人新世の「資本論」 (集英社新書)地球温暖化は現代の宗教である。それは社会主義が崩壊してよりどころを失った左翼がつくった終末論だが、最近は国連も各国政府もそれを信じるようになり、「気候危機で人類が滅亡する」と騒ぐ人が増えた。本書もグレタ・トゥーンベリのような幼稚な話だが、この宗教がどういうものかを知る手がかりにはなる。

著者は1987年生まれだが、この世代には珍しいマル経の研究者である。彼は「近経」のノードハウスの「環境と成長のバランスが必要だ」という議論を(科学的根拠もなく)否定し、パリ協定の2℃目標を絶対化して「地球温暖化で人類は滅びる」と繰り返す。

CO2を削減するには成長率の低下は不可避で、両者の「デカップリング」は幻想だという本書の主張は正しいが、著者は前者を絶対化して成長を否定する「脱成長コミュニズム」なるものを提案する。

その中身は地球環境という「コモン」を共有し、市場価値ではなく「使用価値」を中心にしたアソシエーションをつくろうという陳腐な話だ。著者が生まれたころ社会主義が崩壊したので、それがいかに悲惨だったか知らないのだろう。

宗教とは疑いえない思い込みを共有する集団だとすると、環境派の思い込みは資本主義が地球環境を破壊するということだが、これは迷信である。資本主義で地球環境は劇的に改善されたのだ。その原因は経済成長で世界の人々が豊かになったからである。

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マルクスは「生産力至上主義」だった

著者がこういう話の根拠として持ち出すのが、晩年のマルクスの「物質代謝論」である。こういう「エコマルクス主義」も私の学生時代からある話で、本書でいかにも新しい話のように論じているザスーリチへの手紙も、そのころ流行した。

晩年のマルクスが西洋中心主義を脱却し始めていたことは事実だが、そこでは「脱成長」の理想が論じられているわけではない。むしろ『資本主義の正体』で紹介したように、マルクスは資本主義がグローバルに成長して世界を「文明化」した先に、それを労働者が乗っ取る革命を構想していたのだ。

プロレタリアートが資本主義の「無政府性」を克服することによって協同的な富の爆発が起こり、すべての人が「能力に応じて働き、必要に応じて取る」というユートピアは『ゴータ綱領批判』などに出てくるが、著者の否定する「生産力至上主義」である。

マルクスの理想としたコミュニズムは不発に終わったが、資本主義によって彼の時代から世界の人口は7倍になり、GDPは70倍になった。その結果、平均寿命は2倍になり、貧困層の比率は1/10になった。資本主義はマルクスの夢想した富の爆発を実現し、環境を劇的に改善したのだ。

おかげで先進国では、グレタのように飽食した子供が100年後に地球の平均気温が1℃上がることを心配しているが、途上国の民衆はそんな心配はしていない。彼らが求めているのは先進国と同じ豊かさであり、それを実現するのは資本主義しかないのだ。