」を使って「ディープラーニング」で学習すれば、コンピュータの(判断や類推などを含む)認識能力が人間を上回る日が来るかもしれない。今でも人間より速く走れる機械や、人間より重い荷物をもてる機械はある。人間より速く考える機械ができるのも同じような変化で、本質的な問題ではない。脳の機能を身体の他の機能とちがう特権的なものと考えるのは「脳中心主義」の錯覚である。

ところが世の中には、これをまじめに論じる人がいる。本書はその極めつけで、なぜかAIと「思弁的実在論」を結びつける。これは近代哲学の主流である「相関主義」を否定して、主観を超えた実在を認識できると主張するが、AIはそんなことを目標にしてはいない。彼らはコンピュータの総合的な認識能力が高まるというだけで、その認識が客観的実在と一致する必要はない。本書の問題設定はトンチンカンなのだ。

続きは7月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「学歴のインフレ」は終わらない

The Case against Education: Why the Education System Is a Waste of Time and Money
本書のメッセージは単純明快だ:大学の私的収益率は高いが、社会的には浪費である。大卒で高い所得を得られるのは学歴のシグナリング効果であり、教育で能力が上がるからではない。したがって学校教育に税金を支出することは正当化できない。

これは経済学の通説に近いが、本書はそれを多くの統計データで検証している。大学教育が役に立たないことは多くの人が知っているが、高校教育も(少なくともそれに投じられる公費以上に)役に立つという証拠がない。初等教育は役に立つが、その私的収益率は高いので、コストは親が払えばよい。

だがこの過激な提言は実現しないだろう、と著者も認める。多くの人が学歴のメリットを知っており、子供への教育投資を増やしているからだ。このため世界中で学歴のインフレが拡大しているが、それはバブルではない。この壮大な浪費は、どこの国でも巨額の補助金で支えられているからだ。

続きは7月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

ドイツの理想主義が偽善になるとき

そしてドイツは理想を見失った (角川新書)
戦後の日本とドイツは、似ているようで違う。似ているのは第2次大戦で敗戦国になったことだが、その負の遺産を処理する方法はかなり違う。日本では天皇制が残ったが、ドイツは「第三帝国」が国家として消滅したため、過去を100%否定した。ナチを肯定することやホロコーストを疑うことは今も犯罪であり、「ヘイト」を掲載したSNSに最大5000万ユーロ(約60億円)の罰金を課す法律が昨年できた。

そのドイツに登場したのが、移民排斥を主張するAfD(ドイツのための選択肢)である。昨年の総選挙で、AfDが第三党になったことは、世界に大きな衝撃を与えた。メルケル首相の与党CDU(キリスト教民主同盟)と野党第一党SPD(社会民主党)の政権協議は難航し、今も政権は不安定だ。

日本の国会では政治理念は争点にならず、スキャンダルばかり議論しているが、ドイツは自国を「理想の国」にしようという意識が強く、政治家は理念を掲げる。このためメルケルは難民を無条件に受け入れたが、犯罪が増えた。彼女の「脱原発」も理想主義だったが、CO2は減らないで電気代が大幅に上がった。そういう偽善に対する国民の不満を集めたのがAfDだった。

続きは7月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「世界史」を創造した遊牧民

世界史序説: アジア史から一望する (ちくま新書)
個別の地域や文化圏を超えた普遍的な「世界史」が書けるのかというのは、むずかしい問題である。「唯物史観」がその答だと思われた時代もあったが、今そんなものを信じる人はいない。最近では「世界システム論」が歴史学界の主流になりつつあるが、それもヨーロッパ近代を中心とする唯物史観の変種である。

では「アジア中心の世界史」が書けるのかというと、これはもっとむずかしい。ポメランツ以降のカリフォルニア学派はヨーロッパ中心史観を否定し、18世紀の「大分岐」でヨーロッパが先進国だった中国を逆転したというが、では分岐する前には統一的な世界があったのかという疑問には答えていない。

本書はあえてアジアを中心に、世界史を書き直す試みだ。もちろん新書1冊で世界史が書けるはずがないので、具体的な歴史記述は荒っぽいが、われわれが無意識に信じている通念を疑うきっかけにはなる。著者の仮説は、近代以前の世界史を動かした最大の要因が遊牧民だということである。

続きは7月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

科学者はなぜ神を信じるのか

科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで (ブルーバックス)
本書は科学史のおさらいだが、おもしろいのは著者(物理学者)がカトリックの聖職者でもあることだ。だから彼は「物理学が神の存在を証明している」というのだが、これはある意味では正しい。キリスト教の神の正体はよくわからないが、宗派を超えて共通なのは、それが唯一神だということだ。それは物理学の前提でもある。

この宇宙が一つしかなく、アンドロメダ星雲でも地球と同じ万有引力が通用するという事実は証明できない。今のところそういう推測に反する事実は見つかっていないが、見つかる可能性は否定できない。本書によると、ジョルダーノ・ブルーノは「無数の宇宙が存在する」と主張して異端審問にかけられたという。

この宇宙に法則が一つしかないというのは物理学者の信仰にすぎないが、その法則を「神」と呼べば、キリスト教とほとんど同じだ。ニュートンも彼の運動方程式は神の存在証明だと考えていた。ここで本質的なのは法則が唯一だという信仰であって、それをどう呼ぶかではない。カント以降の近代哲学の目的は、その信仰を証明することだったが、いまだに成功していない。

続きは7月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

デモクラシーは生き残れるのか

政治の衰退 上 フランス革命から民主主義の未来へ
議会によるデモクラシーはここ200年ほどヨーロッパに生まれた制度であり、近代国家の必然ではなく、唯一のモデルでもない。今のところは成功モデルとされているが、多重のチェック機構があるので、合意形成に時間がかかり、効率が悪い。もっとも効率的に意思決定できるのは独裁国家である。

この効率とチェックのトレードオフが、近代国家の抱える問題である。チェックを重視する権力分散がアメリカ型で、意思決定を内閣に集中するのがイギリス型だが、著者はアメリカ型を高く評価していない。政府と議会がバラバラに意思決定し、官僚制が機能しないので金のかかる司法が強く、政治家は腐敗している。

これに対してイギリス型に近い日本では、清潔で優秀な官僚機構に権力が集中し、成功したというが、「決められない政治」は似たようなものだ。政治家が金で動く傾向はアメリカほどひどくないが、政権交代がないので政治の転換がむずかしい。

世界全体をみるとデモクラシーは少数派で、21世紀に入って中国やロシアのような独裁国家が成長している。欧米人は「自由のない国家はいずれ没落する」といい続けてきたが、その兆候はみえない。中国は、デモクラシーの次の国家モデルになるのだろうか。

続きは7月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

本当は凶暴なイギリス人

大英帝国の歴史 上 - 膨張への軌跡 (単行本)
ニーアル・ファーガソン
中央公論新社
★★★★★



韓国ではいまだに「日帝36年」の恨みが語られるが、それは東アジアだけの問題ではない。世界最大の帝国主義は大英帝国であり、本書はその歴史を肯定的に描いて批判を呼んだ。今では大英帝国の歴史も、大っぴらに誇ってはいけないのだ。

続きはアゴラで。

無内容な「反アベ」のアジテーション

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)
本書の内容は、私が資源ゴミに出した『永続敗戦論』の「対米従属論」を繰り返しているだけで、語るに足りない(リンクは張ってない)。日本が安保条約でアメリカの属国になったというのは、50年代から自民党も左翼もいってきた話だ。本書の唯一の新味はそれを「戦後の国体」という言葉で語っていることだが、これは篠田英朗氏の次の記述とまったく同じだ。
憲法は誰が制定したのか?という伝統的な問いは、自衛権は誰が行使するのか?という現代的な問いと直結している。その答えは、「表」側では「国民」である。「裏」側では「アメリカ(とともに)」または「日米安保体制」という「戦後日本の国体」であろう。(『集団的自衛権の思想史』p.61)
これが本書の要旨だといってもよいが、篠田氏の本は2016年7月であり、著者がそれを知らないはずはない。ところが本書では、篠田氏の名前は一度も言及されていない。これは学術論文なら「盗用」として職を失うレベルだ。それ以外に本書の中身は何もなく、ひたすら「反アベ」のアジテーションが繰り返される。

続きは7月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

誰がテレビを殺すのか

誰がテレビを殺すのか (角川新書)
物騒なタイトルだが、本書の結論は「テレビは容易に死なない」。インターネットのアクセスがいかに多くても、広告の効果はテレビにかなわない。たとえば首都圏ローカルのスポット広告料金は100万円ぐらいだが、深夜番組でも視聴率が1%取れれば、30万人ぐらいが見る。同じアクセスをヤフーで取ろうとすると、トップバナーの広告料金は2000万円だという。

もちろんテレビの視聴者は漫然と眺めているのに対してヤフーのユーザーは積極的にアクセスしているとか、そのままクリックするなどの違いはあるが、数百万人という規模の大衆にアピールできる媒体として、地上波テレビにまさるものはない。広告は確率のビジネスだから、分母が大きいほうがいいに決まっている。

そして1日中テレビを見ているのは、60歳以上の老人だ。かつてテレビは専業主婦のものだったが、今は男性も7割以上が無職だ。テレビを見る時間は女性より多く、平日でも平均4時間も毎日テレビを見ている。そういう「することがない人々」が時間をつぶす道具に特化しているのが民放だ。それが左傾化した最大の理由も、視聴者の高齢化である。

続きは6月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

原子力の失われた半世紀

Fallout: Disasters, Lies, and the Legacy of the Nuclear Age
原爆と原発は別だが、無関係ではない。核分裂は最初は発電技術として研究されたが、1942年にルーズベルトがマンハッタン計画を立ち上げ、それからわずか3年で広島と長崎に原爆が投下された。その後も原子力は軍事技術として開発され、軽水炉も原潜の技術として普及した。このように政府が研究開発投資を負担したことが、原発が急速に普及した原因だ。

しかし軍事技術として開発されたことは、原子力の短所ともなった。軍事機密を理由にして事故が隠され、特にソ連では1957年の(おそらくチェルノブイリを上回る)キシュテム事故の存在さえ、ソ連が崩壊するまで秘密にされていた。英米でも「事故隠し」が行われ、秘密主義が疑心暗鬼をまねき、放射能の恐怖が誇張されるようになった。

本書は環境ジャーナリストが、世界の原子力の現場をたずねたものだ。著者は科学的データにもとづいて、核兵器以外の原子力は安全だと考えるが、その将来については悲観的だ。すべての人が合理的に判断するわけではない。放射線は目に見えないので、専門家の話を信用できない一般人が恐怖を抱くのは当然だ。原子力産業はこの半世紀で、社会の信頼を失ってしまった。

続きは6月25日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






連絡先(取材・講演など)

記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons