「家」はなぜ1000年も続いているのか

中世社会のはじまり〈シリーズ日本中世史 1〉 (岩波新書)
コロナをめぐる意思決定の混乱をみていても、日本は「決められない国」だという感をあらためて強くする。これについて「憲法改正で非常事態条項を設けて有事立法すべきだ」という意見はわかるが、たとえ憲法を改正しても、この「国のかたち」は変わらないと思う。

こういう意思決定の根底には、少なくとも江戸時代から、さらに遡ると鎌倉時代から続くイエ社会の構造があるのではないか。その特徴は、数百人の小集団をコアとして行動し、その内部では濃密に情報共有するが、それを超える強い権力を許さないことだ。

日本社会の根底にこのようなイエの構造があると指摘したのは村上泰亮だった。これは唯物史観の支配的だった日本の歴史学界では無視されたが、本書のような最近の概説書では、中世の歴史が「家」の歴史として書かれている。

その始まりは10世紀ごろ、在地領主の私兵として生まれた「兵」(つわもの)で、これが地域的に組織されて「武士団」が生まれた。これは初期には武士を中心とする職能集団だったが、その指導者の地位が世襲されるようになり、原初的な血縁集団である「氏」から機能集団(社団)としての「家」が生まれた。

その構造が1000年後の今日にも受け継がれているというイエ社会論には、図式的だとか実証的根拠がないという批判も多いが、「決められない国」の原因を説明する仮説としては有効だと思う。問題は、なぜその構造がこれほど長く続いているのかということだ。

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「バイオセキュリティ」という全体主義

私たちはどこにいるのか?
25日から、東京都・大阪府・京都府・兵庫県にまた緊急事態宣言が発令される。特に東京都では夜8時から飲食店に休業させるだけでなく、酒の提供を自粛させ、消灯を求めるなど規制が拡大された。このような一律の営業停止命令は、憲法違反の疑いがある。

ヨーロッパで行われたロックダウン(外出禁止令)に対しても、基本的人権を侵害するという批判が多い。中でも重要なのは、ジョルジョ・アガンベンの批判である。「ロックダウンは近代国家の自由主義に反する」という彼のブログ記事には世界中から批判が集中した。

批判の多くは「あなたが命を失ったら自由も失う」といった嘲笑だったが、その優先順位は自明ではない。世界では年間135万人の生命が交通事故で失われているが、自動車を禁止した国はない。日本では年間13万人の命が喫煙で失われているが、タバコは禁止されていない。近代国家では、個人の生命は自分で守ることが原則である。

ところがコロナでは、各国政府が感染症の防止を至上命令として個人の生活に介入し、外出禁止や営業停止を行った。このような生命至上主義をアガンベンはバイオセキュリティと呼んでいる。それは気候変動を防ぐために政府がエネルギー消費に介入するのと同じく、近代国家の終わりの始まりである。続きを読む

文明としてのイエ社会

村上泰亮著作集 (4)
夫婦別姓をめぐる論争は、無知な保守派が旧民法の家制度を日本古来の伝統と取り違えただけで、学問的には論じるに値しない。何度も書いたように、日本の伝統は夫婦別姓である。というより律令制度の戸籍では、成年男子以外に姓はなかった。北条政子も日野富子も、同時代には単なる「政子」や「富子」だった。

苗字(氏)は姓とは別である。現代では姓=氏なので混同しやすいが、姓が先祖代々の家系(親族集団)の称号で変えられないのに対して、苗字は日本独特のイエをあらわす通称で、勝手につけてよかった。

イエは親族集団ではなく、村上泰亮の表現によれば「平安末期に東国で発生した超血縁的な社団」である。その第一義的な機能は農地を守る武装集団なので、一族郎党には血縁が必ずしもなく、婿取りも普通だった。イエは基本的には能力主義的な機能集団だったが、その正統性には血統を使う擬似親族集団だった。

親族集団が大規模化するとき、擬似親族集団ができることはよくある。その一つが同姓を一族とみなす中国の宗族で、数万人という規模になる。それに対して日本のイエは数百人の社団で、共同で農作業や戦争をすることが重要だった。互いに名前を覚えられる規模を超えると分家し、別の苗字を名乗ることも多かった。国も大名家というイエの擬制で統治された。

この世界に類をみないイエが、中世以来の日本社会の根底にあり、現代の政治にも企業にも生きている。それが丸山眞男の指摘したタコツボの構造である。国を「国家」と呼ぶ和製漢語は、まさに国=家という日本の伝統を示している。

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メルケル 仮面の裏側

メルケル 仮面の裏側 ドイツは日本の反面教師である (PHP新書)
アンゲラ・メルケルは東ドイツの牧師の家庭に生まれ、科学アカデミーに就職したが、ベルリンの壁の崩壊でDA(民主主義の勃興)という小政党の結党メンバーになった。これは「改良社会主義」を志向する党で、それが東西ドイツの統一でCDU(キリスト教民主同盟)に吸収されたために彼女はCDUの党員になったが、その政治信条は社会主義的だった。

メルケルの実務能力は高かったので、CDUの中でコール首相の腹心として頭角を現し、副報道官としてスピーチライターになった。CDUは親米保守の立場だったが、当時のドイツではイデオロギーより統一の混乱を収拾することが最大の課題だった。党の実務を掌握したメルケルは東西バラバラの政治と多くの党の合従連衡の中で、派閥抗争を巧みに乗り切って副党首、党首、そして首相と順調に出世した。

その中で封印していた社会主義的な信念が、首相としての権力を確立した2010年代に出てきた。2011年の原発ゼロ、2015年のシリア難民の無制限受け入れは、その当時は世論に歓迎されたが、ドイツ経済の重しになった。

それはメルケルの左傾化というより、今までかぶっていた仮面を脱ぎ捨て、東ドイツ時代の社会主義に回帰しているのではないか、というのが著者の見立てだ。これを読んで、星新一のショートショート「雄大な計画」を思い出した。
三郎という青年がR産業の入社試験を受けたとき、社長から「R産業のライバル会社のK産業にスパイとして入社してほしい」と頼まれ、K産業に入社した。三郎は異例の昇進を果たして重役の娘とも結婚し、とうとうK産業の社長になった。それを見てR産業の社長は「計画どおりになったから帰ってこい」と言ったが…

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量子力学の奥深くに隠されているもの

量子力学の奥深くに隠されているもの: コペンハーゲン解釈から多世界理論へ
今週の「存在は意識によってつくられる」という記事には意外に大きな反響があったが、その中で多かったのは「シュレーディンガーの猫のこと?」という反応だった。これは間違いではないが、量子力学の観測問題はカント的な認識論とは違い、いまだに解決されていない物理学の難問である。

シュレーディンガー方程式では、電子は多くの状態の重ね合わせとして表現される(純粋状態)が、実験ではそのうちの一つだけが観測される(混合状態)。このミクロ的な状態とマクロ的な観測の矛盾を「電子のスピンで決定される猫の生死」として表現した思考実験が、シュレーディンガーの猫である。

これは認識論的な問題ではない。カントの立場では「物自体」は人間が認識するだけで決定できないので、観察しなくても猫が生きているか死んでいるかは決まっているが、純粋状態では電子のスピンはわからないので、猫が生きているか死んでいるかは観察するまで決まらない

実際に観察される混合状態はそのうちの一つだけで、両者には必然的な関係がない。純粋状態は「解の確率分布」だというのが標準的な解釈(コペンハーゲン解釈)だが、それだと観察という人間の主観で電子の状態が決まることになる。これは呪術的な遠隔作用のようにみえる。

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パラダイムは政治である

事物のしるし (ちくま学芸文庫)
コロナをめぐる議論でつくづく感じるのは、事実をありのままに見ることは不可能で、人は何かのパラダイムを通して世界を見るということだ。たとえば緊急事態宣言を出したとき「東京都の新規感染者数500人」という解除の数値目標が設定されたが、感染者がそれをはるかに下回っても2週間延長し、今度は140人に変更するという。

ここでは緊急事態というパラダイムがまずあり、それを維持するために数字を変える。その緊急事態を生み出すのは、多くの国民の恐怖であり、緊急事態宣言を続けろという世論である。つまり緊急事態というパラダイムは政治によって作り出され、それが数字を変えるのだ。

フーコーは『知の考古学』で、このような問題を論じた。彼は認識論を中心とする近代哲学を批判し、知(エピステーメー)の根底には権力があると考えた。それは法律や警察などの暴力装置にもとづくものではなく、日常生活の中で人々を特定の規範に従わせる規範化によって生み出される。その規範は信念として広く共有される宗教のようなものだ。

この規範化の概念はクーンのパラダイムとほぼ同じで、のちにフーコーもそれを認めた。アガンベンはそれを再評価し、知を権力から独立したものと考えるのは誤りだと論じている。事実はパラダイムによって生み出されるが、そのパラダイムを生み出すのは論理ではなく政治なのだ。

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コンピュータの歴史を変えた日本人

反省記―― ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと
西和彦さんとは10年ぐらい付き合いがあり、いいところも悪いところも知っているが、ひとことでいうと「パッション」の人である。これはいい意味では「情熱的」で、一つのことに熱中して大事業をなしとげるが、悪い意味では「感情的」で、カッとなると前後を考えないで暴走する。

本書の最初に書かれているマイクロソフト初期のエピソードは有名である。IBMがOSを買いに来たとき、マイクロソフトにはOSがなかったので、ビル・ゲイツは断ろうとしたが、西さんは近所のメーカーからOSを買ってきて改造することを提案した。これがMS-DOSの誕生である。

本書には書いてないが、このときマイクロソフトがわずか2万5000ドルで買ったOSはディジタルリサーチのCP/Mの模造品で、今なら著作権法違反だった。マイクロソフトは大急ぎでそれを改造し、自社開発のOSとしてIBMにライセンスした。これがコンピュータの歴史を変えた決断だった。

このときマイクロソフトがMS-DOSをIBMに売却していたら、それはIBMのOSになったが、ビル・ゲイツはその著作権をもち、IBM以外のメーカーにもライセンスした。他のメーカーが同じようなマシンをつくってもIBMと競争できるはずがない、とIBMは考えたが、これがIBMを倒産の瀬戸際まで追い詰める大失敗となった。

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「世間」からグローバル資本主義への遠い道

近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本 (朝日文庫)
コロナは一過性の感染症ではなく、日本社会に意外に大きな変化をもたらすような気がする。特にリモートワークが一挙に広がったことは、これまで大部屋で1日中(アフター5も含めて)一緒に働いてきた日本人の生活を大きく変えるだろう。このような日本人の働き方は、農業社会から受け継いだものだ。

人類の圧倒的多数は農業で生活してきたので、小規模な共同体の中で一生暮らすのが当たり前だった。これを阿部謹也は世間と呼んだが、キリスト教化する前の古代ヨーロッパも、狭い世間の中で暮らす共同体だったという。フランス語でもsocieteの原義は「世間」という意味に近く、ドイツ語のLeuteの語源もそれに近い。

しかし中世に人々が村を超えて移動し、戦争するようになると古代的な共同体が解体され、国(領邦)を守るためにキリスト教で精神的に統合し、教会が個人を管理するシステムができた。その秩序を守り、ヨーロッパを教会法で統合したのがローマ・カトリック教会だった。

ここでは個人は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは「自己責任」となる。個人主義はこのような特殊ヨーロッパ的な思想であり、自然な感情になじむものではなかったが、「強い個人」が結ぶ契約と非人格的な法秩序は、文化を超えてすべての社会に通じる普遍的モデルになった。

アメリカはそれが純粋培養された契約社会であり、そこで生まれたインターネットは、アメリカ社会の鏡像である。それはローカルな文化から切り離された個人がコントロールするネットワークであり、日本人のなじんできた親密な世間とは異なる世界である。日本人がそれに適応できるかどうかが、デジタル・トランスフォーメーションの本質的な課題だろう。

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森鴎外はなぜ麦飯を否定したのか

病気の日本近代史 ~幕末からコロナ禍まで~(小学館新書)
コロナをめぐる日本の論争をみると、医学界の権威主義の根強さを感じる。物理学のように明快な理論と実証データがない医学では、グレーな問題は学界の権威で決めざるをえない面があるのだろうが、それに加えて日本の医学界では学閥や役所の権威主義が強い。

その弊害を示す歴史的な事例が、森林太郎(鴎外)が脚気を感染症と誤認した問題である。日露戦争では白米を主食とした陸軍の戦傷病死3万7000人のうち、2万8000人が脚気によるものと推定されている。戦死者の3倍が脚気で死亡する惨憺たる状況だった。

それに対してパンを主食とした海軍では、脚気は皆無だった。海軍省医務局長の高木兼寛はイギリス海軍にならってパン食を採用し、遠洋航海で多発していた脚気を絶滅した。その因果関係は当時はまだわからなかったが、イギリス的経験主義で実利的な解決策をとったのだ。

ところが陸軍省医務局長の石黒忠悳は兵士に毎日白米6合を支給する方針に固執し、その理論武装のために森をドイツに派遣した。彼は白米の優越を主張する論文を医学雑誌に250本も発表し、栄養やコストなど、あらゆる面で米食がすぐれていると主張した。脚気の原因は不明だが、そのうち「脚気菌」が発見されるだろうと予想していた。

この論理には無理があったが、彼のバックには(石黒の後ろ盾だった)山県有朋の政治力があった。脚気論争では海軍と明治天皇は麦飯派だったが、陸軍と内務省衛生局(今の厚労省)と東大医学部は白米派だった。森は山県の側近として白米至上主義の論陣を張り、医務局長に出世した。続きを読む

江副浩正とともに失われた日本のデジタル革命

起業の天才!―江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男
1980年代まで日本企業は世界経済のリーダーであり、来たるべきデジタル革命の中心になると思われていた。その中心が江副浩正ひきいるリクルートだったが、いまリクルートの社史に創業者の名前はない。リクルート事件とともに彼の名は歴史から抹消されようとしているが、その再評価が必要だと思う。

リクルートは就職情報誌から出発したが、80年代に不動産で巨額の利益を上げた。そのころ私も何度か彼を取材したが、土地問題では「固定資産税を上げるべきだ」と主張していたことが印象的だった。当時、財界は増税に反対だったが、合理主義者の江副は、土地の保有コストを上げて不動産市場を流動化しないと開発が進まないと考えたのだ。

江副が不動産で上げた巨額の利益を注ぎ込んだのが情報産業だった。NTTの真藤総裁に食い込んで専用線のリセールやコンピュータの時間貸しなどの事業を始めた。真藤もNTTの官僚体質を変える外人部隊としてリクルートを活用し、公社時代だったら癒着と批判されるぐらい密接に連携して新しい通信サービスを売り込んだ。

それが結果的には仇になった。NTTは民営化されたとはいえ特殊会社であり、NTT社員は「みなし公務員」なので、未公開株の譲渡が贈賄に問われたのだ。真藤を初めとする改革派エリートが起訴されて失脚し、「公社のカルチャーを捨てて民間企業になれ」という真藤路線は180度転換され、日本のデジタル革命は挫折してしまった。

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