パンデミックが「隣人愛」を生んだ

キリスト教思想への招待
新型コロナはWHOにパンデミック(世界的流行)と認定されたが、それまで世界的に流行する疫病がなかったわけではない。治療法のなかった古代には多くの疫病がパンデミックになり、長期にわたって世界に流行した。ローマ帝国では、西暦165年ごろから天然痘(と思われる疫病)が大流行し、その後もたびたび流行を繰り返した。

歴史上有名なパンデミックは、皇帝ユリアヌス(在位361~63年)のときの大流行である。命を守れないローマ帝国の権威は失墜し、信者は天国で救われると説くキリスト教が疫病のように流行した。ユリアヌスはローマの土着信仰を否定するキリスト教徒を「無神論者」と非難して弾圧したが、その強さを次のようにたたえた。
無神論者をこの上もなく発達させた理由は、他者に対する人間愛、死者の埋葬に関する丁寧さ、よく鍛錬された生き方のまじめさである。[…]それぞれの町に病院を多く設置せよ。外来者が我々の人間愛にあずかることができるように(本書p.123)。
ここで「他者に対する人間愛」と訳されているのは親子の愛情ではなく、恋人の恋愛でもない。それは地域や親族集団とは無関係に信者を歓迎する隣人愛(philanthropia)であり、それを制度化したのが病院(hospice)だった。キリスト教はローカルな集団を超える普遍的な医療共同体として急速な発展を遂げたのだ。

7月からのアゴラ読書塾「疫病と文明」では、医療や感染症の歴史から宗教や文明の意味を考えたい。

戦後日本の「弱い国のかたち」

戦後日本政治の総括
コロナ騒動で印象に残ったのは、日本の強さと弱さである。アメリカでは罰則をともなう外出禁止令で暴動が発生したが、日本では緊急事態宣言の要請だけで乗り切った。その強さをたたえる人が多いが、それは憲法に非常事態条項がないための弱さであり、日本が望んだものではない。

本書も指摘するように、こういう「弱い日本」は「強いアメリカ」と表裏一体だった。このため反米の首相は短命で、親米の首相は長期政権になる。第1次安倍内閣と第2次内閣の違いが、それを端的に示している。第1次内閣は「戦後レジームからの脱却」をめざして挫折したが、第2次内閣以降は自民党ハト派に近い親米路線である。

タカ派政策の最たるものと思われた安保法制も、アメリカから極東の防衛負担を求められたためだった。集団的自衛権を容認したあとは「アメリカがうるさくいわなくなったので憲法は改正しなくてもいい」と安倍首相はいったという。憲法改正は日米同盟を支えるためだったので、今はもう必要ないのだ。

首都上空の管制権をアメリカがもつ日米地位協定は占領体制の延長であり、最悪の戦後レジームだが、安倍政権は手をつけない。それはアメリカという世界最強の傭兵をやとうコストとしては安いものかもしれない。この「弱い国のかたち」は日本人の心にすっかり定着したが、本物の危機に強いかどうかはわからない。

続きは6月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

ヴェーバーの社会ダーウィニズム

マックス・ヴェーバー――主体的人間の悲喜劇 (岩波新書)
マックス・ヴェーバーは1920年6月14日に(スペイン風邪で)死去した。その100年後の今月、中公新書と岩波新書で同じタイトルの本が出た(中公は「ウェーバー」)。中公のほうはよくも悪くも常識的な解説で、予備知識のない人には中公をおすすめするが、本書は異色である。

その特徴は社会ダーウィニズムとの関連でヴェーバーをとらえたことだ。社会ダーウィニズムといえば、今は人種差別の代名詞で、特にドイツではヒトラーと結びつくタブーだが、ヴェーバーは講義で「社会の生物学的・人類学的基礎」を論じた。

ただヴェーバーの人種という概念の理解はあやしく、彼はカトリシズムやプロテスタンティズムのような文化が遺伝すると考えていた節もある。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じた「カトリックの劣等性」には、明らかに差別的な意味があった。続きを読む

感染症と文明

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)
感染症は人類の最大の脅威であり、その歴史を大きく変えてきた。狩猟採集社会で人間が小集団で移動していたころは、感染症の脅威はそれほど大きくなかった。小集団の中では病原体はすぐ広がり、ほとんどの人が免疫をもつからだ。これが集団免疫である。

感染症の流行は、定住とともに始まった。人間の排泄した糞便は居住地の周囲に集積され、病原体を培養した。農耕で生み出された余剰作物は蓄積され、病原体を媒介するネズミなどの小動物が増えた。家畜も、動物起源の病原体を人間社会に持ち込んだ。

古代文明は「感染症のゆりかご」だった。世界史上初めて大規模な定住社会となったメソポタミアでは、たびたび感染症が大流行した。そのとき周辺部にいた健康な民族が侵入したが、文明の中では免疫がないため絶滅した。集団免疫は、文明を守る生物学的な防護壁となったのだ。続きを読む

新型コロナは新型インフルエンザに似ている

新型インフルエンザ 世界がふるえる日 (岩波新書)
新型コロナウイルスは未知の病原体ではない。これとよく似ているのが、2009年に大流行した「新型インフルエンザ」H1N1である。これは世界全体で1万4000人以上の死者が出たパンデミックだったが、日本の死者は193人と季節性インフルエンザより少なかった。

新型インフルエンザと新型コロナの共通点は、人類にまったく免疫がなかったことだ。この点で季節性インフルエンザとは異なるが、もとは同じものだ。いま季節性インフルと呼ばれているウイルスは、2009年に新型インフルと呼ばれたウイルスが変異したもので、人間は部分的に免疫をもっている。

だから対策にも、本質的な違いはない。早めにワクチンを開発して免疫をつけることがベストだが、急速な流行が起こるとそれが間に合わない。1918年に起こった「スペイン風邪」もH1N1型だったが、ワクチンが開発できなかったため、全世界で4000万人以上が死亡した。被害を拡大した最大の原因は、患者が急増して病院のベッド数を超え、医療が崩壊したことだ。続きを読む

キリスト教は疫病から生まれた

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)
新型コロナをめぐる騒ぎで、私を攻撃してくるツイートを見て驚いたのは「インフルエンザには特効薬があるが、新型コロナにはないから怖い」と信じているネトウヨが多いことだ。ウイルス性の感染症に特効薬はない。インフルエンザにもタミフルなどの対症療法しかないから、毎年1000人以上死んでいるのだ。

治療法も予防法もなかった古代には、こういう未知への恐怖はもっと大きかったに違いない。ローマ帝国では西暦165年ごろから疫病が大流行し、帝国の人口の1/4から1/3が死んだと著者は推定する。その病名は不明だが、天然痘か麻疹(はしか)ではないかと考えられている。

疫病は大量死という点では戦争と同じだが、その原因をコントロールできない。戦争は国家によって防げるが、疫病は隔離するしかなかった。細菌もウイルスも目に見えないので、ある人は急に病に倒れ、ある人は生き残るのはなぜか。ローマ帝国の多神教でも合理的な自然哲学でも、その原因は説明できなかった。

こういう状況で、キリスト教は急速に信者を増やした。それは目に見えない神を信じる者だけが天国に行けるという非合理主義だったが、死に意味を与えることはできた。キリスト教徒は他から隔離されて共同生活し、互いに救護したので、結果として免疫ができて生存率が上がったと推定される。続きを読む

リスク・コミュニケーションの反面教師

「感染症パニック」を防げ!~リスク・コミュニケーション入門~ (光文社新書)
いま話題の岩田健太郎氏の2014年の本だが、新型コロナウイルスの騒ぎで版元が急きょ重版したらしい。彼のキャラクターに興味があったので読んでみたが、中身は常識的だ。リスク・コミュニケーションの一般論としては、「起こりやすさ」 と「起きると大変」をごっちゃにしないという話が大事である。

「起こりやすさ」は確率、「起きると大変」は致死率と考えると、人間の感覚には後者を重視するバイアスがある。特に感染症では、エボラ出血熱のように致死率の高い病気が重視され、インフルエンザのようなありふれた病気は注目されないが、患者にとっては「起こりやすさ」が大事で、日本に存在しないエボラよりインフルのほうがリスクは大きい。

皮肉なのは、今回の「ダイヤモンド・プリンセス」の騒ぎがリスク・コミュニケーションの典型的な失敗例だということだ。まずリスクを正確に見積もることがリスコミの条件だが、彼は船の中に2時間ほどいただけで「ゾーニングがまったくできていない」と事実誤認し、「エボラ出血熱のときより恐ろしい」などと最大級の言葉で厚労省を批判した。

続きは2月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

幻の「70年安保」という危機

佐藤栄作-戦後日本の政治指導者 (中公新書)
アゴラにも書いたように、安倍首相は岸信介より佐藤栄作に似ている。佐藤は兄の岸ほど優秀だったわけではなく、確たる政治信念もなかったが、人事をあやつる手腕は超一流で「人事の佐藤」と呼ばれた。初期には右派の核武装論者とみられたが、政権につくと「社会開発」を重視する左派になった。

そういう佐藤の路線を決めたのは「70年安保」だったと本書はいう。60年安保のように70年安保でも大衆運動で内閣が倒れると考える人は、60年代後半には少なくなかった。ベトナム戦争に協力した佐藤首相は、今の安倍首相よりはるかにダークな悪役で、「ストップ・ザ・サトウ」という変なスローガンで各地に革新自治体が生まれた。

ベトナム反戦運動から始まった学生運動が世界的に大きな盛り上がりをみせ、70年安保は「保守政治の全面的危機」と意識されていた。沖縄の「核抜き本土並み返還」や「非核三原則」などの佐藤の平和主義的な装いは、こうした危機を乗り越える対策だったので、自民党も派閥を超えて協力した。これが佐藤内閣が長期政権になった原因である。

しかし学生運動は1969年の東大安田講堂の攻防戦をピークに退潮し、その年の末の総選挙で自民党は300議席を超える圧勝だった。1970年6月の安保条約の自動延長は何事もなく過ぎたが、そのあと佐藤の求心力は急速に衰えた。凧のように強い逆風で維持されていた政権は、風がやむと落ちていくしかなかったのだ。

続きは2月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

「ステイクホルダー資本主義」の幻想

企業所有論:組織の所有アプローチ
CSR(企業の社会的責任)とかESG(環境・社会・ガバナンス)など、株主以外の利益を投資の指標にするステイクホルダー資本主義は昔からある話だが、うまく行った例は少ない。かつてその手本とされた日本の「労働者管理企業」も幻想だった。

本書は企業だけでなくNPOまで含めた経営形態を比較し、どういうガバナンスが望ましいかを「法と経済学」の立場から論じた古典である。その結論は、ボトルネックになる生産要素をもつステイクホルダーだけにコントロール権を与えることが効率的だということだ。企業の最大のボトルネックは資本設備なので、株主が企業をコントロールし、他の生産要素は契約で調達することが望ましい。

もう一つのボトルネックは人的投資だが、労働組合にもコントロール権を与えて労使交渉で投資を決定する労働者管理企業は失敗することが多い。投資が失敗しても労働組合は責任を負わないので、労働者の利益を優先して資本を浪費するからだ。

こういう無責任なステイクホルダーは、ESGのように「公益」を主張することが多いが、それが本当に公益になるかどうかはわからない。少なくとも日本では、企業がCO2を削減するコストはその利益より大きいので、ESG投資は企業価値を毀損するおそれが強い。将来それがわかったとき投資ファンドは責任を取るのだろうか。

続きは2月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

アベノミクスは「左派」の経済政策

安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか (朝日新書)
安倍首相の政策は、祖父である岸信介の政策によく似ている。その根底に戦前の国家総動員体制があることは、私も何度か指摘したことがある。 この意味で安倍首相の政策を社会主義と呼ぶのは新しい話ではないが、彼が三輪寿壮に強い関心をもっていることは本書で初めて知った。

三輪は岸の大学時代の同窓で、戦前には無産政党の指導者だった。戦後は右派社会党を指導して、左右社会党を統一した。他方で岸は保守合同を実現し、自民党と社会党は政権交代できる二大政党になるはずだったが、三輪は統一直後に死去した。岸はその社会党葬で弔辞を読み、「これで政権を渡す相手がいなくなった」と嘆いたという。

岸の経済政策は、産業政策や社会保障を重視する「大きな政府」だった。国民年金や国民健康保険を国民皆保険にしたのも岸内閣である。安倍首相もそういう社会主義の遺伝子を受け継いでおり、財政・金融を拡大するアベノミクスは、世界的にみると「反緊縮」を主張する左派の経済政策だ。それが長期政権になった原因だが、日本経済の長期停滞の原因でもある。

続きは2月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。








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