病気の日本近代史 ~幕末からコロナ禍まで~(小学館新書)
コロナをめぐる日本の論争をみると、医学界の権威主義の根強さを感じる。物理学のように明快な理論と実証データがない医学では、グレーな問題は学界の権威で決めざるをえない面があるのだろうが、それに加えて日本の医学界では学閥や役所の権威主義が強い。

その弊害を示す歴史的な事例が、森林太郎(鴎外)が脚気を感染症と誤認した問題である。日露戦争では白米を主食とした陸軍の戦傷病死3万7000人のうち、2万8000人が脚気によるものと推定されている。戦死者の3倍が脚気で死亡する惨憺たる状況だった。

それに対してパンを主食とした海軍では、脚気は皆無だった。海軍省医務局長の高木兼寛はイギリス海軍にならってパン食を採用し、遠洋航海で多発していた脚気を絶滅した。その因果関係は当時はまだわからなかったが、イギリス的経験主義で実利的な解決策をとったのだ。

ところが陸軍省医務局長の石黒忠悳は兵士に毎日白米6合を支給する方針に固執し、その理論武装のために森をドイツに派遣した。彼は白米の優越を主張する論文を医学雑誌に250本も発表し、栄養やコストなど、あらゆる面で米食がすぐれていると主張した。脚気の原因は不明だが、そのうち「脚気菌」が発見されるだろうと予想していた。

この論理には無理があったが、彼のバックには(石黒の後ろ盾だった)山県有朋の政治力があった。脚気論争では海軍と明治天皇は麦飯派だったが、陸軍と内務省衛生局(今の厚労省)と東大医学部は白米派だった。森は山県の側近として白米至上主義の論陣を張り、医務局長に出世した。

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