戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗
学術会議騒動の一つの原因は、任命されなかった6人に宇野重規氏と加藤陽子氏が入っていたことだろう。彼らは極左というわけではなく、宇野氏については私もブログで高く評価したことがある。加藤氏も公文書管理法に協力した「御用学者」で、政権が敵視すべき人物とは思われない。

2人が拒否されたのは、安保法制反対の中心となった「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人だったからだろうが、戦時期の日本を専門とする加藤氏が日米同盟(集団的自衛権)を否定するのは信じがたい。この背景には、日本のリベラル固有のバイアスがあると思われる。

本書も指摘するように、近代戦の勝敗を決めるのは軍事同盟による戦力のバランスであり、日米戦争に突入した最大の分岐点は1940年の三国同盟締結だった。日本の指導者が、来たるべき大戦でドイツが英米に勝つと信じていたからだ。こういう歴史記述はよくも悪くも常識的だが、そこから得られる教訓は、現代でも日米同盟で中国に対する戦力の優位を維持することが重要だということだろう。

ところが終章になって唐突に憲法論が展開され、長谷部恭男氏の孫引きで「戦争の目的は他国の憲法を書き換えることだ」という話が出てくる。この根拠はルソーの草稿だというが、これは最近の研究では文献学的に疑問とされている。最近公刊されたルソーの『戦争法原理』には、そういう記述は見当たらない。

そもそもルソーの時代には、憲法(Constitution)は存在しなかった(世界最初の憲法は1789年の合衆国憲法)。戦争は憲法どころか文字もない石器時代から続いてきた普遍的な現象なのに、日本の左翼はそれを憲法論でしか語れない。第9条の「平和主義」が戦争を防いでいるというフィクションを守らなければならないからだ。

かつての左翼には社会主義という普遍的な思想があったが、冷戦が終わって失われた。日本でその代用品として使われたのが憲法だが、これには思想としての中身も普遍性もない。第9条の一方的非武装主義は、海外の左翼にもない主張だ。

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