ウクライナ戦争は、プーチンの戦争である。これをロシアの国家意志とみるのは早計で、独裁国家の必然と一般化する前に、プーチンの特異な個性を理解する必要がある。

彼はソ連の秘密警察KGBの出身だがエリートではなく、ソ連の崩壊後は失業した時期もある。それが国有財産の売却を食い物にしたオリガルヒ(新興財閥)と結託して、エリツィン政権の秘密警察(FSB)長官になった。

1990年代後半には腐敗したエリツィン政権に対する批判が強く、共産党が政権を奪回すると思われたが、これに対抗してオリガルヒが擁立したのがプーチンだった。彼は1998年に首相になる直前に、テロリストを取り締まると称してチェチェンに介入した。

これに対してチェチェンの武装勢力がロシアで4ヶ所の集合住宅を爆破し、300人以上が死亡したという理由でロシア軍はチェチェンに侵攻し、数万人を殺した。この第2次チェチェン戦争でプーチンの支持は高まり、2000年の大統領選挙で当選した。

しかしこのきっかけとなった爆破事件の容疑者として逮捕されたのは、FSBの工作員だった。これについてFSBは容疑を否定したが、今に至るも真相は不明である。爆破事件もチェチェン戦争も、プーチンが大統領の座を勝ち取るための謀略だった疑いが強い。

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