きのうのシンポジウムでは、ホリエモンの原子力についての話が印象的だった。3・11から11年たち、全国の原発には動いていた時期を知らない人も多い。もっと深刻なのは、原子力開発を志す若者がいなくなったことだ。その教訓を航空機産業に学ぶことができる。

三菱重工が国産ジェット機(MRJ)の開発を開始したのは、2008年だった。これは座席100席程度で地方路線を飛ぶ「リージョナル・ジェット」で、YS-11で成功した航空機技術を生かし、日本がジェット機に進出しようというものだった。

日本の航空機は、かつてはゼロ戦のように高い技術をもっていたが、敗戦で航空機メーカーが解体された。1950年代に開発が許可され、1965年には戦後初の国産航空機、YS-11が就航した。日本の製造業は自動車のように部品が3万点以上だと優位性を発揮するが、航空機の部品は100万点以上で、日本の得意分野だった。

YS-11は部品の50%以上を分担する三菱など7社が各部品を分担して開発したが、商業的には成功しなかった。1980年代以降の航空自由化の中で価格競争が激化して海外では赤字受注になり、市場が国内に限られたからだ。

それから40年をへて、国交省が支援して三菱が開発したのがMRJだが、開発は難航し、2020年に事業が凍結された。その原因は複雑だが、ホリエモンが指摘したのは、YS以来40年の技術の空白だった。航空機のように複雑な製品になると、要素技術だけでなく、それを組み合わせる総合調整力が必要になる。それが途切れてしまったのだ。

原子力技術は今のところまだ日本が世界のトップだが、今のままでは航空機と同じ運命をたどるおそれが強い。原発は部品1000万点に及ぶ巨大プロジェクトであり、しかも日本はそのほとんどを国内で調達している。このサプライチェーンがいったん失われると、再構築はむずかしい。ホリエモンの見立てでは「原子力産業の余命はあと10年」だという。

このままでは中国が世界最大の原子力大国になる

その兆候は、大学から「原子力工学科」が消えていることだ。3・11以降、優秀な学生が原子力を専攻することはなくなった。かつては学問的にもエリートが集まり、資金も豊富だったが、今は大学院以上しか原子力専攻コースはない。

これは日本の製造業にとっても深刻な問題である。かつて日本が高い競争力を誇った電機産業は製造拠点を海外に移転し、国内に残っている大きな産業は自動車しかない。それもEVによってトヨタの覇権が脅かされている今、原子力は数少ない世界のトップ産業なのだ。

経済産業省も、それは意識している。彼らの最大の所管業界は電力であり、高い競争力をもつベンダーがエネ庁の業界に対する支配力ともなっているのだが、原子力が衰退すると電力コストが上がり、製造業の国際競争力が失われる。

さらにIEAも指摘するように、このままではあと10年で中国が世界最大の原発大国になり、ロシアを含めた独裁国家が世界の原子力のほとんどを占めるようになる。中国の電気料金は、日本の1割以下になる。

従来型の軽水炉だけでなく、SMRなどの小型原子炉やHTTRなどの次世代炉を開発する選択肢もあるが、これにもエネ庁の姿勢が中途半端で、ベンダーも開発にコミットできない。「再エネを主力エネルギーにする」という空想的な目標を掲げたからだ。

原子力はもはや民間では開発も運転も困難な産業になってしまった。いったん国有化して再出発しないと人材が失われ、航空機のように立ち直れなくなってしまう。