世界の共同主観的存在構造

世界の共同主観的存在構造 (岩波文庫)
戦後日本の古典といってよい廣松渉の代表作が、やっと岩波文庫に入った。彼の世間的な主著は『存在と意味』だろうが、その内容は本書の表題作に尽きている。これは東大文学部哲学科の卒業論文だが、彼の哲学はそこで完成しており、よくも悪くも晩年まで変わらなかった。

彼の難解な論文が左翼の熱狂的な支持を集めた一つの原因は、生産性がなくなったと思われていたマルクス主義を思想的によみがえらせたことだろう。マルクスの唯物論はレーニン的な素朴実在論ではなく、むしろ彼が敵視したマッハの「経験批判論」に近いというのは重要な発見だった。

60年代には『経済学・哲学草稿』を中心とする「疎外論」的なマルクス理解が流行したが、それを「人間主義」として批判したのがアルチュセールだった。これは当時「構造主義」として流行したが、それよりはるかに精密なマルクス読解にもとづいて、フッサールやメルロ=ポンティの「相互主観性」の概念を取り入れたのが廣松の理論だった。彼の「共同主観性」はそれと似ているが、微妙に違う。

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原子力のコストは民主主義のコスト

小池・小泉「脱原発」のウソ
本書は専門家が書いたエネルギー問題の入門書だが、こんなキワモノ的なタイトルで「右派」の出版社からしか出せないところに日本の深刻な状況がある。著者もなげくように、出版業界でも「原発推進派」の本は企画として成り立たない。

民主党政権は「原発ゼロ」という間違った戦いを始めてしまったが、自民党政権もそれを止められない。マスコミが原子力に莫大な恐怖のコストを上乗せしたからだ。たとえば福島第一原発の「汚染水」は薄めて流せばいいが、安倍首相がOKしないので100万トン以上タンクに貯水したままだ。こういう政治的コストを「廃炉費用」に算入したら、原子力のコストは際限なくふくらむ。

本書はそういう政治的コストを除き、原子力の技術的コストだけを考えると、核燃料サイクルも実用化できるという。たしかに中国もロシアも、核燃料サイクルを続けている。独裁国家は政治的コストを考えなくてもいいからだ。これは民主主義のコストともいえるが、その有権者に将来世代は入っていない。100年後の世代は、安倍政権の選択をどう考えるだろうか。

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沖縄は「戦後日本の国体」の矛盾の集約

米国と日米安保条約改定ーー沖縄・基地・同盟
1950年代までの左翼の影響力は、今では想像もつかないほど大きかった。特に知識人の中では、講和条約から安保改正までの論争では左翼が優勢で、自民党政権にもアメリカにも影響を与えた。本書はその歴史をアメリカ側からみたものだ。

吉田茂は再軍備を棚上げして講和条約を結び、結果的には戦後の日米関係を決めてしまったが、その「ボタンの掛け違え」を直そうとしたのが保守合同だった。自民党政権はたびたびアメリカに安保改正を働きかけたが、アメリカは拒否した。米軍基地は大きな既得権だったからだ。続きを読む

本居宣長の「言語論的転回」

宣長学講義
右翼の心情倫理は、和辻哲郎や折口信夫に受け継がれた皇国史観だが、それは国定教科書とともに葬られ、戦後は危険思想として封印された。その元祖は本居宣長だが、いまだに国学をそういう「日本主義」として批判する人がいるのは困ったものだ。

宣長の学問的な革新は、彼の文献学的な方法論にあった。このオリジナルは、荻生徂徠である。彼の古文辞学は漢文の訓読を否定して外国語として理解する方法論で、「テキストそのもの」に即して意味論を括弧に入れる言語論的転回の一種だったともいえる。それを宣長は古事記や日本書紀に適用したが、彼は漢文テキストの裏に「やまとことば」という本質を読み込んだ。

特に彼が重視したのは、古事記の背景に口承というパロールがあったことだ。『古事記伝』は暗号としての古事記を「復号化」して口承を再現する作業だったが、著者も指摘するように、そういう本質が実在したかどうかはわからない。与えられているのは古事記という原エクリチュールだけで、そこから「やまとごころ」というシニフィエを導いたのは宣長の想像力だった。

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折口信夫の物語としての「古代」

折口信夫 - 日本の保守主義者 (中公新書)
枝野幸男氏は「和を以て貴しとなす」日本の伝統を保守するというが、こういう「素朴保守主義」は、昔から珍しくない。その元祖が折口信夫である。彼の「古代研究」は日本社会の近代化の中で、そのアイデンティティを古代に求めるものだった。

それは文字に書かれた史料に頼らないで口承から昔に遡及しようとした点では柳田国男を継承したが、「折口君は古い方から下りてくるような形をとった」と、柳田は批判した。しかし本居宣長以来、「日本」を探究する学問は多かれ少なかれそういう物語だった。古代に日本人という統一された国民は存在しなかったので、それは文学にならざるをえない。

折口の場合には、その物語のコアは(宣長と同じく)やまとことばであり、それを支える実在が天皇だった。有名な「まれびと」は神の別名だが、この概念が古代に実在したかどうかは疑問だ(柳田は否定した)。しかし折口が「神の国」としての日本の存在を証明するために使ったのは、キリスト教神学のような論理ではなく情緒だった。この点では、彼の本質は(釈迢空の)短歌に表現されている。

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マルクス主義はなぜ成功したのか

Main Currents of Marxism: The Founders,The Golden Age,The Breakdown
最近の「立憲主義」は社会主義の劣化版だが、今では彼らさえ社会主義という言葉を使わないぐらいその失敗は明らかだ。しかしそれがなぜ100年近くにわたって全世界の労働者と知識人を魅惑したのかは自明ではない。本書は1978年にポーランド語で書かれたマルクス主義の総括だが、40年後の今もこの分野の古典として読み継がれている。

マルクス主義は「20世紀最大のファンタジー」だったが、彼の思想は高度なものだった。それを社会主義という異質な運動と結びつけて「科学的社会主義」を提唱したのが、間違いのもとだった。目的を実現する手段が科学的だということはありうるが、目的が科学的だということはありえない。

マルクスがその思想を『資本論』のように学問的な形で書いただけなら、今ごろはヘーゲル左派の一人として歴史に残る程度だろう。ところが彼はその思想を単純化して『共産党宣言』などのパンフレットを出し、その運動が成功することで彼の理論の「科学性」が証明されると主張した。このように独特な形で共産主義の理論と実践を結びつけたことが、その成功の一つの原因だった。続きを読む

皇国史観の心情倫理

和辻哲郎と昭和の悲劇 伝統精神の破壊に立ちはだかった知の巨人 (PHP新書)
左翼の心情倫理は平和憲法だが、右翼にも心情倫理がある。それが安倍首相の出発点だったと思われるが、彼も今ではあまり公然と語らない。著者はそれを語り継ぐ数少ない戦中世代だが、その中核にあるのは皇国史観である。「皇室のご先祖である初代の神武天皇」から説き起こす歴史は学問的には問題外だが、心情としては理解できる。

明治憲法は世界に誇るべき立憲主義であり、それが守られていれば、敗戦に至る失敗は起こらなかった。「幕府的」な大政翼賛会や軍部が、天皇に代表される「国民の総意」をゆがめたのだという。和辻哲郎は戦時中には時局迎合的な日本主義をとなえたが、戦後は「国民の総意は、いつも天皇において表現された」と象徴天皇制を擁護した。

著者はこの考え方を敷衍し、日本人を統合するのはGHQに押しつけられた国民主権ではなく、「皇統二千年」の伝統だという。国民の総意は選挙で集計できるものではなく、長い歴史の中で選ばれた伝統に表現されているという考え方は、バーク的な保守主義ともいえる。「万世一系」の天皇家が続いていること自体が正統性の根拠だという考え方が、日本人の自然な歴史意識だという。

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東芝を破壊した社内政治

東芝の悲劇
東芝の経営危機については多くの本が出ているが、そのほとんどは原子力村と組んだ西田社長の「敗戦」という類の話だ。本書はそういう勧善懲悪とは違い、経営陣の社内政治が複合的な危機を隠して問題を大きくしたことを明らかにしている。

その病根は西田社長ではなく、彼を指名した西室社長だというのが著者の見立てである。1990年代に方向を見失って業績が低迷していた東芝に「グローバル化」という方向づけをしたのが、海外営業出身の西室氏だった。グローバル化なんて戦略ではないのだが、ドメスティックな経営者の多い中で、英語ができるだけでも重宝された。

ソニーも90年代末に、同じような経緯で海外営業出身の出井社長を選んだ。文系で傍流の西室氏にとって出井氏はライバルであり、お手本でもあった。求心力の弱さを補う社内カンパニーや執行役員など、経営手法も似ていたが、中身は親分子分の関係だった。西室氏が(中継ぎの岡村氏の次に)後継者にしたのは、同じ海外営業出身の西田社長だった。

西田氏は海外法人でパソコン部門を建て直した功績で社長に抜擢された、というのが一般的な見方だが、彼が統括だったころからパソコン部門では「バイセル取引」による会計操作が日常化し、西田氏の業績回復も粉飾のおかげだったという。続きを読む

【更新】「新たな民政党」が必要だ

日本政治「失敗」の研究 (講談社学術文庫)
総選挙は予想どおり自公政権の現状維持で、安倍3選も視野に入ったが、泡沫だった立民党が勝って55年体制に回帰し、政治的には「1回休み」である。本書は戦前の政党政治について書いたものだが、日本にまともな野党が育つ条件を考えている。

立憲政友会は政府と一体の御用政党だったので、民間を代表する政党が必要だった。一つの可能性はヨーロッパ型の社民政党だが、これはうまく行かなかった。当時の日本はまだ農業国で、労働者がそれほど大きな政治力をもっていなかったからだ。

もう一つはイギリスのホイッグに近い自由主義の政党だ。これが1927年に浜口雄幸の結成した立憲民政党で、その理念は、議会中心政治、軍縮、健全財政だった。彼らの集票基盤は地主や財閥などの高額納税者だったので、政友会が「税金を使う党」だとすると、民政党は「納税者の党」だった。

日本に欠けているのは(将来世代の負担も含む)納税者の立場から政治を効率化する政党だ。それを実現するのは投票率の低い若者ではなく、厚生年金や健康保険の負担に苦しむ企業かもしれない。少なくとも民政党には、その可能性があった。

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「ソビエト」の宗教的起源

神と革命: ロシア革命の知られざる真実 (筑摩選書)
ロシア革命は奇妙な革命である。それが資本主義の高度に発達したヨーロッパではなく後進国で起こり、少数派だったボリシェヴィキが政権を取ったのは多分に幸運だったが、その後の革命戦争を戦い抜いたことは運だけでは説明できない。彼らは無神論を公式の教義として掲げたが、その革命を可能にしたのは宗教的な怨念だった。

ソビエトは、いうまでもなくソビエト連邦の中核となった組織だが、レーニンは1917年4月に帰国して「すべての権力をソビエトへ」と呼びかけるまで、ソビエトという言葉を肯定的に使ったことがない。それを彼は「ブルジョア民主主義」と規定していたが、帰国すると全土に広がっていたソビエトを見て、ボリシェヴィキの権力基盤に転用したのだ。

「協議会」という意味のソビエトは、1905年にイワノボ・ボズネセンスクというモスクワの北東の都市で生まれた。そこはロシア正教の異端である「古儀式派」の拠点だった。彼らは1666年にロシア正教が分裂したとき「分裂派」と呼ばれ、正教会の弾圧を受けて教会がなくなった。しかしロシア各地に分散した古儀式派は、250年も「反帝政」の地下組織として生き延びた。

続きは10月23日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。






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