事物のしるし (ちくま学芸文庫)
コロナをめぐる議論でつくづく感じるのは、事実をありのままに見ることは不可能で、人は何かのパラダイムを通して世界を見るということだ。たとえば緊急事態宣言を出したとき「東京都の新規感染者数500人」という解除の数値目標が設定されたが、感染者がそれをはるかに下回っても2週間延長し、今度は140人に変更するという。

ここでは緊急事態というパラダイムがまずあり、それを維持するために数字を変える。その緊急事態を生み出すのは、多くの国民の恐怖であり、緊急事態宣言を続けろという世論である。つまり緊急事態というパラダイムは政治によって作り出され、それが数字を変えるのだ。

フーコーは『知の考古学』で、このような問題を論じた。彼は認識論を中心とする近代哲学を批判し、知(エピステーメー)の根底には権力があると考えた。それは法律や警察などの暴力装置にもとづくものではなく、日常生活の中で人々を特定の規範に従わせる規範化によって生み出される。その規範は信念として広く共有される宗教のようなものだ。

この規範化の概念はクーンのパラダイムとほぼ同じで、のちにフーコーもそれを認めた。アガンベンはそれを再評価し、知を権力から独立したものと考えるのは誤りだと論じている。事実はパラダイムによって生み出されるが、そのパラダイムを生み出すのは論理ではなく政治なのだ。

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