植民地支配が近代科学を生んだ

A Culture of Growth: The Origins of the Modern Economy (Graz Schumpeter Lectures)
人類の歴史の大部分で世界最高の文明国だった中国で「産業革命」が起こらず、なぜヨーロッパの小国イギリスで起こったのか、というのは歴史の謎である。その一つの要因が近代科学だが、中国の技術的知識はヨーロッパよりはるかに進んでいたのに、それが「科学革命」に結びつかなかったのはなぜだろうか。

それは中国が文明として完成していたからだ、というのが本書の答である。中国の学問は四書五経を解釈することであり、エリートの条件は古典を暗記することだった。論理は重視されたが、その論証の根拠は古典の記述であり、事実で古典を否定することはできなかった。ここではオリジナリティは重視されず、イノベーションには価値がなかった。

ヨーロッパ中世でも最高の知識人は、聖書やアリストテレスを読んだ聖職者だったが、それを変えたのは16世紀以降の植民地支配と戦争だった。特にイギリス人が自国よりはるかに広い新大陸を支配し、多くの異民族を統治するには、古典は役に立たなかった。フランシス・ベーコンは古典より観察や実験にもとづく科学を主張し、それを未知の大陸を発見するコロンブスの航海にたとえた。

続きは8月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

戦後民主主義という偽善

文化防衛論 (ちくま文庫)
戦後73年たっても日本人の中には歴史感覚をめぐる溝があり、そのコアには天皇がある。占領軍は憲法で「菊と刀」を断ち切ることによって、天皇を無力化した。菊(天皇)は刀(武力)と一体で文化的な価値をもちえたのだが、日本人は武装解除されて国民としてのアイデンティティを失った、と三島由紀夫はいう。

こういう喪失感は、今の80代ぐらいにはあるかもしれない(三島が生きていたら93歳だ)が、その下の団塊の世代(70代)は、彼が本書のあとがきで書いている感覚に近いのではないか。三島は戦後25年間を回顧して「その空虚さに今さらながらびっくりする」と書く。
25年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス[細菌]である。こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことに、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである

天皇制は明治期に「発明」された信仰であり、それが戦後民主主義という別の信仰に切り替わることは、日本人にとって大した抵抗はなかった。非武装平和主義は「平和憲法を守って侵略されたら、抵抗しないで死んでもいい」という思想だが、これは三島が指摘するように、天皇のためなら死んでもいいと考える「戦時中の一億玉砕思想に直結する」。戦前の偽善は戦後の偽善に陰画として継承され、定着してしまった。

続きは8月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

終戦をめぐる歴史の「もしも」

暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)きょうは8月15日。歴史にifは無意味だが、きょうぐらいそういうお遊びをしてもいいだろう。本書はポツダム宣言から日本の降伏までの経緯を海外の資料も含めて詳細に検証した研究だが、最後に8項目の「とられなかった道」をあげて、そういう仮定を検討している。
  1. もしもトルーマンが日本の立憲君主制を認める条項を承認したら:ポツダム宣言の原案には日本の立憲君主制を認めるという条件があったが、最終的には削除された。これはトルーマンが拒否したためと思われるが、それがあれば日本の降伏は早まった可能性がある。トルーマンが「無条件降伏」にこだわったのは、日本の降伏を遅らせて原爆を投下するためだったかもしれない。

  2. もしもトルーマンがポツダム宣言にスターリンの署名を求めていたら:ポツダム宣言にソ連が署名するということは、日本がそれを拒否したらソ連が参戦することを意味する。本土決戦はソ連の中立を前提としていたので、この場合は日本の降伏は早まった可能性が高い。

  3. もしも原爆が投下されなかったら:1946年に米軍の出した戦略爆撃調査では「原爆投下やソ連参戦がなくても日本は本土決戦の前に降伏しただろう」と報告しているが、近衛文麿は「原爆が投下されなかったら、少なくとも年末までは続いただろう」と答えている。日本の指導部は敗戦が決定的であることを知っていたが、原爆だけで本土決戦を止められたかどうかは疑わしい。
続きは8月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

進歩的知識人の「転向」と知的誠実

清水幾太郎の覇権と忘却 - メディアと知識人 (中公文庫)
清水幾太郎は丸山眞男の最大の親友で、60年安保をともに闘ったが、その後は交流がなくなった。丸山は「夜店」をたたんで本業の日本政治思想史の研究に専念したが、本業のない清水は「転向」し、右派論壇誌の常連になった。1980年に発表した「核の選択――日本よ国家たれ」で大反響を呼ぶが、進歩的知識人からは縁を切られた。

しかし清水の60年代以降の論文は、それほどおかしなものではない。福田恆存も清水を批判したが、それは「今ごろ何をいっているのか」という批判だった。1954年に福田が「平和論の進め方についての疑問」を発表したときは轟々たる批判を浴びたが、「転向」後の清水の主張はそれとほぼ同じである。

1950年代の知識人は「戦前の日本に戻すな」という素朴な信念で団結したが、それが政治的には間違いだったことに気づいた人は丸山のように沈黙した。清水のように正直な人は「転向」したが、彼はそれなりに知的に誠実だった。その後の論壇を支配したのは、社会党や朝日新聞のように間違いをごまかして「非武装中立」などの嘘をつき続けた人だった。

続きは8月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

社会保険から「福祉サービスの市場」へ

脱ポピュリズム国家 改革を先送りしない真の経済成長戦略へ
日本の財政危機の本質は、社会保障の危機である。ゼロ金利が続く限りハイパーインフレのような形で「財政破綻」することは考えられないが、現役世代から高齢者への所得移転は確実に増える。特に日本で世代間の不公平がひどくなるのは、日本の社会保障の9割が年金・医療などの社会保険で占められているからだ(ヨーロッパは3割)。

社会保障の本来の目的は貧しい人に最低所得を保障することだから、生活保護のような所得再分配でいいのだが、これは受益者が限られるので政治的には人気がない。社会保険はすべての人が受益者になるので、ポピュリズムに結びつきやすい。その結果、大富豪でも年金を受給できる「老人国家」になった。

年金は2030年代前半に年金基金が枯渇するので、支給開始年齢の引き上げは避けられないが、医療と介護は複雑だ。これ以上のコスト増を防ぐには、基礎的な生活保障と高度サービスをわけるしかない。たとえば高度医療を受けたい人も、今は制約のある保険診療か高価な自由診療かの選択を迫られる。両方を組み合わせる混合診療には、医師会が反対している。こういう規制を緩和して、所得の高い人は高いサービスを受けられる「福祉サービスの市場」を創造する必要がある。

続きは8月13日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

ニューディールを生んだ人種差別主義者

Fear Itself: The New Deal and the Origins of Our Time
日本でいう「リベラル」のイメージのもとは「大きな政府を求める平等主義」というアメリカ民主党だが、その原型は1930年代のニューディールである。それはルーズベルトがつくったものと思われているが、必ずしもそうではなく、平等主義でもなかったと本書は論じている。

1930年代のアメリカを支配したのは恐怖だった。大恐慌で資本主義は危機に瀕し、ヨーロッパではファシストが政権を掌握していた。デモクラシーの時代は終わり、独裁的な指導者が経済に介入することが世界の潮流だと思われた。しかし合衆国憲法では、立法は議会の役目であり、彼らは大統領権限の強化に抵抗した。

ルーズベルトはこれに対抗するため、議会と取引した。民主党が圧勝した議会の多数派は、南部の白人だった。彼らは黒人の投票権を制限し、南部を支配していた。大恐慌による農業不況で窮地に陥った彼らは、連邦政府の救済を求めた。ルーズベルトは彼らと組んで社会保障法や最低賃金法を成立させたが、その対象から農業労働者(黒人)を除外し、労働者キャンプでは黒人を分離した。ニューディール立法の中心になった議員は、KKKのメンバーだった。

外交的にもヒトラーと戦うために、ルーズベルトはスターリンと組んだ。そういう「ファウスト的な取引」によって政府が経済に介入し、国民を戦争に動員した結果、ニューディールは大成功を収め、戦後の政治の方向を決めてしまった。

続きは8月6日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

米ソの「短い春」のストップモーション

戦後史の解放II 自主独立とは何か 前編: 敗戦から日本国憲法制定まで (新潮選書)
終戦直後、多くの国民はマッカーサーを解放者として歓迎し、丸山眞男を初めとする知識人は、GHQのつくった憲法を守ることが任務だと考えた。これに対して「押しつけ憲法」を批判する人々は、GHQの検閲で片寄った歴史観が植えつけられたという被害者意識をもっている。本書は国際的な視野から史実を見直し、こういう不毛な対立から戦後史を解放しようという試みだ。

1945年は、国際的な座標軸が大きく転換した過渡期だった。終戦直後にGHQの主導権を握ったGS(民政局)のリベラルは、第2次大戦でともに戦ったソ連を同盟国と考え、社会党を中心とする中道左派内閣で日本を復興させようとしたが、失敗に終わった。スターリンを信用していたルーズベルトの死後、アメリカはソ連を最大の敵とみなすようになり、国務省とマッカーサーの対立が始まった。

この時期にソ連は東ヨーロッパを軍事的に制圧し、チャーチルは1946年3月に「鉄のカーテン」演説で冷戦の開始を宣告した。GHQの中でも保守派のG2(参謀第2部)が主流になったが、日本の知識人は周回遅れで米ソの「平和共存」を夢見ていた。そして旧敵国たる日本を無力化して連合国が共同統治する日本国憲法が起草されたのも、まさに1946年3月である。それは米ソの「短い春」のストップモーション写真のように今も残っている。

続きは8月6日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「保守二党」は可能か

自民党本流と保守本流 保守二党ふたたび
自民党の総裁選挙では岸田文雄氏が不出馬の意向を表明し、石破茂氏との一騎打ちになる公算が大きいが、大勢はほぼ決した。安倍首相が伝統的な保守からリベラルまでカバーしてしまったからだ。自民党には、1950年代の自由党と民主党の流れがある。前者が石橋湛山から宏池会に至る「保守本流」で、後者が岸信介以来の「自民党本流」だと本書はいうが、安倍首相はそれを合流させてしまったのだ。

著者は自民党が割れて「保守二党」になるべきだというが、その対立軸は何だろうか。本書のいうような安全保障は、もう対立にはなりえない。憲法改正も、実質的には大した問題ではない。経済政策では保守本流の「福祉国家」と自民党本流の「財政再建」の対立があったが、これはゼロ金利の時代には争点にならない。岸田氏も石破氏も財政再建論者だと思うが、いま増税を打ち出して選挙には勝てない。

保守二党になる可能性があるとすれば、それは自民党の結党前に戻り、自由党と民主党にわかれるしかないだろう。そのヒントは、石橋の「小日本主義」にあると思う。

続きは7月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

【本日発売】丸山眞男と戦後日本の国体

丸山眞男と戦後日本の国体
はじめに

日本の政治は、なぜここまで壊れてしまったのだろうか。国会が圧倒的多数の与党と無力な野党に二極化し、政策論争がなくなってスキャンダルばかり論じられる昨今、そう思う人は少なくないだろう。自由民主党が「保守党」であることはいいとして、野党は何なのだろうか。彼らの自称する「リベラル」という理念は、日本にあるのだろうか。続きを読む

「異次元緩和」の失敗した単純な原因

金融政策に未来はあるか (岩波新書)今は亡きリフレ派は、このごろ財政拡大派に転向したようだが、彼らが最近よくいうのは「日銀は政府の子会社のようなものだから、統合政府のバランスシートで考えれば日銀が国債をいくら買ってもいい」という話だ。この前半は正しいが、後半は正しくない。その根拠は、本書58ページの次の式でわかる。FTPLで政府と日銀の統合B/Sを考えると、物価は「名目政府債務/実質政府財源」すなわち

   M+B
P= ―――
    S

で決まる。ここでPは長期的な均衡物価水準、Mはマネタリーベース、Bは市中で保有されている国債の評価額、Sは政府の財源(プライマリー黒字の現在価値)である。日銀券も国債も政府債務という点では同じだから、日銀が「買いオペ」でMを増やしても、同じだけBが減るので政府債務(M+B)は変わらず、物価Pは上がらない。これが日銀の「異次元緩和」が失敗した原因である。

黒田総裁は、こんな単純な関係に気づかなかったのだろうか。おそらくそうではないだろう。彼の脳内には、統合政府債務(M+B)が中央銀行のオペレーションで動かせるという伝統的な金融理論があったと思われる。上の式でBは時価なので、日銀が国債を買うと価格が上がり(金利が下がり)、物価Pが上がるのだが、ゼロ金利になるとそれ以上は価格が上がらない。それが今の袋小路である。

続きは7月30日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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