人類はアナーキストだった

The Dawn of Everything: A New History of Humanity (English Edition)
社会をホッブズのように「万人の万人に対する戦い」とみるか、ルソーのように「高貴なる未開人」の堕落とみるかは、人生観の違いだろう。最近は政治史を戦争の歴史として描くフクヤマや、文明を暴力からの脱却として描くピンカーのようなホッブズ派(性悪説)が主流である。

彼らの議論の出発点は、石器時代の人類の最大の死因は殺人だったという考古学のデータである。ホモ・サピエンスは20万年前から戦争を繰り返しており、平均15%が殺されたという。文明を築いたのは、王が多くの民衆を支配する国家だった。

Graeber-Wengrowはこの通説に挑戦し、実証データをもとにして、性善説で人類の歴史を描く。その大部分を占める狩猟採集社会では、戦争は少なかった。他の部族と戦争するより、強い相手から逃げるほうが楽だからだ。戦争が増えたのは定住社会になってからだが、黄河文明にもメソポタミア文明にもインダス文明にも国家はなく、王もいなかった。

合法的な暴力装置というウェーバーの意味での国家は、ヨーロッパのローカルな現象であり、ホモ・サピエンスの歴史の1/100にもならない。暴力の強い国が戦争に勝利し、彼らに都合よく歴史を書いただけで、人類が暴力的な動物だというわけではない。人類は協力する動物であり、国家をきらうアナーキストなのだ。

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日本の「逆タテ社会」はなぜ続いているのか

タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)
中根千枝氏が死去した。本書は110万部以上売れ、"Japanese Society"というタイトルで海外でもベストセラーになったが、日本は「タテの序列が強い階級社会だ」という誤解を広めてしまった。

中根氏ものちに弁明したように、これは逆である。タテ社会というのはタテ割りの小集団の自己完結性が強く、ヨコの連携が弱いという意味で、丸山眞男の「タコツボ」に近い。タテ社会の中の階層関係はむしろ弱く、平等主義的だ。

これを山本七平は逆方向のタテ社会と呼んだ。江戸時代にも大名と家臣の上下関係は弱く、主君だけで意思決定はできなかった。家臣のコンセンサスを踏み超える乱心の殿様や急進的な改革をする殿様は、主君押込によって隠居させられることが珍しくなかった。

こういう構造は一揆と同じで、鎌倉時代からあった。下剋上も戦国時代に特有の現象ではなく、タテ社会の中の序列は流動的だった。江戸時代に身分制度でそれを固定したのも、そうしないと農村の秩序が守れないからだった。

だから一揆と下剋上と押込は本質的には同じで、平等な小集団のリーダーが共同体のコンセンサスを破るとき、部下が「空気」に従わせる運動である。このような王殺しは未開社会によくみられるが、日本社会が珍しいのは、21世紀になっても超民主的な「逆タテ社会」が続いていることだ。それはなぜだろうか。

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コロナの「例外状態」はいつまで続くのか

政治神学 主権の学説についての四章(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)
11月24日の東京のコロナ感染者は5人。もはやゼロコロナといってもいい状況だが、政府は行動制限を解かない。このように人権を侵害する状況は、近代国家の例外状態である。

本書は20世紀の古典の新訳だが、冒頭の「主権者とは例外状態について決定をくだす者をいう」という言葉は、法学部の卒業生なら誰でも知っているだろう(そこしか読まなかった学生も多いと思う)。

コロナは最初、例外だった。移動の自由を制限するロックダウンは、近代国家の根本的な人権をおかすものだ、とアガンベンは警告したが、それはなし崩しに世界に広がり、例外は日常になってしまった。

移動の自由は近代国家のコアである。その原型となった都市国家は、権利を侵害する国や税金の高い国から移動するexitの権利が保障されていたから、競争が機能した。移動の自由を国家が制限するロックダウンや緊急事態宣言は、近代国家を規律づける原理を国家が否定するものだ。

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主権国家から都市国家へ

劣化国家
日本の「江戸時代システム」が行き詰まっていることは明らかだが、それに代わるシステムはあるだろうか。ファーガソンは近代国家は軍事機能を縮小し、人口1000万人以上のメガシティを中心とする都市国家に戻るべきだという。

国家の形態として、もっとも効率的なのは都市国家である。世界の一人あたりGDPの上位にもルクセンブルク、香港、シンガポールなどの都市国家が並んでいる。それは軍事的には主権国家に勝てなかったが、現代の戦争においては地上戦は大した問題ではない。

日本は日米同盟でアメリカに国防を「外注」しているので、少なくとも大都市は都市国家としてやっていけるだろう。都市国家に議会は必要ない。シンガポールのように選挙で選ばれた独裁的な市長が決定し、それがいやな人はexitして他の都市に行けばいいので、制度間競争で効率的な都市が生き残る。

もう一つの解は、全員が同じ都市にずっといることを前提にして、民主的なvoiceで意思決定することだ。Rosenthal-Wongによると、これが中世の都市国家のガバナンスだった。これは交渉問題が発生するので効率が悪いが、だめな国家は戦争で負けるので、結果的にはexitが機能した。

日本の幕藩体制は都市国家に似ているが、その戦争を禁止し、武士も農民も藩という「家」にしばりつけた点で世界史上に例をみない。これは対外的な戦争には弱いが、幸運なことに250年間、戦争が起こらなかったので、この「家」が日本人の脳内に文化的遺伝子として刷り込まれたのではないか。

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「ステイクホルダー資本主義」はみんなを幸せにするのか

The Theory of Corporate Finance
岸田政権の「新しい資本主義」が何を意味するのかよくわからないが、新しい資本主義実現会議の資料を読むと、少なくとも事務局はこれをステイクホルダー資本主義と理解しているようだ。

この資料は内閣府審議官の新原浩朗氏(元経産省産業政策局長)が書いたといわれる。ここでは首相の意図を忖度し、2001年のティロールの論文が「企業は株主価値を最大化するものという伝統的な考え方に対して、ステークホルダー全体を考慮すべきとの考え方を提示」していると書いている。

これだと経済学は株主の利益しか考えない偏狭な学問みたいだが、これは誤りである。このティロールの教科書(2006年)を読めばわかるように、経営インセンティブ理論の目的は、もともと経営者や労働者を含む全ステイクホルダーの利益の最大化である。

しかし全員の同意で意思決定する企業が、全員の利益を最大化するとは限らない。それは次のような欠陥があるからだ。

 ・利益の配分を契約で決められない
 ・意思決定が行き詰まる
 ・経営陣に明確な目的がない

これに対して株主がすべて決める株主資本主義はバイアスがあるが、GAFAMやソフトバンクやユニクロのように、最近はステイクホルダー型より高いパフォーマンスを上げている。それはなぜだろうか?

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日本で「納税者の党」は可能か

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
10年前は二大政党ができるかと思われた日本の政治はどんどん劣化し、立民党は55年体制のような「1.5党体制」に戻ろうとしているようにみえる。それに対して一時期は二大政党ができた戦前の政治は、まだましだった。

日本は明治時代にヨーロッパから立憲君主制を輸入したが、それがどう機能しているのかよくわからなかったので、帝国議会には立法権もなく、内閣も組閣できなかった。この結果、議会の争点は政策論争ではなく、議員の腐敗やスキャンダルを暴くことになり、政党は政策集団としては機能しなかった。

これに対して伊藤博文は、官吏とともに国家のために政策を立案する「吏党」として立憲政友会をつくり、それに対して自由民権運動は民政党という「民党」に結集し、政権交代も行なわれた。1927年に浜口雄幸の結成した立憲民政党の理念は「議会中心、軍縮、健全財政」であり、彼らの集票基盤は地主や財閥などの高額納税者だった。

政友会が「税金を使う党」だとすると、民政党は納税者の党だった。超高齢化社会になった日本にも必要なのは、社会保障を負担するサラリーマンの党だが、それは可能だろうか。

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明治維新は「居抜き」の革命

愛国・革命・民主:日本史から世界を考える (筑摩選書)
今が江戸時代の後期だとすると、衰退は200年ぐらい続くことになる。平和でゆるやかに衰退するのも悪くないと思うが、若い世代には耐えられないだろう。かつてそれを変えたのは明治維新だったが、それはいったいどのようにして成功したのだろうか。

私の学生のころは、明治維新は将軍の代わりに天皇が君主になった「上からの革命」だったので本物ではないと教えられたが、300の藩を廃止して統一国家にし、身分制度をやめて支配階級だった武士はほとんど失業したのだから大きな革命だった。

しかし革命のやり方は大衆蜂起ではなく、宮廷革命だった。当時の武士は人口の10%程度の特権階級で、その中で徳川藩から長州藩などに権力を移すだけというのが当初の多くの武士の了解だったので、大した変化だとは思われていなかった。むしろ最初は「攘夷」というナショナリズムが前面に出ていた。

ところが攘夷をやろうとすると、相手が強すぎて歯が立たない。ここで普通なら路線論争とか内紛が起こりそうなものだが、もともと目的がはっきりしていないので、攘夷を捨てて尊皇だけで行こうという西郷隆盛の合従連衡策にみんな乗ってしまう。

天皇が日本の正統的な君主であるということは、武士はみんな勉強して知っていたので、大政奉還には反対できない。最大の分かれ目は江戸城の明け渡しだったが、これも西郷隆盛と勝海舟の話し合いで無血開城してしまう。中国では王朝が代わるごとに前の王朝の宮廷を焼き払ったが、明治政府は江戸城を居抜きで譲り受けて皇居にしてしまった。ここに現代にも通じる秘訣がある。

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文明としての江戸システム

文明としての江戸システム 日本の歴史19 (講談社学術文庫)最近つくづく日本は「江戸時代化」していると思う。平和が長く続き、人口が減少し、経済が停滞する。本書の推計によれば、1600年には1200万人程度だった日本の人口は、1721年には3100万人に増えたが、そのあと人口増は止まり、1846年には3200万人にしかなっていない。

前半の人口増と急成長の原因は、市場経済化だった。この最大の原因は、15世紀後半から続いた戦乱が収まり、平和が実現したことだ。この時代に勤勉革命のエートスが形成され、労働集約的な技術で農業生産性も上がった。この時期に、4~5人の家族による小農経営が定着し、「家」が農村の単位になった。

これに対して、後半ピタっと人口増も成長も止まった一つの原因は、間引きだったと推定される。人口爆発によって農地が不足したため、堕胎や「子返し」と呼ばれる嬰児殺しが、なかば公然と行なわれた。「姥捨て」は深沢七郎の小説の世界で、口減らしのために現実に行なわれたのは子殺しだったのだ。

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一揆のリゾームから家のツリーへ

武士とはなにか 中世の王権を読み解く (角川ソフィア文庫)
日本社会には、古代から一貫して小規模な集団を超える権力を拒否する日本的アナーキズムともいうべき傾向がみられる。その一部は小集団を守る遺伝的な集団主義(利他主義)かもしれないが、大部分は日本人の文化的遺伝子だろう。

古代には、律令制でも荘園でも農民は自律的な集団ではなく、領主の提供する土地や農業技術なしで生活することはできなかった。それが中世から自律性が高まり、「加持子」と呼ばれる余剰農産物を地元に貯蔵できるようになった。

このとき荘園領主と戦って農作物を守ったのが初期の一揆だが、土地の所有権は明確なものではなかったので、一つの土地を複数の領主が支配するリゾーム的な支配構造になっていたと著者はいう。

このように所有権の重複している状態は「職(しき)の体系」と呼ばれる。経済学でいうとアンチコモンズだが、この状態は不安定で、紛争が起こりやすい。農民は村(惣村)を結成し、土地を支配する領主と戦った。リゾームには特定の支配者や指導者はなく、初期に「一味同心」を団結させたのは神仏だった。

それに対して、神仏の代わりに武士が一揆の支配者になったのが戦国大名だった。ここでは領主によるツリー状の「家」ができた。それは命令系統が確立していたので戦争に適しており、一向一揆や島原の乱などを通じて、ボトムアップのリゾームからトップダウンの家が主流になった。

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「百姓一揆」型野党はなぜ政権をとれないのか

一向一揆と石山合戦 (戦争の日本史 14)立民党の敗北は、55年体制から続いてきた万年野党の終わりを象徴している。このように最初から権力を取る気がなく文句をつけるだけの百姓一揆モデルは日本の伝統だが、それをあまりネガティブに評価するのもよくない。

かつて石山本願寺の合戦は織田信長に対する農民反乱とされ、丸山眞男は一向一揆を「古層」を超える普遍的な価値に依拠して民衆が結束した政治運動だったと高く評価した。彼は身分や財産の違いを超えて阿弥陀如来への信仰のみによって救われると教える親鸞の「絶対他力」の思想をカルヴァンの予定説に比した。

しかし最近ではそういうロマンティックな見方はなくなった。本願寺は寺領という荘園の領主だったが、不輸・不入の権をもっており、全国統一をめざす信長にとっては、他の戦国大名と同じ敵だった。合戦が始まったころ「石山」という地名はなく「一向宗」という宗派もなかった。「一向一揆」という呼び名は、江戸時代にできたものだ。

初期の一揆は「一致」という意味の普通名詞だったが、そこには血縁や地縁を超えた新しいタイプの「縁」があった。地方から出てきて大坂に集まった都市住民には、阿弥陀仏への信仰以外に彼らを結びつけるものがなかったのだ。戦国大名が地縁に支えられた自民党のようなものだとすれば、本願寺は「無縁」の民の築いた都市国家だった。

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