「一国平和主義」という病気はなぜ生まれたか

ジョージ・F・ケナン回顧録II (中公文庫)
米空母カール・ビンソンが朝鮮近海に出動して緊張が高まっているが、「戦争法案」に反対した野党やマスコミは妙に静かだ。世界に平和主義と呼ばれる思想はあるが、「憲法第9条で日本を守る」という一国平和主義は特殊日本的な病気である。それが生まれた背景には、歴史的な経緯がある。

分かれ目は、1951年の吉田=ダレス会談だった。一般には、朝鮮戦争に直面して日本に再軍備を迫るダレスの要求を吉田が拒否し、アメリカはやむなく日米地位協定(および安保条約)で米軍を駐留させたことになっているが、これは不自然である。まだ占領下だったのだから、日本の実質的な「主権者」だったアメリカが日本に再軍備を強制することはむずかしくなかったはずだ。

ジョージ・ケナンは本書で「1950年春には、講和条約締結後もアメリカ軍を無期限に日本に駐留させることは決定されていた」という。これは6月に始まった朝鮮戦争の前であり、最初から米軍が駐留することは前提で、ダレスは日本が再軍備して日米同盟に参加することを求めた。しかし朝鮮戦争に巻き込まれることを恐れた吉田は、それに反対した。

つまり米軍の駐留か日本の再軍備かという選択ではなく、米軍および再軍備か米軍だけかの選択だったわけだ。当時の判断としては、これはおかしくなかった。米軍の圧倒的な軍事力に比べれば「保安隊」の兵力はわずかなもので、憲法第9条は日本を無力化して、戦前のような脅威になることを防ぐ意味もあった。しかしその後の(ケナンの理論にもとづく)冷戦で、状況は大きく変わった。

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ハル・ノートは「最後通牒」だったのか

ハル・ノートを書いた男―日米開戦外交と「雪」作戦 (文春新書)日本が開戦を決意したきっかけは、1941年11月26日にアメリカ政府から出された日米協定案(ハル・ノート)だといわれている。特にその第3項の撤兵条件が問題だった。
The Government of Japan will withdraw all military, naval, air and police forces from China and from Indo-China.
日本語訳でも「日本の支那及び仏印からの全面撤兵」となっているが、東條英機はそれを「支那全土(満州を含む)からの撤兵」と解釈し、これを「最後通牒」だと考えて戦争を決意した(東京裁判の供述)。パル判事の意見書もそういう解釈で、安倍首相も同じだと思われる。

ところがハル・ノートの原案(11月22日案)では"China (excluding Manchuria)"と明記されていた。外務省(野村大使と東郷外相)もそう解釈しており、アメリカの要求が満州からの撤兵を含まないのなら日本にも受け入れる余地はあった。ところ軍は「満州を含む」という存在しない言葉を挿入して理解し、戦争を決意したのだ。

その原案となったモーゲンソー財務長官の案では"China (boundaries as of 1931) "と書かれており、これは「1931年以降の国境」つまり満州国を除く中国という意味だ。モーゲンソー案を書いたのは財務長官の特別補佐官バリー・ホワイトだが、彼はソ連の工作員と接触していた証拠がある(ヴェノナ文書)。このため「ホワイトがソ連の意を受けて最後通牒を書いて日本を戦争に追い込んだ」という説があるが、本当だろうか。

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戦略的思考の技術

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)
アゴラ経済塾「合理的に考える」では、本書をテキストにして「戦略的な思考」を学ぶ。戦略というのは政治家やコンサルの好きなバズワードだが、本書の戦略はそういう飾りではなく、ゲーム理論である。というと「囚人のジレンマ」を思い浮かべる人が多いと思うが、本書には囚人のジレンマは出てこない。それは本来の意味での戦略的なゲームではないからだ。

囚人のジレンマでは、他人の行動によらずつねに裏切ることが最適な支配戦略なので、カネを借りたら踏み倒すことが合理的で、それを予想するとカネを貸さないことが唯一の均衡状態だ。これは事実に反するので、それを説明するために「繰り返しゲーム」を考えるが、同じ相手と同じ取引を永遠に繰り返すことはありえない。

本書は囚人のジレンマを使わないで、いろいろな状況に対応した戦略を考える。出てくる例は「寓話」だが、大事なことは相手がベストをつくすと考えて自分の戦略を考えることである。「憲法第9条があれば北朝鮮は攻撃してこない」というのは、戦略的な思考ではないのだ。

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カント哲学の奇妙な歪み

カント哲学の奇妙な歪み――『純粋理性批判』を読む (岩波現代全書)
カントは「ドイツ観念論」の元祖とされるが、著者もいうようにこれは奇妙だ。『純粋理性批判』はその逆、つまり世界には物自体しか存在しないという唯物論だからである。彼の目的は観念的な認識論ではなく、ニュートン物理学を正当化する(今でいう)科学哲学だった。

だが、その目的は達成できなかった。すべての人間がこの空間的・時間的な世界を同じように理解できる合理的な理由はないのに、なぜすべての人が一義的に理解しているのか。彼の答は「それは人々が世界を空間と時間という同一の先験的カテゴリーで構成しているからだ」というものだが、これは世界の座標系を座標系で説明する循環論法である。

これは多くの人が批判した問題だが、その答はいまだにない。最近の「思弁的実在論」も袋小路に迷い込んでいる。私はスコラ神学に、そのヒントがあると思う。すべての人々にとって世界が3次元空間と不可逆な時間で構成されているのは偶然だが、そうでないと人間が存在しえないのだ。

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新聞はなぜ満州事変で「大旋回」したのか

昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)
新聞が戦時中に競って戦意昂揚記事を書いたことはよく知られているが、1930年まで「軍縮派」だったことは意外に知られていない。ロンドン軍縮会議で日本が補助艦保有量を対米69.75%に制限されて6月に帰国したとき、新聞はすべてこれを歓迎した。その後の勇ましい論調から考えると奇妙だが、本書によると新聞の論調は二転三転したようだ。

1920年代まで新聞は軍縮派だった。第1次大戦で「戦争はもうこりごりだ」と思った世界の世論は絶対平和主義に傾いたので、日本の新聞もそれに従った。その後、軍部の力が増すと新聞は「艦隊派」に傾き、軍縮会議では「対米7割が最低線だ」という海軍の方針に同調したが、その防衛ラインは会議で破られた。

東京朝日の緒方竹虎は当初は艦隊派だったが、途中から対米7割は無理だとわかると、引っ込みがつかないので「会議を成功させるために7割にこだわるな」という論調に変更し、各社も横並びでこれにならった。それは単なる世論への迎合だったので、翌年満州事変が始まると「大旋回」したのだ。

今のマスコミの「安保反対」には当時の軍縮派ほどの論理もなく、終戦直後の一時的な厭戦気分でつくられた憲法を70年後も守っているだけだ。「第2次朝鮮戦争」が始まったら、1931年のようにマスコミが「大旋回」することは確実である。

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戦争を始めるのは誰か

戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実 (文春新書)
朝鮮半島は危機的な状態で、アメリカのトランプ大統領は単独先制攻撃の可能性を否定していない。しかし先に手を出した側が「戦争を始めた」とはいえない。日米戦争で先制攻撃したのは日本だが、日本政府にも日本軍にも積極的に戦争したい人はいなかった。

他方、ルーズベルト大統領には戦争する十分な動機があった、と本書は多くの証拠をあげる。これは「歴史修正主義」とばかりもいえない。ジョージ・ケナンも、1930年代にルーズベルトが「日本に執拗にいやがらせをした」のは賢明ではなかったと批判している。彼はソ連の承認に反対したが、ルーズベルトはスターリンを信頼していた。

ヒトラーがいなかったら第2次大戦は起こっていなかったが、本書もいうようにチャーチルとルーズベルトがいなかったら起こっていなかったかもしれない。第2次大戦は「民主主義とファシズムの戦いだった」というが、ソ連は民主主義だったのか。日米戦争はどちらにとっても無意味で、勝者はスターリンだったのではないか。

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人類は「共同主観的」な文化で生き残った

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
原著は全世界で200万部も売れたベストセラー。中身は通説のおさらいだが、従来の常識と違うのは、人類を猿から区別するのは言語ではないということだ。食物や危険を伝える記号は、猿ばかりでなくミツバチやアリも持っている。人間の特徴は、トマセロも指摘するように、意図を共有して協力することだ。

類人猿は他の個体の指示する記号に従うことはできるが、共同作業ができない。社会性昆虫は共同作業はできるが、遺伝的に固定された記号しか使えない。それに対して人類は大きな脳で複雑な文を構成し、共同主観的(intersubjective)な神話を共有する文化によって新しい環境に適応できたのだ。

人類のもう一つの特徴は、外界を物体と見ることだ。昆虫の外界に対する感覚は、光や熱やにおいが連続的に分布しているが、人類は解像度の高いレンズで周囲の環境を「不連続な物体の集まり」として知覚する。廣松渉の言葉でいうと、世界を物象化して見ることで共同作業が可能になったのだ。フッサール以降の哲学者が観念的に語ってきた問題を、人類学が実証しつつある。

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ルターの復古主義は「中世の終わり」

プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)
今年は「宗教改革」500周年である。1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルク教会の扉に、カトリック教会の贖宥状(いわゆる免罪符)を批判する「95ヶ条の提題」を釘で打ち付けたことから近代が始まった…と教科書には書かれているが、彼がこの提題を貼り出した形跡はない。ルターがカトリック教会を否定したこともない。

彼らの運動は改良(Reformation)と呼ばれたが、カトリック教会は彼らを「教会に反抗する者」としてプロテスタントと呼んだ。トレルチも指摘したように、ルターの教義は初期教団に回帰する復古主義であり、近代の始まりというより「中世の終わり」と考えたほうがよい。彼のビラが印刷されてこれほど大きな反響を呼んだのは、終わりかけていたローマ教会のヨーロッパ支配に最後の一撃を与えたためだった。

それは日本でいうと、幕末に似ている。「神聖ローマ帝国」の実態はドイツのバラバラな領邦で、その全体を統括する精神的権威はローマ教皇にあった。贖宥状はルターの前から多くの聖職者が批判していたが、その背景にはドイツの俗権とイタリアの教権の対立があった。ルターがローマ教皇を批判するとき、神の代理にすぎない教皇を超える神の権威を利用したのは、長州藩士が徳川家を倒す復古主義に「天皇」を利用したのと似ている。

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「鎌倉仏教」というオリエンタリズム

戦国と宗教 (岩波新書)
日本人の宗教についての理解は、いまだにキリスト教をモデルにしている。浄土真宗や日蓮宗などの「鎌倉仏教」は宗教改革に似ており、それは一向一揆という「市民革命」を生んだが、織田信長につぶされた――というのが従来の理解だが、これは宣教師の報告にもとづく「オリエンタリズム」である。

当時の仏教の主流は、まだ天台宗や真言宗だった。親鸞の「信仰のみによって救われる」という教義がルターに似ていると宣教師は報告したが、実際の真宗は各地の神仏と混合した雑多な信仰だった。それが広まったのは『歎異抄』(16世紀まで知られていなかった)のような高度な教義のおかげではなく、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていれば極楽にいけるという単純な信仰が民衆に受け入れられたからだ。

「一向一揆」という言葉は中世の史料にはなく、本願寺を設立した蓮如も「一向宗」という言葉は使わなかった。本願寺は武士と戦う「反権力」の教団ではなく、いろいろな戦国大名と連携して戦う軍団だった。信長と一向宗の「石山合戦」も後世につくられた物語で、石山という地名は同時代の史料にはない。そもそも宗教と世俗権力の対立という図式がオリエンタリズムであり、信仰の中心は戦国大名だった。

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人間はなぜ合理的に考えるのか

A Natural History of Human Thinking
経済学では、人間が合理的に考えるのは当然で、感情的な行動は「バイアス」だと考えるが、これは非現実的というより完全に倒錯している。感情は霊長類に普遍的にみられるが、理性は人類にしかない特殊な能力だからである。それが進化の過程でなぜ有利だったのかははっきりしないが、その一つの要因は言語による伝達を容易にしたことだろう。

猿は自分で経験したことしか記憶できないが、人間は他人に言語で経験を伝えて協力できる。動物が身振りで伝えられる内容は限られているが、人間は文法的な再帰性(recursiveness)で複雑な知識を表現できるからだ。たとえば「穴があると落ちる」という事実と「落ちると死ぬ」という事実から、「穴に落ちると死ぬ」という知識を組み立てることができる。

このように複雑な知識を互いに伝えることによって、個体としては弱い人間がグループで生き残った。つまり合理的思考そのものより、それによって協力する意図の共有が生存競争で重要だった、というのがトマセロの理論である。

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