学術会議が話題になっているが、「学問の自由」などと騒いでいるのは野党とマスコミだけで、当事者はみんな白けている。学術会議は特定の政治勢力に利用され、政府には相手にされなくなり、もう死に体になっているからだ。問題はなぜこんなひどいことになったのかということだ。

学術団体が内閣直属の政府機関になっているのは特異な制度設計で、先進国には類をみない。これはGHQが科学の振興とともに再軍備の監視という機能を学術会議にもたせたことが原因で、全研究者の直接投票という異例の組織形態も、民主的組織で政府を監視するためだったらしい。

それが党派的に利用されたため、民営化すべきだという議論が1950年代からたびたび出たが、学術会議が抵抗して実現しなかった。政府は2001年に諮問機関として総合科学技術会議をつくり、学術会議は予算も増やさないで放置した。それが2017年の「軍事研究の禁止決議」でまた党派的な性格を強めたため、人事に介入したのだろう。

私は研究機関に独立性が必要ないといっているのではない。逆である。2001年に省庁再編で独立行政法人ができたとき「政府から独立して助言する」という目標が掲げられ、私が所属した経済産業研究所は、本当に独立して自由に政府を批判した。このため北畑隆生官房長が、青木昌彦所長など多くの研究員(私を含む)を追い出した。

このときわかったのは、独立行政法人は実は独立していないということだった。設置法を読むと、予算も人事も本省がすべて握っており、独法に勝ち目はなかった。まして学術会議のような内閣直属機関が、そのゆがんだ制度設計を直さないで「自分たちだけ特別に人事を無条件で認めろ」といっても、法律論で一蹴されるだけだ。

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