キリスト教は疫病から生まれた

疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1)
新型コロナをめぐる騒ぎで、私を攻撃してくるツイートを見て驚いたのは「インフルエンザには特効薬があるが、新型コロナにはないから怖い」と信じているネトウヨが多いことだ。ウイルス性の感染症に特効薬はない。インフルエンザにもタミフルなどの対症療法しかないから、毎年1000人以上死んでいるのだ。

治療法も予防法もなかった古代には、こういう未知への恐怖はもっと大きかったに違いない。ローマ帝国では西暦165年ごろから疫病が大流行し、帝国の人口の1/4から1/3が死んだと著者は推定する。その病名は不明だが、天然痘か麻疹(はしか)ではないかと考えられている。

疫病は大量死という点では戦争と同じだが、その原因をコントロールできない。戦争は国家によって防げるが、疫病は隔離するしかなかった。細菌もウイルスも目に見えないので、ある人は急に病に倒れ、ある人は生き残るのはなぜか。ローマ帝国の多神教でも合理的な自然哲学でも、その原因は説明できなかった。

こういう状況で、キリスト教は急速に信者を増やした。それは目に見えない神を信じる者だけが天国に行けるという非合理主義だったが、死に意味を与えることはできた。キリスト教徒は他から隔離されて共同生活し、互いに救護したので、結果として免疫ができて生存率が上がったと推定される。このような開かれた共同体が、初期キリスト教会の特徴だった。

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リスク・コミュニケーションの反面教師

「感染症パニック」を防げ!~リスク・コミュニケーション入門~ (光文社新書)
いま話題の岩田健太郎氏の2014年の本だが、新型コロナウイルスの騒ぎで版元が急きょ重版したらしい。彼のキャラクターに興味があったので読んでみたが、中身は常識的だ。リスク・コミュニケーションの一般論としては、「起こりやすさ」 と「起きると大変」をごっちゃにしないという話が大事である。

「起こりやすさ」は確率、「起きると大変」は致死率と考えると、人間の感覚には後者を重視するバイアスがある。特に感染症では、エボラ出血熱のように致死率の高い病気が重視され、インフルエンザのようなありふれた病気は注目されないが、患者にとっては「起こりやすさ」が大事で、日本に存在しないエボラよりインフルのほうがリスクは大きい。

皮肉なのは、今回の「ダイヤモンド・プリンセス」の騒ぎがリスク・コミュニケーションの典型的な失敗例だということだ。まずリスクを正確に見積もることがリスコミの条件だが、彼は船の中に2時間ほどいただけで「ゾーニングがまったくできていない」と事実誤認し、「エボラ出血熱のときより恐ろしい」などと最大級の言葉で厚労省を批判した。

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幻の「70年安保」という危機

佐藤栄作-戦後日本の政治指導者 (中公新書)
アゴラにも書いたように、安倍首相は岸信介より佐藤栄作に似ている。佐藤は兄の岸ほど優秀だったわけではなく、確たる政治信念もなかったが、人事をあやつる手腕は超一流で「人事の佐藤」と呼ばれた。初期には右派の核武装論者とみられたが、政権につくと「社会開発」を重視する左派になった。

そういう佐藤の路線を決めたのは「70年安保」だったと本書はいう。60年安保のように70年安保でも大衆運動で内閣が倒れると考える人は、60年代後半には少なくなかった。ベトナム戦争に協力した佐藤首相は、今の安倍首相よりはるかにダークな悪役で、「ストップ・ザ・サトウ」という変なスローガンで各地に革新自治体が生まれた。

ベトナム反戦運動から始まった学生運動が世界的に大きな盛り上がりをみせ、70年安保は「保守政治の全面的危機」と意識されていた。沖縄の「核抜き本土並み返還」や「非核三原則」などの佐藤の平和主義的な装いは、こうした危機を乗り越える対策だったので、自民党も派閥を超えて協力した。これが佐藤内閣が長期政権になった原因である。

しかし学生運動は1969年の東大安田講堂の攻防戦をピークに退潮し、その年の末の総選挙で自民党は300議席を超える圧勝だった。1970年6月の安保条約の自動延長は何事もなく過ぎたが、そのあと佐藤の求心力は急速に衰えた。凧のように強い逆風で維持されていた政権は、風がやむと落ちていくしかなかったのだ。

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「ステイクホルダー資本主義」の幻想

企業所有論:組織の所有アプローチ
CSR(企業の社会的責任)とかESG(環境・社会・ガバナンス)など、株主以外の利益を投資の指標にするステイクホルダー資本主義は昔からある話だが、うまく行った例は少ない。かつてその手本とされた日本の「労働者管理企業」も幻想だった。

本書は企業だけでなくNPOまで含めた経営形態を比較し、どういうガバナンスが望ましいかを「法と経済学」の立場から論じた古典である。その結論は、ボトルネックになる生産要素をもつステイクホルダーだけにコントロール権を与えることが効率的だということだ。企業の最大のボトルネックは資本設備なので、株主が企業をコントロールし、他の生産要素は契約で調達することが望ましい。

もう一つのボトルネックは人的投資だが、労働組合にもコントロール権を与えて労使交渉で投資を決定する労働者管理企業は失敗することが多い。投資が失敗しても労働組合は責任を負わないので、労働者の利益を優先して資本を浪費するからだ。

こういう無責任なステイクホルダーは、ESGのように「公益」を主張することが多いが、それが本当に公益になるかどうかはわからない。少なくとも日本では、企業がCO2を削減するコストはその利益より大きいので、ESG投資は企業価値を毀損するおそれが強い。将来それがわかったとき投資ファンドは責任を取るのだろうか。

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アベノミクスは「左派」の経済政策

安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか (朝日新書)
安倍首相の政策は、祖父である岸信介の政策によく似ている。その根底に戦前の国家総動員体制があることは、私も何度か指摘したことがある。 この意味で安倍首相の政策を社会主義と呼ぶのは新しい話ではないが、彼が三輪寿壮に強い関心をもっていることは本書で初めて知った。

三輪は岸の大学時代の同窓で、戦前には無産政党の指導者だった。戦後は右派社会党を指導して、左右社会党を統一した。他方で岸は保守合同を実現し、自民党と社会党は政権交代できる二大政党になるはずだったが、三輪は統一直後に死去した。岸はその社会党葬で弔辞を読み、「これで政権を渡す相手がいなくなった」と嘆いたという。

岸の経済政策は、産業政策や社会保障を重視する「大きな政府」だった。国民年金や国民健康保険を国民皆保険にしたのも岸内閣である。安倍首相もそういう社会主義の遺伝子を受け継いでおり、財政・金融を拡大するアベノミクスは、世界的にみると「反緊縮」を主張する左派の経済政策だ。それが長期政権になった原因だが、日本経済の長期停滞の原因でもある。

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人為的温暖化説は「世紀の大ウソ」か

地球温暖化 「CO2犯人説」は世紀の大ウソ
最近は「温暖化懐疑派」を悪の代名詞のように使う人がいるが、科学に懐疑は必要である。特にIPCCのシミュレーションには不確実性が大きく、科学的な疑問も多い。本書はそれを批判する専門家の論文集で、中身はまじめなのだが、きわもの的なタイトルでぶち壊しだ。

丸山茂徳氏が強調するのは「地球の平均気温は1945年ごろから1975年ごろにかけてやや下がった」という事実だが、これはIPCCも認め、第5次評価報告書で「戦後の工業化で大気汚染によるエアロゾルが増えた結果だ」と説明している。次の表で寒冷化をもたらした「他の人為起源強制力」の最大の要因が大気汚染である。

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丸山氏が温暖化の原因だと主張するのは宇宙線による雲の影響だが、これは最近のデータでは逆相関になっている。ただ戎崎俊一氏が指摘するように、雲の寒冷化効果はCO2の温室効果の5倍なので、雲を減らす要因があれば温暖化を説明できる可能性はある。こういう点でIPCCのデータはまだ不十分である。

本書には有馬純氏の「環境原理主義」批判など、もっともな議論もあるのだが、人為的温暖化説を「世紀の大ウソ」と断定するには、肝心の科学的データが弱すぎる。原理主義に対する懐疑派の批判は必要だが、もっと慎重に議論を進めるべきだ。続きを読む

脱・ 私有財産の世紀

ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀: 公正な社会への資本主義と民主主義改革
マルクスが指摘したように私有財産は資本主義の必要条件だが、社会的な浪費と不平等をもたらす。それは財産を所有する者に、利用する権利と同時に独占する権利を認めるからだ。たとえば東京都心に広大な空き地があっても、地主が同意しないと売却できない。

この問題についての答は、論理的には存在する。地主に土地の評価額を自己申告させ、それに応じて資産課税するのだ。たとえば自分の土地の正しい価値を1000万円と評価する人は、売りたくなければ1000万円以上の評価額を申告すればいいが、税は高くなる。評価額を1000万円以下と申告すれば税は低くなるが、正しい価値以下で売らなければならない…と考えると、正しい価値を申告することが合理的になる。

こういう「自己申告土地税」の発想は孫文の時代からあったらしいが、一度も実施されたことはない。政治的に不可能だからである。こういう制度は日本の固定資産税のように税率が低いと機能しないので、高い税率が必要だ。本書は年7%の資産課税を提案しているが、これだと15年で土地が没収されることになる。

続きは2月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)。

地球温暖化は1万2000年前から始まった

人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか (ブルーバックス)
2019年の地球の平均気温は、観測史上2番目だったという。この「観測史上」というのが曲者で、気温が観測され始めた1850年から現在までの170年は、46億年の地球の歴史の中では一瞬である。西暦1000年ごろは今よりも暖かく、グリーンランドはその名の通りグリーンだった。

ではそれより長い地質学的なスケールで見ると、現代はどう位置づけられるのだろうか。そういう研究が正確にできるようになったのは、最近のことである。地層に含まれる炭素の放射性同位元素の量を測定して、その年代の気候が正確に推定できるようになったのだ。

福井県にある水月湖には、そういう年縞と呼ばれる地層がきわめて安定して蓄積されており、過去15万年の気候を推定できる。これは世界的にも珍しいサンプルで、今ではこの分野の世界標準になっているという。次の図が、本書の156~7ページにある水月湖の気候の歴史である。

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この図でわかるのは、地球の気温は氷河期と温暖期を繰り返しているが、今は例外的に温暖な時代だということである。気温の最大の周期は地球の公転軌道の変化で起こるが、その軌道は徐々に楕円から円に近づき、地球は太陽から離れて寒冷化してきた。ところが農耕が始まった1万2000年前から、そのトレンドから飛び離れて温暖化した。地球温暖化は、産業革命以後の出来事ではないのだ。
 
続きは1月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

ゴーンはなぜ「クーデタ」で追放されたのか

日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年 (文春新書)
きのうのゴーン記者会見は、新しい事実が何もなかった。特に彼の主張する「クーデタ」がどう仕組まれたかについての具体的な話がなかった。経産省出身の豊田正和取締役の名前は出たが、「これ以上はレバノン政府に迷惑がかかる」という理由で、政治とのかかわりにはまったくふれなかった。

つまり政治とのかかわりは、なかったということだろう。西川社長が社内政治に検察の介入を求めたのは異例であり、それをクーデタと呼ぶのは間違いではないが、政治がらみの陰謀ではなかった。そういう事態をもたらしたのは、ゴーンが17年にわたって続けた独裁体制だった。

本書はゴーンと日産の歴史を振り返ったものだが、彼が来たとき日産は倒産の一歩手前だった。経営陣は派閥抗争にうつつを抜かし、下請けに天下りするため、だめな下請けを切れない。労働組合をつぶして第二組合をつくったため、その幹部が経営を支配するようになった。

特に自動車労連の会長になった塩路一郎は「日産の天皇」と呼ばれた。このような独裁者を倒す方法は、スキャンダルしかない。塩路は、経営陣がマスコミに売り込んだ女性スキャンダルで失脚した。この手法は、検察を使ったゴーン事件と似ている。

続きは1月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

原子力時代における哲学

原子力時代における哲学 (犀の教室)
福島第一原発事故の直後には、原発で人類が滅びるという類の「現代思想」がにわかに出てきた。 内田樹氏大澤真幸氏は「原子力は人間のコントロールを超えた」と脅し、恐ろしい破局を予言したが、彼らにとっては残念なことに、福島では1人の死者も出なかった。

本書は大島堅一氏の誤った計算にもとづいて「原発は高い」と考えるが、これだけが論拠だと、原発が安かったら使っていいということになる。そこで反原発派の著者は、原発をやめるべき倫理的な根拠をハイデガーに求める。

1955年の「放下」(Gelassenheit)と題した講演で、ハイデガーは「近い将来、地球上のどの箇所にも原子力発電所が建設されうるに至るでしょう」といって、こう警告する。
我々は、この考えることができないほど大きな原子力を、いったいいかなる仕方で制御し、操縦できるのか。そしてまたいかなる仕方で、この途方もないエネルギーがーー戦争行為によらずともーー突如としてどこかある箇所で檻を破って脱出し、いわば「出奔」し、一切を壊滅に陥れるという危険から人類を守ることができるのか。(強調は引用者)
この「出奔」を著者は原発事故と解釈し、ハイデガーが原発事故を予想していたというのだが、1955年には軽水炉の炉心溶融という概念はなかった。おそらくハイデガーは、広島と長崎の原爆の威力を見て漠然と「これだけのエネルギーが発電所でコントロールできなくなったら大爆発が起こる」ぐらいに考えたのだろう。

しかしこれは間違いだった。福島第一原発事故は原子炉の爆発ではないのだ。核反応は制御棒でコントロールできたが、電源が壊れて冷却水が循環しなくなっために燃料棒が過熱し、水蒸気を外気に逃がしたために放射性物質が外気に出ただけだ。その被害は原爆よりはるかに小さい。

この区別は重要である。誤解している人が多いが、核兵器で何万人も死ぬ原因は、放射能ではなく熱核反応である。広島でも長崎でも、放射能だけで死んだ人はほとんどいない。核兵器と原発事故はまったく違うタイプの危険なのだ。続きを読む






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