アイヌは「縄文人」の遺伝子を受け継いだ

縄文の思想 (講談社現代新書)
日本人が「単一民族」だという話は、よく批判の的になる。昨年も麻生太郎氏が「2000年の長きにわたり、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」と発言して問題になった。

そのとき国会で野党が追及した根拠は、アイヌを「先住民族」と規定したアイヌ新法だった。これについてはアイヌ民族の実態はもうないという批判があるが、アイヌが先住民族だったことは事実である。

遺伝的にはアイヌと琉球人が遺伝的に近いことがわかっている。かつて日本の北から南まで縄文人が住んでいたが、九州から上陸した弥生人がそれを駆逐して農耕文化を築いたと推定できる。近畿地方を中心にして同心円状に分布する方言の分布も、それを裏づけている。

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日本人は天皇を中心として稲作で生活する農耕民というイメージは、いくらさかのぼっても弥生時代(紀元前600年)以降である。それ以前の日本列島には狩猟・採集・漁労で生活する縄文人が住んでおり、その子孫がアイヌだというのが本書の仮説である。

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縄文時代は「農業なき定住社会」

縄文vs.弥生 ――先史時代を九つの視点で比較する (ちくま新書)
マルクス的な進歩史観は葬られたが、いまだに歴史を発展段階論で考え、その頂点に西洋近代社会を置く暗黙の通念がある。その一つが新石器時代という概念である。旧石器時代は狩猟採集で生活する移動社会だったが、約1万年前から新石器時代が始まって農業で生活する定住社会に進歩し、土器が使われるようになった、と教科書には書かれている。

しかし青森県で見つかった縄文式土器は1万6500年前のもので、これは世界最古の土器である。土器は定住社会でしか役に立たないので、縄文時代は新石器時代だが、農業の痕跡は3000年前よりさかのぼれない。つまり日本列島では、1万年以上にわたって農業なき定住社会が続いたのだ。

これは世界にも類をみない現象で、農業によって定住が始まったのではなく、その逆であることを示している。それは日本の歴史を「農本主義」で語るのは誤りだという網野善彦の批判を裏づけている。日本列島は次の図のように四季おりおりの自然に恵まれていたので、手間のかかる穀物をつくる農業は必要なかったのだろう。

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縄文カレンダー(小林達雄)

1万5000年前と現在はDNAは同じだが、日本人の文化的遺伝子は大陸から離れた平和な環境で、独特の進化をとげた。日本社会の中心だった「百姓」の原型は、網野もいうように潅漑農業で共同体に組み込まれた農民ではなく、漁業や林業で自由に暮らす縄文人だったのかもしれない。

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日本人の「ゼロリスク」は縄文時代から始まった

人はなぜ戦うのか - 考古学からみた戦争 (中公文庫)
日本人は、極端にリスク回避的で争いをきらう。これは統計データでも客観的に示されているが、それはなぜだろうか。いちばん簡単な説明は、島国で平和が長く続いたからだということだが、これは最近の人類学の知見と一致しない。

ホモ・サピエンスは石器時代から戦争を続けており、その遺伝子には戦いに生き残る闘争本能が組み込まれているというのが最近の人類学や考古学の通説だが、日本人はその例外である。縄文時代と呼ばれる1万5000年前~3000年前の遺跡には、ほとんど戦争の痕跡が見当たらないのだ。

これはグレーバーも「西洋中心の発展段階論に対する反証」として注目している。狩猟採集=移動社会から農耕=定住社会へという順序で文明が発展するという通説に反して、三内丸山遺跡などの縄文時代の遺跡は、農耕なき定住社会の存在を証明しているからだ。世界的にみてもこういう民族は、縄文人以外には北米西岸の先住民族しかいない。

もう一つの特徴は、縄文時代が戦争のない時代だったことだ。戦争に関する遺跡の9割は農耕社会のもので、中国では紀元前6000年ごろから農耕と戦争がワンセットで始まっていたが、縄文時代の遺跡からは武器も損傷した人骨も出てこない。青銅の短剣などが発掘されるのは弥生時代(紀元前600年~)の遺跡で、中国より5000年ぐらい遅い。日本人は太古から平和主義だったのだが、それはなぜだろうか。

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石器時代人は貧しかったのか

石器時代の経済学 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)
人類(ホモ・サピエンス)の歴史を約20万年と考えると、そのうち新石器時代以降の定住社会は約1万年だから、その歴史の95%以上は狩猟採集社会だった。しかもすべての人類が定住したわけではなく、300年ぐらい前までは世界の人口の1/3が移動民だったと考えられている。

しかし今ではそういう移動民は、人類学の観察対象としてもほとんどなくなった。そこから「移動民は飢餓線上で生きていた」とか「獲物をとるために1日中走り回っていた」という先入観があるが、本書は人類学の実証データにもとづいて、それを否定する。

たとえばブッシュマンの6割が食糧生産にたずさわっているが、各人は毎週8~10時間ほど働き、1日暮らせる獲物がとれると仕事を終え、それを料理して食う。あとは世間話をしたり寝たりしている。つまり1日生きていけるだけの獲物をとると休み、それ以上は働かないのだ。これは毎週40時間労働する現代人より合理的な生活である。

もちろん現代人と比べるとブッシュマンが貧しいことは事実だが、それは歴史的に狩猟採集民が農民より貧しかったことを意味しない。ブッシュマンの栄養状態はよく、毎日2000kcal以上のカロリーを摂取していた。遺跡から出てくる骨から推測すると、移動民の身長は農民より10cmぐらい高かったと思われる。

だから「狩猟採集で食えなくなったから農業を始めて定住した」という通念は誤りである。遺伝的には人類の脳も体も移動生活に最適化しているので、定住には向いていないのだ。それが紀元前3000年ごろ逆転したのはなぜだろうか。

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「環境と経済の好循環」は幻想である

亡国の環境原理主義
政府は今年6月にグリーン成長戦略を発表した。ここでは「環境と経済の好循環」を掲げ、その手段としてカーボンプライシング(炭素税)をあげているが、本書も指摘するようにこのメッセージは矛盾している。温暖化対策で成長できるなら、炭素税は不要である。

日経新聞のいうように「カーボンゼロ」でもうかるなら、政府が何もしなくても、企業は利潤追求のために脱炭素化に投資し、収益が上がるだろう。現実に「ESG投資」と称して脱炭素化投資が行われているが、それが収益を生む見通しはない。

現実に起こっているのは、その逆だ。「2040年までに石炭を禁止する」とか「ガソリン車を禁止する」というCOP26の目標のおかげで化石燃料の開発が止まり、原油や天然ガスの価格が暴騰してグリーンフレーションが起こっている。

つまり脱炭素化と経済成長はトレードオフなのだ。「脱炭素化で成長できる」という猪瀬直樹氏のモデルチェンジ日本のようなうまい話はない。この現実を認識しないで「グリーン成長」などという幻想をうたい上げると、失敗のもとになる。

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「無縁」は狩猟採集時代の記憶

無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)
網野善彦は今も人気があるが、実証史学の専門家には評判が悪い。彼が歴史の中に見出した「無縁」の民は存在したのだろうが、それが日本社会の主流になったことはない。少なくとも弥生時代以降の日本は農業社会であり、日本人の圧倒的多数は農民だった。

ではなぜ農業社会とは異質な「無縁」のエートスが日本社会に残っているのだろうか。それは中沢新一氏も指摘したように、農業社会の「底」が抜けた先に見えてくる石器時代の記憶かもしれない。

本書は網野の初期の代表作だが、最終章は「人類と「無縁」の原理」と題され、「無縁」の概念が未開社会に通じるのではないかと書いている。この問題は当時は実証的に明らかではなかったが、今では狩猟採集時代に形成された「古い脳」が人間の行動を支配していることが明らかになっている。

つまり網野が日本社会の異端と考えた「無縁」の民は、ホモ・サピエンスの歴史の中では圧倒的多数だった狩猟採集民(ノマド)なのではないか。網野のあげているエピソードには、そう考えると理解できる話が多い。続きを読む

贈与という平和維持システム

可能なるアナキズム──マルセル・モースと贈与のモラル
日本人の脳内に古代から続く「古層」があるという丸山眞男の説は、「検証不能な印象論だ」と実証主義の歴史学者には評判が悪いが、最近の行動経済学の「システム1」の概念と共通する面がある。これは最近の生物学や人類学で検証できるようになってきた。

ただその中にも2層ある。最下層の「第1層」にあるのは、文字通りの遺伝子(DNA)である。ホモ・サピエンスの歴史のほとんどは狩猟採集生活だったので、われわれの脳は移動生活に適した構造になっている。たとえば子供がしつけないと排泄の始末ができないのは、狩猟採集民が移動して生活していたので、排泄物をコントロールする本能が欠けているためだろう。

定住して農耕を始めるようになると、その上の「第2層」には定住に適した文化的遺伝子が発達したと思われる。モースが『贈与論』で探究した贈与は、このような文化的遺伝子だと思われる。なぜならその具体的な表現は部族によってさまざまで、遺伝的に決定されていないからだ。

たとえばアメリカ原住民の「ポトラッチ」と呼ばれる大規模な贈与は、儀式に招待した客に家に貯蔵した食物をすべてふるまったり、財産を村中に配ったりする。これは食糧を平等にわけるシステムといわれたが、それだけでは宴会で食物を使い果たしてしまう浪費は説明できない。

モースはこれを「対立しながらも殺戮し合わないようにする」ためのしくみだと考えた。つまり互いに贈り物をして相互依存的な「貸し借り」をつくり、部族の平和を維持するシステムだというのだ。

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ドイツの危険な西欧的=「普遍的」価値

ドイツ・ナショナリズム 「普遍」対「固有」の二千年史 (中公新書)
今やドイツはEUの中心である。イギリスが離脱した後のEUは「ドイツ帝国」になり、ドイツ人は難民受け入れなどの「多様性」を指導し、ECBの中心として緊縮財政を南欧諸国に求め、「2050年ネットゼロ」をめざす環境原理主義を生んだ。

このようなドイツ人の行動に共通しているのは、彼らの利益が西欧の利益であり、それが人類の普遍的な利益だと信じて、世界に広める宗教的信念である。これを本書は西欧的=「普遍的」価値と呼ぶ。このドイツ的普遍主義はプロテスタンティズムを生み、ヨーロッパで宗教戦争の続く原因となった。

他方でドイツ人には「固有性」を求めるナショナリズムがあり、それがナチズムのような暴力として爆発することもある。1945年以降はそれを懺悔して西欧的リベラリズムに同化しようとするハーバーマスなどの知識人が、ナショナリストを「道徳の棍棒」でたたき続けてきた。この状況は戦後の日本に似ているが、著者はこれを知的戒厳令体制と名づけている。

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日本は世界最大の「アナーキズム国家」

くらしのアナキズム
日本人にアナーキズムの傾向があるという話は昔からある。柳田国男は、狩猟採集民の生活様式を残す「山人」の姿を描き、網野善彦は農村共同体を超えて移動する「無縁の民」の中に日本人の原型を見出した。

グレーバーも指摘するように、ホモ・サピエンスの歴史の99%以上は狩猟採集社会であり、そこには国家がなかったので、人類の歴史はアナーキーだった。

この言葉には「無政府主義」とか「テロリズム」といった暗いイメージがついて回るが、実際の狩猟採集社会(人類学者の記録した未開社会)は、無秩序とは正反対である。たとえばレヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で描いたナンビクワラ族の首長は、部族の会合で命令せず、意見が違うときは徹底的に他人を説得し、全員一致するまで意思決定はしない。

このように全員一致の合意なしでは決定しない傾向は、日本の民俗学者の調査した村も同じだ。宮本常一が調査した対馬の寄合でも、村の古文書を貸してほしいという依頼に対して、3日にわたって話し合いが続けられ、全員が納得して初めて貸してくれたという。

これは現代の自民党総務会も同じである。多数決はとらず、全員が納得するまで話し合う。どうしても同意できない人は、会合から抜けて決定に参加しない。日本人にとっては民主主義とは多数決ではなく満場一致だが、それは人類史の中では普遍的なルールだった。

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今年の良書ベスト10

バブルの経済理論 低金利、長期停滞、金融劣化
このごろ新刊を読むことが少なくなり、このリストも選ぶのに苦労するようになった。次の10冊は厳密には今年の新刊だけではないが、私が今年読んだ本のベスト10である。
  1. 櫻川昌哉『バブルの経済理論』
  2. Graeber & Wengrow: "The Dawn of Everything"
  3. マカフィー『MORE from LESS 資本主義は脱物質化する』
  4. Nordhaus: "The Spirit of Green"
  5. 川口マーン恵美『メルケル 仮面の裏側』
  6. ビル・ゲイツ『地球の未来のため僕が決断したこと』
  7. 杉山大志『「脱炭素」は嘘だらけ』
  8. フォルーハー『邪悪に堕ちたGAFA』
  9. 北岡伸一『明治維新の意味』
  10. 大西康之『起業の天才』
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