尊皇攘夷: 水戸学の四百年 (新潮選書)
高市早苗氏を初めとする劣化保守が信じている夫婦同姓や男系の皇統などは日本古来の伝統ではなく、明治時代に偽造されたナショナリズムである。それも一つの伝統ではあるが、コモンロー的な自生的秩序ではなく、日本人の心の中には根づいていない。

天皇が尊敬の対象になったのは、そう古いことではない。江戸時代なかばまでのミカド家は貧しい公家の一つで、13世紀以降は「**天皇」という謚さえなかった。その皇統譜ができたのは1925年であり、天皇家の系図は日本書紀と同じように後世につくられた神話である。

天皇が国家の象徴になったのは儒学の影響だが、本来の儒学では中国の皇帝以外は「夷狄」なので、ミカド家が天皇を自称するのは僭称だった。この正統性の問題は江戸時代の儒学者の論争のテーマで、そこから生まれたのが水戸学だった。

ここでは古来の天皇が日本の正統な君主で、将軍家はその地位を簒奪したという儒教的な価値観で歴史が編纂され、それが尊王攘夷という排外主義になった。その元祖が会沢正志斎や藤田東湖などの後期水戸学で、著者はここにグローバル化の意識を見出している。

江戸時代までの「いくさ」は各藩の紛争であり、それを防ぐために武士を農村から切り離して城下町に集めたが、これでは対外的な戦争にそなえることができない。そこで会沢が提案したのは、武士を農村に返して国土を防衛し、一国一城制や参勤交代を廃止する改革だった。

そこで明治時代に幕藩体制を超えるナショナルな権威としてつくられたのが天皇だったが、それは結局、根づかなかった。それは敗戦であっという間に人々が明治憲法を捨てたことでもわかる。日本人にとってナショナルな記号には実体がないので、天皇でもマッカーサーでもよかったのだ。



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