山本義隆氏のアリストテレス的世界

世界の見方の転換 1 ―― 天文学の復興と天地学の提唱
著者の畢生の3部作の完結編。『磁力と重力の発見』と『十六世紀文化革命』と合計すると3000ページを超える大作で、率直にいって長すぎるが、前2作に比べて考察は深まっている。

おもしろいのは、コペルニクスの地動説は古代的な「アリストテレス的世界」を完全に脱却していなかったという話だ。それは地球中心から太陽中心に座標系を変えただけで、説明力は天動説と大して変わらなかった。それは惑星の軌道は円であると想定していたので、実際の観測データを説明するには複雑な補正が必要だった。

真の意味で古代的な世界像に訣別したのは、ケプラーだったという。彼は惑星の軌道を楕円と考え、天上と地上を一元的に支配する太陽の引力を「動力因」と考える力学的世界像を構築したからだ。アリストテレス以来の自然哲学は、世界のあるべき姿から出発して事実を説明するので、惑星の軌道は(完全な図形である)円でないといけなかったが、ケプラーは初めて、それが「卵形ではないか」と考えたのだ。これが「世界の見方の転換」である。

あとがきで著者は原発を激しく批判するが、原発事故が「人類最大の悲劇」である理由は何も書いてない。福島事故で放射能による健康被害は出ていないので、これは原発ゼロという「あるべき姿」を基準にした予断である。アリストテレスのような「規範的世界観」の呪縛は、かくも強いのだ。

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イギリスという例外

先生も知らない世界史 (日経プレミアシリーズ)
日本人の頭には、いまだにイギリスを世界史の標準と考える発想が残っている。「ピューリタン革命」で近代市民社会をつくり、「産業革命」で資本主義をつくり、「自由貿易」で世界に冠たる帝国を築いた――というのが教科書に載っている標準的な歴史観だが、これらはすべて現在の歴史学ではあやしいとされている。

まず1641年から始まった内乱は「ピューリタン革命」という宗教戦争ではなく、イングランド・スコットランド・アイルランドの三王国戦争と呼んだほうがよいという。このときイングランドは一時的に共和制になったが、1660年から王政復古で元に戻った。最大の変化は、そのあとのクーデタ(名誉革命と呼ばれる)で起こった。

産業革命と呼ぶべき実態がなかったことは、私も『資本主義の正体』で紹介した通りだ。資本主義は大地主(ジェントルマン)による新大陸の奴隷貿易から始まり、大英帝国は植民地からの搾取で成長した。アダム・スミスは、植民地支配を「自由貿易」というスローガンで飾るイデオローグだった。イギリスは世界史の標準ではなく、例外的な成功例だったのだ。

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武士道の精神史

武士道の精神史 (ちくま新書1257)
新渡戸稲造の『武士道』は、アメリカ滞在中に日本語の文献を参照しないで英文で書かれた日本文化論で、「武士道」は彼の造語である。江戸時代以前に武士道という言葉を使った文献はほとんどなく、その元祖とされる『甲陽軍鑑』ではまったく違う意味である。

16世紀に成立した『甲陽軍鑑』は兵法の書であり、武田信玄とその家臣の戦いを記述してその敗因をさぐり、武士の心得を書いたものだ。ここには新渡戸のような精神論はなく、戦争においてどう戦うべきかという具体的な戦時訓が書かれている。

ここでは武士道とは、勇猛果敢に戦う武術のことで、武士をささえるエートスは御恩と奉公だった。これは在地領主として出てきた武士が、主君を中心に戦って領地を守り、戦い取った領地を臣下に与える契約で、一方的な主従関係ではない。戦場では主君が命令するが、平時には臣下が主君に「諫言」することが奨励された。

江戸時代には武士は実務官僚になり、兵法としての武士道は不要になった。「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な『葉隠』は「死の美学」ではなく、18世紀に書かれた「治者」としての武士の心得だ。著者の山本常朝は一度も戦争に出たことがなく、『葉隠』のテーマも佐賀藩・鍋島家の家訓のようなものだった。

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わかっていたはずのシャープの失敗

シャープ「企業敗戦」の深層
かつて「亀山モデル」で世界のブランドになったシャープが、あっけなく破綻した原因は、本書によると簡単である。亀山工場は「時代遅れの垂直統合」だった。それが成功したので、さらに大規模な堺工場をつくったが、世界は「モジュール化」の時代になっていたので、コストが高くなってサムスンとの競争に負けた。

驚くのは、2002年の『モジュール化』が参考文献として引用されていることだ。これは1997年に私が『情報通信革命と日本企業』で提案した概念だから、とっくにわかっていたことだ。これを経営学者が「組み合わせとすり合わせ」というナンセンスな話にすり替えたが、問題の本質はモジュール化ではなく分業構造の変化である。日本の半導体産業がだめになったのは、ファブレスとファウンドリーに専門分化した国際的な水平分業に適応できなかったからだ。

最大の失敗は、2007年に堺工場で生産能力を倍増させたときから、2011年まで地デジの駆け込み需要で液晶テレビの国内売り上げが激増し、その終わった2012年に80%も減ったことだ。これは必要もないのにVHF帯の電波を2011年に止めた総務省にも責任があるが、それも最初からわかっていたことだ。なぜ過剰投資を止められなかったのだろうか?

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土地稀少化と勤勉革命

土地希少化と勤勉革命の比較史―経済史上の近世 (MINERVA人文・社会科学叢書)
日本人の土地生産性は世界一だ。これは江戸時代に過剰人口を消化するために、労働集約的な農業で稀少な土地の生産性を上げた勤勉革命の伝統だと思われる。ここでは「現場」が重視され、土地の利用効率は高いが労働生産性は低く、サラリーマン経営者と労働者の労使共同体を守って株主を犠牲にする。

他方、数百の都市国家が激しい戦争を繰り返していた西洋では、都市の限られた人口を資本集約的な技術で補って稀少な労働を節約する産業革命が起こった。もっとも重要なのは軍事技術で、戦争に勝つという目的に最適化してシステム化する必要があったため、西洋の工場のモデルは軍隊だった。

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日本人の中のアナーキズム

アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男 (筑摩選書)
日本人が「強いリーダー」をきらい、権力の分立を好むアナーキーな傾向は多くの人が指摘しているが、その原因ははっきりしない。本書は柳田国男が若いころクロポトキンの影響を受け、そのアナーキズムを学問的に表現したのが「常民」を中心とする民俗学だったという。

農商務省の官僚だった柳田は、1910年の大逆事件を機にアナーキズムを「表」では語らなくなるが、その民俗学には常民のアナーキーな心情が記録されている。柳田は平民社のメンバーとも交流があり、社会主義に密かに共感していた。その「裏」には、クロポトキンと共通の「相互扶助」への信頼があり、農本主義的な歴史観があったという。

発想はおもしろいが、本書が実証的に論じているのはここまでだ。後半はヘーゲルやフッサールからメイヤスーまで話が脱線し、本筋に戻らない。誤字も多く、飲み屋の与太話を聞かされているような感じだ。肝心の柳田とクロポトキンのつながりを示すのは2本の講演記録だけで、最後は「戦後天皇制はトーテミズムとして完成した」という意味不明な結論で終わる。

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「一国平和主義」という病気はなぜ生まれたか

ジョージ・F・ケナン回顧録II (中公文庫)
米空母カール・ビンソンが朝鮮近海に出動して緊張が高まっているが、「戦争法案」に反対した野党やマスコミは妙に静かだ。世界に平和主義と呼ばれる思想はあるが、「憲法第9条で日本を守る」という一国平和主義は特殊日本的な病気である。それが生まれた背景には、歴史的な経緯がある。

分かれ目は、1951年の吉田=ダレス会談だった。一般には、朝鮮戦争に直面して日本に再軍備を迫るダレスの要求を吉田が拒否し、アメリカはやむなく日米地位協定(および安保条約)で米軍を駐留させたことになっているが、これは不自然である。まだ占領下だったのだから、日本の実質的な「主権者」だったアメリカが日本に再軍備を強制することはむずかしくなかったはずだ。

ジョージ・ケナンは本書で「1950年春には、講和条約締結後もアメリカ軍を無期限に日本に駐留させることは決定されていた」という。これは6月に始まった朝鮮戦争の前であり、最初から米軍が駐留することは前提で、ダレスは日本が再軍備して日米同盟に参加することを求めた。しかし朝鮮戦争に巻き込まれることを恐れた吉田は、それに反対した。続きを読む

ハル・ノートは「最後通牒」だったのか

ハル・ノートを書いた男―日米開戦外交と「雪」作戦 (文春新書)日本が開戦を決意したきっかけは、1941年11月26日にアメリカ政府から出された日米協定案(ハル・ノート)だといわれている。特にその第3項の撤兵条件が問題だった。
The Government of Japan will withdraw all military, naval, air and police forces from China and from Indo-China.
日本語訳でも「日本の支那及び仏印からの全面撤兵」となっているが、東條英機はそれを「支那全土(満州を含む)からの撤兵」と解釈し、これを「最後通牒」だと考えて戦争を決意した(東京裁判の供述)。パル判事の意見書もそういう解釈で、安倍首相も同じだと思われる。

ところがハル・ノートの原案(11月22日案)では"China (excluding Manchuria)"と明記されていた。外務省(野村大使と東郷外相)もそう解釈しており、アメリカの要求が満州からの撤兵を含まないのなら日本にも受け入れる余地はあった。ところ軍は「満州を含む」という存在しない言葉を挿入して理解し、戦争を決意したのだ。

その原案となったモーゲンソー財務長官の案では"China (boundaries as of 1931) "と書かれており、これは「1931年以降の国境」つまり満州国を除く中国という意味だ。モーゲンソー案を書いたのは財務長官の特別補佐官バリー・ホワイトだが、彼はソ連の工作員と接触していた証拠がある(ヴェノナ文書)。このため「ホワイトがソ連の意を受けて最後通牒を書いて日本を戦争に追い込んだ」という説があるが、本当だろうか。

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戦略的思考の技術

戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)
アゴラ経済塾「合理的に考える」では、本書をテキストにして「戦略的な思考」を学ぶ。戦略というのは政治家やコンサルの好きなバズワードだが、本書の戦略はそういう飾りではなく、ゲーム理論である。というと「囚人のジレンマ」を思い浮かべる人が多いと思うが、本書には囚人のジレンマは出てこない。それは本来の意味での戦略的なゲームではないからだ。

囚人のジレンマでは、他人の行動によらずつねに裏切ることが最適な支配戦略なので、カネを借りたら踏み倒すことが合理的で、それを予想するとカネを貸さないことが唯一の均衡状態だ。これは事実に反するので、それを説明するために「繰り返しゲーム」を考えるが、同じ相手と同じ取引を永遠に繰り返すことはありえない。

本書は囚人のジレンマを使わないで、いろいろな状況に対応した戦略を考える。出てくる例は「寓話」だが、大事なことは相手がベストをつくすと考えて自分の戦略を考えることである。「憲法第9条があれば北朝鮮は攻撃してこない」というのは、戦略的な思考ではないのだ。

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カント哲学の奇妙な歪み

カント哲学の奇妙な歪み――『純粋理性批判』を読む (岩波現代全書)
カントは「ドイツ観念論」の元祖とされるが、著者もいうようにこれは奇妙だ。『純粋理性批判』はその逆、つまり世界には物自体しか存在しないという唯物論だからである。彼の目的は観念的な認識論ではなく、ニュートン物理学を正当化する(今でいう)科学哲学だった。

だが、その目的は達成できなかった。すべての人間がこの空間的・時間的な世界を同じように理解できる合理的な理由はないのに、なぜすべての人が一義的に理解しているのか。彼の答は「それは人々が世界を空間と時間という同一の先験的カテゴリーで構成しているからだ」というものだが、これは世界の座標系を座標系で説明する循環論法である。

これは多くの人が批判した問題だが、その答はいまだにない。最近の「思弁的実在論」も袋小路に迷い込んでいる。私はスコラ神学に、そのヒントがあると思う。すべての人々にとって世界が3次元空間と不可逆な時間で構成されているのは偶然だが、そうでないと人間が存在しえないのだ。

続きは4月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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