近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本 (朝日文庫)
コロナは一過性の感染症ではなく、日本社会に意外に大きな変化をもたらすような気がする。特にリモートワークが一挙に広がったことは、これまで大部屋で1日中(アフター5も含めて)一緒に働いてきた日本人の生活を大きく変えるだろう。このような日本人の働き方は、農業社会から受け継いだものだ。

人類の圧倒的多数は農業で生活してきたので、小規模な共同体の中で一生暮らすのが当たり前だった。これを阿部謹也は世間と呼んだが、キリスト教化する前の古代ヨーロッパも、狭い世間の中で暮らす共同体だったという。フランス語でもsocieteの原義は「世間」という意味に近く、ドイツ語のLeuteの語源もそれに近い。

しかし中世に人々が村を超えて移動し、戦争するようになると古代的な共同体が解体され、国(領邦)を守るためにキリスト教で精神的に統合し、教会が個人を管理するシステムができた。その秩序を守り、ヨーロッパを教会法で統合したのがローマ・カトリック教会だった。

ここでは個人は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは「自己責任」となる。個人主義はこのような特殊ヨーロッパ的な思想であり、自然な感情になじむものではなかったが、「強い個人」が結ぶ契約と非人格的な法秩序は、文化を超えてすべての社会に通じる普遍的モデルになった。

アメリカはそれが純粋培養された契約社会であり、そこで生まれたインターネットは、アメリカ社会の鏡像である。それはローカルな文化から切り離された個人がコントロールするネットワークであり、日本人のなじんできた親密な世間とは異なる世界である。日本人がそれに適応できるかどうかが、デジタル・トランスフォーメーションの本質的な課題だろう。

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