理系の人が意外にわかってないのが「存在は意識によってつくられる」というカント以来の近代哲学の常識だ。コロナウイルスを見た人はいないのだから、「コロナ」はあなたの脳内にしか存在しない。それを忘れればコロナは消えるのだ。
— 池田信夫 (@ikedanob) March 7, 2021
この冗談がバカ受けし、350以上も引用RTがついている。その謎解きは今週のブログマガジンでやったが、おもしろいので補足しておこう。
電子顕微鏡に映った映像がSARS-CoV-2のウイルスか従来の風邪(コロナウイルス)どうかを判断できる専門家は、世界にほとんどいない。大橋眞氏は「新型コロナのRNAは従来型と分離できていない」と主張した。
もしこの主張が正しいとすると、従来型コロナとは違う新型コロナウイルスは存在しないが、国立感染症研究所は新型コロナウイルスが分離されたと発表し、大橋氏の動画はYouTubeから削除された。この場合の存在は「何かがある」という意味ではなく、従来型コロナと新型コロナの差異が認められるという意味である。
これはむずかしくいうと存在論と認識論の問題である。「存在は意識によってつくられる」というのはカントではなくヒュームの議論で、彼は自己を「感覚の束」と考えた。この感覚一元論はマッハに継承され、20世紀の認識論の主流になった。それはポストモダンにも継承された常識だが、世の中ではほとんど知られていないようだ。
これはややこしい問題なので、くわしくはアゴラサロンで(初月無料)。