日本の宗教と政治 ― ふたつの「国体」をめぐって
統一教会をめぐってマスコミが騒がしくなってきたが、その根幹に勘違いがある。近代国家では政教分離が原則だというのはフィクションであり、日本にはもともと「政教一致」した歴史もない。

創価学会は公明党として政権の一角に参加している。安倍首相が靖国神社を参拝して「政教分離の原則に反する」と批判を浴びたこともあるが、それが政治に影響を及ぼすことはない。国家神道はヨーロッパ的な意味での宗教ではなく、明治政府のつくった「表の国体」にすぎないからだ。

信教の自由は「自由にものをいう権利」ではない。それはジョン・ロックの『寛容についての手紙』(1689)以来の異教徒への寛容で戦争を防ぐ原理だった。近代の内戦のほとんどはカトリック教会への反逆だったが、教会は国家と癒着して既得権を守ったので、戦いは決着がつかないまま200年以上続いた。それを収拾するために内面の信仰と外的な政治を分離する妥協案が政教分離と信教の自由だった。

しかし日本ではそんな必要はない。そもそも日本人が(キリスト教のような意味での)宗教をもった歴史もない。日本人を統合してきたのは、本書の言葉でいうと古代から続く裏の国体だからである。これは丸山眞男の言葉でいえば、まつりごとの構造だろう。

ローカルな平和を守った「裏の国体」

ヨーロッパのような「開かれた社会」では、特定の宗派(政治的信条)を信じる人が集まって「国」をつくり、他の国を征服するために戦争するので、それが終わるのはどっちかの宗派が他を征服し、奴隷にするときだった。

しかし日本では「村」や「家」などの「閉じた社会」の中で平和を保つシステムが発達したので、このように他国を完全に支配する必要はなく、一神教も必要なかった。むしろ特定の権力者が全国を支配しないように制度が設計された。

そのトップに天皇という名目的な君主はいるが、それは(特に中世以降は)権力をもたないように周到に設計された。この意味では、日本は古代からずっと共和制だったのだ。靖国神社は、このような西洋の政教分離の伝統とは無関係な、明治政府のイデオロギー装置である。

求心力の弱い天皇制を「国教」として守るために治安維持法ができ、国体の変革をめざす政治結社や宗教を特高警察が弾圧した。この国体という言葉は無定義語で、危険思想をすべて弾圧できた。いま「反社」を取り締まれと主張する人々のいう反社も、こういう無定義語である。

統一教会のようなカルトは、政治には何の影響もない。それが霊感商法のような犯罪に加担し、信者を破産させて家庭を崩壊させたとしても、政治には無関係だ。日本には、政教分離という問題は存在しない。日本社会を支えている「裏の国体」は、今後も変わらないだろう。それは日本人がそれを意識していないからだ。