イデオロギーからアイデンティティへ

Identity: The Demand for Dignity and the Politics of Resentment (English Edition)
2010年代の政治の特徴はidentityが前面に出てきたことだが、これは日本人にはわかりにくい。そもそも日本語には、これに対応する言葉さえない。1万年以上前から、地理的にも文化的にも自然なアイデンティティをもつ日本人は「私たちは何者か」と問う必要もないからだ。

しかし世界では、冷戦期に人々を隔てていたイデオロギーの壁が1990年代に崩壊し、企業や移民がグローバルに移動する中で、「私たちは何者か」という問いが政治の最大のテーマになっている。トランプ大統領の国境の壁から、EU離脱するイギリス国民、さらに韓国の「徴用工」問題に至るまで、ポピュリズムの共通点は外部に敵をつくるアイデンティティ政治である。

本書は1989年に「冷戦とともに歴史は終わった」と宣告したフクヤマが、トランプ大統領の登場に衝撃を受けて「歴史の終わった後の歴史」を書いたものだ。イデオロギーが終わっても国家の対立は終わらないが、その対立軸はナショナリズムではない。グローバル化の中で国民国家のアイデンティティも自明ではなくなったので、いま対立軸になるのは民族意識(peoplehood)の物語だという。

続きは1月21日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

『日本国紀』の示した「日本人の物語」の不在

日本国紀本書が出て2ヶ月になるが、60万部を超えるベストセラーになり、いまだにアゴラでも賛否両論を呼んでいる。私は内容には興味がなかったが、帯の「私たちは何者なのか」という文句に引かれて読んでみた。個人や国家のアイデンティティの核にあるのは、自分が何者かという物語である。韓国はいまだに「日帝36年」の物語を国定教科書で教えているが、日本人はどんな物語をもっているか興味があったからだ。

多くの人が指摘するように、本書は歴史書としてはかなりお粗末である。事実誤認が多く、他人の本の孫引きが目立つ。これは著者がアマチュアなのだから、ある程度はしょうがない。それより彼は作家としてはプロなのだから、歴史小説としておもしろいかどうかが問題だ。司馬遼太郎の小説が事実に反していると批判する人はいないだろう。

続きはアゴラで。

理性は何のために存在するのか

The Enigma of Reason: A New Theory of Human Understanding (English Edition)
人間の知的活動の中で、理性の存在理由は自明にみえる。われわれは子供のころから学校で算数を教わって合理的に考える訓練をし、そういうテストに勝ち残った者がエリートになる。それに対して、感情の存在理由はよくわからない。学校でも「感情的に行動してはいけない」と教える。

しかし進化論的に考えると、これは逆である。狩猟採集社会で敵に襲われたときは、恐怖を感じて反射的に逃げる必要がある。ゆっくり情報を収集して合理的に考えていたら、敵に捕食されてしまうので、感情的な「速い思考」は生存の条件であり、哺乳類に広くそなわっている。

それに対して学校で教えるような論理的推論が、石器時代に生存に有利になることは考えられない。1万年前のホモ・サピエンスは遺伝的には今とほぼ同じなので、現代の教育を受けたらコンピュータのコーディングもできるはずだが、そういう能力は石器時代には何の役にも立たないので、遺伝的には説明できない。

つまり常識とは逆に、なぜ人間は合理的に考えるのかが謎なのだ。たとえばコウモリが超音波で通信する特殊な能力をもっているのは、暗い洞窟で生活するためだが、人間の理性にはそういう明らかな合目的性がない。この問題については1990年代から人類学界でも論争があるらしいが、決着はついていない。続きを読む

小泉純一郎氏の合理的な錯覚

原発ゼロ、やればできる小泉元首相の「原発ゼロ」のボルテージが、最近ますます上がっている。本書はそれをまとめたものだが、中身はそれなりに知識のあるゴーストライターが書いたらしく、事実無根のトンデモ本ではない。批判に対する反論も書かれていて、反原発派の主張の総まとめともいえる。

反原発派の弱点は「原発事故と交通事故はどう違うのか」という批判に答えられないことだ。命を守るために原発をゼロにしろというなら、自動車も飛行機もゼロにしなければならない――というと、討論番組でも反原発派はぐっと詰まるのだが、さすがに元首相は反論を用意している。

続きはアゴラで。

ニヒリズムはヨーロッパ的現象である

ニーチェ2 (平凡社ライブラリー)
感性より理性が重視されるようになったのは、近代ヨーロッパに固有の現象である。その原因はニュートン以来の科学の勝利だ。キリスト教は世界を説明して意味を与えるシステムだが、科学によって世界が合理的に説明できるようになると、アドホックなキリスト教の説明は説得力をなくし、人生は意味を失う。

それがニーチェのいうニヒリズムだが、彼はそれを単なる世俗化と考えたわけではない。ニヒリズムが深刻な問題になったのは、感性を超える普遍的な真理が存在するというキリスト教の原理が信用を失ったからで、その意味でニヒリズムの元凶はキリスト教(パウロ主義)にある。ニーチェによればキリスト教は「民衆向けのプラトニズム」なので、本質的な問題はプラトンにある。

ニーチェが否定したのはヨーロッパのニヒリズムであり、それはプラトン以来のヨーロッパの哲学を否定する壮大な思想だった、というのがハイデガーの評価である。ニーチェがそれに対比したのは、ソフィストだった。プロタゴラスの「万物の尺度は人間である」という命題に、ヨーロッパのニヒリズムを乗り超える契機をニーチェは見出した。プロタゴラスが万物の尺度としたのは「臨在性」だった、とハイデガーはいう。

続きは12月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

狩猟採集社会と定住社会の「ミスマッチ病」

サピエンス異変――新たな時代「人新世」の衝撃
最近の調査によると、運動不足は喫煙より危険らしい。糖尿病や腰痛や肥満の最大の原因も運動不足で、旧石器時代にはほとんどなかった。人類が定住生活に入った約1万年前から、狩猟採集社会に適した遺伝子と定住社会に適応した生活習慣のミスマッチが始まったのだ。

ホモ・サピエンスの歴史の大部分は移動生活だったので、その身体は運動してエネルギーを消費しないと劣化する。移動生活では糖質はほとんど摂取しなかったが、農耕生活に入ってからはカロリーの多い炭水化物を大量にとるようになった。このため糖質をとって運動しないと太り、心臓病や糖尿病で早く死ぬ原因になる。現代人の死因の多くは、こうした「ミスマッチ病」である。

ミスマッチは、人新世(Anthropocene)でさらに大きくなるだろう。これは人類が地球環境を大きく変えて新たな地質時代が始まるという考え方で、国際地質学会でも1万1700年前からの「完新世」の次の地質時代として採用することが検討されている。近代文明が地球環境にもたらした変化は、氷河期に匹敵するほど大きいからだ。その環境変化は産業革命のころから始まったが、変化の大きさは20世紀が最大だという。

続きは12月24日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

今年の良書ベスト10

中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年毎年このリストを書くたびに思うが、経済学の学問的生産性は明らかに落ちている。特に21世紀の世界的な低成長・低インフレ・低金利などの新しい問題について、正統派の経済学は答を出せない。このため半世紀以上前の「どマクロ経済学」の亡霊が日本を徘徊し、政権にまで影響を及ぼしている。
  1. 白川方明『中央銀行』
  2. フランシス・フクヤマ『政治の衰退』
  3. ロバート・フランク『ダーウィン・エコノミー』
  4. 武田悠『日本の原子力外交』
  5. ニーアル・ファーガソン『大英帝国の歴史』
  6. 森本あんり『異端の時代』
  7. 有馬哲夫『原爆 私たちは何も知らなかった』
  8. Fred Pearce "Fallout"
  9. 細谷雄一『自主独立とは何か』
  10. マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』
続きはアゴラで。

民衆の感情をあやつる技術としてのレトリック

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)
ソフィストは古代ギリシャのソクラテス以前の思想家、という程度しか知らない人が多いだろう。日本でソフィストを主題にした研究書は、本書の前には1冊しかない。この原因は、プラトンがソクラテスを「最初の哲学者」として描いたとき、それと対比して彼以外の思想家に「詭弁をもてあそぶソフィスト」というレッテルを貼ったためだ。

しかし当時そういう学派の対立があったわけではなく、ソフィストがソクラテスを攻撃したわけでもない。彼らの仕事は民会や法廷で弁論を駆使して人々を説得することだったので、真理には興味をもたなかった。ソクラテスのように真理を語って告発者を論破しても、裁判に負けては意味がない。必要なのは多くの民衆を味方につけることなので、ソフィストは逆説や背理法などさまざまなレトリック(弁論術)を駆使した。

政治で何が真理かはわからないので、大事なのは聴衆の感情を読み取って即興的に言葉をつないでいく技術や、民衆の心をとらえるタイミング(時宜)である。それは哲学のような時を超えた真理ではなく、書物にも残らないが、よくも悪くも民主政を動かした。古代ギリシャの昔から、政治を動かしたのは感情をあやつる技術だったのだ。

続きは12月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

感情は敵と味方を識別するセンサー

愛と怒りの行動経済学:賢い人は感情で決める
ひところたくさん出た行動経済学のおもしろ本は、最近あまり見かけなくなった。その実験結果は「合理性」を信じる経済学者にとっては奇妙な例外にみえるが、普通の人々にとっては常識的な行動だからだろう。むしろ問題は、人間がそういう「不合理」な感情的行動をとるのはなぜかということだ。

本書は、その原因を進化論的に説明する。たとえば囚人のジレンマでは、経済学者の想定する合理的な行動(支配戦略)はつねに裏切ることだが、そういうエゴイストの集団は外敵との戦争に勝てないので、進化で淘汰されたと思われる。他方、誰とも協力する博愛主義者もエゴイストに食い物にされて淘汰されるので、相手が敵か味方か識別して協力することが(進化論的には)合理的だ。感情はそのセンサーであり、人類が生存競争で生き残る上で重要な装置だった。

これを実験しているのが、"Split or Steal"というテレビ番組だ。次のゲームでは10万ポンドを両方がsplitして等分したら5万ポンドずつもらえるが、一方だけがstealしたら10万ポンド独占できる。しかし両方stealすると、2人とも何ももらえない。これは囚人のジレンマで、ナッシュ均衡は両方がstealを選ぶことしかないが、実験では必ずしもそうならない。



続きは12月17日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで。

人類は「感情的動物」だから生き残った

人間とはなにか 上 (ちくま学芸文庫)
人間は合理的動物であり、その本質は理性にあるというのが、デカルト以来の近代的な人間像である。合理的な行動が正しい行動であり、感情的に行動するのは愚か者である。人工知能はそういう合理的な決定だけをソフトウェアとして抽出し、感情を切り捨てることによって効率を上げようとするものだ。

しかしこの人間像には、進化論的に疑問がある。感情がそれほど無駄なものなら、なぜ人間は感情的に行動するのだろうか。霊長類の中で群を抜いて大きいホモ・サピエンスの脳のエネルギーの8割は、感情に使われている。人類は「感情的動物」なのだ。数十万年のきびしい生存競争の中で、無駄に大きな脳をもつ人類が生き残ったとは考えられない。

最近の脳科学の答は逆である。人類が生き残る上で重要なのは感情だった、と本書は指摘する。前頭葉に損傷を受けた人は、言語や計算の能力には問題がなかったが、他人の感情を無視していつもケンカするようになり、社会生活ができなくなった。感情は人間関係を調整して集団行動を維持する役割を果たしているので、それなしで理性は役に立たないのだ。続きを読む






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