韓国のキリスト教は戦争と植民地支配で発展した

韓国とキリスト教 (中公新書)
日本のキリスト教徒は人口の1%に満たないが、韓国では30%近い。キリスト教は戦争や貧困の時期に流行する不幸度の指標だから、韓国人は日本人の30倍不幸なのかもしれない。

イエズス会の宣教師が日本に来たのは16世紀初めだが、彼らが朝鮮半島に渡ったのは1593年、豊臣秀吉の朝鮮侵略(文禄の役)のときだった。これがキリスト教が韓国に伝えられた最初だが、韓国のキリスト教会では不都合な事実として隠されている。

そのあと日本では「隠れキリシタン」として細々と残ったが、人々が飢餓状態にあった李氏朝鮮では、不幸を食い物にするキリスト教が儒教と習合して「東学党」というカルトができた。東学党の乱を契機にした日清戦争で朝鮮半島が戦場になったとき、東学党は弾圧されたが、その信者は激増した。

日露戦争後に朝鮮半島が日本の植民地になってからは、東学党は「天道教」という宗教になって韓国のキリスト教の原型になった。つまり日本では江戸時代の長い平和の中でキリスト教が衰退したのに対して、韓国では戦争と植民地支配でキリスト教が発展したのだ。

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明治維新は「尊王攘夷」の革命だったのか

西郷隆盛と明治維新 (講談社現代新書)
吉田松陰の唱えた尊王攘夷は、草莽崛起(民衆蜂起)をめざすポピュリズムだった。明治維新は松蔭の思想を受け継いだ「勤王の志士」による革命だったというのが司馬遼太郎の流布した英雄史観だが、明治政府の中に勤王の志士はほとんどいなかった。主な志士は暗殺(あるいは刑死)されてしまったからだ。

生き残った指導者のうち伊藤博文は松蔭の弟子だが、「攘夷」は早い時期に捨てた。「尊王」は残ったが、これは革命思想とはいえない。水戸家の徳川慶喜が「大政奉還」したのは尊王思想によるもので、彼こそ会沢正志斎に学んだ水戸学の本流だった。

ポピュリズムが革命の動力にはなるにはカリスマが必要だが、革命が成功すると、ロベスピエールやレーニンのような指導者は暴走することが多い。明治維新が「ソフトランディング」して普通の政権になったのは、世界史でも珍しい。著者(坂野潤治氏)はその成功の原因を西郷隆盛に求めているが、彼があげた8人の「有志」には松陰は入っていなかった。

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自由な移民と福祉国家は両立しない

移民の経済学
トランプ大統領の入国禁止騒ぎで、移民問題があらためて議論されている。これについてリベラルは「多文化の共生」、保守は「ナショナルアイデンティティ」と答は決まっているが、上野千鶴子氏が移民に反対したのに対して、北田暁大氏が「移民を受け入れないと経済成長できない」と批判している。

これは両方とも誤りである。移民がすべて有害だとはいえないが、それで経済成長する理由もない。財界の「毎年20万人の移民受け入れで成長する」というのも錯覚だ。途上国から大量に単純労働者が入ってくると、労働生産性も成長率も下がる。労働市場が硬直的なままでは、移民で「人手不足」は解消できず、ドイツのように社会不安が広がるだけだ。

最大の問題は、社会保障である。ミルトン・フリードマンは「自由な移民と福祉国家が両立しないことは明らかだ」と述べた。労働者が全世界に移動できれば、社会保険料を負担しないで生活保護などを受給し、社会保障が食い逃げできるからだ。これは移民を否定しているのではなく、政府に依存した社会保障は自由経済と両立しないという意味である。

他方、労働人口が世界に移動すると、労働需給のミスマッチが解消されるので、すべての国で所得が上がって世界の分配は平等化する。その効果を本書は全世界で50兆円とも150兆円とも推定しているが、日本からみるとどうだろうか。

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子供に「強制的な教育」はいらない

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)
義務教育は英語でcompulsory education、つまり「強制的な教育」である。憲法26条では「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」と定めているので、親が子供に教育を受けさせるのは義務だが、子供が教育を受ける義務はない。彼らが画一的な学校教育を強制されていることが、学校の荒れる原因である。

それが必要かというのは昔からある疑問で、普通は「初等教育には外部性がある」といった理由で無償の義務教育が正当化されるが、実証的には支持されていない。本書はそれを一歩進め、強制的な学校教育を否定するものだ。原著は1971年だが、今その有効性は高まっている。ITの発達した現代で、子供を教室に集めて同じことを教え込む必要はない。

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トロツキーが破滅させた革命

レーニンとは何だったか
ロシア革命についての最近の研究で印象的なのは、レーニンの影が薄いことだ。革命の中でボリシェヴィキが出てくるのは最後の最後であり、彼らが政権を取れたのはケレンスキーが彼らを軽視していたからだ。ボリシェヴィキの中でもレーニンが武装蜂起を指導したことはなく、彼は演説のへたな引っ込み思案の陰謀家だった。10月革命がポピュリズムの革命だったとすれば、その主人公はトロツキーだったのだ。

しかし革命が暴走した原因も、トロツキーだった。革命の最大の山場は政権奪取後の内戦だったが、トロツキーが赤軍のモデルにしたのはパリ・コミューンではなく、絶対君主の常備軍であり、彼の教科書はマルクスではなくクラウゼヴィッツだった。「チェスをするときマルクスにヒントを得る者はいない。いわんや戦争をする際にマルクスを参照しても始まらない」と彼はいった。

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時間はなぜ未来から過去へ流れないのか

確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決
安倍政権は去年「未来への投資を実現する経済対策」を閣議決定したが、「過去への投資」はあるのだろうか。首相官邸のスタッフと、サンクコストを再稼動の費用に計上する反原発派の脳内には、あるのかもしれない。原発の建設工事を完全に逆転できるならすべて可変費用になり、東芝の経営危機は簡単に解決できる。

それは冗談だが、物理学では時間は逆転できる。たとえば落体の法則は、落下距離をv、重力の加速度をg、時間をtとすると、v=½gt2だが、この式はtをマイナスにしても成り立つ。ボールが落ちるビデオを逆転しても、そのボールは古典力学の法則に従っているのだ。それは量子力学でも同じで、シュレーディンガー方程式は時間について対称である。

ではなぜ日常生活では、時間は未来から過去へ流れないのだろうか。わからない、というのが物理学の標準的な答である。これは直観に反するので「時間の矢」が本質的だと考えたのが、プリゴジンの非平衡系の熱力学だが、それも古典力学の特殊な場合だった。よくある反論が「熱力学の第2法則では時間は不可逆だ」という話だが、それは違うのだ。

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大学の誕生と死

大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)
現在の大学は、ウォーラーステインも指摘するように中世のuniversityとは無関係だ。それはuniversalとも無関係で、uniは「学生が一つの組合で職業知識を得る専門学校」という意味だったが、そのうち教師のギルドになり、中世が終わると消え去った。

19世紀のドイツでできた大学は、これを名前だけ継承した新しい教育機関で、英米の亡びかけていた神学校も、ドイツ的な教養主義に転向して生き残った。日本の高等教育は、明治初期は語学中心の専門学校の時代だったが、次第に官吏養成機関である帝国大学を中心とするドイツ型になった。

戦時体制で帝大を頂点とする大学中心の学制に変更され、ドイツ的教養主義が戦後も続いているため、日本の大学は実務的な知識をほとんど教えない。世界的に「大学バブル」が問題になり、ユニバーシティからカレッジへの転換が進んでいる。日本も明治期のように多様な専門学校を育てる必要がある。

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「徳川幕府」は平和ボケで自壊した

東アジアの王権と思想 増補新装版
日本の「保守派」に特有の錯覚は、明治時代の制度や文化を「日本古来の伝統」として美化することだ。彼らにとっては、靖国神社に代表される「国体」を復古し、「幕府」を倒して天皇を本来の地位に戻したのが明治維新だということになっている。

しかし幕府というのは、徳川家の使った言葉ではない。「鎌倉幕府」も「室町幕府」も、当時の名称ではなかった。それは後期水戸学(藤田幽谷)が、主権者たる天皇の任命した将軍が天皇の地位を簒奪した、という彼らの倒錯した歴史観を正当化するために使い始めた蔑称である。

だから「勤王の志士」が維新を実現したというのも司馬遼太郎のお話で、徳川政治体制は構造的に自壊したのだ。その原因は尊王でも攘夷でもなく、250年の天下泰平の中で武士に浸透した「平和ボケ」だった。

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「万世一系のイギリス国王」を否定したジョン・ロック

完訳 統治二論 (岩波文庫)財産権の元祖ロックの話をしたついでに、彼のpropertyについて少し書いておこう。彼の『統治二論』を知らない人は少ないと思うが、読んだ人はもっと少ないだろう。彼が本書を書いた動機は、よく誤解されるように名誉革命の正当化ではなく、革命で権力を取った王党派の王権神授説の批判だった。

その代表が、フィルマー卿と呼ばれる(今ではロックに論破された人物としてのみ歴史に残る)貴族だった。彼は「神はエデンの園でアダムに王権を与えたので、その権限が長子相続でイギリス国王に受け継がれた」という「万世一系のイギリス国王」説を主張した。バートランド・ラッセルはこう皮肉った。
政治的権力がいかなるやり方においても、子供に対する親の権力と同等に考えるべきだ、といった考えは、日本以外にいるどのような現代人にも思い浮かばないであろう。確かに日本においては、フィルマーの言説ときわめて類似した説が今なお抱かれており、それはすべての教授や学校教師によって教えられねばならないとされている。(『西洋哲学史』p.612)

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ヒトラーは「左翼ポピュリスト」だった

新訳 ヒトラーとは何か
トランプ大統領の入国禁止令は世界に大混乱を引き起こしているが、彼は公約を実行しているだけだ。この一貫性は、不気味なほどヒトラーに似ている。ドイツ人の「生存圏」を東欧に拡大する計画も、ユダヤ人の「除去」計画も、1926年の『わが闘争』で予告されていた。

ヒトラーを「極右」とか「ファシスト」と分類するのは誤りだ、と本書はいう。右翼を「保守反動」とするなら、彼はその反対の革命家だった。ファシストは特権階級の既得権を守るが、ヒトラーは特権階級を攻撃した。ナチは「労働者の味方」と自称する社会主義的な左翼であり、その手法は大衆の支持を得てエリートを打倒するポピュリズムだった。

彼らの共通点は、敵が明確なことだ。それはヒトラーの場合はユダヤ人であり、トランプの場合はメキシコ人だが、味方は誰なのかはっきりしない。ヒトラーの場合には「アーリア人」という奇妙な概念があったが、トランプにはそれさえない(たぶん「白人」だが、さすがに口に出せない)。ヒトラーの「すべてに冠たるドイツ」はトランプの「アメリカ・ファースト」に似ているが、それは石原慎太郎氏を敵とする小池知事の「都民ファースト」とほとんど同じだ。

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