石原莞爾の世界戦略構想(祥伝社新書460)
今のウクライナの状況は、1930年代の中国に似ている。ロシア軍はドンバス地方を占領し、これをみて陰謀論者は「プーチンの勝利」を祝っているが、これは満州事変で日本が勝利したようなもので、戦争が泥沼化する悪い予兆である。

陸軍の暴走の元凶のようにいわれる石原莞爾は、日本軍が中国を支配できないことを知っていた。朝鮮半島を領有した日本が満州を支配するのは、当時の世界では常識の範囲だった。満州事変は国際法違反だったが、リットン調査団は既成事実を認めた。これはクリミアのようなものだった。

石原にとって満州は対ソ戦の前進基地であり、華北に戦線を拡大するつもりはなかった。彼は第一次大戦はヨーロッパの局地戦であり、次の戦争でも日本はそれに参加する必要はないと考えていた。その目標は20世紀後半に来る日米の「世界最終戦争」であり、そのためには「五族協和」でアジアが結束すべきだと考えていた。

これに対して永田鉄山は、来るべき戦争はアジアを含む世界大戦になると考え、中国全土を占領してその補給基地とするつもりだった。参謀本部の大勢は永田の強硬論に傾き、1936年に永田が暗殺された後もその影響は強く残った。永田の戦略に共鳴した武藤章は、永田が起案した華北分離工作を実行し、日本軍を南下させた。

石原はこれに反対したが、その運命の分岐点になったのが、1937年1月に宇垣内閣が流産した事件だった。宇垣の組閣を阻止したのは石原だったが、その代わりに首相になった林銑十郎は陸軍の暴走を抑えられず、石原は参謀本部から追放された。この工作を石原は「人生最大の失敗だった」と後悔した。

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