The Socialist System: The Political Economy Of Communism (Clarendon Paperbacks)
昨今の「反緊縮」をめぐる論争は、ある意味では一点に集約される:政府には予算制約があるのか、ないのかということだ。これについてMMT派のビル・ミッチェルの答は明快である。
MMTは政府の予算制約(Government Budget Constraint)では始まらない。我々はその概念を明らかに拒絶している。[…]政府の購入能力は金融的に無限である

政府(中央銀行)はいくらでも通貨を発行できるので、その予算に金融的な限界はない。制約は「実物的なインフレ」だけなので、インフレにならない限り、政府支出はいくら拡大してもいい――これは荒唐無稽にみえるが、短期の理論としては成り立っている。問題は、政府支出と債務が際限なく膨張したら、長期的に何が起こるかということだ。

MMTの世界は、コルナイの描いた初期の社会主義に似ている。そこではモノバンクと呼ばれる一つの国営銀行がすべての企業に資金を供給したので、決済機能がなかった。企業の経営が悪化すると、モノバンクは際限なく融資し、その資金を返済する義務もなかった。政府が価格統制したので、インフレも起こらなかったが、経済は破綻した。それはなぜだろうか。

社会主義経済は「政治化」する

その原因は、当初は計算量の問題だと考えられた。社会全体の最適化問題には膨大なデータが必要で、それを刻々と計算する作業は、当時のコンピュータでは不可能だった。1965年に発表されたKornai-Liptakモデルは理論的には可能だったが、一度も実装できなかった。

しかしこのモデルの計算量は、今ではスマホでもできるぐらいわずかなものだ。致命的な欠陥は、官僚の裁量が拡大して経済が政治化したことだった。資本主義では企業が赤字を出し続けたらつぶれるが、モノバンクはいくらでも資金を供給できるので、国営企業はつぶれない。

いくら赤字を出しても決済は際限なく延期されるので、国営ネズミ講が可能になり、損失が蓄積する。つぶれるかつぶれないかを決めるのはモノバンクの官僚なので、企業にとっては生産の効率化よりロビー活動が死命を制する。

予算制約の欠如が「ゆるやかな死」をまねく

このような予算制約の欠如(soft budget constraint)が、社会主義の本質的な欠陥だった。意思決定の分権化ができていない社会では、政府が資源配分を決め、企業はそれに従う。

製品が売れなくても、企業は政府の命令に従っていれば資金が供給されるので、製品は改良されない。需要が供給を上回っても価格を上げないで資源を割り当てるので、インフレは起こらないが、慢性的な物不足が起こる。

結果的には社会全体で巨大な資源配分のゆがみが発生するが、それが企業の破綻という形で顕在化しないので、非効率性が蓄積し、官僚の腐敗が拡大し、国が腐ってゆく。それが社会主義の歴史が70年かかって示したことだ。

このような非効率性は、短期的には見えにくい。個々の企業を救済することは、そのときだけみれば事後的にはパレート効率的になることが多いからである。政府に予算制約がなければ、ネズミ講は無限に続けることができ、既存の借金が既得権になるので、後戻りできなくなる。

同じことが今、日本経済でも起こっている。特に社会保障は巨大なネズミ講になりつつあるが、それが衰退の原因だったと気づくには、あと70年ぐらいかかるのかもしれない。