世界的にインフレ基調になり、インフレ目標2%を設定した日銀は大喜びかと思ったら、黒田総裁はご機嫌斜めだそうだ。日銀が国債の保有残高を減らして「出口」にさしかかったときインフレになるのは、彼の「異次元緩和」がトンチンカンだったことを示しているからだろう。

インフレ目標は2013年1月に白川総裁の時代に設定し、黒田総裁が「マネタリーベースを2年で2倍にして2%」というキャッチフレーズで実現しようとしたものだ。図のように2014年には一時的にドル高・原油高で2%を超えたこともあるが、為替が落ち着くと元に戻った。いまだにCPI上昇率は0.1%である。

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社会実情データ図録

標準的なマクロ経済学(DSGE)には、インフレ目標という概念はない。実務的にはインフレのメリットは、賃金の下方硬直性ゼロ金利制約を解決できることだが、前者は日本では「非正規」で解決された。後者の原因は自然利子率がマイナスになっていることなので、それを解決しないで日銀が「期待に働きかける」だけでインフレが起こることはありえない。

これは2013年に(私を含めて)ほとんどの経済学者が指摘したことだが、黒田総裁は「インフレ目標2%が世界標準だ」と自信たっぷりだった。しかし9年間の壮大な社会実験は、通説を確認しただけだった。何がまちがっていたのだろうか?

7割の国民は2%目標を知らない

黒田総裁の目的はインフレではなく、円安ターゲティングだったと思われる。そのねらい通り、2014年にはコアCPI(生鮮食料品を除く総合)は一時的に3%を超えたが、しばらくすると元に戻ってしまった。

それをリフレ派は「消費税の増税が原因だ」と主張し、安倍首相もそれにだまされて2015年の消費増税を延期したが、これは誤りである。これはドル高と原油高による物価水準の切り上げで、持続的なインフレではなかったからだ。

このとき1ドルが90円前後から110円前後に20%以上切り上がったので、輸入物価は上がったが、それは1回かぎりの効果であり、その後もずっと物価が上がり続けるわけではない。消費者物価指数でみると、2015年以降はほぼ横ばいである。

もう一つの失敗は「期待に働きかける」という黒田総裁の手法である。DSGEでは、代表的家計の予想は事実上の独立変数(無限の将来にわたるマクロ変数を計算した結果)なので、理論的にはこれに影響を与えるフォワード・ガイダンスで予想インフレ率を変えることができる。

しかし現実には、インフレ予想は起こらなかった。その一つの原因は、人々が将来のマクロ経済を計算して予想を形成するのではなく、これまでの行動の延長で形成するからだが、もっと単純な原因は、ほとんどの人がインフレ目標を知らないことだ。

日銀のアンケート調査によれば、2%のインフレ目標を「知っている」と答えた人は、2018年でも29%。36.4%が「見聞きしたことはあるが、よく知らない」、33.6%が「見聞きしたことがない」と答えている。つまり国民の7割は2%目標を知らないのだ

他方、外為市場でインフレ目標を知らないプロはいないので、ドル円レートは大きく反応した。厳密にいうとマネタリーベースが増えても、ゼロ金利ではマネーストックが変わらないので円が下がる理由はないのだが、外為市場の99%は投機なので、予想が変化して「悪い均衡」から「よい均衡」にジャンプしたのだ。

おかげで一時的に輸入インフレは起こったが、社会全体のインフレ予想は起こらなかった。これが黒田総裁の最大の誤算だったと思う。エリートが間違える原因は、一般大衆が自分と同じように頭がいいと思い込むことである。