「コミンテルンの謀略」を実現した進歩的知識人

コミンテルンの謀略と日本の敗戦 (PHP新書)
世の中には、いまだに「日本はコミンテルンの謀略に乗せられて日米戦争をやった」という類の陰謀史観がある。本書もその種のトンデモ本だが、1930年代の惨憺たる歴史は、結果としては「日本を社会主義で破壊する」というコミンテルンの謀略が実現したようにみえる。

近衛文麿の側近だった尾崎秀実は、ソ連の工作員だった。「天皇制の打倒」を掲げたコミンテルンの1932年テーゼを実行しようとした日本共産党は弾圧で壊滅したが、日本を「半封建社会」と規定する「2段階革命論」は知識人に大きな影響を与え、それにもとづく講座派マルクス主義が広く支持された。

それはコミンテルンの工作のおかげではなく、当時の知識人が社会主義を支持したからだ。世界恐慌はマルクスの予言が実現したものと思われ、経済危機を解決する手段として総動員体制(戦時共産主義)が、革新官僚にも帝大教授にも受け入れられた。彼らは天皇制打倒や暴力革命といった過激な手段は否定したが、「経済の計画化」は支持したのだ。

続きは6月18日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

エリートの不合理な計画性



日本がなぜ無謀な日米戦争を始めたのかという問題については、山ほど本が書かれている。本書はそれについて従来と違う答を出しているわけではないが、新しい素材を提供している。陸軍の「秋丸機関」と呼ばれる研究機関で、有沢広巳などの経済学者が英米やドイツの戦力を調査し、1941年7月に報告書を出した事実だ。

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「プロパティ」は財産権ではない

ジョン・ロック――神と人間との間 (岩波新書)
ジョン・ロックは退屈である。本の名前は誰でも知っている『統治二論』を最後まで読んだ人は、ほとんどいないだろう。「近代的な財産権の宣言」というイメージとは違う神学的な話が延々と続き、財産権の根拠になっていないからだ。

しかし著者は、それがロックの本質だという。彼のコアにあったのは啓蒙的な個人主義ではなくピューリタニズムであり、世界は「神の作品」だという信仰だった。Propertyという言葉は「所有権」とか「財産権」とか訳されるが、本書によればそれなしには神への義務を果たすことができない固有の権利で、資産だけでなく「生命・健康・自由」を含む。

ロックが「プロパティ」の根拠を労働に求めたのも労働価値説ではなく、神の救いの確証を見出すためだという。財産の格差は勤勉によるものだから、土地の所有権も投下した労働で正当化される。北米に移民したイギリス人が原住民を追い出して開拓した土地は、労働した開拓者のものだ。ロックは明確に植民地支配を肯定している。

続きは6月11日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

奇跡的に無能な日本の経営者

デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論
きのうの記事でも書いたように、日本の低成長の最大の原因は高齢化による労働人口の減少なので、マクロ経済政策では解決できない。金融政策が役に立たないことはもう明らかだが、財政出動も短期的な意味しかない。財政赤字の分だけ総需要は増えるが、それが終われば元の木阿弥だ。

GDPを維持する一つの方法は移民を受け入れて人口を増やすことだが、これは社会保障を混乱させ、一人当たりGDPを上げる役には立たない。女性の労働参加率を高めることは意味があるが、今はかなり高くなったので劇的な効果は期待できない。

労働人口の減る中でGDPを上げるには、労働生産性(労働者一人当たりGDP)を上げるしかない。これは算術的には当たり前だが、具体策ははっきりしない。安倍政権の「生産性革命」も、成果はまるで上がっていない。本書は、日本企業の生産性が上がらない原因は「奇跡的に無能な経営者」を政府が甘やかしてきたからだと指摘する。その原因は次の5つだという。
  1. 株主のガバナンスが弱い
  2. 労働組合の弱体化
  3. インフレがない
  4. 超低金利政策
  5. 輸入がきわめて少ない
続きは6月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

戦争に反対したのは「保守派」だった

近代日本の構造 同盟と格差 (講談社現代新書)
坂野潤治氏の実証的な本は勉強になるが、最近の本は政治的主張が前面に出て理解しがたい。本書も最初のページで「憲法学者の違憲の声を無視した」安倍政権を糾弾し、それは「日英同盟を想起させる」という。歴史学的な新事実があるのかと思って読んでみると、大東亜共栄圏の「大アジア主義」を肯定する荒唐無稽な話で前半が終わる。

後半は民政党の「保守派」に対して無産政党の「格差是正」が対立したという図式で、1930年代の歴史を語る。後者の元祖は「民本主義」をとなえた吉野作造で、蝋山政道や矢部貞治や宮沢俊義など、東京帝大のインテリが無産政党を支持し、大政翼賛会を指導して総力戦体制を構築した。

そこまでは最近の他の研究と似ているが、著者は保守派を批判する。1936年に革新官僚や陸軍統制派を批判した斉藤隆夫の「粛軍演説」も、資本家や地主の負担を減らそうとする既得権擁護だという。この問題を解決したのは戦争と軍拡と徴兵による「総需要拡大」だったが、なんと著者はそれを支持するのだ。

続きは6月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

戦時体制という「ビッグプッシュ」

帝国の昭和 日本の歴史23 (講談社学術文庫)
1930年代の日本政治を「ファシズム」と呼ぶのは間違いである。その出発点になったのは国粋主義ではなく、講座派マルクス主義だった。明治期の日本が「半封建的」な後進国であり、それを近代化するためには、まずブルジョア革命が必要だという「二段階革命」論は、当時の進歩的知識人に共通の歴史認識だった。

彼らは戦争を望んでいたわけではなく、来たるべき戦争にそなえて日本の経済力を結集し、重化学工業化を進めようとした。消費財ばかり生産しても、単純再生産になって資本が蓄積できない。こういう「貧困の罠」を脱却するには、戦時体制で一挙に資本集約化するビッグプッシュが有効だ、というのは今でも開発経済学で有力な理論である。この点で、初期のソ連は成功モデルとされている。

それを国家総動員法で実行したのが、蝋山政道、矢部貞治、宮沢俊義、大河内一男などの東京帝大の知識人で、近衛文麿はその影響を受けて大政翼賛会をつくった。そこには明治以来の権力分立を克服し、国家を計画的に運営するという合理的な目的があり、無産政党が率先して合流した。日本は戦争には負けたがビッグプッシュは成功し、それが戦後の成長の原動力となった。

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原子力開発は1980年代に挫折した

日本の原子力外交 - 資源小国70年の苦闘 (中公叢書)
まもなく日米原子力協定が自動延長される。その条件は日本が余剰プルトニウムを使い切ることだが、六ヶ所村の再処理工場が動くめどが立たない現状では、核燃料サイクルは成り立たない。それでも経産省と電力会社が核燃料サイクルにこだわるのは、日本の原子力開発が高速増殖炉(FBR)を中核として始まったからだ。

アメリカの原子力開発も1970年代までは核燃料サイクルを前提にしていたが、カーター政権がくつがえした。日本もヨーロッパも、これに強く反発した。初期の「核拡散防止」は、米ソ以外の国が核兵器を持てないようにすることだったが、その後、中国が核兵器を開発し、プルトニウムを規制するだけでは拡散を防げない一方、その平和利用に強い制限がかかったからだ。

アメリカの方針は迷走し、世界中がこの方針転換に振り回された。同じころスリーマイル島の原発事故が起こり、アメリカでは67基の原発建設がキャンセルされ、1980年代以降まったく建設されなくなった。将来は火力を代替する超経済的なエネルギーとして期待された原子力は、こうした政治的な原因で挫折したのだ。

他方、日本ではFBRの開発が遅れる一方、それまでのつなぎだった軽水炉の経済性が高かったため、全国の電力会社が軽水炉の建設を進めた。結果的に原子力開発は進んだが、核燃料サイクルは宙に浮いてしまった。1990年代までに「全量再処理」の方針には疑問が出てきたが、日本は方針転換できなかった。

続きは6月4日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

「AIで仕事がなくなる」論のウソ

「AIで仕事がなくなる」論のウソ この先15年の現実的な雇用シフト
AI(人工知能)のブームは、これまで3度あった。第1次ブームは1950年代後半から始まったが、この時期にAIの限界(フレーム問題)が指摘され、それはいまだに解決していない。第2次ブームは1980年代の「第5世代コンピュータ」のころで、自然言語処理が主なテーマだった。私も取材したが、まったく実用的な成果が出ないで終わった。

2000年代後半からが今の第3次ブームだが、本書も指摘するように、AIの限界が「深層学習」で解決したわけではない。本質的な問題は、機械は人間より安いのかということだ。たとえば外食レストランで注文をとって食事を出すロボットができたとしても、そのロボットを時給1000円で借りることができないかぎり、人間の仕事はなくならない。

この点では「AI化」に大した意味はなく、すでに「IT化」でコンピュータにやらせたほうが安い事務作業は、かなり置き換えられている。さらにいえば「グローバル化」で、国内雇用が輸入に置き換わっている。つまりこれまで中国人に奪われていた仕事が今後はコンピュータに奪われるわけだが、その基準はAIの性能ではなく、経済的な比較優位である。

続きは5月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

総動員体制から総力戦体制へ

総力戦のなかの日本政治 (日本近代の歴史)
20世紀は総力戦の時代だった。それは全国民と莫大な資源を長期にわたって総動員する戦争だから、総力戦に生き残ることが国家の最優先の目的になった。デモクラシーや主権国家も、それに適した制度だった。

しかし日本の政治的エリートが、総力戦を意識し始めたのは、1930年代に入ってからだ。それは陸軍では石原莞爾や永田鉄山だが、政府の中枢で国家総動員法を立案したのが、東京帝大法学部教授の矢部貞治である。彼は狂信的なファシストではなく、リベラルな社会民主主義者だった。

矢部は近衛文麿の顧問となって大政翼賛会を指導したが、世界大恐慌による経済危機を克服するには、自由主義や資本主義ではだめだというのが彼の思想だった。ヨーロッパ的な個人主義を超える「協同主義」が必要だというのは、同じく東大の蝋山政道など昭和研究会に集まった当時の知識人のコンセンサスだった。

政府が経済を計画的に管理する体制は日本に固有ではなく、ヒトラーの国家社会主義も、ルーズベルトのニューディールも、総動員体制という点では似ていた。その目的は当初は失業対策や格差是正だったが、次第に軍と一体化し、総力戦体制に変質していった。それは戦争が最強の雇用対策だったからだ。

続きは5月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

財政を再建するシンプルな方法

財政破綻後 危機のシナリオ分析
日銀がインフレ目標を事実上放棄して、リフレ派はいつのまにかいなくなったが、最近、元リフレ派がよくいうのが「政府と日銀を統合バランスシートで考えれば問題ない」という話だ。これは前にも書いたが、理論的には正しい。日銀が国債を買うのは子会社が親会社の社債を買うようなもので、連結の政府債務は増えも減りもしない。

だから元リフレ派は、日銀が国債をすべて買い切って無利子の永久国債にすれば財政再建は完了するというのだが、これは論理的におかしい。連結でみると同じだというなら、日銀が国債を買う必要もなく、財政法を改正して財務省と日銀が合併し、すべての政府債務を日銀の債務(日銀券を含む)に付け替えれば財政再建は完了する。

これは荒唐無稽な話ではなく、本書も(否定的に)紹介するシムズの提案に近い。彼は政府と中央銀行のB/Sを統合し、全体としての債務を政府が管理し、議会が監視すべきだという。政府債務か日銀券かは、本質的な問題ではないのだ。これは経済理論的にもデモクラシーとしても正しいが、彼が見落としている問題がある。

続きは5月28日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。






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