旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 (全集 日本の歴史 1)
人類の歴史は、気候変動と関連している。縄文時代が始まった1万3000年ぐらい前は、氷河期が終わって温暖化し、植物が生育するようになった時期だった。われわれの祖先は、この時期から日本列島に定住し、植物を採集して暮らすようになった。

しかし6000~7000年前から寒冷期が始まり、植物が自由に採集できなくなった。この時期に大陸では黄河文明が始まり、多くの人々を潅漑工事に動員し、農業で自然を支配する国家が生まれた。本書はこのようなタイプの文化を「文明」型文化と呼ぶ。

われわれは「文明」しか知らないので、それ以外の「未開社会」は遅れたものと考えているが、人類の歴史上の圧倒的多数は狩猟採集社会であり、穀物を栽培する農業はたかだか7000年前に生まれたものだ。

多くの人が特定の地域に定住して農耕で富を蓄積するようになると、土地を奪い合う。文明が戦争を生んだというのは逆である。戦争で生き残った国だけが今日に残っているのであり、文明とは戦争で生き残った民族の生存バイアスなのだ。

日本の縄文時代のような農業なき定住社会は、他には北米の先住民にしかみられない。彼らが16世紀まで生き残ったのも、アジアから渡ってきて北米に隔離されたからだが、国家をもつ白人との戦いで全滅した。日本人が大陸と海を隔てていなかったら、北米先住民のように全滅しただろう。

「平和ボケ」は日本人の文化遺伝子

その意味で日本が「文明化」したのが弥生時代(3000年前~)だった。農耕を伝えたのは大陸からの渡来人だったと思われるが、日本列島に住んでいた縄文人と戦争した形跡はみられない。むしろ「進んだ文化」として積極的に同化したようだ。

この点では遊牧民と農民の戦争が繰り返された大陸の「文明」とは違う。その変化は大陸に近い九州北部から始まり、人口もこの地域で急増した。これは農業が発展し、穀物が蓄積されるようになった時期で、この時期から戦争の遺跡がみられるようになる。

弥生時代の国家は小規模な地域国家だったが、それが次第に集約され、古墳時代(3~7世紀)には特徴的な巨大な墓がつくられるようになる。これは明らかに国家権力を象徴するものだが、それは天皇や律令制などの本格的な国家ができると消えてしまう。

その原因は、本書によれば文字が中国から輸入されたからだという。文字のないときは、国家の首長の権力を誇示するのは墳墓や銅鐸のような装飾品しかなかったが、文字ができると神話が権力の源泉になる。歴史とはこのような勝者による生存バイアスの物語であり、それは現代も同じだ。

この点で日本は、中国から5000年ぐらい遅れて国家の形を整えたわけだが、中国から輸入した国家というモデルは根づかず、統一国家の歴史は最近150年ぐらいしかない。他国から侵略された歴史はほとんどなく、侵略したこともごくまれだ。日本人の平和ボケは、縄文時代から継承された文化遺伝子なのだ。