岩田健太郎氏が、永江さんのSIRモデル批判が「荒唐無稽」だというが、これはSIRモデルを普通に読むと出てくる批判である。当ブログでも去年解説したように、感染可能性S(t)の初期値をS(0)と書くと、基本再生産数Roは次のように定義される。

 Ro=βS(0)/γ (*)

ここでβは感染率、γは隔離率で、Ro>1のとき感染が拡大し、Ro<1になると収束する。コロナのケースでは、1/γは世界共通に14日程度と考えられるが、問題は感染可能性S(0)である。普通はS(0)=1、すなわちすべての人がコロナに感染すると考えるが、これは強い仮定である。

日本とヨーロッパではコロナ死亡率が数十倍ちがい、高齢者と若者でも感染率や重症化率が大きく違う。このS(0)がファクターXであり、永江さんのいうように「いままでの数理モデルは「国民全員が罹患する」という前提が間違っていた」のである。

ファクターXが存在しないという仮定

これは西浦氏も認めた

これは異質性に帰結する。同じRoでも年齢や社会構造、接触ネットワークによってFinal sizeは小さくなることがずっと知られてきた。

実際クラスター対策でも注目してきた1人あたりの感染者が生み出す2次感染者数のバラつきが大きいときは、Herd immunity[集団免疫]の閾値も低くなることが最近になってやっと示された。

もし日本でRo=2.5だとすると、西浦氏もいうように人口の60%(8600万人)が感染するまで流行は止まらないはずだが、実際には0.3%(46万人)で収束した。ここから逆算すると、S(0)は0.5%。これはイギリスの1/20である。このS(0)は、地域や感染状況によって異なる変数だと考えられる。

ところが日本の感染症対策では、(*)式の中でS(0)=1つまり全員が感染可能と想定してγ(隔離率)だけをコントロール可能な変数と考える。ここでは感染症対策としてできるのは自粛でγを変えることだけなので、年齢とは無関係に一律に飲食店の営業を制限する。

しかし感染可能性を変数と考えれば、S(0)の高い老人を隔離して、それ以外の集団のS(0)を下げることができる。これがアセモグルのマルチリスクSIRモデルである。実は日本でも介護施設などS(0)の高い人を隔離しているのだが、国としては年齢別の対策は公表しない。

ここではファクターXが存在しない(S(0)=1)と想定し、日本人もヨーロッパ並みに感染すると想定している。それは論理的にはありうるが、ここ1年(全シーズン)のヨーロッパと東アジアの感染率を比較すれば成り立たない仮定である。ところがコロナ分科会から岩田氏に至るまで、感染症の専門家はいまだにファクターXの存在を認めない。それが日本の感染症対策が過剰になる原因である。