自衛隊は「日陰者」のままで戦ってくれるのか

誰も知らない憲法9条 (新潮新書)
著者の提唱した「今の憲法に自衛隊を書き加える」という憲法改正案が、安倍首相案の原型になったらしい。元自衛官の著者がこんな微修正を提案するのは意外だが、その理由は自民党がどこまで本気なのか、はっきりしないからだ。安倍首相は積極的だが、政権の足元がふらついてきた。彼以外の自民党「ハト派」は池田勇人以来、改正をまじめに検討したことがない。

おかげで国民の意識の中に、深刻な「ねじれ」ができてしまった。野党も自衛隊を認める一方で、学校の教科書ではいまだに「自衛隊は憲法違反だ」と教えている。こういう教育を受けた子供は自衛隊を敵視し、自衛官の子を「人殺しの子供」と呼ぶ。

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「日本の奇蹟」をもたらした<システム>

日本 権力構造の謎〈上〉
本書が出たのは1989年。「日本はなぜこんなに強力なのか」という謎を解き明かす「日本特殊論」(revisionism)の代表として世界的ベストセラーになり、翌年に日本語訳も出た。著者は日本に住むオランダ人で、当時は日本のマスコミにもよく出ていた。今はすっかり忘れ去られたが、本書はいま読んでも荒唐無稽な感じはない。

最近の加計学園や防衛省の騒ぎをみても、日本を動かしているのは国会や内閣ではなく、顔のない<システム>だという本書の指摘は今も当てはまる。その中身は東大法学部を頂点とする学歴エリートだという話は陳腐だが、残念ながら変わらない。

おもしろいのは、かつて「日本の奇蹟」を説明した本が、そのまま日本の失敗を説明するのに使えることだ。<システム>には中心がないが、かつてのように「成長という合意」があったときは官民協調で環境の変化に柔軟に対応できた。それは著者も指摘するように江戸時代から続く「抱き込みの包囲網」だが、そこには致命的な盲点があった。

続きは7月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

アベノミクスが甘やかした日本経済

「西洋」の終わり 世界の繁栄を取り戻すために
著者ビル・エモットはバブル絶頂期のEconomist東京支局長だったが、『日はまた沈む』という本でバブル崩壊を予想し、本誌の編集長になった。そこまではよかったが、そのあと彼が何度「日はまた昇る」と予言しても、日本は彼が東京にいたころのようなスーパースターには戻れなかった。

本書の第7章「日本という謎」では、その原因を90年代の不良債権処理から続いてきた財政・金融政策による企業の過保護に求める。日本の政府債務は、純債務でみるとGDPの130%ぐらいなので、ゼロ金利が続く限り財政が破綻するリスクは切迫していないが、最大のリスクはそれが破綻しないことだ。アベノミクスは収益の上がらない企業を甘やかし、改革を先送りしたため、日本の最大の病である「硬直性」が強まってしまった。

この診断は平凡だが、処方箋も単純である。チャーチルは「アメリカ人はつねに正しいことをする――他のすべての選択肢が尽きたときには」と言ったが、同じことは日本人にもいえる。政治家が企業を甘やかすのをやめたとき、彼らは初めて正しいことをするだろう。そして幸か不幸か、甘やかす財源は尽き始めている。

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失敗の法則:日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか

失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という。これはプロ野球の野村克也元監督の言葉として知られているが、もとは江戸時代の大名、松浦静山の剣術書である。勝つときは偶然勝つこともあるが、負けるときは必ず理由があるという意味だ。
 
ビジネススクールの授業やビジネス本には「不思議の勝ち」を説明する結果論が多い。たとえばコイン投げのギャンブルで、あなたが表だけに賭けて30回続けて勝つ確率は10億分の1だが、そのとき「コイン投げで勝つ秘訣は何ですか?」ときかれたら、あなたは「表に賭けることです」と答えるだろう。
 
こういう錯覚を「生存バイアス」と呼ぶ。どんなゲームにも(偶然で)勝ち続ける人は少数いるので、その原因を結果論で説明しても、大して役には立たない。それに対して、負ける人は多いので、その原因を分析することは意味がある。一つ一つはつまらない失敗でも、集めると法則性が見えてくる。続きを読む

なぜ「お家」は命より大事だったのか

現代語訳 武士道 (ちくま新書)
『武士道』ほど誤解されてきた本も少ない。それはアメリカ人に「日本の道徳体系」を説明するために英文で書かれたので、日本人が読むと首をかしげる話が多い。武士道という言葉の出典をきかれて、新渡戸稲造は「わからない。私の造語かもしれない」と答えたという。

彼の執筆動機は「日本人は宗教なしで、どうやって道徳を教えるのか?」というアメリカ人の質問だったが、彼は『甲陽軍鑑』も『葉隠』も読んでいなかった。出典は歌舞伎や浄瑠璃などのフィクションなので、武士道が存在した証拠にはならないが、明治期の日本人の主観的な日本文化論としてはおもしろい。

新渡戸の美化したサムライの価値基準は「お家」だった。それは日本独特の宗教といってもいいが、儒教や仏教のような普遍性はなく、あるのは義理と人情と人間関係だけだ。武士が命より大事にしたのは「体面を守る」とか「恥をそそぐ」という美意識だったが、人はそんなことで切腹できるものだろうか。

続きは7月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

自由民権運動は「武士の破れた袋」

自由民権運動――〈デモクラシー〉の夢と挫折 (岩波新書)
安倍内閣の支持率が急落し、政権の先行きは不透明になってきたが、民進党の支持率も上がらない。本書はこういう政党政治の未成熟の起源を、自由民権運動の挫折に求める。

江戸時代を「封建制度」とか「身分社会」と呼ぶと、ピラミッド的な階層秩序だったような印象を受けるが、実際には下級武士は町人より貧しくて尊敬もされず、「幾千万の人類は各幾千万個の箱の中に閉ざされた」(福沢諭吉)状態だった。こうした村や藩などのさまざまなレベルの箱(中間集団)を著者は「袋」と総称する。

身分社会では、人々は「袋」の中で、支配者から与えられた「役」を親から受け継いで一生を終わる。出世のチャンスは軍役だが、戦争は250年以上なかった。貧困のどん底だった武士が「袋」を破ろうとしたのが戊辰戦争だったが、そこで戦果を上げた武士は、廃藩置県で失業してしまう。そういう政府に対する不平士族の反乱が自由民権運動だった。

幕藩体制の「古い袋」が破れ、民権運動で自由党という自発的結社ができ、国家が統一されて政党政治が導入される――ここまではヨーロッパの市民革命と似ていたが、デモクラシーの「新しい袋」は藩閥政府に敗れ、自由党は立憲政友会という「御用政党」になってしまう。そこには何が欠けていたのだろうか?

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世界最大のタックス・ヘイブンはロンドン

タックス・ヘイブン――逃げていく税金 (岩波新書)
ピケティからロゴフに至るまで政治的立場の違いを問わず、グローバル資本主義の最大の「闇」として指摘するのがオフショアである。それは税金を逃れるだけでなく、銀行規制の抜け穴になり、麻薬取引などの犯罪の温床になっている。

本書はその実態を元財務省幹部が実証した本だが、おもしろいのはOECDなどの会議で、イギリスが口先ではオフショア規制に賛成しながら、最終的な条約の規制対象から英連邦が落とされたり、具体的な罰則が消えたりすることだ。その原因は著者も指摘するように「世界最大のタックス・ヘイブンはロンドンだから」である。

登記上ケイマン諸島にある銀行は実質的にはロンドンで運営され、その経営者もシティの出身者が多い。この問題を解決するのは、著者のいうような規制だけでは無理だ。まず法人所得税を廃止し、最終的には労働所得税も廃止して、消費税のようなキャッシュフロー課税に一元化する必要があるが、それでも地下経済は根絶できないだろう。

続きは7月10日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

前川喜平氏は安倍政権の「ブラック・スワン」

失敗の法則 日本人はなぜ同じ間違いを繰り返すのか都議選の結果は、小池都知事の都民ファーストの圧勝というより、自民党の歴史的惨敗に終わった。これは14日に発売される私の新著『失敗の法則』の第7法則「小さくもうけて大きく損する」の事例として興味深い。第7章はタレブの「日本人は小さな失敗をきびしく罰するので、人々は小さくてよく起こる失敗を減らし、大きくてまれな失敗を無視する」という言葉で始まる。

これは彼の新著『反脆弱性』のテーマだが、盤石にみえた安倍政権がこれほど脆弱だとは思わなかった。私の印象では、加計学園の内部文書が出てきたとき、これを菅官房長官が「怪文書」と断定し、そのあと前川喜平元次官が出てきたとき、異例に感情的なコメントをしたあたりから「割れ窓」が拡大してきたように思う。

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ヘーゲルの宣告した「神の死」

ヘーゲル・セレクション (平凡社ライブラリー)
廣松渉はマルクス主義者を自称していたが、学生には「ヘーゲリアン」といわれていた。その割には彼のヘーゲルについての著書はなく、本書はアンソロジーという形で書かれた廣松の数少ないヘーゲル論である。1975年の本の再刊なので、さすがに文献学的には古いが、新実在論でヘーゲルが再評価されているいま読むと、意外な発見がある。

廣松が授業で強調していたのは、ヘーゲル哲学は神学だということだった。弁証法とかトリアーデなんて目くらましで、「あれは三位一体に迎合したんですよ」という。これは最近の文献学でも確認され、ヘーゲルは宗教戦争の続くドイツを統一する思想として、カトリックとプロテスタントの共通点である三位一体論を正統化するために、あの奇妙な論理を考えたのだ。

彼の思想は弁証法とは逆の「否定の哲学」であり、本書にも「神は逝きぬ。神は死せり」(『宗教哲学』)という言葉が出てくる。ヘーゲルはニーチェを先取りしており、そういうニヒリズムを超克するために、あの壮大な哲学を構築したのだ。

続きは7月3日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。

『葉隠』は元祖サラリーマンの処世術

葉隠 上 (岩波文庫 青 8-1)
丸山眞男の講義録を読んだとき、『葉隠』が高く評価されているのに最初は違和感があった。有名な「武士道といふことは、即ち死ぬ事と見附けたり」という言葉が「死の美学」として軍部に利用され、戦後は禁書になった本だから、彼はそれを否定するのかと思うと逆なのだ。

といっても丸山の文献考証は、三島由紀夫のような主観的な読み込みではない。特におもしろいのは「釈迦も孔子も楠木も信玄も鍋島に被官しなかったから当家の家風に合わない」という山本常朝の言葉だ。鍋島家(佐賀藩)への忠義が仏教や儒教などの普遍的な原理より上に位置づけられるのは、丸山のいう「日本的特殊主義」の極致である。

山本にとって世界=鍋島家であり、それは「七生迄も鍋島侍に生れ出で、国を治め申す」という強烈な愛着の対象だった。彼はその心情を「恋の心入れの様なる事なり」という。ここで恋する対象になっているのは主君ではなく、鍋島家である。続きを読む






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