中世は核家族だったのか (歴史文化ライブラリー 524)
きょうからアゴラ読書塾「『家』の日本史」がスタートする(ZOOM受講者はまだ募集中)。「家」をテーマにしようと思った一つの理由は、これが「保守」を自称する人々に誤解(あるいは曲解)され、政治的に利用されているからだ。

姓は父系血縁集団(宗族)を示す中国の制度であり、日本の伝統も夫婦別姓だったが、武士や貴族以外に姓を名乗る人はほとんどいなかった。生活の単位は、血縁とほとんど無関係に共同で農地を耕作する「家」だったからだ。中世以降、多くの「家」を示す苗字ができたが、これは姓とは別の通称である。

ところが明治時代にドイツに押しつけられたファミリーネームを「氏」として民法で定めたので、これを伝統的な姓と混同する人が多い。明治の「家」制度は男尊女卑で、長男が全財産を相続し、次三男にも女性にもまったく権利がなかった。

このような長男相続の直系家族は、近世以降の武士の制度である。本書のような最近の研究では、民衆の大部分は中世まで核家族だったと考えられている。その原因は、多くの民衆は移動して生活していたので、相続する住宅も土地もなかったからだ。

財産のある武士には中世から直系家族が生まれたが、それは血縁集団ではなく一族郎党が集まる法人であり、そのリーダーには武力にたけた男が婿取りで選ばれることが多かった。そこで守るべきものは血筋ではなく「家」で生活する人々の生命・財産だったからだ。

agoradokusho

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