縄文の思想 (講談社現代新書)
日本人が「単一民族」だという話は、よく批判の的になる。昨年も麻生太郎氏が「2000年の長きにわたり、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」と発言して問題になった。

そのとき国会で野党が追及した根拠は、アイヌを「先住民族」と規定したアイヌ新法だった。これについてはアイヌ民族の実態はもうないという批判があるが、アイヌが先住民族だったことは事実である。

遺伝的にはアイヌと琉球人が遺伝的に近いことがわかっている。かつて日本の北から南まで縄文人が住んでいたが、九州から上陸した弥生人がそれを駆逐して農耕文化を築いたと推定できる。近畿地方を中心にして同心円状に分布する方言の分布も、それを裏づけている。

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日本人は天皇を中心として稲作で生活する農耕民というイメージは、いくらさかのぼっても弥生時代(紀元前600年)以降である。それ以前の日本列島には狩猟・採集・漁労で生活する縄文人が住んでおり、その子孫がアイヌだというのが本書の仮説である。

「贈与と返礼」で内部の秩序を守る

弥生人が大陸から来たことは間違いないが、それが「騎馬民族」のような征服民族だったわけではない。侵略戦争が行われた形跡はなく、縄文人は弥生人とまじわり、平和的に今の日本人になったと思われる。

しかし農業をしない縄文人の一部が北上あるいは南下し、アイヌや琉球人になった。彼らは漁業で生活する海民であり、入れ墨や抜歯の風習があった。その一部は九州や瀬戸内海にも残り、船に住んでいるので「家船漁民」と呼ばれた。その生活に、著者は縄文人の痕跡を見出す。

彼らは貨幣経済をきらい、平等主義で首長をもたない。上からの命令をきらい、ボトムアップの話し合いで意思決定を行う。成人式(通過儀礼)のとき入れ墨を入れ、他部族の違いを強調する。他部族との交流も行うが、これも市場経済ではなく贈与と返礼で行う。

家船漁民は金銭をきらい、とった魚を知人に与えた。その返礼として祭事に招待してくれると喜び、その知人を「親戚」と呼んだという。ここでは市場のようなよそよそしい関係ではなく、互いに貸し借りを行うことが「内部」に入れることになったのだ。

そういう貸し借りのない「異人」を内部に入れることはない。これは折口信夫が南島で発見してまれびとと呼び、柳田国男が山の中で発見して山人と呼んだ人々と同じで、網野善彦の「無縁の民」とも多くの共通点があるが、弥生時代以降は縄文人が「外部」になった。

小集団の中の同調圧力が強く、トップダウンをきらう縄文人の習性は国家形成には向いていなかった。弥生人が上陸してきたころ、大部分は抵抗せず同化したが、農耕文化になじめない海民は北海道に逃げて「蝦夷」になった。それを征服する征夷大将軍が律令国家の重要なポストだったが、中世には意味がなくなった。蝦夷は戦争に弱く、ほとんど抗戦しなかったからだ。

現代の日本人は単一民族ではなく、遺伝的には縄文人と弥生人の複合民族だと考えたほうがいい。コロナ対策でも、ゼロリスクを求める大衆に対して、自由を求める少数の人々が辛うじてバランスをとっているのが救いである。日本人の「最古層」には、自由を求めるノマドの文化遺伝子もあるのだ。