政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
10年前は二大政党ができるかと思われた日本の政治はどんどん劣化し、立民党は55年体制のような「1.5党体制」に戻ろうとしているようにみえる。それに対して一時期は二大政党ができた戦前の政治は、まだましだった。

日本は明治時代にヨーロッパから立憲君主制を輸入したが、それがどう機能しているのかよくわからなかったので、帝国議会には立法権もなく、内閣も組閣できなかった。この結果、議会の争点は政策論争ではなく、議員の腐敗やスキャンダルを暴くことになり、政党は政策集団としては機能しなかった。

これに対して伊藤博文は、官吏とともに国家のために政策を立案する「吏党」として立憲政友会をつくり、それに対して自由民権運動は民政党という「民党」に結集し、政権交代も行なわれた。1927年に浜口雄幸の結成した立憲民政党の理念は「議会中心、軍縮、健全財政」であり、彼らの集票基盤は地主や財閥などの高額納税者だった。

政友会が「税金を使う党」だとすると、民政党は納税者の党だった。超高齢化社会になった日本にも必要なのは、社会保障を負担するサラリーマンの党だが、それは可能だろうか。

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