ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日本経済新聞出版)
「ものづくり」の限界がいわれて久しいが、日本企業はそれをいまだに超えることができない。その原因が部分最適化の傾向である。ゼロ戦や戦艦大和のように見事な兵器をつくっても大量生産できず、戦争には負けてしまう。

このような組織のタコツボ的な性格は、中根千枝や丸山眞男など多くの人々に指摘されてきたが、その一つの原因は江戸時代以降の「家」だろう。中世の農業は比較的大規模な惣村を単位として経営されたが、近世以降は「家」の直系家族(2~3世代)を単位として経営されるようになった。農業生産性が上がり、長時間働いた農民はその収穫をえられるようになったからだ。

徴税の基準となる石高は1700年ごろ凍結され、検地には農民が百姓一揆で抵抗したので、検地はほとんど行なわれなくなった。このため武士は貧しくなったが、新たに開墾した土地や米以外の収穫はすべて農民のものになったのでインセンティブは強まり、長時間労働で果てしなく働く勤勉革命が生まれた。

他方、数百の都市国家が激しい戦争を繰り返していた西洋では、都市の限られた人口を資本で補い、労働節約的な技術を開発する産業革命が起こった。もっとも重要なのは軍事技術であり、戦争に勝つという全体最適が必要なので、西洋の工場は早くから「軍隊化」し、交換可能な労働者で大量生産するシステムができた。

これに対して日本では「現場」が重視され、労働者の企業特殊的な熟練を受け継ぐ伝統が続いてきた。ここで大事なのは個々の製品の品質だから、価格や大量生産などのシステム全体を最適化する発想は生まれにくい。企業買収を防ぐために「持ち合い」が行われ、企業への忠誠心を失わせる雇用流動化は否定される。

この意味で「家」は血縁集団も地縁集団でもなく、一種の協同組合(アソシエーション)だった。日本の企業が労働者管理企業だといわれるのは偶然ではない。それはサラリーマン経営者と労働者の「家」を超える大名のような資本家を拒否する協同組合なのである。

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