「鎌倉仏教」というオリエンタリズム

戦国と宗教 (岩波新書)
日本人の宗教についての理解は、いまだにキリスト教をモデルにしている。浄土真宗や日蓮宗などの「鎌倉仏教」は宗教改革に似ており、それは一向一揆という「市民革命」を生んだが、織田信長につぶされた――というのが従来の理解だが、これは宣教師の報告にもとづく「オリエンタリズム」である。

当時の仏教の主流は、まだ天台宗や真言宗だった。親鸞の「信仰のみによって救われる」という教義がルターに似ていると宣教師は報告したが、実際の真宗は各地の神仏と混合した雑多な信仰だった。それが広まったのは『歎異抄』(16世紀まで知られていなかった)のような高度な教義のおかげではなく、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていれば極楽にいけるという単純な信仰が民衆に受け入れられたからだ。

「一向一揆」という言葉は中世の史料にはなく、本願寺を設立した蓮如も「一向宗」という言葉は使わなかった。本願寺は武士と戦う「反権力」の教団ではなく、いろいろな戦国大名と連携して戦う軍団だった。信長と一向宗の「石山合戦」も後世につくられた物語で、石山という地名は同時代の史料にはない。そもそも宗教と世俗権力の対立という図式がオリエンタリズムであり、信仰の中心は戦国大名だった。

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人間はなぜ合理的に考えるのか

A Natural History of Human Thinking
経済学では、人間が合理的に考えるのは当然で、感情的な行動は「バイアス」だと考えるが、これは非現実的というより完全に倒錯している。感情は霊長類に普遍的にみられるが、理性は人類にしかない特殊な能力だからである。それが進化の過程でなぜ有利だったのかははっきりしないが、その一つの要因は言語による伝達を容易にしたことだろう。

猿は自分で経験したことしか記憶できないが、人間は他人に言語で経験を伝えて協力できる。動物が身振りで伝えられる内容は限られているが、人間は文法的な再帰性(recursiveness)で複雑な知識を表現できるからだ。たとえば「穴があると落ちる」という事実と「落ちると死ぬ」という事実から、「穴に落ちると死ぬ」という知識を組み立てることができる。

このように複雑な知識を互いに伝えることによって、個体としては弱い人間がグループで生き残った。つまり合理的思考そのものより、それによって協力する意図の共有が生存競争で重要だった、というのがトマセロの理論である。

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日本は「国家的アナーキズム」

アナキズム入門 (ちくま新書1245)
アナーキズムはプルードンの「所有は盗みだ」という思想と、クロポトキンの「相互扶助」の思想に尽きるが、いずれも荒唐無稽なものではない。プルードンの「社会的所有」の思想はマルクスに剽窃され、共産主義(国家的社会主義)に堕落した。

クロポトキンの思想はダーウィンの進化論に依拠しており、今の生物学でいうと集団淘汰の理論である。これは個体群のレベルでは正しいが、多くの中間集団が複合して「大きな社会」をつくるとき、全体を統括する国家(暴力装置)をつくらないで、ローカルな集団の協力で秩序を守れるかどうかは疑問だ。

プルードンとクロポトキンの思想は一体で、国家による所有権の保護なしで中間集団の相互扶助によって社会が維持できる、というのがアナーキズムの仮説である。こういう性善説は近代国家では内戦を誘発して悲惨な結果になるが、その唯一の例外が日本である。

「家」は相互扶助の単位だが、徳川家は全国で300の家を固定し、その中でさまざまな中間集団をつくった。明治以降もこのフラクタル構造は生き残り、意思決定はすべて中間集団で行われる。役所を超える天皇の意思は「忖度」されるだけで、究極的な決定主体としての国家はなかった。それは今も続く国家的規模のアナーキズムともいえよう。

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「十字架の神学」というマーケティング

パウロ 十字架の使徒 (岩波新書)
子供のころ教会学校に行かされ、毎週パウロの手紙について説教されたが、まったく納得できなかった。2000年前に死んだイエスが、どうやって今の私の「罪を贖う」のか。そもそも彼は処刑されたあと復活したのだから、罪をかぶっていないのではないか…などと論理的に追及すると、パウロの手紙は矛盾だらけだ。

本書もパウロの十字架の神学には、ユダヤ教に固有の「贖罪」と普遍主義的な「ゆるし」が混在していると指摘する。古代ローマ帝国でキリスト教が大流行した原因は、2世紀に疫病が流行したとき、特定の民族に依存しない「救済」を提供したからだと推定されている。それは初期には文字どおり医療による救護で、神を信じる人は誰でも救済した。

パウロはギリシャ語を使うローマ市民だったが、その教祖であるイエスが政治犯としてローマ帝国に処刑されたのは都合が悪かった。そこで彼はイエスが「すべての人類の罪を着せられて十字架で死んだが復活した」という奇妙な神学をつくり、刑罰の道具である十字架を救済のアイコンにした。この巧妙なマーケティングは大成功したが、その矛盾はキリスト教の拡大とともに深刻になった。

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脳は「空気」を読むためにできた

ヒトはどこまで進化するのか
E.O.ウィルソンは「社会生物学」の創始者だが、50年前に自分の唱えた包括適応度の理論を否定し、マルチレベル淘汰の理論を主張している。しかし学界の反応は冷たい。ほとんどの事実は従来の理論で説明できるからだが、それは一般読者にとっては大した問題ではない。

大事なことは、ヒトの真社会性(eusociality)がその優位性の源泉だという点で生物学者が一致していることだ。真社会性とは、蟻や蜂のように巣をつくって社会的分業を行う能力で、20種類の動物で発見されているが、霊長類の中ではヒトにしかない。他の類人猿に比べて肉体的にひ弱なヒトがここまで繁殖した原因は、この真社会性にある。

ヒトは脳が大きく、家族を超えて集団で行動する能力を発達させた。その集団行動の武器になったのが宗教である。食欲や性欲はチンパンジーにもあるが、宗教はヒトにしかない。ウィルソンは「脳は宗教のために、宗教はヒトの脳のためにあつらえられた」という。

ここでいう宗教は一神教だけなく、他人と同調する集団的な感情であり、日本人には「空気」といったほうがわかりやすいだろう。脳の中で論理的に思考する機能は小さく、大部分は人間関係の調整に使われている。経済学が合理的選択を基準にして感情を「バイアス」と呼ぶのは逆で、感情で集団を同調させる脳の機能から合理的な思考が派生したのだ。

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「カクレキリシタン」の隠れた歴史

カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容
文書偏重の伝統的な歴史学に対して、口頭伝承などの「書かれざる歴史」を発掘したのがアナール学派の社会史だが、語り手は聖職者などの知識人に片寄っていた。それに対して本書の調査した「カクレキリシタン」は、江戸時代に230年にわたって受け継がれ、今も長崎に残る庶民の信仰である。

それは17世紀初めに宣教師が殉教し、知識人のいないまま口づてに伝えられたので、「オラショ」と呼ばれる祈りはラテン語がなまって意味不明になっている。彼らの信仰は固く、摘発されて死罪になっても転ばなかったが、取り調べた役人は彼らが教義をほとんど知らないことに驚いたという。

キリスト教をモデルとしたデュルケームやウェーバー以来の宗教社会学では、教義のない宗教などというものは「呪術」でしかないが、その意味では中世までのカトリック教会も呪術に近い。信徒はギリシャ語の聖書を読めず、神父の説教しか知らなかったからだ。それをドイツ語に訳して印刷したルターは「反逆者」だった。

カクレの人々は聖書さえ知らなかったが、その信仰を「日本的」と呼ぶのは誤りである。それが弾圧に耐えて長く伝えられてきた原因には、進化心理学でわかってきた遺伝的なメカニズムがあると考えられる。

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「小池劇場」の進化心理学的な説明

スーパーセンスーーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている
豊洲問題はあきれるのを通り越して笑い話になってきたが、敵をつくって不安をあおる小池知事のレトリックは、ヒトラーからトランプまでおなじみだ。それはポピュリズムの手法としてはありふれているが、文化を超えて効果を示すことは遺伝的な感情に原因があると考えられる。

これは進化心理学で、スーパーセンスと呼ばれる。災害などの不可解な出来事の背後に超自然的な「本質」を見出し、災害を「天罰」と考えるのだ。これがシステム化されたのが一神教で、すべての現象の本質が神にあるので、災難は「神罰」となる。

「小池劇場」も敵か味方かという区別から入り、災難の原因はすべて敵(石原氏)にあるという本質主義を民衆に刷り込む。敵のやることはすべて悪いので、細かい手続き論で昔の話を蒸し返す。それが豊洲の安全性と無関係でもかまわない。目的は敵を滅ぼすことだからである。

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苦難の神義論から十字架の神学へ

古代ユダヤ教 (上) (岩波文庫)
歴史上もっとも豊かになった時代にトランプのような不満分子の代表が大統領になり、「イスラム国」などのテロが横行するのは逆説的だが、古来こうした現象は珍しくない。キリスト教やイスラム教のようなセム系一神教は弱者のルサンチマンに迎合するポピュリズムであり、その元祖がユダヤ教だ。それを最初に指摘したのはニーチェだが、その影響を受けて書かれた『古代ユダヤ教』は、ウェーバーの代表作である。

「第二イザヤ」の預言のコアは、苦難の神義論である。これは人が苦難にあったとき、それを「神罰」と考える思想だ。罪が大きいほど苛酷な罰を受け、それを償うことによって天国で救済される――という「第二イザヤ」のイノベーションはパウロに受け継がれ、十字架の神学になった。この不合理な教義には何の証拠もないが、不合理であるがゆえに信じる者だけが天国に行ける。

キリスト教は不幸を食い物にする宗教だから、戦争や疫病で多くの人が死ぬ時代に流行する。それは宗教戦争を起こす一方で、教会は病院や避難所になって「マッチポンプ」で信者を増やし、世界で20億人以上の信者を獲得した。キリスト教は弱者へのマーケティングで、歴史上もっとも成功したポピュリズムともいえよう。

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明治維新は「能力主義の革命」だった

天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書)
森友学園の事件は、意外に海外メディアに受けている。「極右の安倍首相が大日本帝国の教育をしている」という物語が、彼らの偏見に合致しているからだろうが、教育勅語は英訳を読めばわかるように、君主の訓話としては控えめである。

そのコアは天皇の正統性を万世一系で根拠づけたことだが、これは明治憲法で初めて公式に使われた言葉で、著者もいうように江戸時代以前にはそんな意識はなかった(タイトルはミスリーディング)。天皇家が「男系」で相続するというルールはなく、「生前退位」はありふれた出来事だった。

500年以上も休眠していたミカドが、1860年代に急に担ぎ出されたのは、明治政府の首脳が卑しい身分の下級武士で、およそ正統性をもっていなかったためだ。伊藤博文や山県有朋は、自分たちの権力を正統化するために世襲を徹底的に否定してペーパーテストによる公務員制度(および大学)を設立し、自分の跡継ぎもつくらなかった。

これは世界的にも珍しく潔癖な能力主義(科挙は当時は形骸化していた)で、日本の歴史上も初めてだった。それが明治維新の本質的な革命だった、と著者はいう。

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韓国のキリスト教は戦争と植民地支配で発展した

韓国とキリスト教 (中公新書)
日本のキリスト教徒は人口の1%に満たないが、韓国では30%近い。キリスト教は戦争や貧困の時期に流行する不幸度の指標だから、韓国人は日本人の30倍不幸なのかもしれない。

イエズス会の宣教師が日本に来たのは16世紀初めだが、彼らが朝鮮半島に渡ったのは1593年、豊臣秀吉の朝鮮侵略(文禄の役)のときだった。これがキリスト教が韓国に伝えられた最初だが、韓国のキリスト教会では不都合な事実として隠されている。

そのあと日本では「隠れキリシタン」として細々と残ったが、人々が飢餓状態にあった李氏朝鮮では、不幸を食い物にするキリスト教が儒教と習合して「東学党」というカルトができた。東学党の乱を契機にした日清戦争で朝鮮半島が戦場になったとき、東学党は弾圧されたが、その信者は激増した。

日露戦争後に朝鮮半島が日本の植民地になってからは、東学党は「天道教」という宗教になって韓国のキリスト教の原型になった。つまり日本では江戸時代の長い平和の中でキリスト教が衰退したのに対して、韓国では戦争と植民地支配でキリスト教が発展したのだ。

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