エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層 (ベスト新書)
エマニュエル・トッドの本は重要だが、大部で読みにくいので、その超簡単な入門書として本書をおすすめする。その発想は単純で、日本の「家」社会の歴史をトッドの直系家族の概念で理解するものだ。

そういう試みとしては村上泰亮の「イエ社会」論があるが、今となっては実証的な限界がある。日本全国が長子相続のイエ原則で統一されたわけではなく、古代以来の妻問婚や末子相続など、多様な家族形態がみられる。

しかし世界史的にみると、日本がトッドのいう直系家族(3世代同居の大家族)のグループに含まれることは事実で、これは東アジアでは珍しい。中国では多くの家族が数万人規模の「宗族」で統合される共同体家族(外婚制の父系親族集団)で、韓国はその亜流である。

直系家族の原則が近代法に明記された珍しい例が、明治時代にできた旧民法である。これは夫婦同氏で長男が財産をすべて相続すると定め、これが今も自民党右派の脳内に残っていると思われる。それは中国から輸入された天皇家の共同体家族の原理とはまったく別だが、ネトウヨの脳内ではその区別がつかない。

直系家族は、企業系列や終身雇用など日本社会の構造にも強い影響を与えている。終身雇用は武家の雇用慣行であり、下請けは「分家」である。今ではそういう慣行の合理性は失われているが、日本人の脳内には1000年以上続いた大家族のモラルが根強く残っているのだ。

系列構造と雇用慣行の補完性

こういう発想は村上だけではなく、梅棹忠夫の生態史観とも似ている。ここで地域Ⅰとされている中国とⅢのロシアが外婚制共同体家族、ⅡのインドとⅣのイスラムが内婚制共同体家族で、日本とドイツが直系家族である。
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直系家族の共通点は、よくも悪くも組織と個人の一体性が強いことだ。家の語源は住居ではなくイヘ、すなわち「家族」という意味である。先祖代々受け継がれる家のアイデンティティの根拠は農地であり、それを守る家族なのだ。

重要なのは、このような直系家族の系列構造が雇用慣行と相互補完的だということである。直系家族は小集団の中で濃密に情報を共有し、「一家意識」が強い。英米圏では会社を乗り物(vehicle)と呼ぶが、日本のサラリーマンは「うち」と呼ぶ。長期雇用で彼らの帰属意識は強まるが、解雇は困難になる。

これはかつて長子相続で、次三男を食わせるために行われた分家と同じである。直系家族では長男と次三男には明確な序列があるが、その序列意識は「親会社」や「下請け」という言葉に残っている。

直系家族が「大家族モニタリング」を可能にした

旧民法の直系家族は戦後の民法改正でなくなったが、人々の意識の中に今も残っている。企業を本家と分家のヒエラルキー構造で拡大してゆく構造は、戦後の成長期には適していた。資金調達は親会社(本家)が銀行からの融資を受けて子会社(分家)に分配する。

資本主義でもっとも重要なのはリスクの配分である。核家族の英米では株式というハイリスクの方式しかないが、日本やドイツのような直系家族の国では、「親」の信用で銀行が融資できるので、銀行は審査費用を節約でき、中小企業は系列に入ることで資金調達が容易になる。日本の銀行員や公務員が少ないのは、このような大家族モニタリングができるからだ。

景気変動には解雇ではなく配置転換で対応し、新規事業などの大きな変動には企業集団の中の出向・転籍で対応する。このように企業が雇用責任を負って社会福祉を代行する「日本的福祉システム」が、社員を企業に閉じ込める「退出障壁」になっている。

しかし国際的な水平分業の広がりによって、すべての部品を系列内で調達する「フルセット型」システムは成り立たなくなったので、IT産業では、雇用責任を避けるために多重下請け構造が発達し、製品が多くの系列内の「すり合わせ」でつくられるため、中間財の市場が発達しない。

その結果、官庁や銀行や通信キャリアを頂点とするITゼネコン構造ができ、大手IT企業はほとんど人材派遣業になってしまった。中国のような共同体家族とアメリカのような核家族は「家」のような小集団の求心力が弱い点で共通しており、IT産業のような水平分業型への構造変化には中国のほうが対応しやすい。

現実には定年まで同じ企業に勤務する「終身雇用」は大卒ホワイトカラー男子だけで、労働人口の8%ぐらいしかいないが、それが役所や大企業やマスコミなどのエリートに集中しているため、いまだに日本人の脳内には「正社員」をめざす意識が強い。

しかし全員が終身雇用の正社員になることは不可能だ。それはすべての子供が長男になれないのと同じで、家から排除された次三男には苛酷な社会になる。長子相続で次三男の生活が困難になって江戸時代後期に人口成長が止まって経済が衰退し、次三男の不満が爆発して明治維新が起こったように、イエ社会を根本的に変えないと、今の行き詰まりは脱却できないだろう。