憲法はなぜ「捨て身の平和主義」になったのか

9条入門 (「戦後再発見」双書8)
憲法第9条をめぐる果てしない論争の最大の争点は、それが自衛権を放棄しているのかどうかである。その答は常識的に考えると明らかだ。およそ国家がその自然権たる自衛権を放棄することはできないので、日本国憲法も自衛権を放棄しているはずがない。

ところが憲法9条2項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記している。これは素直に読むと、自衛のための戦力も保持しないと解釈するしかない。これは常軌を逸した規定だが、その原因は1946年2月にマッカーサーの書いたメモ(マッカーサー・ノート)にあった。その第2項目には、こう書かれていた。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
憲法草案を起草したケーディスは、これを非現実的と考えて「自己の安全を保持するための手段」という部分を削除しが、吉田首相は第9条は「自衛戦争も放棄したものだ」と答弁した。この捨て身の平和主義が今に至る混乱の原因だが、それは単なる理想主義ではなく、マッカーサーの大統領選挙キャンペーンの一環だった、というのが本書の仮説である。

続きは10月14日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「家」という超血縁集団

世襲の日本史: 「階級社会」はいかに生まれたか (NHK出版新書)
現代の常識では、世襲は悪で、実力主義が善である。リーダーが世襲で決まるのは前近代的な血縁集団で、実力で決まるのが近代的な機能集団だといわれているが、現実にはその優劣はそれほど自明ではない。安倍首相もトヨタ自動車の豊田章男社長も世襲である。二代目が劣っているなら、とっくの昔に選挙や市場で淘汰されたはずだが、そうなっていない。

東アジアの中で、日本は世襲がもっとも長く続いた国である。中国では10世紀ごろから、科挙によって実力主義の官僚制ができたが、それは日本には輸入されなかった。その最大の原因は、同じ時期に日本社会で発達した「家」の原理と相容れなかったからだ、と著者は考える。

古代社会は小さな親族集団の連合体を天皇家を中心とする「氏」としてまとめるしくみだったが、中世以降の「家」は武士を中心とする超血縁的な機能集団だった。 そのリーダーは長男が世襲することになっていたが、男が生まれなければ他の家から養子をとることは珍しくなかった。問題はDNAの連続性ではなく、家の連続性だったのだ。

続きは10月7日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

中国の官僚はなぜ腐敗するのか

腐敗と格差の中国史 (NHK出版新書)
習近平政権では、よく「腐敗の追放」と称して幹部が粛清される。その実態は派閥抗争だが、海外に数千億円の資産をもっているといった桁違いの腐敗が報じられる。中国は伝統的に、と呼ばれるごく一部の特権階級と、と呼ばれる圧倒的多数の民衆の格差社会なのだ。

士は伝統的には世襲の貴族だったが、10世紀ごろから科挙で選ばれた官僚が「士大夫」と呼ばれるようになった。しかし科挙で選ばれるは1万人に一人ぐらいの秀才で、全国を転勤するので、地元のことはわからない。そこで地元で(日本でいうとノンキャリアの)が雇われ、ほとんどの実務は吏がやるようになった。

官には俸給が払われたが、吏は無給だったので民衆から賄賂を取った。中国では腐敗が制度化されたのだ。官の選抜は厳格だったが、吏は官のコネで雇われたので、士大夫に寄生する数万人の宗族(父系の疑似親族集団)ができた。吏は民衆から賄賂を取って一族に分配することが義務になり、腐敗は組織的で大規模になった。続きを読む

中国は「漢字文化」ではない

中国文明の歴史 (講談社現代新書)
中国を語るとき「漢字文化」とか「漢民族の伝統」という言葉で語るが、そういう文化が 2000年前からあったわけではない。漢字は中国にもともとあった言葉ではなく、古代に中国大陸に集まった多くの民族は、それぞれの口語を使っていた。

漢字はそれとはまったく違う、商人の人工的な共通語だった。もとは取引に使う符号だったので単純で、時制も接続語もなく、感情を表わす言葉がほとんどなかった。複雑な概念を表現するため、漢字を組み合わせて新しい漢字をつくったので、どんどん増えて発音もバラバラになった。

その読み方を統一したのが601年に書かれた『切韻』で、これが科挙の試験に採用された。民族にも身分にも関係なく、すべての男子から官僚を登用する科挙は、教育に大きな影響を与えた。初期の科挙は詩をつくる能力を試すだけだったので、漢字を教える学校がたくさんでき、人々は競って漢字を学んだ。

口語も漢字の文法に合わせて再編され、その組み合わせで表現できるようになった。多くの民族の雑多な言語が漢字で統一され、今の中国語の原型となった。漢民族という概念も、漢字によって生まれた。「中国」という概念はもっと新しく、19世紀にできたものだ。

アゴラ読書塾「東アジアを疑う」では、中国や韓国への先入観を見直し、日本人が彼らを理解できるのかどうかを考えたい。

続きは9月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

大学なんか行っても意味はない

大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学
訳本が出たので再掲。訳題には疑問符がついているが、原題は『教育に反対する理由』。大学の私的収益率は高いが、社会的には浪費である。大卒で高い所得を得られるのは学歴のシグナリング効果であり、教育で能力が上がるからではない。したがって学校教育に税金を支出することは正当化できない。

これは経済学の通説に近いが、本書はそれを多くの統計データで検証している。大学教育が役に立たないことは多くの人が知っているが、高校教育も(少なくともそれに投じられる公費以上に)役に立つという証拠がない。初等教育は役に立つが、その私的収益率は高いので、コストは親が払えばよい。

だがこの過激な提言は実現しないだろう、と著者も認める。多くの人が学歴のメリットを知っており、子供への教育投資を増やしているからだ。このため世界中で学歴のインフレが拡大しているが、大学バブルは崩壊しない。この壮大な浪費は、どこの国でも巨額の補助金で支えられているからだ。続きを読む

「東アジア」という幻想

興亡の世界史 大清帝国と中華の混迷 (講談社学術文庫)
韓国との紛争は単なる外交問題ではなく、日韓が価値観を共有できるのかという問題を提起している。 漢字文化圏とか儒教文化圏という通念で語られる「東アジア」は本当に存在するのだろうか。20世紀前半の歴史は、韓国にとっては空白である。1910年の日韓併合は韓国にとっては存在しない。

こういう違いを乗り超えて「東アジア共同体」を建設しようという鳩山由紀夫氏などの構想もあるが、ほとんどの日本人は相手にしていない。かつて「大アジア主義」を唱えて朝鮮半島や中国大陸に出て行った人々は、近代日本の最大の失敗をもたらした。そしていま韓国は日本に「正しい歴史を学べ」と説教している。

こういう対立は新しいものではない。19世紀末に日本が朝鮮半島に出て行ったとき、それは朝鮮にとっても清にとっても驚くべき事件だった。それまで日本は、ほとんど存在さえ意識されない「夷狄」だった。それが急速な成長を遂げただけでなく、ながく世界の中心だった中国に挑戦して勝ったのだ。

この歴史観の違いは、日本人が意識しているより大きい。それは北方の遊牧民族に対抗するために生まれた内陸部の「アジア的」国家と、それとは異質の「非アジア的」国家である日本の衝突だった。明治維新以降の50年足らずで、日本がアジアの「盟主」になったことは、彼らにとって今も受け入れられない歴史である。続きを読む

【再掲】MMTについての超簡単な解説

MMT現代貨幣理論入門
訳本が出たので原著の解説を再掲するが、結論からいうと読む価値はない(Kindleのサンプルで眺めるぐらいで十分)。経済学者のアンケートでも賛成する人は1人もいない。もうMMTは忘れていいと思う。

本書はMMTのほぼ唯一の入門書だが、これは金融理論というより素朴な財政哲学で、数式も統計データも出てこない。その考え方は通貨は税であるというものだ。管理通貨制度では法定通貨(不換紙幣)は商品とリンクされておらず、政府と中央銀行は一体なので、自国通貨はいくらでも発行できる。

政府に徴税能力がある限り国債は通貨でファイナンスできるので、政権が崩壊しない限り政府がデフォルトすることはありえない。自国通貨は税と同じなので、中央銀行は政府と同じだ。統合政府で考えると国債は通貨と同じなので、中央銀行が国債を買い取れば政府債務は相殺できる。

銀行が企業に貸し出すとき、預金を集めて貸し出すわけではなく、貸し出しによって企業の預金が発生し、信用創造が行われる。この内生的貨幣供給説と呼ばれる理論が、本書の唯一の意味のある部分だが、これは新しい話ではなく、資金需給を需要の側からみているだけだ。

MMTが(暗黙のうちに)想定している不均衡状態では、失業がある限り信用創造で需要を創出でき、中央銀行が通貨発行(準備預金の増加)で需要を創出できる。しかし長期的な均衡状態では資金需給が金利で調整されるので、資金が超過供給になると金利が下がって物価が上がる。そういう不均衡を長期にわたって放置すると、取り付けが起こって金融システムが崩壊する。続きを読む

在日の耐えられない軽さ

在日の耐えられない軽さ (中公新書)
日本人の韓国に対する後ろめたさの原因に「在日」がある。 日本が植民地支配で朝鮮人を迫害し、戦後も在日韓国人を差別してきたというイメージが、日本人の罪悪感と韓国人の被害者意識の原因になっている。その典型が著者の妹のように「世界中にいいたい。日本には来るな!」と憎悪をあおる在日だが、こういう意識は昔からあったものではない。

本書はその当事者が、戦前に朝鮮半島から渡ってきた父(鄭然圭)と自分の歴史を自伝風に描いたものだ。 父は若いころプロレタリア作家だったが、朝鮮総督府から「国外追放」されて内地にやってきた。その後は朝鮮人として初めて日本語で小説を書き、「アジア主義」の作家として有名になった。

日本に渡ってきた朝鮮人も「二等国民」であり、内地と同等ではなかったが、彼らにとっては日韓併合は別の意味をもっていた。それは両班とそれ以外の国民の差別をなくし、朝鮮人を「天皇陛下の赤子」として平等にしたのだ。著者の父はそれを拡大して、全アジアを「皇国」として統合すべきだと主張した。

ところが戦後、朝鮮半島に基盤のなかった李承晩政権が「抗日戦争」というフィクションで韓国を統合しようとして、反日思想を国民に植えつけた。それは初期には反共と一体だったが、日本では朝鮮総連が在日を利用して日韓の対立をあおり、在日の参政権を要求する奇妙な運動が出てきた。

著者も指摘するように、在日のハンディキャップは自分で作り出したものだ。彼のように帰化して日本国籍を取得すれば、すべての権利は普通の日本人と同じである。帰化を拒否する論理的な理由は何もない。特別永住資格などという植民地支配の遺制は廃止し、特別永住者には無条件で帰化を認めればいいのだ。

続きは9月2日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

韓国人はなぜ約束を守れないのか

「統一朝鮮」は日本の災難
日本人が韓国人を理解するのはむずかしいが、中国を介して考えると少しは理解できるかもしれない。その歴史を通じて朝鮮半島は中国の属国であり、その文化は中国の亜流だからである。その共通点は、親族を超える中間集団のない古代的な社会が最近まで続いたことだ。李氏朝鮮は、日本でいえば平安時代が19世紀まで続いたようなものだ、と著者はいう。

日本の中世以降は、財産にからむ問題を地域の中間集団(家)で分権的に解決するしくみができたので、市場経済が発展した。中国では国家が財産権を守らなかったので、宗族という擬似親族集団で財産を守った。これは地域を越える数万人の集団で、財産をめぐる紛争を解決する司法機能もあった。

しかし朝鮮には親族を超える中間集団がまったくなかったので、約束を守るメカニズムが育たず、市場経済ができなかった。李朝末期には人口のほぼ半分が両班(公務員)になり、経済力は極端に衰えた。それが北朝鮮では今も続いているが、韓国も本質的には変わらない。日韓基本条約や請求権協定をくつがえす決定を韓国大法院が下すのも、こういう約束を守らない伝統の中では驚くべきことではない。

続きは8月26日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

中国という多民族国家

世界史とつなげて学ぶ 中国全史
香港の問題は混迷を深めているが、これは他人事ではない。中国のGDPは2030年代にアメリカを抜いて世界最大になると予想され、今後は中国との関係が日本の最大の問題になるが、これはアメリカよりはるかに厄介な隣人である。

それが古代から統一された専制国家だったと考えるのは錯覚で、古代国家は城壁で囲まれた都市だった。王朝はローマ帝国のような都市国家連合で、人口のごくわずかしか支配できない「超小さな政府」だった。財産権を守る法律もなかったので、人々は宗族(男系の擬似親族集団)で自分の財産を守った。

「中国」という概念は20世紀にできたもので、それが「漢民族」の国だというのも神話である。古代から中国は、農耕民と遊牧民の戦う多民族国家だった。文明をつくったのは農耕民だが、遊牧民は戦争に強かったので、歴代の王朝には「征服王朝」が多く、農耕民の国家は宋と明ぐらいだった。

日本人にとってヨーロッパがわかりやすいのは、どちらも広い意味の封建社会(中間集団の強い分権的な社会)を通過したからだが、これは世界史の中では例外である。中国では中間集団が宗族しかなく、清代まで古代社会が続いたともいえる。そこにいたのは皇帝と官僚からなるごく少数の「士」と圧倒的多数の「庶」だった。続きを読む






記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
Creative Commons
  • ライブドアブログ