與那覇潤さんと対談した本が、きょう発売された。私の書いたあとがきを掲載する。

長い江戸時代のおわり
日本人は、世界にもまれな「平和を愛する国民」です。それは縄文時代から1万年以上にわたって積み重ねられた伝統であり、長い平和を維持して洗練した文化をつくった歴史を誇ってもいいと思いますが、それは世界史的にも稀有な幸運によるものでした。

島国だったことで大陸から攻撃されず、山の尾根に隔てられて内戦も起こりにくい地理的な条件があり、水田稲作の共同作業で「閉じた社会」が維持されました。その「家」を守る武士は、ユーラシアで戦争の最大の原因となった遊牧民に比べると弱体でしたが、さいわい海で守られ、江戸時代には「家」を守ることで250年も平和を維持しました。
幕末は大きな危機でしたが、ヨーロッパの脅威に対して徳川家から薩長に政権交代して乗り切りました。このときもアメリカが南北戦争で日本を支配する余裕がなかったことが幸運でした。

藩閥政治への不満は強く、タコツボ的な官庁や陸海軍を統合する中枢機能がなかったため、昭和に入ると政府が軍をコントロールできなくなり、泥沼の日中戦争や勝ち目のない日米戦争に突入してしまいましたが、終戦直後には、占領統治で立ち直りました。このとき日本は、昭和天皇の「聖断」で本土決戦をまぬがれました。

それは日米戦争の大失敗を幸運に変える決断でした。降伏があと半年遅れていたら、日本はドイツや朝鮮半島のように分割されていたでしょう。マッカーサー将軍という「絶対君主」の指導で民主国家を建設し、奇蹟的な成長を遂げたのです。

占領統治は暫定的なもので、独立したら憲法を改正して自立するはずでしたが、占領軍に与えられた憲法第9条が日本人の伝統的な平和主義と相性がよかったため、改正できないまま、憲法が左派の教条主義になる一方で、右派のルサンチマンになり、不毛な憲法論争が延々と続いてきました。

国防はアメリカに外注し、日本はそれに追従するというのが、戦後の日本外交の一貫した方針でした。それは冷戦時代には一種のリアリズムでしたが、そういう「長い江戸時代」は終わりました。ウクライナの次は、台湾で武力衝突が起こるリスクが大きいが、そのときも主役は米軍であり、日本の役割は後方支援だけという役割分担で国は守れるのでしょうか。

日本が核武装することは、左翼の非武装平和主義と同じぐらい夢想的ですが、日本近海の戦闘で米軍がどこまで日本を守ってくれるかはわからない。ウクライナをみてもわかるように、核保有国に対する反撃は困難です。憲法論議とは別に、日米地位協定など具体的な同盟関係の見直しが必要だと思います。

「長い江戸時代」の日本に欠けていたのは、人が生まれ育った「閉じた社会」を脱出して新しい社会に移動するダイナミズムでした。それが平和を維持した所以でもありますが、日本はすでに人口減少という「変曲点」を通過し、下り坂をおりてゆく局面にさしかかっています。好むと好まざるとにかかわらず、高度成長期の「輸出立国」モデルを卒業し、海外から人と資本を受け入れてグローバル化する「開かれた社会」にならざるをえない。

幕末には、このような大きな環境変化に対して日本は「開国」という形で改革を実現しました。終戦直後にも占領統治を利用して「閉じた社会」を組み替え、環境変化に適応しました。このように危機をバネにして巧妙にシステムを切り替える日本人の知恵は、今後も生きると思います。

 目次
  • 第1章 軍事:ウクライナ戦争で「平和主義」は終わるのか
  • 第2章 政治:「自民党一強」はいつまで続くか
  • 第3章 経済:「円安・インフレ」で暮らしはどうなるか
  • 第4章 環境:「エコ社会主義」に未来はあるか
  • 第5章 中国:膨張する「ユーラシア」とどう向きあうか
  • 第6章 提言:日本の未来も「長期楽観」で