人はなぜ戦うのか - 考古学からみた戦争 (中公文庫)
ウクライナ戦争をめぐって橋下徹氏がウクライナ軍に「命が大事だから逃げろ」と言って失笑を買ったが、国のために命を危険にさらす戦争は不合理な行動である。誰でも死ぬのはいやだから、命より大事なものがないと戦争には参加しない。

ところがウクライナ軍は予想を裏切って、軍事的には圧倒的に優位なロシア軍に抗戦した。これを「アメリカの陰謀だ」とか「ネオナチの暴走だ」という人がいるが、そんなもので何万人も死者を出して3ヶ月も戦うことはできない。そこには個人の合理性を超えた感情がある。

人間がなぜ戦争するのかについては、昔からいろんな説がある。フロイトは人間には「闘争本能」があるといったが、これには証拠がない。霊長類は個体どうしが戦うことはあるが、集団で戦争を行うことはない。人類も、旧石器時代の遺跡には戦争の痕跡がない。

石器を使うようになると、他の個体を殺すことが可能になる。飢えという強烈な動機があれば、闘争本能がなくても、他の個体を殺して食うだろう。これは動物を殺して食うのと同じだが、集団で戦う必要はない。狩猟採集社会では強い集団から逃げればいいからだ。

戦争の痕跡がみられるのは新石器時代で、その9割以上は農耕社会の遺跡からみつかるという。日本では、縄文時代は1万5000年前から3000年前まで1万2000年も続いたが、その遺跡から戦争の痕跡は出てこない。戦争が始まったのは、農業の始まった弥生時代からだ。それはなぜだろうか。

日本人の中のアナーキズム

これについても諸説あるが、日本で農業が始まったのは大陸より5000年以上遅い。中国では8000年前から農業が始まり、縄文時代には人々は定住していたのだから、農業の条件は整っていたのに、縄文人は農業技術を輸入しなかった。

その原因は心理的な「抵抗」だったのではないかというのが、本書の仮説である。これは根拠薄弱にみえるが、当時の縄文人の気持ちになって考えると、乾燥地帯で潅漑がないと作物の育たなかった大陸とは違い、日本は四季に豊かな恵みがあり、魚介類もとれた。水田のような面倒な技術は必要なかったのだ。

農業が狩猟採集より豊かだというのも偏見で、サーリンズなどが指摘するように、農業と並行して行われた時代の狩猟採集民は農民より豊かだった。農業の生産性が狩猟採集より高くなるのは、穀物が大規模に栽培されて蓄積されるようになってからだ。

潅漑農業は大規模な投資であり、その受益者が決まっていないと、投資する人はいない。命令しても逃亡してしまう。そして穀物は貯蔵できるので、その収穫は領主が分配し、それを他国から守る必要がある。だから農産物の蓄積で国家は豊かになり、その富で国家は軍事力を装備し、農業と国家は共進化した。

戦争や国家が農業(穀物栽培)とともに始まる現象は、スコットも指摘しており、世界的な現象のようだ。農業とは単なる耕作技術ではなく、潅漑設備をつくる中央集権国家と一体なのだ。分散的な定住社会で1万年以上暮らしていた日本人には、国家をきらうアナーキズムが身についている。

縄文時代の文化遺伝子

部族間の戦いは狩猟で暮らす未開民族にもみられるが、国家間の戦争は農業社会にしかみられない。逆にいうと、そういう大規模な戦争で平和的な部族を併合してきた国家が歴史に残ったといえる。

縄文文化も、弥生文化に併合されて消えてしまった。それは縄文式土器にもみられるように文化的には豊かだったが、戦争を知らない文化だったからだろう。弥生時代以降も、日本は大陸に比べれば戦争が少なく、国が丸ごと滅亡することもほとんどなかった。

中国をみれば明らかなように、18世紀までの歴史は、穀物を生産する農民と、それに寄生する遊牧民の戦いだった。平和主義の農民は遊牧民に襲われると勝てない。スコットも指摘するように、国家が発展したのは、農民が遊牧民との戦いに勝つためだった。

日本が幸運だったのは、遊牧民との戦争を経験しなかったことだ。それは鎌倉時代に2度だけあったが、ほとんど戦わないで勝った。軍事的に無力な日本が朝鮮半島のような位置にあったら、韓国のような中国の属国になっただろう。そういう宝くじに当たるような幸運に恵まれた日本人が、戦争についてリアリズムをもつことはむずかしい。

文字が輸入されたのも弥生時代なので、記録に残っているのは、天皇家の出現した時期以降の大陸の影響を強く受けた歴史だが、それは人々の「新しい脳」の表層的な歴史である。「古い脳」には、縄文時代に形成された、争いをきらい、小集団の中で仲よく定住する習性が根づいている。

それは厳密な意味での遺伝子(DNA)ではないが、人々は独裁者をきらうので、暴力的な人は集団を追われ、天皇のような無害な君主が「みこし」としてかつがれる。それはよくも悪くも長い時間をかけて形成された日本人の文化遺伝子であり、その比較優位を生かすことが大事だと思う。