日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)
コロナをめぐって迷走する意思決定をみて、戦前を連想する人は多い。最近ロックダウンを求めるなど発言が過激になってきた尾身分科会長をみて、東條英機を連想するのは、私だけではないだろう。

共通するのは専門家の暴走である。軍部はいつの時代にも、戦争を求める。地震学者は地震対策に無限のコストを求め、気象学者は気候変動に無限の対策を求める。感染症学者が感染症対策に無限のコストを求めるのも当然であり、政治はそういう個別利害を超え、全体最適を考えて判断しなければならない。

それが文民統制の本来の意味だが、戦前の日本では軍部に知的エリートが集まり、その権威に政治家が勝てなくなった。軍部が「統帥権の独立」という論理で独立性を主張し、政府が決定して専門家が実行する階層構造が崩れてしまった。

その結果、指揮系統が混乱して両論併記と非決定で先送りが続く。それで何もしなければまだいいのだが、最後は状況に迫られ、ドタバタの中で誰も望まない結論が出てしまう。日米開戦は東條さえ望まななかった。

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