中世社会のはじまり〈シリーズ日本中世史 1〉 (岩波新書)
コロナをめぐる意思決定の混乱をみていても、日本は「決められない国」だという感をあらためて強くする。これについて「憲法改正で非常事態条項を設けて有事立法すべきだ」という意見はわかるが、たとえ憲法を改正しても、この「国のかたち」は変わらないと思う。

こういう意思決定の根底には、少なくとも江戸時代から、さらに遡ると鎌倉時代から続くイエ社会の構造があるのではないか。その特徴は、数百人の小集団をコアとして行動し、その内部では濃密に情報共有するが、それを超える強い権力を許さないことだ。

日本社会の根底にこのようなイエの構造があると指摘したのは村上泰亮だった。これは唯物史観の支配的だった日本の歴史学界では無視されたが、本書のような最近の概説書では、中世の歴史が「家」の歴史として書かれている。

その始まりは10世紀ごろ、在地領主の私兵として生まれた「兵」(つわもの)で、これが地域的に組織されて「武士団」が生まれた。これは初期には武士を中心とする職能集団だったが、その指導者の地位が世襲されるようになり、原初的な血縁集団である「氏」から機能集団(社団)としての「家」が生まれた。

その構造が1000年後の今日にも受け継がれているというイエ社会論には、図式的だとか実証的根拠がないという批判も多いが、「決められない国」の原因を説明する仮説としては有効だと思う。問題は、なぜその構造がこれほど長く続いているのかということだ。

「氏」から「家」へ

その始まりは10世紀ごろ、在地領主の私兵として生まれた「兵」(つわもの)で、これが地域的に組織されて「武士団」が生まれた。これは初期には武士を中心とする職能集団だったが、その指導者の地位が世襲されるようになり、原初的な血縁集団である「氏」から機能集団(社団)としての「家」が生まれた。

その構造が1000年後の今日にも受け継がれているというイエ社会論には、図式的だとか実証的根拠がないという批判も多いが、「決められない国」の原因を説明する仮説としては有効だと思う。問題は、なぜその構造がこれほど長く続いているのかということだ。

その一つの説明として、「氏」が血縁を正統性の根拠とする血縁集団だったのに対して、「家」が戦闘能力を基準として集まる機能集団だったことが考えられる。

本来の意味での血縁集団では大組織はできないので、それを統合する別の原理が必要である。それが中国では宗族という外婚制の父系血縁集団で、これは共通の先祖という物語で結びついている。もちろん現実には血縁はないが、姓という記号で宗族を表現し、妻の姓は結婚しても変わらず、死んでも夫の墓には入れない。

それに対してヨーロッパでは「神」が血縁集団を超える原理になった。これも古代ローマ帝国では各地バラバラだったが、それをまとめるキリスト教という「メタ宗教」が生まれ、言語も文化も違うヨーロッパの各地域をゆるやかにまとめた。

「古い脳」による統合

日本の「家」は、そのどちらとも違う。擬似血縁集団という点では中国に似ているが、姓はあまり意味をもたず、分家すると勝手に家名を名乗り、長男が無能だと「婿養子」をとる。忠誠の対象は主君ではなく先祖代々受け継いだ「名」である。

「家」には儒学のような学問体系も、キリスト教のような教義もなく、その根拠は互いに顔見知りだという古い脳の機能である。ここには法律とか宗教のような新しい脳による統治システムがない。天皇は8世紀以降は名目的な権威で、「しらす」とか「きこしめす」という受動的な存在であり、それが今も継続していることが「家」の連続性を暗示している。

これは「大きな社会」を統治するシステムとしては効率が悪いが、日本人はその高い同質性と濃密な情報共有で、近代以降もこのシステムを維持してきた。終身雇用とか多重下請け構造とか呼ばれる慣行の実態は今はほとんどないが、日本人の脳内に残っている。

その最大の原因は、日本がこの400年ほど大規模な内戦を経験していないからだろうが、もう一つは「家」にそれなりの合理性があるからだろう。数百人の小集団の全員一致で動く軍団は遊撃戦に強く、日本軍も中隊レベルの戦闘能力は高かった。

しかし総力戦を指揮するには、論理的な戦略と強い指導力が必要である。このように国家的資源を総動員するシステムが、日本にはいまだにできていない。これは日本人の脳内に定着した「文化的遺伝子」であり、憲法を改正しても変えられない。安倍首相が「決めない政治」を8年も続けたことは、彼が執念を燃やす憲法改正の精神に反する行動だった。